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     >  日本 >  被曝電車

    被曝電車

    広島・原爆の日に市内を走行する650形電車(651・652号車)
    広島・原爆の日に市内を走行する650形電車(651・652号車)
    広島電鉄650形電車(ひろしまでんてつ650かたでんしゃ)は、1942年に広島電鉄に新製配置在籍中の路面電車車両である。

    1945年8月6日午前8時15分の原子爆弾の投下で全車が焼損と全半壊しつつも、3両が走り続ける被爆電車

    広島の被爆電車651号車。爆心地から僅か700mで被爆。現在もエアコンを積み現役で運行中。
    広島の被爆電車651号車。爆心地から僅か700mで被爆。現在もエアコンを積み現役で運行中。

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    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【富士山に設置されたレーダーは原爆搭載機の接近を確実に捉えていました】し、

    ポイント 女性

    原爆投下の9分前には、広島県福山市松永監視哨「エノラ・ゲイ」の機影を捉え、【海軍呉基地の防空部隊はこれに照準を合わせています】

    ポイント 女性

    この高角砲部隊は15・5センチという巨大な高角砲を装備しており、射程は高度2万メートルに至ったといわれていますから、【十分に「エノラ・ゲイ」を撃墜できたはず】でした。

    エノラ・ゲイ

     当時、この部隊で「エノラ・ゲイ」を地上から見つめていた小田善三氏はこう語っています。

    「 私たちの砲は、すでにそのB-29を15度ないしは20度くらいの角度で捉えていました【一番撃ちやすいコースを飛んで来ていた】のです。砲身はその動きにつれ、ゆっくりと動いていきます。(中略)およそ45度の角度で発射すれば、そのB-29の進む前面に弾幕ができるわけです。高度も、8000メートルくらいではなかったかと思います。【十分撃ち落とせる範囲】です。(中略)私たちは、じっと上空を見ていました。『B-29射程内ニ在リ……』と私は胸の裡でひそかに呟きました」

     しかし、なぜかことのき高角砲は発射されず、その数分後には広島原爆による攻撃を受け、何万もの民間人一瞬にして焼き殺されてしまいました

    広島 原爆 雲

    小田氏は、

    「 撃てば多分、当たっていたと思いますよ。【撃ち損じるようなものではなかった】。少なくとも大きく進路変更を余儀なくされたのではないでしょうか。あの高角砲は、最新式のものでした。(中略)本当は、(当時を)思い出すのが嫌なんです。もし撃っていれば、という思いがこみ上げてきますから……。残念でたまらないのです」

    と言っておられます(久保安夫他 『原爆搭載機〈B-29 エノラ・ゲイ〉「射程内二在リ」』立風書房)。

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     【なぜ広島には空襲警報が出されず、また射撃命令も下されなかったのでしょうか】。一説には、少数機であれば、当時の日本側は戦力温存のために迎撃することはなかった、というものがあります。

    悩む女の子2

     しかし、これを【真正面から否定】する方もいます。その一人が、【本田稔さんという日本海軍きっての歴戦の戦闘機搭乗員】で、戦後は航空自衛隊のジェット戦闘機に乗り、退官後は三菱重工で定年までテストパイロットを務めたプロ中のプロです。

     ジャーナリストの丸谷元人氏は、この本田氏の自宅を何度も訪問して、実際に話を伺ったそうですが、本田氏は、

    「 単機や少数機で来るのは、だいたいが偵察機です。つまり、こちらの高角砲や戦闘機の配備状況を写真に写して後の攻撃の材料とするための任務を帯びています。【そんな連中だからこそ、絶対に逃してはなりません】【必ず迎撃に上がります】し、実際にB-29はそんなに(迎撃するのが)難しい機ではありません

    とおっしゃっているのです。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    昨日ご紹介させて頂いた本文中に、次のような内容の非常に大切な事が書かれていました。

    「特筆すべきは、原爆投下のはるか前から、テニアン島に進出した謎のB-29部隊、つまり原爆投下という極秘ミッションを命じられた「エノラ・ゲイ」の部隊の存在をも把握していたという事実です。 」

    「不思議なのは、堀参謀らのチームが警報を出したにもかかわらず空襲警報はまったく出なかったということです。」

    「じつは日本軍部隊の一部は、日本上空に侵入した「エノラ・ゲイ」を捉えていました。」


    そして、本日ご紹介させて頂いている部分では、

    「なぜ広島には空襲警報が出されず、また射撃命令も下されなかったのでしょうか」

    とも書かれています。

    では、当時の状況を、確認してみましょう。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 1945年7月25日トルーマン大統領が原爆投下の指令を承認し、ハンディ陸軍参謀総長代理からスパーツ陸軍戦略航空軍司令官(戦略航空隊総指揮官)に原爆投下が指令された

    ハリー・S・トルーマン
    ハリー・S・トルーマン

    原爆投下指令

    1.第20航空軍第509混成群団は、1945年8月3日頃から以降、天候が許し次第、目標:広島、小倉、新潟、長崎のうちの一つに最初の特殊爆弾目視攻撃により投下することとする。この爆弾の爆発効果観測し記録する目的で、陸軍省から派遣した軍と民間の科学者要員を運ぶためには、余分な機を爆弾搭載機に随行させることとする。これらの観測機は、爆弾の爆発点から数マイルの距離にとどまることとする。

    2.計画要員によって準備が整い次第、上記の目標の上に追加の爆弾を投下することとする。上に列挙した以外の目標に関しては、追って指示を与える。

    3.この兵器の対日使用に関する一切の情報を発表する権限は、陸軍長官および合衆国大統領だけが保有することとする。前線の司令官によるこの主題に関する声明や情報の発表は、事前の特別な許可なしには、行ってはならない。一切の報道記事は、陸軍省に送って特別な検閲を受けることとする。

    4.上記の命令は、合衆国陸軍長官と参謀総長の承認の下に、その指示によって貴官に発せられる。貴官はこの命令書の写し1通をマッカーサー将軍に、また1通をニミッツ提督に、情報として送達されたい。」


    原爆投下指令
    原爆投下指令

    御覧頂きました通り、目標が、広島、小倉、新潟、長崎の4都市であったこと、原爆の効果を観測し記録するために民間の科学者も伴っていることから、原爆投下という行為自体が単なる「実験に過ぎなかった」ことすでに「2発目の原爆投下」も予定していたこと報道には検閲がなされていたことなど、説明さえ不要なほど「明白」ですね♥

    ポイント 22

    そして、次の命令が下されます。

    「 8月2日、グアム島の第20航空軍司令部からテニアン島の第509混成群団に、次のような野戦命令13号が発令された。

    野戦命令13号

    1. b. (2) (a) ここに挙げた以外の味方機は、攻撃時刻の4時間前から6時間後までの間は、この攻撃のために選ばれたどの目標に対しても、50マイル(=80km)以内に入ってはならない

    2. 第20航空軍は、8月6日に、日本の目標を攻撃する。

    3. c. 第313航空団、第509群団:
    (1) 第1目標: 広島市街地工業地域
    (a) 照準点: 063096。 参照:XXI爆撃機集団リト・モザイク 広島地域、No.90.30-市街地。
    (b) 攻撃始点: 北緯34°24′-東経133°05′30″。 〔広島県三原〕
    (c) 離脱点(目標を攻撃した場合): 少なくとも150度の右旋回をして、北緯34°00′-東経133°34′。 〔愛媛県川之江-伊予三島〕

    (2) 第2目標: 小倉造兵廠および小倉市。

    (3) 第3目標: 長崎市街地域。

    (4) 必要兵力:
    (a) 攻撃兵力3機
    (b) 予備機: 1機、失敗の場合に備えて硫黄島に進出させておく。
    (c) 気象観測機3機それぞれの目標に1機を派遣する。

    (6) 航路: 基地 → 硫黄島 → 北緯33°37′-東経134°30′(発進開始点) 〔徳島県牟岐沖合の大島〕 → 北緯34°15′30″-東経133°33′30″ 〔香川県三崎半島の突端〕 → 攻撃始点 → 目標 → 離脱点 → 硫黄島 → 基地。
      
    (10) 搭載爆弾量と特殊装備: 第509群団指揮官により指定された通りとする。

    (11) 目視攻撃だけを行うこと。

    4. この作戦に対しては、作戦任務番号は付けない。記録の目的には、特殊爆撃任務13番とする。」


    このように、まず3機が先に広島、小倉、長崎に飛んで当日の現地の気象を観測し、作戦実行に問題がないのを確認したうえで、攻撃目標を決めていたんです。

    エノラ・ゲイ号に先行して出発していた気象観測機B-29の1機が広島上空に到達したのが、1945年8月6日の7時過ぎでした。

    ポイント 女性

    この気象観測機の無線報告を四国沖上空の「エノラ・ゲイ」が傍受し、広島が攻撃目標になりました。

    さてここで、攻撃の第一目標に、「広島市街地工業地域」と書かれています。

    この命令書に書かれている数字ですが、例えば「No.90.30」の意味は、最初の「90」が国別コードを表していて、続く数字(この場合は「30」)が地域コードを表しています。

    詳しくはこちらをご参照♥

    エリア・コード

    で、当時のアメリカ軍が使用していた照準点参照用集成図(リト・モザイク)によりますと、「照準点: 063096」は相生橋でした♥

    広島 爆心地 2

    こちらをご参照♥

    照準点参照用集成図(リト・モザイク)

    でも、アメリカ軍が攻撃目標としていたのは、そもそも「広島市街地工業地域」でしたが、実際の爆心地は「病院」の真上でした。

    広島 爆心地

    詳しくはこちらをご参照♥

    【マインドコントロール】 真相は、こうなんです♥



    最初から工業地域でもなんでもない場所に、しかも最大限に被害を及ぼし得るように計算して、高度600メートルで爆破させたんです♥

    高さは、スカイツリーほどの高さです。

    スカイツリー

    そして、その爆発の威力は、昨年の「天津爆発」「666倍の破壊力」でした♥

    天津爆発

    詳しくはこちらをご参照♥

    広島と、長崎と、福島の違い ~ 日本人の知性が試されています



    では、ここで本題に戻ります。

    著者が指摘している大切なポイントがいくつかありました。それは、以下の点です。

    「特筆すべきは、原爆投下のはるか前から、テニアン島に進出した謎のB-29部隊、つまり原爆投下という極秘ミッションを命じられた「エノラ・ゲイ」の部隊の存在をも把握していたという事実です。 」

    「不思議なのは、堀参謀らのチームが警報を出したにもかかわらず空襲警報はまったく出なかったということです。」

    「じつは日本軍部隊の一部は、日本上空に侵入した「エノラ・ゲイ」を捉えていました。」


    「なぜ広島には空襲警報が出されず、また射撃命令も下されなかったのでしょうか」

    次回以降、この点について、もう少し確認してみたいと思います。



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    続きは次回に♥




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