2016-09-07 (Wed)

野坂 参三(のさか さんぞう、1892年(明治25年)3月30日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の政治家、日本共産党議長、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記を務め、名誉議長となる。衆議院議員(3期)・参議院議員(4期)。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本国憲法を使った二段階革命理論を推進したのは、【CIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報局)】にいた、

OSSの記章
【アメリカ人共産主義者(日系二世らを含む)と、彼らに協力した野坂参三(のさかさんぞう)らの日本人共産主義者たち】でした。

野坂参三
この観点から考えると、【日本を戦争に追い込もうとする動き自体は、ソ連のみならず、アメリカのルーズベルト政権に巣食った共産主義者らによっても画策されていた】わけであり、当時の日本の体制では、とてもではありませんが、狡猾な彼らの計画に対抗することはできなかったでしょう。

ヨシフ・スターリン
事実、【共産主義者らによる日本破壊計画は、日本の敗戦よりもはるか前から画策】されていました。

昭和19年(1944)、アメリカ政府は毛沢東率いる中国共産党との関係を構築するため、「Dixie Mission」という視察団を延安に送ります。

デイヴィッド・バレットと毛沢東
この視察団の中には、ハワイ出身の日系二世である【有吉幸治(コージ・アリヨシ)】軍曹が含まれていました。

有吉幸治と毛沢東
ちなみに、ニクソン大統領が米中国交正常化のために訪中した際には、この「Dixie Mission」にかかわる昔話が毛沢東とのあいだで話題になりましたが、【有吉軍曹も共産中国を訪問した最初のアメリカ人の一人として、大統領に随行】しています。

Koji Ariyoshi (有吉幸治)
延安に到着した有吉軍曹は、当時そこに滞在していた【野坂参三】と出会って交流を深めるのですが、そこで【野坂が多くの日本人捕虜らの洗脳工作を行っていた】ことを目撃し、その活動を高く評価しています。

中国共産党幹部時代の野坂参三
後に、731部隊や南京大虐殺など、日本軍の残虐行為に関する証言を積極的に行った旧日本兵が複数名います。

前田光繁(中国名・杉本一夫)

小林寛澄

林弥一郎 人民解放軍空軍の父

篠塚良雄
【彼らは、中国共産党に都合の良いことばかりを証言するように収容所で洗脳された人々】です。詳しくは「中国帰還者連絡会(中帰連)」のキーワードで、ネット検索してみてください。

日本人の裏切り者どもについては、こちらにもまとめてありますのでご参照ください♥
↓
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その一
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その二
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その三
このとき野坂は、アメリカ軍の視察団に対して驚くべきことを告げています。

当時、【日本国内には2000人ほどの共産主義者がいた】ようですが、【野坂はアメリカの対日戦争に日本の共産主義者を協力させたいと述べており、「連合軍に対して日本共産党は全面的な支援を行うこと」を約束していた】のです。

これは、Henry Oinas-Kukkonenの著書“Tolerance, Suspicion, and Hostility: Changing U.S. Attitudes toward the Japanese Communist Movement, 1944-1947”の3ページ目に出てきますが、【野坂はその見返りとして、日本の敗戦後には、獄中にある仲間の共産党員らの「政治犯を釈放してほしい」と要求】しています。

つまり【日本共産党は、先の戦争に反対していたどころか、多くの日本人が国を守るために戦っていた最中から、敵である連合国軍に協力していた】のです。

まさに【利敵行為、裏切り者】であるわけですが、このことは今日の日本でもほとんど知られていません。これでも多くの良心的な日本人は、厚かましくも「先の戦争に反対していた唯一の政党」を自称する、日本共産党に投票するのでしょうか。

ちなみに【有吉氏は、アメリカ共産党のメンバーでもありながら、OSSに所属】していました(Cliff Kincaid and Herbert Romerstein, “The Stealth Candidate”, May 22, 2008, p.17)。

Koji Ariyoshi and his wife, Taeko
この【アメリカ共産党こそが、コミンテルンの指導の下、ソ連と協力して日本を対米戦争へと追い立てていく】のです。

1933年 世界地図
このこと一つとっても、【戦後、日本国憲法制定の中心的役割を果たしたGHQの民政局と、東京裁判史観の徹底をベースとする対日占領政策を指導したOSSが、日本共産党と水面下でがっちり繋がっていた事実が浮かび上がってきます】。』

いかがでしょうか?
最近頻繁に書物を出され、精力的に活動をなされている著者ですが、今回のこの書物も、非常にお勧めです♥
読み進めていくと、「日本共産党」のあ~んなことや、こ~んなこと、そして旧ソ連共産党の手先として、私たちの日本に対して様々な悪事を働いていたこと、さらに、それが現在でも続いている「嘘吐き集団」だってことが、とても判りやすく書かれています♥

ですが、これは、著者が持論を述べているわけではなくて、もうすでに「世界の常識」になっちゃっていることで、次から次へと新しい証拠がこれでもかって出てきているんです♥
そのことについては、以前ご紹介させて頂きました、こちらの書物(↓)で理解することができますが、戦前・戦中そして戦後と、「ソ連コミンテルン」ならびに各国の共産主義者が、いかに悪事を働き、そして世界を戦争へと巻き込んで行ったのかが、次々と証拠とともに解明されてきている、それが最先端の世界史の分野で起きていることなんです♥
つまり、歴史の修正は、もうすでに始まっているんです♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆福井義高 日本人が知らない最先端の「世界史」
それでは、今回の著者の述べられていることを、順を追ってみてまいりましょう♥
まず、CIA(中央情報局)の前身のOSS(戦略情報局)が出てきました。そういえば著者自身も、大学院のとき就職の面接でCIAも受けていらっしゃったそうですが。。。
「 占領下の戦後民主主義改革が、社会党、共産党によって熱心に支持されてきたことの意味を、深く問うことがなかったのである。…


「戦後民主主義」などといわれた改革は、アメリカ左翼によって意図された社会主義政策であった…ここ20年に解禁されたアメリカ国立文書館のOSS(Office of Strategic Service 戦術局)の「日本計画」文書から分析…それが民主主義ではなく、二段階革命の一段目の社会主義であったことに、人々はあまり気がつかなかったのだ。…
ここで問題にしたいのは、その後の左翼が戦後民主主義や平和主義を労働運動から方向転換し、文化運動に切り替えていたことを保守が察知できなかったことである。労働階級の運動よりも、市民階級の左傾化に重点をおき、メディアや学界を通じてそれを展開させたのである。つまり、文化活動全般を通じて、階級意識、差別意識をつくりだす心理的、精神的な運動をめざしたのである。それが、…フランクフルト学派の批判理論の考え方であった。
現在は歴史から忘れられた組織OSSが戦時中にさまざまなプロパガンダを行っており、…このプロパガンダが戦後に生まれ代わったのがNHKをはじめとする放送局だったといってよい。それが戦後の占領体制の基本情報になったのである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆米占領下の政策は、民主主義ではなく、社会主義でした
ここで、「フランクフルト学派の批判理論の考え方」というものが出てきましたので、こちらも確認しておきますと、もともとはマルクス主義から派生した左翼ユダヤ人の思想になります♥

「 具体的にいえば、その「反権力主義」思想で、「権力批判」ばかりをやってきた民主党が、政権についたら何もできなかったことでわかるような思想である。彼らの理論は、体制に否定的でさえあれ、能動的に動かす力がない。・・・
この思想の根源はマルクス主義だが、ロシア革命以後は労働者の革命が実現不可能だという認識から生まれたフランクフルト学派の考え方である。
…ほとんどが左翼ユダヤ人で、マルクス主義だけでなく、心理学のフロイト思想などを取り込んでいるために、一見は高尚な哲学に思えるので、一部の知識人、学生たちは魅惑された。…戦前の日本でも…共産党の構造改革派と呼ばれた人々がこれを日本流に学んで、戦後流布しようとした。戦後憲法はこの思想が強く反映している…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆隠れマルクス主義の影響を強く受けた「日本国憲法」
で、その左翼の塊だったOSSからGHQに繋がっていくわけですが・・・
「 そのGHQは、ニューディール政策をとったルーズベルト大統領の下でつくられたOSSという、今日のアメリカでは考えられぬほど共産主義者が多く入り込んだ組織を引き継いでいた。
…日本の憲法がOSS体質のGHQによってつくられたものである…それはほとんど次の共産主義革命をめざすための、ブルジョア革命の様相を引き起こすものだ…
「戦争を放棄する」というのも、外に対してではなく、革命側が内戦による弾圧をはじめからさせないように考えたものであり、周囲の共産諸国の「平和を愛する諸国民」に運命を委ねることを意図しているといってよいのである。
憲法9条を堅持することは、裏に相変わらずそのような革命幻想があることを隠しているといってもよい。
…憲法9条擁護者は単に反戦で戦争になったら逃げるというだけでなく、あわよくば革命を起こし、それが弾圧なしで行われることを期待していることになる。

ともあれ、日本国憲法は共産主義への二段階革命の一段階目の状態を条文化したものであるという説は、GHQのあり方からすると十分考えられることである。
ソ連も崩壊し、中国も全体主義(=左翼ファシズム)的資本主義国となり、北朝鮮も全体主義(=左翼ファシズム)である今、日本の憲法はまったく非現実的なものである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆GHQのつくった憲法は、共産主義革命のためのものでした
「 占領期間中の「ウォー・ギルド・インフォメーション」は、新聞に「太平洋戦争史」が連載され、戦争そのものが、日本の軍国主義によって煽動されたものだという宣伝によってはじまった。この戦争史によって、大東亜戦争は「太平洋戦争」となり、南京「虐殺」も捏造されたのである。これはあくまで軍部と国民の分裂を工作するというOSSの方針であった。
NHKはそれに呼応して「真相はこうだ」というラジオ番組を組み、満州事変から終戦までの日本軍国主義の犯罪的行為を、真相として国民に宣伝した。それを担当したのは、OSSの流れをくむGHQ情報局のアメリカ人であった。国民に知らされなかった情報を事実として、ドキュメンタリー風のドラマに仕立て上げた日本国民洗脳プロパガンダを行った。具体的な軍部否定の宣伝だけでなく、社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように情報を仕立て上げていったのである。・・・
この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われ、それに代わって、いわゆる戦後利得者が公職につき、左翼的な言をふりまいた辞。…戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。…
NHKもそれで完全に左翼化したことは、昭和21年10月5日の「放送スト」にまで発展したことでもわかる。あわてたGHQが、NHK職員を大量にレッド・パージしたのだが遅すぎた。新たな「放送法」をつくり、民間放送の設立を認めたとき、ファイスナーという担当官が
《 NHK職員には共産主義者が多く、放送ストをする者もいた。また朝鮮戦争のときにパージされた者も多かった 》
からだと述べた。民間放送の認可は、NHKそのものの左翼化を変えられなかったことによるものだと語っていたことになる。NHKに公共放送を独占され、民間放送をつくらせることにより、その独占状態、左翼化を防ごうとした経緯があったのだ。それは、ちょうどアメリカが左翼的なOSSから冷戦に対処するCIAに戦術を転換するときにあたっていた。
しかし、その後続々とできる民間の放送局も保守的な報道をするわけでもなく、NHKの左翼性、リベラル性を超えるものではなかった。放送界、メディア界に入る人々の意識は戦後民主主義に染まり、あたかも客観的報道と称して、人々を社会主義支持の方向に導いていったのである。その文化運動の先頭にたったのが、放送ではNHKであり、新聞では朝日新聞だった。
むろん、社会主義国の崩壊、北朝鮮の拉致問題などが、その態度を変えさせた面もある。しかし内実は、リベラルな態度にシフトしただけであった。リベラルとは、権力、権威から独立した自由な態度という曖昧なものだが、権力批判、権威批判の名のもとに、人々を混乱に導いた。フランクフルト学派に由来するこの権威主義批判は、文化面においては素人的凡庸主義を導くことになる。凡庸化があたかも新しい文化のような装いを取るようになる。識見のある権威を否定し、専門家よりも素人を多用するNHKの放送体質は、その理論によるものと思われる。
それは、むろんNHKにとどまらない。現在の日本の文化面を覆っている素人化、凡庸化の現象はある意味で文化破壊であり、伝統と文化の断絶を意図したものであることを隠している。現代の日本の文壇や論壇を覆っている停滞は、その顕著な傾向によるものである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように
と、御覧のように、現代の日本に、劣化した左翼が生じている原因に繋がっているというわけなんです♥

マサハルってダレ?
さて、もう一度本文に戻りますと、「日本を戦争に追い込もうとする動き自体は、ソ連のみならず、アメリカのルーズベルト政権に巣食った共産主義者らによっても画策されていた」と書かれています♥
当時、史上初の社会主義国家だったソ連(コミンテルン)を中心として、各国内に存在した「共産主義者」が、「ソ連を護るように」して「周辺国同士を戦争へと導いた」というのが、ここで書かれていることの意味です♥

1933年 世界地図
「 (南京陥落後も、蒋介石に日本との戦争を継続させた理由は)アメリカの戦略が蒋介石を日本との戦争で疲弊させて、中国を共産主義者に売り渡すことにあった…そうでなければ、アメリカのドノヴァンOSS(戦略事務局、CIAの前身)長官が延安の中国共産党に大量の武器や物資を送り、中国の共産化を支援した理由がよくわかりません。ちなみに、このように援助された武器を毛沢東は日本軍との戦いには使用しませんでした。専(もっぱ)ら共産党軍の武装強化に努めたのです。

ウィリアム・ドノバン
他方、大戦後の国共内戦時にトルーマン大統領の特使として中国に派遣されたアメリカのマーシャル将軍は、(蒋介石の)国民党への武器援助の実施を遅らせ、中共軍との即時停戦を主張して、中共軍の建て直しのための時間稼ぎをしました。圧倒的に優勢だった蒋介石に弱体の共産党とのいわゆる国共連立政権を強要したのです。
マーシャル将軍を毛沢東の背後にいたソ連はどう見ていたのでしょう…グロムイコの回想録を見てみます。
グロムイコは、マーシャルがNATO創設者であり、マーシャルプランの提唱者であったにもかかわらず、…高い評価を与えています。NATOはソ連にとって安全保障上最大の脅威の元凶でしたし、マーシャルプランは西ヨーロッパの共産主義化を防止したヨーロッパ復興計画であったという事実にもかかわらず、なぜグロムイコはマーシャル将軍を批判していないのでしょうか。グロムイコはマーシャルをこう評価しています。
「 ジョージ・マーシャルは戦時中の軍、政界における有力者だった。彼の重要性は、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの各会談に参加した事実から分かる。政府は戦場で彼の権威を当てにした。マーシャル・プランの目的は資本主義を安定させ、進歩的な社会変化が起こるのを阻止することにあった。後にマーシャルはNATO創設の支持者となり、国防長官として政治経歴を終えた。マーシャルには外交官のモーニングコートも軍服もともによく似合ったようだ。」(グロムイコ回想録)
…このグロムイコの証言から判断すれば、マーシャル将軍はソ連の信頼のおける仲間であったことが分かります。ところが、アメリカ人の中には、マーシャルこそ中国を共産主義者に売り渡した張本人だと厳しく批判した人たちがいました。その中の一人、…マッカーシー上院議員の証言を聞く価値がありそうです。
いわゆる「赤狩り」で有名なマッカーシーは、…
「スターリンはマーシャル将軍を称賛して、中国問題に決着をつけられる人間はマーシャル以外にはないと言った。スターリンは正確にはこう言ったかもしれない。自分が満足できるようにと。」
と述べています。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆アメリカが作った共産主義の「あの国」♥
「 日本人はこうした言論操作にあまりにも無防備であった。…現行憲法の内容も「民主主義」憲法ではなく、「社会主義」憲法であることも批判されないように統制されていた。アメリカでさえなかった権利を、22歳の左翼ユダヤ人女子学生が、日本国憲法の女性の権利の条項を書いていたのである。

チャールズ・L・ケーディス
その成立過程からも、それをつくり出した左翼ユダヤ人・ケーディスら民政局の動向からも、これが社会主義憲法であることは明らかである。 それを「民主主義」といったのは、二段階革命路線の一段階目であったからである。あたかも、単に市民憲法であり、社会主義ではないかのように見せていた。
アメリカ政府が内部の左翼性に気づいたのは、2年後に民政局左翼の連中を追い出した時点であった。だが、それまでに五大改革がすべて実行され、日本人の分裂とモラルを壊す東京裁判も続けられた。すべてあとの祭りであった。OSSからCIAに変わったときには、すでに「OSS空間」がつくられていたのである。
問題は占領軍の弾圧体制が解かれた後も、その体制を日本人が自ら維持してしまったことである。…憲法制定だけでなく、財閥解体、農地解放、神道指令、公職追放、教育改革は、「民主化」以上に第一段階の「革命」をめざしていた。…利得者であった左翼は、徹底的にそれを利用した。マスコミだけでなく、教育機関の左翼化が、日教組、大学教員、官僚に浸透し、その方向で動いたのは周知のとおりである。
私はこのことを、日本の左翼化ではなく、「OSS空間化」と呼ぶことにする。つまり、OSSの「日本計画」がGHQの下で日本を階級分裂させ、軍部批判を起こし、社会主義化させようとした最初の計画だったからである。
OSSは共産党の野坂参三に政権をとらせようと画策した。一方で、中国で毛沢東を政権につかせることに成功した。一般にアメリカは蒋介石を支持したといわれているが、実はそうではない。この二人が、同じ延安にいたことは不思議な符合であった。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆22歳の左翼ユダヤ人女子学生がつくったもの
もうお判りいただけたかと思いますが、国家単位の戦争だったと見てしまうと、本当の歴史が見えなくなってしまいます。つまり、あの戦争は、「共産主義者によって引き起こされた戦争」だったんです♥
すべては歴史が語っていることですね♥

野坂参三と周恩来

野坂参三(中)と毛沢東(右)

続きは次回に♥
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