2016-08-26 (Fri)

『時間・真理・歴史』フランシスコ・デ・ゴヤ作
教義(きょうぎ、英: dogma、ドグマ)とは、宗教の教えを体系化したもの。多岐に亘る宗教があり、そのいずれにも独自のこれが存在し、各々の宗教を信奉する人が、これに則って物事を理解したり判断する助けとなるものとされる。教理とは相違がある。転じて、一定集団の中においてのみ支持されているルールや考え方も、比喩的に教義と呼ばれることがある。また教義を絶対化する、あるいは固執する傾向を教条主義(英: dogmatism、ドグマティズム)という。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 多くの人々が読むという一般向け書籍の性格を考慮すると、【縄文時代や弥生時代という語の普及に大きな影響を与えた】のは、おそらく先の『岩波講座 日本歴史』シリーズと並んで、

河出書房から刊行された『日本の考古学』シリーズであったと思われる。

本シリーズの特徴は、考古学的な時代区分としと、先土器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・歴史時代という日本独自の時代区分を前面に押し出したという点にある。このうち第二巻の縄文時代は1965年に、第三巻の弥生時代は1966年に刊行されている。第三巻の編者でもある和島誠一は、弥生時代の定義を
「弥生時代は、【ながく停滞的な採集経済の段階にあった縄文時代】の日本民族が、大陸の農耕文化の促進的な影響をうけて稲作を中心とする生産経済にうつり、米を主食とする日本人のその後をきりひらいた時代である」
と述べ、【弥生時代は縄文時代より発展した時代】であり、【弥生時代こそ日本人の日本人たる文化が始まった時代であることを主張】した。

ただ、和島の主張だけのせいではないが、このような言説が、意識するしないにかかわらず、【縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような、ある種「上から目線のモノの見方」を育んでしまった】ことはまちがいなかろう。

現在でも考古学を志す学生の間では、縄文時代以前のテーマで卒論を書こうとすると、「コメを喰っていないサルの時代か」と揶揄されることがあるそうだ。

実際、私の学んだ大学でもそうであった。今はどうか知らない。また、現在私が勤務している国立歴史民族博物館(博物館といっても、研究施設に付属する博物館なので、一般の博物館とはちょっと性格が違うが)は、小中学校を中心とする児童・生徒達の社会科学習の場としても利用されるのだが、引率の先生の口からも、先のような発言が生徒に向かってなされることがある。

さらには、「縄文時代の人と弥生時代の人、どちらが幸せだったでしょう」といった小学生用の教材までインターネット上に公開されている。思わず、天を仰ぐことも少なくない。

☆新TOSSランド
このような視線の背景には、【単なる戯れ言では済まない、「食糧を生産する社会の方がより高い文化を持ち、優れている」というドグマ】が見え隠れしているといってよい。

【このドグマそのものは、歴史を発展段階的に捉える唯物史観によって立つ研究者たちの様々な忖度(そんたく)の末に生じたもの】だが、【このドグマこそが、後の弥生時代の地域性を語る際に大きな問題となり、また弥生時代を優位と考えるということと同根】である。

自分たちがより高いレベルの文化・文明に属しているという錯覚が、いわゆる【発展途上国などの人々に対する「上から目線」を生み出す根源】とさえなっている。これについては、多くの民族誌的研究から批判がなされているのだが(たとえばクラストル1987など)、その批判が私たちの社会に届いているとは、ちょっと思えない部分がある。
縄文時代が停滞期であり、大陸からの新しい文化、水田稲作技術をともなって波及した文化によってピリオドが打たれたとする縄文時代観は、…1960年代当時の基本的な歴史観であった。…

佐原真
その後十年を経て、佐原真が弥生時代の定義として1975年に記した文章には、
「弥生時代は、『日本で食糧生産を基礎とする生活が開始された時代』である」
と書かれている。また、現在においても山川出版社から発行されている高校歴史教科書である『詳説日本史B』には、縄文時代を食糧採集の段階、弥生時代を食糧生産の段階と明記されている。【佐原がいう「基礎とする」という部分をどのような指標に求めるかが問題】であるが、この定義が今日においても弥生時代に対する基本的な理解であることは否めない。

このように、縄文時代・弥生時代という語の成立を研究史的に概観してみると、【明治から昭和期の初めにおいては石器時代としと一括されていた】ものが、イネの発見などにより縄文と弥生が生業的・経済的な観点から切り離され、「縄文式文化」、「弥生式文化」という内容の認識が行われたのちに、第二次世界大戦後において、新たな日本の歴史を編纂していく過程で「縄文式時代」、「弥生式時代」という概念が成立してきたことがわかる。…
また、【縄文時代という概念の成立と弥生時代のそれは、表裏一体のもの】であり、両者はほぼ同時に使用されるようになったということになる。そして1950年代頃までは、「縄文式文化」を新石器時代に、「弥生式文化」を鉄器時代や原史時代などとして世界史的な時代区分のなかに位置づける言説が多かったのに対し、1960年代以降は日本の歴史における一時代として縄文時代、弥生時代が取り上げられるようになった。そして現在に至るという訳である。』

いかがでしょうか?
私たちの「記憶」にある、「縄文時代という概念」は、戦後になってからの教育で覚えさせられた、、それもほんの数十年前の「新しい概念」で、しかも、その定義すら曖昧なままの「縄文時代という概念」、これを子供たちは、一生懸命覚え込まされています♥
そして、その「縄文時代という概念」と表裏一体の関係、いわば対になっているのが「弥生時代という概念」です♥

このヘンテコな「縄文時代」「弥生時代」という考え方を持ち込んだのが、社会主義に傾倒した山内清男と、その弟子の佐原真でした。

山内清男

佐原真
歴史を発展段階的に捉える唯物史観という「幻想」に、いまだに囚われている「マルクス主義者」。
実は、彼らのそういった独特の思想こそが「差別観」を生み出す元凶なんです。
縄文時代という概念と、弥生時代という概念を、区別しているのが「食糧の生産」で、「食糧を生産する社会の方がより高い文化を持ち、優れている」という一方的な決め付けの「無意味さ」が理解できないんです♥

こちらもご参照♥
↓
☆科学的社会主義って何? ~ マルクス自身も否定する「マルクス主義」
ネット上で少し探せば、いくらでも、こういったおかしな思想に囚われたものが見つかります♥
例えば、これ。とある地域の小学6年生用の学習指導案です。

☆第6学年 社会科学習指導案
稲作がなければ幸せではないんでしょうか?
おカネがなければ幸せじゃないんでしょうか?
「嘘」を吐いて、世間を騙したりすることの方が、よっぽど「幸せではない」ように思いますが♥

☆NHKニュースが捏造!PC買えず千円キーボードの貧困女子高生、実は高額ペンを持ち、趣味に散財
☆片山さつきがNHKの捏造を追及し公表へ・NHK「経済的に厳しい女子高生であることは間違いない」
例え貧しくても、机もない地面で、一生懸命お勉強をしているカンボジアの子供たちの方が、とっても「幸せ」に思えます♥

こちらもご参照♥
↓
☆元自衛隊の“オヤジ”たちがカンボジアでやっていること
続きは次回に♥
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