2016-08-24 (Wed)

ホモ・サピエンス(英語: Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」を意味する)は、現生人類の属する種の学名である。ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)などのすでに絶滅した多くの旧人類もこれに含める。ヒト属の唯一の現存種である。
種の下位の亜種の分類では、現生人類をホモ・サピエンス・サピエンスとすることで、彼らの祖先だと主張されてきたホモ・サピエンス・イダルトゥと区別している。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【現代の人類学においては、人種という概念はあまり重要視されていない】。

これは、【現在ではいかなる人種もホモ・サピエンスという同一の種に含まれることが判明】しており、自然環境への適応の仕方によって様々な形質が発現しているだけと考えられているからである。…

Male and female Homo sapiens sapiens in Thailand
1880年代の終わりになると、明治時代前半よりヨーロッパへ留学していた俊英たちが次々と帰国し、「お雇い外国人」と入れ替わり、彼らが帝国大学にて教鞭を執るようになった。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆実は大失敗だった「一高・東大」 ~ 大学の暗黒の歴史の始まり
たとえば、自伝的小説『舞姫』の作者である森鴎外の義弟であり、

ショート・ショートなどで、著名なSF作家である星新一の祖父で、東京帝国大学医学部の解剖学教授であった【小金井良精(こがねいよしあき)】は、まさにその第一陣であった。…

小金井良精
解剖学者である小金井良精は、形質人類学の立場から、【「石器時代人=アイヌ」説を主張】したが、このような主張をする前に、…1888年に北海道へ調査旅行に行っている。小金井はその翌年も北海道を訪れ、アイヌの頭蓋骨を166点、その他四肢骨を入手している。【これがどのような手続きによったものか、定かではない】。しかしながら、現代からみれば微妙な問題があったことは間違いないだろう(植木哲也『学問の暴力―アイヌ墓地はなぜあばかれたか』春風社)。

これらの資料を用いて小金井はアイヌの骨格に関する数多くの論文を執筆し、【ヨーロッパでは「アイヌの形質研究の第一人者」として認められる】ようになる。

ここで少々補足しておきたいが、【当時のヨーロッパではアイヌの人々を、その彫りの深い容貌から、ヨーロッパ人と同じいわゆる「白人」とみなす説が流布していた】。

そして、
「なぜ(人種的に優秀な)白人が、東洋の辺境に存在するのか」
という観点から、アイヌが注目され、研究上だけでなくヨーロッパの一般の人々からも好奇の目で見られていたのである。

このため、アイヌの研究を欧文にて発表した小金井の名声は、欧米において非常に高まったのであった。

小金井は、1890年に論文『アイヌ人四肢骨に就て』を発表し、さらに同じ年に『本邦貝塚より出たる人骨に就て』を発表し、【石器時代人とアイヌが非常に類似した形質】を持っていたことを明らかにした。形質人類学的な手法(それは当時最先端の西洋科学であった)から立ち上げられた【「石器時代人=アイヌ」説は、当時衝撃をもって迎えられた】ことだろう。…

小金井が論文を発表した1890年の段階では、貝塚等に散乱していた少数の四肢骨程度しか比較資料がない状態であり、それは小金井が論文中に付した石器時代人一覧をみても、一目瞭然である。小金井の用いた資料としては、大腿骨の12点が最も多く、しかもすべて破片である。正直なところ、【これだけの資料でいわゆる人種論を語ることができたとは、ちょっと思えない】。…

この段階における小金井の説は【形質人類学的には不十分なものであった】としか言いようがない。

事実、1905年以降に各地において貝塚遺跡の調査が進み、多くの石器時代人骨が発見され、これらの骨格、特に頭蓋骨について形態・計測的な研究が進んでくると、【「石器時代人=アイヌ」説に立つ研究者は、次第に小金井以外にはいなくなり、やがて「石器時代人=非アイヌ」説が主流となっていく】…』

いかがでしょうか?
アイヌが注目されていた理由が、ご理解いただけましたでしょうか♥
その「根っこ」には、白人による「人種差別観」が存在していますね♥
「なぜ(人種的に優秀な)白人が、東洋の辺境に存在するのか」・・・
さて、著者が述べられているように、「現代の人類学においては、人種という概念はあまり重要視されていない」、これが私たちが生きている現代における考え方です♥
では、それまでは、「人種」はどのように考えられていたんでしょうか?
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 人種(じんしゅ)とは、現生人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって分けた区分である。
従来は、種としてのホモ=サピエンスの直ぐ下位、あるいは、それに次ぐ分類群として提唱されてきたものであり、遺伝的に多少とも隔離された集団で、他のどのような隔離集団とも異なった集団遺伝子組成を有するものとされていた。近代においては、特に奴隷貿易でアフリカ人らを人身売買する過程で、分類および認識が求められた。」

この「人種」という考え方が、幾多の戦争を引き起こしてきたかは、説明する必要もございませんね♥
こちらもご参照♥
↓
☆黄禍論って何? ~ 核爆弾落ちたら、日本死ぬ。。。
☆「義和団の乱」って何? ~ たった120年前の世界 「白」と「黄」、そして「基」と「仏」
「人種差別」と戦ったのが、私たちの日本だったことも、いまではすでに「常識」ですね♥
こちらもご参照♥
↓
☆まずしい家庭の、ごく普通の主婦の日記 ~ 『十二月八日』 太宰治
☆昭和天皇が見抜かれていた大東亜戦争の遠因 ~ クリスチャンによる非道な人種差別

「黄禍」を世界に知らしめた寓意画 「ヨーロッパの諸国民よ、諸君らの最も神聖な宝を守れ」
私たちの日本は戦争にこそ敗れましたが、非常に大きな成果を、その後の世界にもたらしました♥ それまでに考えもされなかった「人種という概念の無効化」です。夥しい数の独立国家の誕生も、私たち日本が大東亜戦争を戦ったからでした♥ オリンピックの参加国数の推移からも明らかです。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 1950年、人種偏見と人種主義の暴力に対峙するための科学的知識の普及のために国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が『人種に関する声明』を発表する。この声明は生物科学と社会科学の専門家からなる国際委員会による検討の後、自然人類学者のA・モンタギューによって起草された。声明(1950)では、人間の集団に見られる差異は、精神的な特徴に関しては見られず、人種とは遺伝子や身体形質の頻度によって異なる集団を指しており、この差異は進化的産物であると同時に動的なプロセスにあるという科学的定義を述べ、過去の人種概念が生物学的な特徴だけでなく、宗教や文化に至るまでの統一的な差異として語られており、それが人種間の不平等と暴力の正当化につながっていたことを「神話としての人種」という形で否定した。この声明自体にはテオドシウス・ドブジャンスキーなど多くの遺伝学者や自然人類学者がすぐさま反対したが、この声明によって人種概念が本質的な特徴に基づく類型ではなく、頻度の差異という連続的な差異によって定義された集団概念が一般に示されたと考えられる。1952年、クロード・レヴィ=ストロースはユネスコの依頼により、『人種と歴史』を執筆し、文化人類学者の中に人種概念の無効性が一般化された。」

クロード・レヴィ=ストロース

判り易く解説をされているブログがこちらです。
↓
☆フランス語教育学研究室
「 1960年代には人類全体の変異のバリエーションの内85%はどの人種にも存在し、人種や民族固有の変異は15%であると見積もられた(ただしこの推定には最大30%とする説まで議論がある)。これは当時考えられていたよりも遥かに人種間の遺伝的差異が小さいことを示していた。また人類全体の遺伝的多様性自体も他の多くの動物よりも小さく、例えばチンパンジーの遺伝的多様性の四分の一でしかない。
そこから分かるように、人の外見上の差異はゲノムのわずかな部分によってもたらされる。したがって外見的な特徴によって人を分類することは厳密性や正当性を欠いていると主張する者も多い。また外観的特徴に基づく人種分類が伝統的に人種差別に用いられてきたこと、同じ人種に分類される人々が必ずしも同じ外観的特徴を有していないこと、同じ人種とされる人々が必ずしも同じ文化を共有していないことなどの問題があり、DNA分析による遺伝学が進歩したことも加わって、人種と言う分類法は用いられなくなりつつあり、かわりに民族集団や連続的な遺伝的特徴をあらわすクラインといった概念が用いられるようになってきている。」
つまり、「人種」という概念が無効化し、それに代わって、「民族」や「クライン」といった概念が主となってくるわけです♥
ここで問題となってくるのが「民族」という言葉の意味です。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある。また、日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnationの概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic group(ジュリアン・ハクスリーが考案)の概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。」
と、このように、日本語の「民族」には2つの意味が含まれています。

「 朝鮮が独自の主権国家を持つ資格のあるNationなのか、それとも単なる文化的集団にすぎないEthnicなのかは難問です。
というのも、朝鮮は独自の王朝を持ちながら、常にその王朝が中華帝国に臣従を誓っている為、独立国家の要件をまるで満たさず、評価をくだしようがないからです。
中華皇帝から見たら、単なるいち家臣であり、地方の軍閥か何かと見分けがつきません。
これは日本と違い陸続きだから、というのは言い訳になりません。歴代中華帝国と陸続きで接しているベトナムは、弱いときには中国の元号を使ったりしますが、基本的には敵愾心を剥きだしにします。また、ミャンマーなどは、フビライの元だけが例外で、中華帝国の干渉を拒否しています。これらの国は現代の視点から見て、前近代において独立国家だったと言っていいでしょう。
ところが困ったことに朝鮮王朝の文化は、「中華皇帝を父として敬い、ほかの国には長男として威張る」です。どこにも独立心はありません。
しかも唯一の近隣国である日本は、朝鮮を兄として敬うなど一度としてしたことがありません。ましてや、…中国や日本と一騎打ちで正々堂々と戦争をして勝ったことがないのです。…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆朝鮮王国とマリネラ王国 ~ 日本の天皇陛下、朝鮮の国王「殿下」w
いかがでしょうか?
日本語の「民族」に含まれる2つの意味、「Nation」と「Ethnic」の違いが御理解いただけましたでしょうか♥
では、「アイヌ」ってなんでしょうか?

「 榎本武揚(えのもとたけあき)をあまり語りたくないもうひとつの理由は、彼の実際に行った外交が第二のタブー「国民国家」に関わるものだからです。
明治維新をひと言で言えば、日本国民による日本国家を創ったということに尽きます。
これは一面、アイヌ人や琉球人を日本というひとつのネーションステート(国民国家)に取り込んでいく過程でした。同時に、アイヌ人や琉球人を含めてたった一人でも国民が外国に傷つけられたら、日本は国家を挙げてその人の権利を守るために戦うということでもありました。だから明治政府は琉球人の権利を守るために清国と張り合い、アイヌ人の権利を守るためにロシアと交渉したんです。
榎本の外交交渉は…強姦殺人されたアイヌ人女性の権利を守るために大国ロシアと渡り合い、サンクトペテルブルグまで乗り込んでいって責任を問い詰め続けています。…
アイヌ人も琉球人も日本国民だから、当然政府はその権利を守るために戦うんだ、ということです。よく、アイヌや琉球の人たちは日本人と明らかに違うと言われますよね。でも実際には、言語学的にみると、アイヌ語は確かに日本語とは異なる言語ですが、ロシア語とはもっとかけ離れている。琉球の言葉は日本語の方言のひとつと考えられていて、そんなに違いはありません。それでも、自分たちが違うというのであれば、違うでいいのです。しかし、それはエスニック(民族)としての違いなのであって、ネーション(国民)としての違いではない。
エスニックとは、主権国家を持つ意思と能力がない集団、ネーションはその意思と能力がある集団のことです。
主権国家を持つ意思と能力の有無は、結局、武力を使って戦うことで決着をつけるしかありません。よく、民族主義(ナショナリズム)が良いことのように思われがちですが、それは誤解です。民族主義というのは、人殺しの正当化ですから、民族主義を正しく理解すれば、殺し合いになってしまいます。…
民族主義が難しいのは、たとえば、チベットはエスニックなのか、ネーションなのかということを問うようなときです。中国は必死になって「チベットやウイグルはエスニックである。ネーションはチャイニーズ、すなわち、漢民族だけである」と言っていますが、明らかに違う。エスニックとネーションの違いは極めて政治的なものです。
学界は明治維新が国民国家を創った意義を絶対に言わない。実際、私も体験したことですけど、学界では国民国家をどう批判するのかの議論は許されても、国民国家を評価する議論は許されないんですよ。 しかも中国のことになるとすさまじいダブルスタンダードです。日本国が「日本ネーション」としてまとまっているステートであるとは言わないくせに、中国は「漢ネーション」でまとまったステートであると言いたがる。中国人の歴史学者がそれを言うならわかりますよ。ところが日本人が言うんです。
中国人は当然言いますよね。だけど、チベット人やウイグル人は立場が全然違うわけじゃないですか。なぜ日本人が中国人に合わせなければいけないのか。また、中国人はチベット問題を指摘されるたびに「日本にだってアイヌ問題があるじゃないか」と言います。そのために日本国内で沖縄やアイヌの問題をやらせている面もあるんです。…
そういう運動の音頭を取っている日本人の学者もいます…はっきり書いておきますが、日本で日中関係史や中国史研究をしている人は中国からお金をもらっています。
食べていけないオーバードクターやポストドクターが「中国に来て日本語教師をやりませんか」と誘われるのです。立派な博士号を持ちながらコンビニのバイトをやっているような人が、「中国に行って普通に中国語を学びながら日本語を教えるだけで、自分の好きな研究をしていいですよ」と言われたら、一生逆らえません。いざ、そういう人が准教授や教授になって、中国の都合の悪いことを言わないだけで研究費が下りてくるとなれば、中国の悪口を言うわけがありません。
さらに言えば、東洋史の人たちは本当のことをわかっていて黙っています。一方で、日本史研究者は本当に信じています。学界にはこのような根本的な歪みがあります。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆明治維新って何? ~ 明治政府が一生懸命に守った権利
それでは、本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥
マーク・プロトキン : アマゾンの人々が知っている我々の知らないこと
「「アマゾンの熱帯雨林で最も絶滅の危機に瀕しているのは、ジャガーでもなければオウギワシでもなく、未接触部族である」とマーク・プロトキンは言います。情熱的でハッとさせられるこの講演で、民族植物学者の彼が、森に住む原住民やシャーマンが治療に使う驚くべき薬草の世界へと私たちを誘ってくれます。そして、未接触部族に迫る問題や危機、彼らの知恵を描き出し、このかけがえのない知の宝庫を守る必要を訴えます。」
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

- 関連記事
-
- 脱法ハーフと縄文人 (2016/09/30)
- 皇居があったことを端的にしめす地名 ~ 「宮崎」 (2016/09/29)
- 日本で最初の国立公園 ~ イハレビコゆかりの地 (2016/09/28)
- 日本の王道を描いた物語 (2016/09/27)
- 池上彰は知らないらしい ~ 現代日本を生んだ史上最大の偉業 (2016/09/26)
- 縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような「危険思想」 (2016/08/26)
- 縄文人と弥生人 (2016/08/25)
- アイヌが注目されていた理由 ~ 人種と民族 (2016/08/24)
- モース食人説のウソ ~ 縄文時代って何? (2016/08/23)
- ダーウィンの番犬 トマス・ヘンリー・ハクスリー ~ 日本の石器時代 (2016/08/22)
- 恩を知るということ ~ 報恩の日本人、恩知らずの支那・朝鮮人 (2016/08/21)
- 北里柴三郎の生き方 ~ これが私たち日本人の生き方なんです (2016/08/20)
- とある女子大生のイギリス留学のお話 ~ (2016/08/19)
- 池上彰が知らない「神武東征」 ~ 教科書と「古事記」や「日本書紀」のどっちが正しいのでしょう? ~ (2016/07/20)
- 池上彰の本を読んではいけない理由 ~ 教科書って、本当に正しいの? (2016/07/19)