2016-08-23 (Tue)

エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse、1838年6月18日 - 1925年12月20日)は、アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくった。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。名字の「モース」は「モールス」とも書かれる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 明治時代の前半、日本人に関する議論・研究は、基本的にいわゆる「お雇い外国人」によって行われた。…中でも考古学に直接的に関わったという点で有名なのは、今日の歴史教科書にも登場する【エドワード・シルベスター・モース】であろう。

エドワード・シルヴェスター・モース
1877年の6月に貝(腕足類)の研究を行うために日本へやってきたモースは、横浜に上陸したのち、東京へ向かう汽車の車窓より偶然【大森貝塚】を発見した。…

大森貝塚遺跡庭園
さて、モースが大森貝塚を発掘し、その報告書を刊行したことはよく知られていても、その実物を見た、さらには実際に読んでみたという人は、考古学を専門としている研究者でも、意外に少ないのではなかろうか。…さてさて、モースは一体何と書いているのか。

読んでいくうちに、あることに気がついた。実は、モースが刊行した大森貝塚の報告書である“Shell Mounds of OMori”には、【日本の石器時代の生活や社会について具体的に記述した箇所はほとんどない】のである。…

しかしながら、報告書中においてモースは、大森貝塚を世界各地における貝塚と比較しており、そこに石器時代の生活についての記述を、わずかではあるが垣間見ることができる。…
また、モースは報告書中に『大森貝塚の特徴』という章を立てて、以下のような記述をしている。たとえば、
①莫大な量の土器があり、様々な形態や装飾がある、
②石器類が非常に少なく、石鏃(せきぞく)や石槍その他がない、
③【大森貝塚の人々には食人の風習があった】、

④特殊な土版(どばん)ないしは護符が出土している、などである。…
一方で、モースは一般向けの講演会をたびたび開催し、石器時代の人々の暮らしぶりについて、想像をたくましくし、かなり具体的な話をしていたようだ。

たとえば、モースは1878年に浅草井生村楼(いぶむらろう)にて一般向けに講演を行い、ダーウィンの進化論や、人の歴史は旧石器時代・新石器時代から青銅器時代を経て、鉄器時代へと「進化」していったことを紹介するとともに、日本にも石器時代が存在したこと、そしてその【石器時代人が何者であるのか】ということについて解説をしている。

その時のモースの講演内容については、1878年7月6日付、同13日付、同20日付の『なまいき新聞』三~五号に掲載された記事から確認することができる。…
さて、『なまいき新聞』の記述から、モースが述べた石器時代の様子を箇条書きにしてみよう。
●貝塚に捨てられていた貝は、大昔の人々の食料であり、その身を食べて殻を捨てたものである。また、貝塚からは鳥や獣の骨が出てくるが、これらも皆大昔の人々の食料であった。
●貝塚から石器が出土する場合には必ず骨も一緒に出土するが、銅器や鉄器は出土しない。
●大森貝塚から出土した土器をアイヌのものだと言う人がいるが、それは確かではない。
●アイヌは勾玉(まがたま)を珍重するが、大森貝塚からは出土していない。
●土器の文様のなかにはアイヌの文様に類似するものもあるが、同様のものはアメリカにもあるので、その類似だけからでは土器がアイヌのものとは言えない。
当時、石器時代の人々はアイヌであった(石器時代人=アイヌ説、略してアイヌ説とも言う)と考える研究者、とくに「お雇い外国人」たちが多かったが、…モースは【石器時代の人々はアイヌではなく、それ以前に住んでいた人々】であると考えていた。これが、モースの「プレ(先)・アイヌ」説と呼ばれる立場である。…
一方で、【石器時代における食人風習(カニバリズム)】については、『なまいき新聞』にも少々大きなスペースを割かれて記述されている。…
モースはどのような根拠から、石器時代における食人習慣の存在を主張したのか。いささか長くなるが、岩波文庫版『大森貝塚』に掲載された『なまいき新聞』の講演録から該当部分を写してみよう。
「掘り出したる中に人骨ありて、その骨は骨節中最も堅硬なる所にして、その骨みな折砕けたり。デンマルク・ブラジルなどにて掘出せしものものも皆同じ骨節にて、同じく折砕あり。これその葬りたる骨にあらずして(葬骨ならば全体が存せざふべからざる理なり)人々相食み、その骨砕折きて髄汁を吸いたるを知るに足るべし」
要するに、貝塚から出土した人骨には、硬いところから折れているものがあるので、これが食人風習の存在した証拠であると述べているのである。…

しかしながら、人骨が折れているといった程度の観察だけで、当時の人々の間に食人風習があったと考えたのは、やはり早計であった。

それは、貝塚が形成されてからすでに数千年以上たっていること、貝塚における貝の堆積は振動などに対して意外にもろく、さほど安定せずにしばしば崩れ落ちることがあることなどを考えれば、すぐ了解できるだろう。…

【現代における考古学的知見からすれば、貝塚中に散乱した人骨が存在することはむしろ当然であり、それだけではとても食人風習があったと考えることはできない】。…現在でもネット上などでしばしばモースの食人説が取り上げられるので、はっきり書いておくが、【モースの挙げた証拠のみからでは、食人説を立証することは不可能】である。』

いかがでしょうか?
ネット上の一部に見られる「モースの食人説」が、デタラメだってご理解いただけましたでしょうか♥
少しお勉強をするだけで、理解できるほど、簡単なことなんですけど、騙されちゃう人もいるんですね♥
ご参考までに、本当に食人文化の歴史を持つのが「支那」です♥ あの「論語」の「孔子」がとくに有名ですね♥

孔子
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆孔子って誰? ~ 孔子の教えが、中国人には何の意味もなさない理由
さて、昨日の続きですが、皆さんの「記憶」にある、「縄文時代という概念」が、実は、戦後になってからの教育、それもほんの数十年前の「新しい概念」だったんです♥
しかも、その定義すら曖昧なままの「縄文時代という概念」、これを子供たちは、一生懸命覚え込まされているんです♥
その「縄文時代という概念」と表裏一体の関係、いわば対になっているのが「弥生時代という概念」です♥

「縄文時代」の「縄文」のは、大森貝塚を発掘したモースが発見した土器の特徴に基づいています。
「 縄文土器は大森貝塚を発掘したモースによって見出され、英文報告書で cord marked pottery(索文土器)とされた。しかし貝塚土器、あるいはアイヌ式土器など様々に呼ばれ、結局、縄目文様という発想から命名された「縄文式土器」の用語が定着した。 1975年(昭和50)、佐原真は土器の名称に「式」を使うことの不合理を説き、「縄文土器」の名称を使うことを提唱し、以後、一般化した。
縄文時代の土器すべてが縄目文様を施すわけではなく、さらに縄文時代を通じて土器に縄文を施さない地域もある。」

丸底深鉢形土器 縄文草創期
縄文時代の土器の全てが、縄文が施されているわけではない、縄文時代を通じて土器に縄文を施さない地域もある。。。実に端的に、「縄文時代」のいい加減さを表していますね♥

豆粒文土器 長崎県佐世保
さきほども書かれていたとおり、「縄文式土器」という名称から「式」を抜いたのは、佐原真の提唱によるものでした。今からたったの40年ほど前の事です♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 佐原真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は日本の考古学者。1947年(昭和22年)、日本人類学会主催「中学生の為の人類学講座」へ参加して縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入して個人指導を受けた後、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。山内が終生の師となった。」

佐原真
ここで、佐原真の「終生の師」、山内清男についても見ておきましょう♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 山内清男(やまのうち すがお、1902年1月2日 - 1970年8月29日)は、日本の考古学者。東京大学講師。成城大学教授。文学博士。型式学的研究法および層位学的研究法を応用した土器の年代決定を本格的に用いて、縄文土器の全国的な編年網を初めて作り上げた。
山内は東京帝国大学人類学教室にいた1920年代前半に、社会主義運動にも参加している。1920年から1924年にかけて回覧雑誌『鐘』を発行して社会主義研究をしているほか、第1回と第2回のメーデーにも参加している。また、大杉栄の北風会の会合にも参加していたが、これらの活動が当局に目をつけられることになり、鹿児島の曽祖母の下への逃亡し鍾乳洞へ潜伏したりしている。いずれにしても、これらの経験は、生来の気質と相俟って清男に権力や権威に対する敵愾心を育て、その後の研究にも大きな影響を与えることになった。」

山内清男
ほら、おかしなイデオロギーが出てきましたね♥

ご参考までに、北風会の大杉栄とやらについても見ておきましょう♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 大杉栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。
明治・大正期における日本の代表的なアナキスト(無政府主義者)である。大逆事件の後にマルクス主義者の中で優勢になったアナ系の大立者であったために危険視され、関東大震災直後、憲兵隊司令部で不慮の死を遂げる。(甘粕事件)
自由恋愛論者で、居候中に堺利彦の義妹堀保子を強引に犯して結婚する。当時、保子は深尾韶と婚約していたがこれは破棄された。だが、栄は保子と入籍せず、神近市子に続き、伊藤野枝とも愛人関係となって、野枝は長女魔子を身ごもった。女性達からは常に経済的援助を受けていたが、野枝(とその子供)に愛情が移ったのを嫉妬した市子によって刺された日蔭茶屋事件では大杉は瀕死の重傷を負った。
その後、保子と離別、市子は入獄したので、野枝と家庭を持つが、依然として入籍はせず、次女エマ、三女エマ、四女ルイズ、長男ネストルをもうけた。次女エマ以外は大杉・伊藤の死後、伊藤の実家に引き取られて、戸籍を届けるときに改名されたものである。」

大杉栄
お話を山内清男に戻しまして、彼の本質がよくわかる、現代の年代測定法で主流である「炭素14年代測定法」を巡る出来事を見てみましょう♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 山内は縄文時代の始まりについて、ヨーロッパの土器年代や石器の年代から約3,000年前としていたが、戦後になって夏島貝塚の縄文時代早期の包含層の炭素14年代測定が行なわれたところ、約9,500年前という結果がでた。これに反発した山内は「縄紋草創期の諸問題」のなかで型式が増加しすぎた縄文時代早期を縄文時代草創期と縄文時代早期に分けた上で、草創期の年代を約4,500年前と主張し、炭素14年代測定法による年代観を、「極端な年代のインフレーション」「アメリカ帝国主義の崇拝」「八紘一宇思想」(「画竜点晴の弁」より)などと痛烈に批判した。しかし、山内が反論に用いた大陸の遺物の年代が不明瞭であり、また山内の石器の認定法に問題があったため、支持されることなく、芹沢らの炭素14年代測定法による年代測定が主流となっていった。」
これと似たようなお話が、法隆寺をめぐって存在しています♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆法隆寺再建説という捏造 ~ 教育出版の事例
さて、そんな山内清男を「終生の師」とした佐原真も、実はトンデモな学者でした♥ まさに、この師匠にこの弟子あり、って感じなんです♥

山内清男

佐原真
それが、2000年に藤村新一が引き起こした「旧石器捏造事件」です♥

藤村新一
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 旧石器捏造事件(きゅうせっき ねつぞう じけん) は、日本各地で「~原人」ブームを巻き起こした日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、発掘調査に携わっていた考古学研究家の藤村新一の自作自演による捏造だったと発覚した事件である。藤村は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、石器を事前に埋めている姿を2000年11月5日の毎日新聞朝刊にスクープされ、不正が発覚した。これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大のスキャンダルとなり、海外でも報じられた。
火山灰層の年代にのみ頼りがちであったことなど、日本の旧石器研究の未熟さが露呈された事件であった。縄文時代以降では、明確な遺構が地下を掘削して造られており、土の性格から直ちに真偽が判断可能なため、捏造は不可能である。」

で、この事件のとき、佐原真がどういう態度をとったかといいますと。。。

佐原真
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 藤村新一によって捏造された一連の「前期旧石器」については一連の石器の出土状況に疑問を投げかけた小田静夫を名指しで批判し、「所変われば土や気象条件も異なる。」として明確な考古学的根拠を全く示さずに、前期旧石器への反対意見を封じ込めてしまった。結果、日本の考古学を誤った方向に導く一端を担う事となった。」
さて、本日の最後に、本文中に出てきた「アイヌ」について。
詳しくは、明日以降に、ご説明させて頂きますが、昨日ご紹介させて頂きました本文中から、ポイントを再掲載しておきます。
「 縄文文化の輪郭を決めることは非常に難しい。さらには、【東北・関東・中部地方における縄文時代中期の状況と、同じ時期の中国地方とでは、当時の人々の暮らし方も大きく異なっていたこともわかっている】。
もし、日本という地理的(ある意味政治的な)括りがなければ、ひょっとしたら【それぞれを別の文化として区別してしまうかもしれないくらい】だ。
縄文時代・文化と一口に呼んではいるが、その内容は【決して画一的なものではない】。
現在の日本においても様々なレベルで文化的な地域差があるように、時期や地域によって、かなり幅のあるものだったのである。このように、【教科書にも掲載されて、多くの方々が一度は学校で学んできた縄文時代・文化】とは、突き詰めて考えると【実は非常に曖昧なもの】であり、考古学者たちが「大体こんな感じかなぁ」と想うところで成り立っている、【いわば「共同幻想」とでも言えるもの】なのである。…」
続きは次回に♥
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Re: モースのお話はデタラメって本当ですか * by みっちゃん
かかおさん、こんにちは^^
縄文時代だと孔子なんて関係ない ⇒ 縄文時代と孔子なんて無関係ですが、読解力が無いのでしょうか♥
「食人文化」の伝統を持っているのは、大陸ですね♥ 私たち日本人とは関係がありません。
「孔子」も「人肉が大好物」でしたし、実際に1948年の長春でも、大陸の人間は「人肉を食べていた」わけで、そして、現在でも横浜中華街の裏メニューだとかwww
また、漢方薬としても重宝されている現実を、ご存じないんでしょうか?
なお、モースのお話を妄信したいのであれば、ご自由にどうぞw 考え方も、意見も自由ですね!
ですから、当ブログでは、読解力さえ無く、知性の低いコメントを残すことが出来るあなたの方が気持ち悪いと思うんですけれどwwwww
これからは、もう少し「賢いコメント」、つまり偏差値の高いを期待していますよ、かかおさん♥♥♥
縄文時代だと孔子なんて関係ない ⇒ 縄文時代と孔子なんて無関係ですが、読解力が無いのでしょうか♥
「食人文化」の伝統を持っているのは、大陸ですね♥ 私たち日本人とは関係がありません。
「孔子」も「人肉が大好物」でしたし、実際に1948年の長春でも、大陸の人間は「人肉を食べていた」わけで、そして、現在でも横浜中華街の裏メニューだとかwww
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なお、モースのお話を妄信したいのであれば、ご自由にどうぞw 考え方も、意見も自由ですね!
ですから、当ブログでは、読解力さえ無く、知性の低いコメントを残すことが出来るあなたの方が気持ち悪いと思うんですけれどwwwww
これからは、もう少し「賢いコメント」、つまり偏差値の高いを期待していますよ、かかおさん♥♥♥
あとハートマーク気持ち悪いですねw