2016-08-22 (Mon)

1860年代に撮られたハクスリーの写真
トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825年5月4日 - 1895年6月29日)はイギリスの生物学者。ハックスリー、ハクスレーと表記されることもある。「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護した。
リチャード・オーウェンとの論争においては、人間とゴリラの脳の解剖学的構造の類似を示して進化論を擁護した。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 現在における日本の歴史の中では、最も大きく時間幅をとった場合、大体1万6500年ほど前から2400年ほど前の、主に狩猟・採集・漁撈をなりわいとしていた時期を、【縄文時代という概念】で捉えている。

こちらもご参照♥
↓
☆国民である前に、「市民」なんでしょうか? ~ 「市民」⇒敗戦後・占領後に造られた「コトバ」
☆悠久の日本 ~ 西洋人なら笑いとばしたくなる話
読者の方々も【小中学校、高校の社会・歴史の授業】で、あるいは【発掘調査の報道】で【縄文時代や縄文文化という言葉】を聞いたことがあるだろう。中には、博物館などで縄文時代の生活などといった展示を見た人もいるだろうし、ひょっとしたら「私は専門家だ」という人もいるかもしれない。いずれにせよ、【学校で習ったことがないという人は、ほとんどいない】だろう。

こちらもご参照♥
↓
☆「社会科」って、結局は何なの? ~ 教育・社会悪化の根本原因=「社会科」
しかしながら、多くの人々が習ったはずのこの【縄文時代という概念】は、あくまでも【第二次世界大戦後に「新しい日本の歴史」を語る上で用意された、いわば政治的なもの】であり、【国外では内容的にこれに該当するような時代・文化は存在しない】、【日本独自の極めてユニークなもの】なのだと言ったら、読者の方々はどう思われるだろうか。

あるいは、その縄文時代の定義や内容をめぐって、現在の考古学界では侃々諤々(かんかんがくがく)の様々な議論が行われており、未だに決着を見ていない、と言ったら、いかがであろうか。

たとえば、【縄文時代や弥生時代といった言葉が学界において認知されるのは1960年代の初め】であるし、

一般的に使用されるようになるのは、それからさらに10年ほど経ってからのことである。

また、「縄文時代はいつ始まったのか」という問いに対して、明確かつ唯一のしっかりとした答えは、今のところ確定していないと言ってよいし、

同様に、縄文時代から弥生時代へいつ移行したのか、「縄文時代はいつ終わったのか」という問いについても、考古学者の間では様々な意見が存在する。

つまり、【縄文時代の時間的範囲については、研究者によって様々な説が唱えられており、厳密な意味で万人一致した見解は存在しない】のである。

同様のことは、縄文時代の空間的(地理的)範囲はどこからどこまでなのか、という問題にも当てはまる。

縄文文化の輪郭を決めることは非常に難しい。さらには、【東北・関東・中部地方における縄文時代中期の状況と、同じ時期の中国地方とでは、当時の人々の暮らし方も大きく異なっていたこともわかっている】。

もし、日本という地理的(ある意味政治的な)括りがなければ、ひょっとしたら【それぞれを別の文化として区別してしまうかもしれないくらい】だ。

縄文時代・文化と一口に呼んではいるが、その内容は【決して画一的なものではない】。

現在の日本においても様々なレベルで文化的な地域差があるように、時期や地域によって、かなり幅のあるものだったのである。このように、【教科書にも掲載されて、多くの方々が一度は学校で学んできた縄文時代・文化】とは、突き詰めて考えると【実は非常に曖昧なもの】であり、

考古学者たちが「大体こんな感じかなぁ」と想うところで成り立っている、【いわば「共同幻想」とでも言えるもの】なのである。…

本書には、『つくられた縄文時代』という過激なタイトルが付けられている。これを見てもわかるように、本書は縄文時代・文化について最新の研究成果を駆使しながら、読者の方々を過去の世界へと誘うような【一般向けの「入門書」ではない】。

…縄文時代がどのように理解されてきたのかを、考古学の黎明期である明治の頃から検討し、それが【第二次世界大戦後、「新しい日本の歴史」を創る上で、弥生時代とともに必要とされた時代区分】であり、【縄文時代という歴史的枠組みそのものが、実は非常にあやふやな側面をもったもの】であるということをお話ししたいと思う。』

いかがでしょうか?
皆さんの「記憶」にある、「縄文時代という概念」が、実は、戦後になってからの教育、それもほんの数十年前の「新しい概念」だということが、ご理解いただけましたでしょうか♥
しかも、その定義すら曖昧なままの「縄文時代という概念」、これを子供たちは、一生懸命覚え込まされているんです♥
その「縄文時代という概念」と表裏一体の関係、いわば対になっているのが「弥生時代という概念」です♥

お話を進める前に、まず、基本的なことを確認しておきましょう♥
「学問」の世界は、大きく分類すると、3つの体系があります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学や法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称。」

☆逆引き大学辞典
人文科学に含まれる「歴史学」は、文字が成立した有史時代(歴史時代とも)を、そして、人文科学に含まれる「考古学」が、文字を使用する前の人類の歴史、つまり先史時代を研究しています。
文字や文字で書かれた文献の出現時期は、地域ごとに異なっていますので、当然ですが、「先史時代」の終わりや「有史時代」の始まりも、地域ごとに異なってきます。また、先史時代と有史時代との間に、神話あるいは伝承といった口述で伝えられた「原史時代」も存在しています。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 「先史時代」と「歴史時代」を明瞭に区別する基準は、その時期に記された文献の存在有無による。文字が初めて用いられたのは地域によって異なるが青銅器時代後期から鉄器時代中期の頃と分析されており、この時期から地域的な有史時代が始まる。しかし、先史時代と有史時代との間には神話や伝承など口述記録が伝える「原史時代」または「中間時代」 (Intermediate Age) も置かれる。」
「先史時代」→「原史時代」(口承)→「有史時代」(文献)という順番です。
これとは別に、今から180年ほど前に、考古学者のクリスチャン・トムセンによって、人類が用いた利器(一般に鋭利な刃物や鋭い武器の総称)により分類された時代区分が提唱されました。

クリスチャン・トムセン
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 石器時代という時代区分はデンマークの考古学者クリスチャン・ユルゲンセン・トムセンによって名付けられた。彼は一定の原理に基づいて、人類は、石以外に金属を知らない石器時代、鉄をまだ使っていない青銅器時代、鉄器時代の順に発達した、と1836年に「北方古物学の手引き」でまとめた。そして、この時代区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用できることを述べている。この三時代区分によって、考古学的な整理がつくが、世界のどの地域でも当てはまるかというとそうではなく、青銅器時代を経ない地域も存在する。」
「石器時代」→「青銅器時代」→「鉄器時代」という順番です。
ここまでが、人文科学の「歴史学」「考古学」の成果(?)です。
ここから、いよいよ「自然科学」による発展がもたらされます♥
生物学者(←自然科学)でもあり、考古学者でもあったジョン・ラボックは、石器時代を大きく2つにわけ、旧石器時代と新石器時代という用語を提案しました。

ジョン・ラボック
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 トムセンが一定の原理に従って定めた三時代区分法は、その後拡張解釈され、また別な基準に従って細分され、本来の意義から大きくそれていった。イギリスの考古学者ジョン・ラボック (Sir John Lubbock 1834 - 1913)によって1865年に石器時代は2つに分割された。絶滅動物と打製石器を使っていた時代を旧石器時代 (Palaeolithic Period)、現生動物の存在と磨製石器を使うようになった時代を新石器時代 (Neolithic Period) と二つに分けられた。」
御覧のように、自然科学である「生物学」と人文科学である「考古学」が融合していますね♥
このラボックに影響を与えたのが、卓越した地質学者(←自然科学)・生物学者(←自然科学)だったことで有名なチャールズ・ダーウィンです♥

自然選択説を発表する頃のダーウィン。50歳前後。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin ([tʃɑrlz 'dɑː.wɪn]), 1809年2月12日 - 1882年4月19日)は、イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。
全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化の事実は存命中に科学界と一般大衆に受け入れられた一方で、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは1930年代であり、自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つである。また彼の科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤をなしている。
進化論の提唱の功績から今日では生物学者と一般的に見なされる傾向にあるが、自身は存命中に地質学者を名乗っており、現代の学会でも地質学者であるという認識が確立している。」

チャールズ・ダーウィン マーガレット・キャメロンによるポートレイト(1868年)
ちなみに、ダーウィンの住まいは、ラボックの生家の広大な敷地の中にありました♥
今から140年ほど前に、ダーウィンが発表した「自然選択説」は、現代の私たちからすれば、ごく普通に理解できることですが、当時は猛反発を受けます。現代でも、進化論的考え方を認めないクリスチャンも存在していますが。。。
「 自然選択説(しぜんせんたくせつ、英: natural selection)とは、進化を説明するうえでの根幹をなす理論。厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えるという説。1859年にチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスによってはじめて体系化された。自然淘汰説(しぜんとうたせつ)ともいう。」
そして、この時代、ダーウィンの番犬として活躍したのが、冒頭にご紹介しているトマス・ヘンリー・ハクスリーで、彼は非公式に「Xクラブ」を結成します♥ ジョン・ラボックもメンバーの一人でした♥

トマス・ヘンリー・ハクスリー
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 Xクラブ(エックスクラブ、 英: X Club)は、19世紀後半のイングランドで自然選択説と学問の自由を支持した9人の男性による非公式のダイニングクラブであった。トマス・ハクスリーが創始者で、1864年11月3日の初めての会合を呼びかけた。クラブは7、8、9月を除き、月に一度ロンドンで会食した。クラブは1864年11月から1893年3月まで続いた。彼らはイギリスの科学界に幅広い影響を与えたと考えられている。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版された後、彼らは博物学と自然主義を守るためにともに活動を始めた。
Xクラブが存在したのは科学と宗教が激しく対立したヴィクトリア朝イングランドであった。1859年に出版されたチャールズ・ダーウィンの『種の起源』と自然選択説は、裕福なアマチュアで構成されていた科学界の体制派と聖職者を兼任していた博物学者から嵐のような議論を引き起こし、イギリス国教会からの攻撃を招いた。19世紀の初めから、彼らは進化論を神授的な貴族社会の秩序への攻撃と見なしていた。一方で、進化に関するダーウィンの考えは自由主義的な神学者と新しい世代の職業的科学者によって歓迎された。」

1871年に雑誌の載ったダーウィンを揶揄する風刺画。
さて、お話を元に戻しましょう。
ジョン・ラボックの提唱により、「旧石器時代」→「新石器時代」→「青銅器時代」→「鉄器時代」という順番で分類されるようになりましたが、その後も変化していきます。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 イギリスの考古学者ジョン・ラボック (Sir John Lubbock 1834 - 1913)によって1865年に石器時代は2つに分割された。絶滅動物と打製石器を使っていた時代を旧石器時代 (Palaeolithic Period)、現生動物の存在と磨製石器を使うようになった時代を新石器時代 (Neolithic Period) と二つに分けられた。地質時代でいうと前者が更新世に属し、後者が完新世に属する。
この古典的な時代区分が、世界的に採用・適用されるようになり、新石器時代に、新たに土器の発明や農耕と牧畜の開始の要素が加えられた。しかし、研究が進むにしたがい、各地域では石器時代が多様に展開・発展していることが分かってきて、既述の要素が必ずしも同時に当てはまらない地域も出てきた。例えば「農業が始まっているのに土器が出現していない」「磨製石器があるが農業は見られない」というような考古学的事実が明らかになってきた。そこで、イギリスの考古学者ゴードン・チャイルド (Vere Gordon Childe 1892 - 1957) は、基本要素を「食料採集から食料生産への転換」とし、農耕や牧畜の両方か、どちらかが始まっていれば新石器時代とした。

ゴードン・チャイルド
そこで、打製石器と磨製石器との過渡期でどちらにも入らない時代を中石器時代 (Mesolithic Age) とすることが1909年ジャック・ド・モルガン (Jacques de Morgan) によって提唱されている。しかし、その後の調査・研究の進展により、中石器・新石器時代の本来の概念は風化していった。
さらに、旧石器時代を、その時期に活躍した人類の種の区分により、前期旧石器時代・中期旧石器時代・後期旧石器時代の3期に分けている。」
で、ここまでのことを一覧表にすると、こうなります。

さて、基本要素を「食料採集から食料生産への転換」とし、農耕や牧畜の両方か、どちらかが始まっていれば新石器時代と定義した、考古学者(←人文科学)のゴードン・チャイルドは、 バリバリのマルクス主義信奉者です♥

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 ヴィア・ゴードン・チャイルド(Vere Gordon Childe、1892年4月14日 - 1957年10月19日)は、オーストラリア生まれの考古学者・文献学者。ヨーロッパ先史時代の研究を専門とし、新石器革命(食料生産革命)、都市革命を提案した。
積極的な社会主義者であったチャイルドは、マルクス主義の社会・経済理論を受け入れており、異端視された初期のマルクス主義考古学の提唱者であり、マルクス主義考古学と彼の文化史的考古学の視点を結合した。」

カール・マルクス
このゴードン・チャイルドは、すでに、マルクス信奉者である時点で、科学者として失格なんですが、ある種の宗教と考えられている「マルクス主義」の唯物史観に基づく「発展段階史観」を考古学に持ち込んだ「犯罪者」です♥

「 唯物史観(ゆいぶつしかん)は、「唯物論的歴史観」の略であり、史的唯物論(ドイツ語: Historischer Materialismus)と同義である。19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史観である。その内容は、人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする発展段階史観である。」
こちらもご参照♥
↓
☆科学的社会主義って何? ~ マルクス自身も否定する「マルクス主義」
で、さきほど、「その後の調査・研究の進展により、中石器・新石器時代の本来の概念は風化していった。」とありましたが、その後の科学の発展により、こういうことになっているんです♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 中石器時代
中石器時代は旧石器時代と新石器時代の間のヒトの技術の進化の期間を指す。更新世終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期が異なる)までで終わる。近東地域(地中海沿岸のシリア、エジプト、小アジアなどの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、或は無いと分類される。」
「 新石器時代
地域によって違うが、オリエントでは紀元前8000年頃に、中米やメソポタミアでは、紀元前6000年頃に始まった。 地質学的にいうと、人類が現生動物と共存する完新世に属し、磨かれた石の道具である磨製石器を主な道具としていた時代でもある。この頃になると土器の使用、農耕や家畜の飼育が始まり、自給自足の生活へと変わっていったことから「新石器革命」とよぶことがある。しかし始まりの時期が違うように、生活様式は、地域で大分違っていた。例えば日本の縄文時代も新石器時代に位置づけられるが、日本で農耕が発達するのは縄文時代中期以降であり、牧畜は縄文時代を通じて存在しなかった。」

ここで、私たちの日本を考えてみましょう♥
旧石器時代(200万年前~紀元前1万年)、つまり今から約1万2000年前に終わる、「打製石器」を主とし、「狩猟・採集」生活をしていたとされている時代。
実は、「ゆとり教育」と呼ばれる「狂気」の「似非教育」では、この「旧石器時代」が学習指導要綱から消されていました♥
それだけでなく、そもそも私たちの日本には、「旧石器時代は無かった」とされていたんですが、それを覆したのが戦後の相沢忠洋(あいざわただひろ)による「岩宿遺跡」の発見でした♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆スッキリ分かる!日本と朝鮮半島の古代の歴史 ~ 科学に弱い共同通信
その後の発掘・調査で、私たちの日本では、世界のどの国よりも「古い遺物」が発見され続けています♥
「磨製石器」も「土器」も、新石器時代(紀元前8000ないし6000年頃~金属器の使用開始まで)とされていますが、「人類最古」の磨製石器も、「世界最古」の土器も、私たちの日本で発見されているんです♥ しかも、その年代は、「新石器時代」ではなく、「旧石器時代」のものなんです♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆悠久の日本 ~ 西洋人なら笑いとばしたくなる話

いかがでしょうか?
私たちの日本には、石器時代の時代区分が当てはまらないってことが、ご理解いただけましたでしょうか♥ しかも、私たち日本人が世界最古級の文明だっていうことも♥

ここまでを、ご理解頂いたうえで、もう少しお話を続けさせて頂きたいと思います。
では、本日の最後に、ダーウィンが理解できなかったこと、白人に根強く存在している「人種差別観」について。リオのオリンピックでも、審判の判定とか、所々で目にすることができましたね♥ 非常に残念ですけど。。。
そういえば、こういうことも・・・

☆「体操日本女子はピカチュウみたい」と仏テレビ解説者 批判受け「人種差別では断じてない」と釈明 「日本に親しみと尊敬ある」とも…
異論がある方もいらっしゃるかもしれませんが、「体操日本女子はピカチュウみたい」と発言された仏テレビ解説者には、他意は無かったんじゃないのかなぁ~って感じてしまうのは、私だけでしょうか♥



ピカチュウみたいって言われると、なんだか嬉しく感じてしまうんですけど♥
少なくとも、ピカチュウが「黄色」だから、「人種差別」だって批判をしている連中にこそ、「偽善」を感じてしまいます♥
だって、私たち日本人の肌の色は、「黄色」ではなく「白い」んですから♥
詳しくはこちらもご参照♥
↓
☆あなたの肌の色は何色ですか? ~ 日本人が人種差別意識を持っていない証拠
長くなりましたが、それでは動画をどうぞ♥
こちらもご参照♥
↓
☆正しい紫外線対策 ~ とっても大切な「ビタミンD」

続きは次回に♥
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Re: ゴッドハンド * by みっちゃん
荼毘出さん、こんにちは^^
コメントありがとうございます♥
「埋める瞬間をタイミング良く?撮影」「日本の信用と名誉を貶める」「学生の頃は、石を埋めるのではなく、「投げて」いたんじゃないか」
すべて鋭い御指摘だと思います♥
「「同和事業」で税金が食い物」
コレも、正しい御認識ですね♥ 被差別民という勝手なイメージが作り上げられていますが、弾左衛門の有していた「権力」を学べば、一体どこが非差別なの???って、すぐに理解できるんですけどね~(笑)
これからも、宜しくお願い致しま~す^^
コメントありがとうございます♥
「埋める瞬間をタイミング良く?撮影」「日本の信用と名誉を貶める」「学生の頃は、石を埋めるのではなく、「投げて」いたんじゃないか」
すべて鋭い御指摘だと思います♥
「「同和事業」で税金が食い物」
コレも、正しい御認識ですね♥ 被差別民という勝手なイメージが作り上げられていますが、弾左衛門の有していた「権力」を学べば、一体どこが非差別なの???って、すぐに理解できるんですけどね~(笑)
これからも、宜しくお願い致しま~す^^
これを見て、2000年に起きた「旧石器捏造事件」を思い出しましたが、調べてみたら、多くの遺跡が認定を取り消されて教科書からも削除されたんですね。
毎日新聞の「スクープ」とされていますが、当時、その埋める瞬間をタイミング良く?撮影してましたし。
なんにせよ、結果としては旧石器時代を葬って、日本の信用と名誉を貶めることには繋がりましたが、出来過ぎですね。
藤村新一氏は1950年生まれなんですね。学生の頃は、石を埋めるのではなく、「投げて」いたんじゃないかと疑いたくなりますが(笑)
「士農工商」「穢多非人」もそうですが、部落解放同盟とかの言う「同和地区」なんて奴等の主張に過ぎないのに、「同和事業」で税金が食い物にされてる訳ですし。もう、全てが嘘というくらいの前提で臨まないといけませんね。