2016-08-21 (Sun)

恩(おん)とは、他の人から与えられた恵み、いつくしみのこと(出典:大辞林)。
『日本書紀』や『古語拾遺』などでも「恩」は「めぐみ」「みうつくしみ」「みいつくしみ」などの読み方がされていた。
ところで「めぐみ」という言葉の語源は、「菜の花が芽ぐむ」などと表現する時の「芽ぐむ」という言葉を名詞の形にしたものとされている。木や草が芽ぐむのは、冬の間は眠っていた草木の生命力が春の陽気によってはぐくまれて目覚めることによる。つまり、他の者に命を与えたり命の成長を助けることが「めぐみ」を与えることであり、恩をほどこすことなのだということなのである。その逆の立場が、めぐみを受けること、恩を受けることである、と理解される。
恩というのは、狭い意味では、人からさずかる恵みを指しているが、広義には、天地あるいはこの世界全ての存在からさずかる恵みも指している。
仏教では、自分が受けている恵みに気づき、それに感謝することを重視している。キリスト教でも、神から届けられている恵みを感じることが重視されている。自分にめぐみが届いているのだと繰り返し意識することは、幸福感をもたらすことであり、様々な宗教で重視されている。
恵みを受けることは「受恩」と言うことがあり、自分がめぐみを受けていることを自覚することは「知恩」と言う。また、めぐみに報いることを「報恩」と言う。
恵みを受けているにもかかわらず、自分が受けている恵みに気付かないこと、恵みに感謝しないこと、恵みに報いようとしないことなどを「恩知らず」と言う。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 世界で初めて血清療法を確立し、世界の医学界を驚嘆させた柴三郎。

北里柴三郎
彼が6年間の留学期間を終えると、世界中でヘッドハンティングの嵐が吹き荒れます。欧米各国の大学や研究所、それに製薬会社などの手で、次々に“世界の北里”にふさわしい活躍の場が、好条件のもとに用意されました。…

しかし、【柴三郎は、お金も名誉も選びませんでした】。

【彼が選んだのは……日本】。

当時の日本の医療体制は、先進国と比較すれば、大きく後れをとっていました。その日本の医療体制を改善し、【伝染病から日本国民を守りたい……】。柴三郎は、【大きな志(こころざし)】を抱いて、ドイツに渡ったのです。…

北里柴三郎
柴三郎は、どんなに有名になっても、その自分の原点を忘れることはありませんでした。今こそ、志を果たすときが来たのですから、柴三郎は迷うことなく、破格の待遇をすべて断り、帰国の途につきました。“世界の北里”の帰国に、日本中が熱狂するはずです。
ところが、柴三郎が成し遂げた業績を、そしてその真価を、一番理解していなかったのが、日本政府でした。

予算がとれないという事情もあったのでしょうが、「日本に伝染病研究所を設立したい」という柴三郎の希望が聞き入れられないばかりか、内務省への復職も許されず、なんと【“世界の北里”が、日本で失職状態】に陥ってしまったのです。

世界の北里、絶体絶命のピンチです。

しかし、ここに、救いの手が彗星のごとく現れます。【福沢諭吉】です。

福沢諭吉
柴三郎の志に胸を打たれ、その熱意に心を動かされた諭吉は、研究の場を無償で提供することを即決。芝公園内の所有地を提供すると、そこに私財を投じて、柴三郎のために伝染病研究所を設立したのです。

「伝染病研究所」の外観を模した近代医科学記念館
世界の北里が研究を再開したという噂が、世界を駆け巡りました。見学を希望する研究者や、世界の北里の手による診察を望む患者が後を絶たず、せっかく諭吉が用意した施設も、ほどなく手狭になりました。その後、研究所は芝愛宕町に移転。
が、ここでもまた問題が起こります。“伝染病”という言葉に過敏に反応した地域住民たちから、猛烈な反対の声が上がったのです。

このピンチを救ったのも、福沢諭吉でした。不安にかられる住民たちに安全性をアピールするために、【研究所のすぐ隣に、なんと自分の息子の家を新築した】のです。その甲斐あって、反対運動は鎮静化。こうして研究所は新たなスタートを切りました。
【これらの恩を、柴三郎は終生忘れなかった】のです。…

そして、明治34(1901)年2月、新世紀の到来を見届け、【諭吉が逝去(せいきょ)】すると、その葬儀に参列した柴三郎は、弔辞(ちょうじ)の中で「報恩を期す」と誓いました。…

実は生前、諭吉には、一つの夢がありました。…
早くから理科系の専門教育の重要性を痛感していた諭吉は、明治6(1873)年に「慶応義塾医学所」を開設。300名余りの卒業生を送り出しましたが、財政上の理由などもあって、およそ十年で医学所は閉鎖となりました。
しかし、その後も諭吉の自然科学教育・研究への情熱は衰えることはありませんでした。だからこそ諭吉は、柴三郎に対してあれほどの厚意を示し、できうる限りの協力と援助を生涯にわたって続けたのです。
柴三郎は、その諭吉の恩に感謝しつつ、その厚意の向こうにある、諭吉の本心に思いをめぐらせました。…
北里柴三郎は、福沢諭吉が創立した慶応義塾に医学部をつくることで、諭吉の多年にわたる恩に報いようとしたのです。
そして、自身が慶応義塾医学部の創設と発展に尽力しただけでなく、その新設の医学部に、志賀潔をはじめ、ハブの血清療法で有名な【北島多一】など、【北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込みました】。

志賀潔

北島多一
慶応義塾が私立大学でありながら、日本医学界で絶大な存在感を示しているのは、このような経緯があったからです。』

いかがでしょうか?
この書物には、数々の日本の偉人についてのお話が、子供たちに語りかけるように、平易な口語体で書かれていて、非常に読みやすいです♥ 実際に、著者は学校に招かれ、講演も行われているようで、子供たちがその話を聞いて、涙を流して感動しているそうです。
さて、今回ご紹介させて頂いている部分は、北里柴三郎と福沢諭吉のお話でした。
本日は、今から100年ちょっと前、その時代に生きた「福沢諭吉」が残した言葉について、見てまいりましょう♥

福沢諭吉
「 「アメリカは(※1898年、スペインとの)米西戦争(その戦争がアメリカの不法に基くことは周知の事実である)に乗じて一挙にミッドウェイ、ウェイク、グァム、フィリッピンと直行し、僅々(きんきん、※わずか)一年の間に太平洋を横断する勢力線を延長した。」
米西戦争における「アメリカの不法」というのは、船の偽装焼打ち事件を指します。その後、ミッドウェー以下の島々をアメリカが取り、フィリピンも植民地にしてしまった。ミッドウェーやウェークやグアムはいまでもアメリカの領土です。…
「かくて太平洋は十五世紀以来四方から欧米勢力の侵入する所となつたが、今や機熟して日本はその蓄積する総力を挙げて世界の中心たるその本来の使命遂行に邁進(まいしん)し、四百年来の欧米の刧略(こうりゃく)に反撃を加へて之に終止符を打つべく懸命の努力を傾注しつゝあるのである。」
これが戦前の日本の決意です。つまり、太平洋の島々の権益と西太平洋の平安をアジア人の手に取り戻そうとしたのが日本の願いでした。

いま、中国がこの海域で怪しげな動きをしておりますが、本来であれば、日本と中国は仲よく手を取り合って欧米に立ち向かうべきだったのです。そうできれば、万事よかったのです。それは幕末のころから日本人が主張してきたことでした。しかし朝鮮と中国は当時意識が遅れていて、どうしても日本人のそうした思いがわからなかった。両国とも野郎自大で、自分を実力より大きな存在に見立てていて、世界の動向が見えなかった。まったくどうにもなりません。

☆南シナ海、中国の動き「懸念」米太平洋艦隊司令官
いまだってそうでしょう?中国人は今なおわけのわからないことをいい続けています。「日本はナチス同然である」とか「南京でホロコーストをした」とか、そういう事実に反するばかなことばかりいいつづけます。私は東条首相より習近平のほうがヒトラーに近いと思いますよ。
チベットやウイグルでの蛮行を見て下さい。囚人に対する臓器摘出手術による大量殺人など鳥肌立つことが今の中国では行われているらしい。それでいて、昔から欧米がアジアを先に侵略したのだということ、日本がそれと戦ったのだということ、この世界全体図を念頭に置いて歴史を考えないばかげたことばかりいう。韓国・朝鮮も同じ。

☆中国、受刑者からの臓器摘出が依然続くか 人権活動家らが報告
こちらには動画もあります♥
↓
☆【禁聞】暴かれる中国臓器移植の組織的犯罪の内幕(1)
☆【禁聞】暴かれる中国臓器移植組織犯罪の内幕(2)
☆【禁聞】暴かれる中国臓器移植組織の内幕(3)

☆脱北者支援の牧師殺害の背後に孤児「臓器密売」組織?
19世紀の末葉、日本には「シナと手を取り合っていっしょにやろう」という人びとがたくさんいました。すべてはシナ人や朝鮮人に裏切られてしまったわけです。だから、「アジアはひとつだとか、そんな幻想はもたないほうがいいよ」といって「脱亜論」を唱えたのが福沢諭吉です。
諭吉はこういいました――
《 悪友ヲ親シム者ハ 共ニ悪名ヲ免ガル可ラズ。 我レハ心ニ於テ 亜細亜東方ノ悪友(※シナおよび朝鮮です)ヲ 謝絶スルモノナリ 》 と。
これはいまにも通じる名言です。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆いまにも通じる「脱亜論」 我レハ心ニ於テ 亜細亜東方ノ悪友ヲ謝絶スルモノナリ
もう一つ、見てみましょう♥
「 明治初期最大の言論人といえば、脱亜論で知られる福沢諭吉です。最近の研究者は、脱亜論と言われるようになった『時事新報』の論説が無署名で、福沢が書いたものかどうかということにこだわっているようですが、どうでもいいことです。
福沢は早くから朝鮮の開化派と親交を持ち、慶応義塾に留学生を受け入れていました。私財を投じて彼らの面倒を見て、ソウルに新聞『漢城旬報』を作ります。李朝がまったく顧みていない、ハングルの普及にも努めました。政変の後、刺客に追われる金玉均(きんぎょくきん)や朴泳孝をかばったりもします。筋金入りの親韓派です。
しかし甲申事変の後、閔(みん)氏が開化党の家族を凌遅刑(りょうちけい)にしたという報を聞き、激烈に朝鮮を罵倒します。「朝鮮はこの世の地獄だ」「朝鮮人民の為に、李氏が滅びるのを望む」という調子です。凌遅刑とは、体中の皮膚を削ぎ落としながら苦しめて殺すという拷問で、朝鮮では最大級の刑罰です。
死刑は最高刑ではなく、その上に「苦しめて殺す」があるのです。

私の好きな国と嫌いな国の基準は単純で、その国の真人間が報われているかどうかです。李氏朝鮮は明らかに大嫌いな国です。…
開化党は、教育と軍事、それを支える経済が国の根幹だとわかっているのです。しかし、そのような真人間は報われません。とはいうもののの、その連中もアメリカの力を頼ろうとするのですから、やはり福沢諭吉のように怒りたくなる気持ちもわかります。
国内政治でも、国際政治でも、原理は基本的に同じで、相手を利用するか、されるかです。また、相手を利用するということは、利用されるということでもあるのです。
だから、金玉均を「親日派だからいい人だ」とか、「アメリカにも色目を使っていたから悪い人だ」ということ自体がナンセンスなのです。金玉均たちが政治家として指弾されるべきは、義理堅い日本人を無視して、アメリカに接触して何の成果も得られなかったことです。結果責任を伴わないというのは、李氏朝鮮のすべての政治家に言えます。
さて、明治17年(1884年)12月4日、竹添進一郎日本公使の協力を得て金玉均らの閔氏政権に対するクーデターが敢行されます。甲申事変です。これは日本政府の統一意志ではなく、竹添の独断です。むしろエスピオネーゼ(裏工作)に属することなので、公式決定をするなどありえません。
それはともかく、金玉均は日本のような改革を行おうとします。そこでまず、「国王殿下の呼称の廃止」「清への朝貢の中止」を宣言します。韓国の愛国者なら、まず言いたくなるような正論です。しかし、正論ですが、何の根回しもせずに行えば、宗主国を気取る清に喧嘩を売るようなものです。「時期を見誤った正論はただの暴論」を地で行くような計画性のなさです。
当時の清は、ベトナムをめぐりフランスと交戦中で、朝鮮にはかかわれないと思われていたのですが、運悪く直前に戦闘が終了してしまいます。しかも清はフランスに負けてベトナムでの影響力を失ってしまったので、朝鮮への執着を深めます。手駒としては軟禁中の大院君がいます。
こうした情勢で先に動いたのが閔妃(みんぴ)でした。失脚した閔妃は、袁世凱の軍事力を頼って開化派に逆襲します。日本軍150人に対し、清軍1500人が取り囲み、銃撃戦になります。日本公使館は、またもや焼き打ちに遭ってしまいました。竹添公使は長崎へ脱出し、首謀者の金玉均や朴泳孝は日本へ亡命します。クーデターは3日で失敗しました。
このとき、開化派要人の三親等以内の家族が凌遅刑にされ、福沢が激怒したのです。
閔氏は海外にまで暗殺団を派遣し、金玉均は上海で射殺されて、遺体は凌遅刑にされ、さらに体を五つに裂かれ、それぞれ別の場所でさらされました。

「大逆不道玉均」として河原に晒された金玉均。(1894年)
結局、清の後ろ盾を得たほうが勝つというのが朝鮮宮廷の政治なのです。開化党と対立した閔妃は清の後ろ盾を獲得して権力を維持します。一方、日本に倣って改革を行おうとする真人間は非業の最期を遂げたのです。」

金玉均の墓(青山霊園)
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆死刑以上の最高刑がある国 ~ やっぱり正しい脱亜論

福沢諭吉
やはり福沢諭吉の言ったとおりでしたね♥

☆超党派議員10人が上陸強行 日本政府の強い抗議に「一顧の価値もなく、あきれる」「無礼だ」
続きは次回に♥
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