2016-08-03 (Wed)

ベール(英: veil)は、女性の頭部を覆い隠す薄い布。顔面の前面、または左右両面を、時には両肩までを覆い隠す。素材はシースルーの物が多い。ベールに相当するものは古代ローマからあったが、現在の日本で普通に見られるのは、ウェディングドレスのベールである。 マリアベール、フェイスアップベールなどの種類がある。帽子と合わせることも行なわれ、喪服においても着用されるが、その場合の色は当然黒である。
カトリック教会とプリマス・ブレザレン[1] では、婦人が教会でベールを着用するべきだとした。
「されど我なんぢらが之を知らんことを願ふ。凡ての男の頭はキリストなり、女の頭は男なり、キリストの頭は神なり。すべて男は祈をなし、預言をなすとき、頭に物を被るは其の頭を辱しむるなり。すべて女は祈をなし、預言をなすとき、頭に物を被らぬは其の頭を辱しむるなり。これ薙髮と異なる事なし。女もし物を被らずば、髮をも剪るべし。されど髮を剪り或は薙ることを女の恥とせば、物を被るべし。男は神の像、神の榮光なれば、頭に物を被るべきにあらず、されど女は男の光榮なり。男は女より出でずして、女は男より出で、男は女のために造られずして、女は男のために造られたればなり。この故に女は御使たちの故によりて頭に權の徽を戴くべきなり。」
— コリントの信徒への手紙一11:3- 11:10、文語訳聖書
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 極東及び欧州で風雲急を告げるなか、共産党中央委員会名で1938年に刊行された『ソ連共産党小史』に見られるように、スターリンは、ヒトラー政権成立を受けた民主主義対ファシズムという構図に基づく人民戦線路線から再度転換し、【共産主義と資本主義の対立を前面に打ち出す】。

『共産党小史』刊行を受けたプロパガンダ担当者会議開催中の1938年10月1日、スターリンは大演説を行う(『イストリーチェスキー・アルヒーフ』第5巻)。以下はその一部である。

ヨシフ・スターリン
戦争の問題に関するボルシェビキの目的、全く微妙なところ、ニュアンスを説明する必要がある。それは【ボルシェビキは単に平和に恋い焦がれ、攻撃されたときだけ武器を取る平和主義者ではない】ことだ。

それは全く正しくない。【ボルシェビキ自らが先に攻撃】する場合がある。

【戦争が正義】であり、状況が適切であり、条件が好都合であれば、【自ら攻撃を開始するのだ】。

【ボルシェビキは攻撃に反対しているわけではないし、全ての戦争に反対してもいない】。

今日、我々が【防御を盛んに言い立てるのは、それはベールだよベール】。

全ての国家が仮面をかぶっている。「狼の間で生きるときは狼のように吠えねばならぬ」(笑)。【我々の本心を全て洗いざらい打ち明けて、手の内を明かすとしたら、それは愚かなこと】だ。そんなことをすれば間抜けだといわれる。(中略)

実はレーニンは資本主義の跛行(はこう)的発展状況の下、個々の国での社会主義の勝利が可能である、なぜなら跛行的発展つまり遅れる国がある一方、先に進む国があるのだから、と教えてくれただけではなく、レーニンはまた、ある国は遅れる一方、別の国は先に進み、ある国は努力する一方、別の国はもたもたするので、同時の一撃は不可能だという結論に達していたのだ。(中略)
異なった国の間で社会主義への成熟度合いが異なっており、この事態に直面して、全ての国で同時に社会主義が勝利する可能性があるなどと、どうして言えるのか。全くばかげている。そんなことはかつても不可能であったし、今日においてもあり得ない。どういうわけか、この観点を隠して、個々の国で社会主義の勝利が可能であることだけに言及するのは、レーニンの立場を完全に伝えていない。
革命家スターリンの面目躍如たる発言である。レオン・トロツキーのような世界同時革命論ではなく、【機が熟した、正確には熟すように仕向けた国から、徐々に武力で共産化していく】という自らの方針こそ、レーニンに忠実な真の世界革命への道であるという強い自負が示されている。

さらにスターリンは、1939年3月10日の第18回共産党大会における報告でも、【社会主義すなわちソ連と資本主義の対立という構図を前面に出し、英仏を念頭に自らの立場を明確にした】(『スターリン著作集第一巻』フーバー研究所)。
慎重を旨とせよ。そして、他人に火中の栗を拾わせることを常とする戦争挑発者が、我が国を紛争に引っ張り込むことを許してはならない。
5カ年計画による軍備増強で世界最大の軍事強国となり、大粛清で独裁体制を完全なものにしたスターリンは、この頃から【資本主義国家間の対立をさらに激化させ、戦争を煽るべく行動を開始する】。』

いかがでしょうか?
以上、連日に渡って見てまいりました通り、私たちの日本を「戦争に引き込んだ」犯人、それが社会主義者・共産主義者だったことが、ご理解いただけたかと思います♥
彼らは、今でもそうですが、表面的には「きれいごと」を言います♥
スターリンが、自らの言葉で語っているように。。。
「今日、我々が防御を盛んに言い立てるのは、それはベールだよベール。 」
「我々の本心を全て洗いざらい打ち明けて、手の内を明かすとしたら、それは愚かなことだ。」
ですから、本心は、まったく別のところにあって、普段はそれを隠しています♥
彼らは、「攻撃されたときだけ武器を取る平和主義者ではない」、「戦争が正義」ならば、「自ら攻撃を開始する」ような考え方をしています。
「 昭和20年に日本が敗北したあと、旧・日本軍は解体させられた。この時点で、日本には、「国防軍」も「自衛隊」も存在しなかった。文字通りの丸腰状態が続いていた。この間、日本はマッカーサー率いる米軍によって守られている状況にあった。…
この丸腰の、被占領期に作られたのが日本国憲法だった。
当初、憲法第九条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。
この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。
「 戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しては居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。従来近年の戦争は多くの自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」 (1946年6月26日、衆議院本会議)
ここで吉田茂は、憲法九条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、「自衛権の発動としての戦争」まで否定しているのだ。
日本が攻め込まれても、これに抵抗することができないというのだ。吉田は、その根拠として、多くの戦争が「自衛権」の名の下で行われてきたことを挙げている。
要するに、憲法九条があるために、自国を守るための「自衛」すら不可能だというのが、1946年当時の吉田茂の考えだった。
では、いったい日本がどこかの国に攻められたときには、どうしたらいいのか。黙って、侵略されるままにしていればよいというのだろうか。
吉田は、侵略された際については、次のように述べている。
「 平和国際団体が確立せられたる場合に、若(も)し侵略戦争を始むる者、侵略の意志を以て日本を侵す者があれば、是は平和に対する冒犯者であります、全世界の敵であるというべきであります。世界の平和愛好国は相寄り相携えて此の冒犯者、此の敵を克服すべきものであるのであります」 (同日、本会議)
これは、…「集団安全保障」の考え方を説明したものだ。要するに、日本に攻め込んでくるような平和を乱す勢力に関しては、世界の平和愛好国が力を合わせて、これを排除すればいいという思想だ。
今日では考えられないことかもしれないが、こうした吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ。

日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある。二つの性質の戦争がある、一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である、是は正しくない、同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般放棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の放棄、斯(こ)うするのがもっと的確ではないか」 (1946年6月28日、衆議院本会議)
日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争まで放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。
これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「 戦争放棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認むると云うことは、偶々(たまたま)戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自体が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」
吉田茂は、今日の常識で考えれば、極めて常識的な野坂参三の指摘を「有害無益の議論」だと断じて、あくまで自衛戦争をも否定する。
過去の侵略戦争は「自衛」の名の下で遂行されたのであるから、あくまでも日本は「自衛戦争」まで含めて否定する。国家の正当防衛を認めることが「有害」であるとまで言ってのけているのだ。
いかなる戦争であれ、日本は戦争を放棄する。これが当時の吉田茂の憲法解釈にほかならなかった。
野坂は12月の議会で次のように指摘している。
「 この第九条の討論の中においてはっきりしたことは、すなわち自衛権をわが国が棄てたということである。自衛権がないわが国の民族、これの独立さえ棄てよということが、この条項の中にはいっている。われわれ共産党はこれに対して徹底的に反対した」 (1946年12月17日、衆議院本会議)
確かに野坂が言うように、自衛戦争すら認めないというのであるから、吉田総理は自衛権そのものを放棄したと解釈するのが当然であろう。この自衛権の放棄に関して、共産党の国会議員が強く反対していたのだ。
現在からこうした議論を眺め返してみると、どちらが共産党で、どちらが保守勢力なのかわからないような珍しい光景だ。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆憲法九条 ~ 日本共産党が徹底的に反対したもの

野坂参三
もちろん、この日本共産党の野坂の発言も「ベール」ですね♥
もう一度、スターリンの発言を見てみると、良く分かりますよ♥
「ボルシェビキは攻撃に反対しているわけではないし、全ての戦争に反対してもいない。今日、我々が防御を盛んに言い立てるのは、それはベールだよベール。 」
こちらもご参照♥
↓
☆ゾルゲ事件 ~ 日本史上最大のスパイ大戦争
で、本心はどこにあるのかと言いますと、志位を使って説明いたしますと、こうなります♥

判りやすいですね♥

それでは本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥
続きは次回に♥
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