2016-07-30 (Sat)

ヴォクソール橋からテムズ川越しに見たSIS本部ビル
秘密情報部(ひみつじょうほうぶ、Secret Intelligence Service、SIS)は、イギリスの情報機関の1つ。国外の政治、経済及びその他秘密情報の収集、情報工作を任務としている。
第一次世界大戦以前にはイギリスの情報収集活動は、複数の官庁が個別に組織を設け活動していた。第一次世界大戦が勃発すると全情報を一元的に管理することになり、陸軍省情報部(DMI。Directorate of Military Intelligence) の元で各組織との連絡を担当する課の名称としてそれぞれのMilitary Intelligenceの種類に応じて組織名に番号が割り振られた。第一次世界大戦中のSISはMI(c)と呼称されていたが、1930年代後半にMI6の名称が割り当てられた。他の組織には、MI1(暗号、暗号解読、後に他の部署と統合され政府暗号学校。現在の政府通信本部)、MI2(中東、極東、スカンジナビア、アメリカ、ソ連、中央アメリカ、南アメリカ)、MI3(東欧、バルト海沿岸諸国即ちリトアニア・ラトビア・エストニア)、MI4(地図作成)、MI5(防諜)などがある。第二次世界大戦中にMI5との連携が強化される過程でMI6の名称は広く用いられるようになった。SISでは既にMI6の名称を公式には利用していないが、一般に認知されているため公式サイト等では用いられている。
日本政府は、日本語の名称として秘密情報部を用いている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 第二次大戦後に修正主義が拡がらなかったのは、ホロコーストと冷戦という第一次大戦後には存在しなかった要因だけによるわけではない。

ロックフェラー財団の1946年年次報告書には、【米国外交に大きな影響力を持ち政財界の国際派が集うCFR(外交問題評議会)への助成】が2件記されている。ひとつは、戦時中、政府と一体となって行われた部外秘の「戦争と平和研究」を衣替えして戦後に引き継がれたプロジェクトへの一般的助成であり、もうひとつが、【第二次大戦史に関する特別助成】である。

そこに見られるのは、二度と第一次大戦後のような【孤立主義への回帰を許さないという、米国支配層の強い意志】である。

「CFR研究委員会は第一次大戦後の時流に流された暴露本キャンペーン」
すなわち【米国を孤立主義に向かわせる要因となった修正主義】が、
「二度と繰り返されるべきではないとし、米国民は、第二次大戦中の我々の基本的な目的や活動に関して、明確かつ的確な記述を提供されるべきだと考えている」。
このプロジェクトの中心人物が、戦間期は修正主義の側にいた、…【ハーバード大教授ランガー(ウィリアム・L・ランガー)】であった。

ウィリアム・L・ランガー
彼は戦時中、【CIAの前身であるOSS(戦略情報局)の一員として、ルーズベルト政権と密接な関係を形成】していた。この例に見られるように、米国における政治・軍事に関連する「研究」は、情報宣伝活動との境界が曖昧である。

フランクリン・ルーズベルト
政府と一体となった学界エスタブリッシュメントの「統制」下、かつて歴史学界に君臨したビーアドは、1948年に公刊した戦勝国史観に挑戦する『ルーズベルトの責任』が晩節を汚すものとして非難され、同年、孤立無援のなか亡くなった。

チャールズ・A・ビアード


同様の主張を続けたバーンズも、メディアや学界から無視されたまま、1968年に生涯を終える。

ハリー・エルマー・バーンズ

The genesis of The World War
こうした【第二次大戦後における修正主義を阻止する動き】が、実は【戦前の米国参戦に向けた英国の情報工作と密接に関連】していたことを明らかにしたのが、【トーマス・マールの『死にもの狂いの偽計』】である。

Desperate Deception British Covert Operations in the United States
第一次大戦同様、ドイツを相手に単独では勝利がおぼつかない英国は、米国を参戦させるべく、表題どおり死にもの狂いの偽計を行う。

しかし、この違法な情報工作には、本来それを阻止すべき工作対象の政府、すなわち【ルーズベルト政権の強力な支援があった】。

OSSのトップには、【英情報機関が「我々の一員」(our man)と呼んだウィリアムドノヴァン・ドノヴァン】が任命され、

OSS長官時代のドノバン(1945年)
英国が米国内で情報活動を行うために設立した【BSC(英国安全調整機関)の本部として、ロックフェラー家はロックフェラー・センターの38階を無償で提供】した。

Rockefellar Building-NY
そして、【大統領の特命を受けて活動したのが、後の副大統領ネルソン・ロックフェラー】であった。

ネルソン・ロックフェラー
おそらく、日本では歴史学者のみならず、知米派・親米派と呼ばれる知識人の多くが、【陰謀史観に満ちた俗書として切って捨てるだろう『死にもの狂いの偽計』】を、現在の米国エリートはどう見ているのか。

実は、ジョンズ・ホプキンス大教授であり、ネオコンサバティブ(ネオコン)の論客として著名な【エリオット・コーエンが驚くほど好意的な書評を書いている】のだ。そこに見られるのは、偽計は偽計として認めたうえで、【「正しい」目的は手段を正当化するという、…米国エスタブリッシュメントの変わらぬ「信条」】である。

エリオット・A・コーエン
内政における民族集団の果たす役割や、外交に対する外国政府の影響を憂える人々は、この本を読めばよいとしたうえで、コーエンはこう続ける。
白人アングロサクソン・プロテスタントとその同調者は他の何々系米国人と同じように行動していたし、ネヴィル・チェンバレンとウィンストン・チャーチルの【英国政府は合衆国を戦争に引き入れるべく、巧妙かつよく計画された活動を持続】した。彼らは成功し、それはよいことでもあった。【彼らの望みと合衆国(他国は言わずもがな)にとって妥当な政策は一致していた】のだ。

ネヴィル・チェンバレン

ウィンストン・チャーチル
【英情報機関による世論調査操作や数々のフロント組織結成に関する叙述を賞賛】しつつ、コーエンはこう結ぶ。
【「まだ多くの事例が公文書館に埋もれたままだろうし、残念ながら、とうの昔に火中に投じられたファイルのなかで歴史から隠れてしまったものもあるだろう」】。

この書評が掲載されたのは、コーエンもその主要メンバーである、【CFRの機関誌『フォーリン・アフェアーズ』(1998年7・8月号】)。
CFRの現名誉会長は、ネルソンの弟で、

デービッド・ロックフェラー
【現在のロックフェラー家当主、デービッド・ロックフェラー】である。』

いかがでしょうか?
私たちの日本を「戦争に引き込んだ」犯人、それが誰だったのかが明らかになる「証拠」、それをこの秀逸な書物を通して見ていきましょう、というのが、引き続き、メインテーマです♥
占領期に行われた「社会主義政策」、その悪影響が現代にも残っていますが、それを「打破」するためにも、正しい歴史認識が必要になってきます。そのためにも、戦後に語られる近現代史が、日本を中心に展開したかのように語られてきましたが、その認識を改めていく必要があります♥

1933年 世界地図
昨日も申しあげておりますが、「歴史認識というのは、時が経つにつれて変わって行く」のが、ごく普通のことなんです。一方的な見方、偏り過ぎた見方、一方だけを悪とするような二元論を修正する動きが生まれるんです♥

ところが。。。第二次大戦後には、そのような歴史を修正する動きを阻止しようとする「圧力」が存在しているんです♥

まず、ロックフェラー財団が助成した「第二次大戦史に関する特別助成」では、「米国を孤立主義に向かわせる要因となった修正主義」、つまり、不都合な事実を明らかにされるような「暴露本キャンペーン」を、徹底的に阻止します♥
では、何が不都合だったのでしょうか?

「 ところで、「アメリカが嫌い!」という日本人に限って、「ウィルソンが嫌い!」、ましてや「許せない!」という人を聞いたことがありません。これほど日本にひどい仕打ちをしたアメリカ人はいないというのに。そもそもウィルソンが誰だか知らないのでしょうか。どうやら歴史教育に問題があるようです。…
はっきり断言しましょう。現在に至る全人類の不幸は、ウッドロー・ウィルソンが根源です。」

ウッドロー・ウィルソン
「 ウィルソン初期の対外政策は、中米諸国への軍事介入を繰り返しています。やっていることは保安官のギャング退治そのものです。ハイチやキューバといった国、とも呼べないような弱小国には問答無用で兵を送り、そして、ヨーロッパ諸国に対しては「モンロー主義」「アメリカ大陸のことはアメリカが決める」と一方的に宣言します。バルカン半島の緊張でそれどころではない欧州諸国は聞き流します。」
「 この時のアメリカは世界第三位の経済大国です。国際法の中立規定など無視して第一次世界大戦参戦各国に大量の武器や物資を売りつけ、さらに英仏など連合国に多額の戦費を貸し付け、「国家丸ごと死の商人」のように振る舞います。それでいながら、連合国とドイツ率いる同盟国の双方に「勝利なき平和」、つまり「喧嘩をやめようよ」と訴えていたのですから、大したツラの皮の厚さです。
さらに戦争に疲れ果てたドイツが和議を申し出たときは「帝政をやめて共和国になれ」と、「勝利なき平和」どころか憲法改変まで要求しています。この場合の憲法改変とは「別の国に生まれ変わってこい」という意味です。これでは無条件降伏要求と同じです。ドイツは絶望的な(つまりヤケクソな)抵抗を続けます。
そしてアメリカは1917年に大戦に参戦します。ドイツが「無制限潜水艦作戦」と称して、中立国であるアメリカの商船を撃沈したことへの抗議だと説明されます。しかし、戦争当事国に武器や物質を売ることこそ戦争加担行為で国際法違反です。中立国のアメリカを敵に回したくないので容認してきたドイツがとうとう堪えきれなくなって直接行動に出たというのが真相です。…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆バナナ戦争とウッドロー・ウィルソン
お判りでしょうか?
「国家丸ごと死の商人のように振る舞います」・・・つまり、ここを暴露されちゃうとマズイんです♥
なので、ヘイトスピーチ規制と同じ“ノリ”で、「言論弾圧」をするんです♥
「レッテル貼り」も同じことですね♥
こちらもご参照♥
↓
☆歴史を改竄(かいざん)してきた人がやっていること ~ 世界史と金融
さて、「戦時中、ルーズベルト政権と密接な関係」であった、CIAの前身だったというOSS(戦略情報局)について、見てみましょう♥
「 安倍氏は『美しい国へ』と、まるで政治家にしては珍しい題名の本を書き、その心情を吐露している。

安倍氏は新憲法が「自国の安全を守るための戦争」まで放棄したこと、そして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という前文の現実離れしたくだりに強い疑問を投げかけている。
「この憲法草案はニューディーラーと呼ばれた進歩的な若手スタッフによって、十日間そこそこという短時間で書き上げられたものだった」
と述べ、この憲法自体が常識では考えられないものであることを指摘しているのである。
そのGHQは、ニューディール政策をとったルーズベルト大統領の下でつくられたOSSという、今日のアメリカでは考えられぬほど共産主義者が多く入り込んだ組織を引き継いでいた
…日本の憲法がOSS体質のGHQによってつくられたものである…それはほとんど次の共産主義革命をめざすための、ブルジョア革命の様相を引き起こすものだ…

「戦争を放棄する」というのも、外に対してではなく、革命側が内戦による弾圧をはじめからさせないように考えたものであり、周囲の共産諸国の「平和を愛する諸国民」に運命を委ねることを意図しているといってよいのである。
憲法9条を堅持することは、裏に相変わらずそのような革命幻想があることを隠しているといってもよい。

…憲法9条擁護者は単に反戦で戦争になったら逃げるというだけでなく、あわよくば革命を起こし、それが弾圧なしで行われることを期待していることになる。

ともあれ、日本国憲法は共産主義への二段階革命の一段階目の状態を条文化したものであるという説は、GHQのあり方からすると十分考えられることである。
ソ連も崩壊し、中国も全体主義(=左翼ファシズム)的資本主義国となり、北朝鮮も全体主義(=左翼ファシズム)である今、日本の憲法はまったく非現実的なものである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆GHQのつくった憲法は、共産主義革命のためのものでした

「 「戦後民主主義」などといわれた改革は、アメリカ左翼によって意図された社会主義政策であった…ここ20年に解禁されたアメリカ国立文書館のOSS(Office of Strategic Service 戦術局)の「日本計画」文書から分析…それが民主主義ではなく、二段階革命の一段目の社会主義であったことに、人々はあまり気がつかなかったのだ。…

ここで問題にしたいのは、その後の左翼が戦後民主主義や平和主義を労働運動から方向転換し、文化運動に切り替えていたことを保守が察知できなかったことである。労働階級の運動よりも、市民階級の左傾化に重点をおき、メディアや学界を通じてそれを展開させたのである。つまり、文化活動全般を通じて、階級意識、差別意識をつくりだす心理的、精神的な運動をめざしたのである。それが、…フランクフルト学派の批判理論の考え方であった。

現在は歴史から忘れられた組織OSSが戦時中にさまざまなプロパガンダを行っており、…このプロパガンダが戦後に生まれ代わったのがNHKをはじめとする放送局だったといってよい。それが戦後の占領体制の基本情報になったのである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆米占領下の政策は、民主主義ではなく、社会主義でした
「 占領期間中の「ウォー・ギルド・インフォメーション」は、新聞に「太平洋戦争史」が連載され、戦争そのものが、日本の軍国主義によって煽動されたものだという宣伝によってはじまった。
この戦争史によって、大東亜戦争は「太平洋戦争」となり、南京「虐殺」も捏造されたのである。これはあくまで軍部と国民の分裂を工作するというOSSの方針であった。

NHKはそれに呼応して「真相はこうだ」というラジオ番組を組み、満州事変から終戦までの日本軍国主義の犯罪的行為を、真相として国民に宣伝した。それを担当したのは、OSSの流れをくむGHQ情報局のアメリカ人であった。国民に知らされなかった情報を事実として、ドキュメンタリー風のドラマに仕立て上げた日本国民洗脳プロパガンダを行った。具体的な軍部否定の宣伝だけでなく、社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように情報を仕立て上げていったのである。
東條首相は悪魔の権化のようになったし、いわゆる「A級戦犯」となった人々はその軍国主義の責任をとらされた。それを批判することも、対抗する情報を流す自由もが制されていたから(それが圧殺されていることさえ、知らされなかった)、多くの国民はそれを信じることになった。
この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われ、それに代わって、いわゆる戦後利得者が公職につき、左翼的な言辞をふりまいた。…戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。…
NHKもそれで完全に左翼化したことは、昭和21年10月5日の「放送スト」にまで発展したことでもわかる。あわてたGHQが、NHK職員を大量にレッド・パージしたのだが遅すぎた。新たな「放送法」をつくり、民間放送の設立を認めたとき、ファイスナーという担当官が
《 NHK職員には共産主義者が多く、放送ストをする者もいた。また朝鮮戦争のときにパージされた者も多かった 》
からだと述べた。民間放送の認可は、NHKそのものの左翼化を変えられなかったことによるものだと語っていたことになる。NHKに公共放送を独占され、民間放送をつくらせることにより、その独占状態、左翼化を防ごうとした経緯があったのだ。それは、ちょうどアメリカが左翼的なOSSから冷戦に対処するCIAに戦術を転換するときにあたっていた。
しかし、その後続々とできる民間の放送局も保守的な報道をするわけでもなく、NHKの左翼性、リベラル性を超えるものではなかった。放送界、メディア界に入る人々の意識は戦後民主主義に染まり、あたかも客観的報道と称して、人々を社会主義支持の方向に導いていったのである。その文化運動の先頭にたったのが、放送ではNHKであり、新聞では朝日新聞だった。
むろん、社会主義国の崩壊、北朝鮮の拉致問題などが、その態度を変えさせた面もある。しかし内実は、リベラルな態度にシフトしただけであった。リベラルとは、権力、権威から独立した自由な態度という曖昧なものだが、権力批判、権威批判の名のもとに、人々を混乱に導いた。フランクフルト学派に由来するこの権威主義批判は、文化面においては素人的凡庸主義を導くことになる。凡庸化があたかも新しい文化のような装いを取るようになる。識見のある権威を否定し、専門家よりも素人を多用するNHKの放送体質は、その理論によるものと思われる。
それは、むろんNHKにとどまらない。現在の日本の文化面を覆っている素人化、凡庸化の現象はある意味で文化破壊であり、伝統と文化の断絶を意図したものであることを隠している。現代の日本の文壇や論壇を覆っている停滞は、その顕著な傾向によるものである。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように
で、もう一度、本文を見てみましょう♥
「 OSSのトップには、【英情報機関が「我々の一員」(our man)と呼んだウィリアムドノヴァン・ドノヴァン】が任命され、英国が米国内で情報活動を行うために設立した【BSC(英国安全調整機関)の本部として、ロックフェラー家はロックフェラー・センターの38階を無償で提供】した。 」

見事に繋がってきましたね♥
では、その「BSC(英国安全調整機関)」について、最後に見てまいりましょう。

以下は、wikipediaからの抜粋です。
「 第二次世界大戦中の1940年にMI6によって設立されたイギリス安全保障調整局 (British Security Coordination)は、対ドイツ諜報活動、イギリス連邦諸国におけるイギリス支援のための世論形成など、様々な工作を行ったとされる。長官はウィリアム・スティーヴンスン(William Stephenson)で、イアン・フレミングはその部下であった。」

イアン・フレミング
「 イアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming、1908年5月28日 - 1964年8月12日)は、イギリス・ウェストミンスター・メイフェア生まれの軍人、冒険小説家。
ウェストミンスター・メイフェアで政治家の息子として生まれる。陸軍士官学校卒業後、銀行や問屋での勤務を経て、大手通信社のロイター通信で勤務し、後に支局長としてソビエト連邦のモスクワに赴任。
1939年から英海軍情報部(NID)に勤務。同年にイギリスも参戦した第二次世界大戦中は諜報員として活動し、「ゴールデンアイ作戦」などの指揮を執った。1945年の終戦後退役する。
その後、ジャマイカの別荘「ゴールデンアイ」に居住。1953年に、それまでの経験をもとに「ジェームズ・ボンド」シリーズ第1作となる長編『カジノ・ロワイヤル』を発表する。1964年、遺作となった『黄金の銃をもつ男』を校正中に心臓麻痺で死去(56歳)。」

本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥
続きは次回に♥
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Re: No title * by みっちゃん
こんにちは。ツバサさん、いつもありがとうございます☆彡
「更に正しい認識を広めて行かないといけませんね」
→まったっく、その通りですね♥
「更に正しい認識を広めて行かないといけませんね」
→まったっく、その通りですね♥
戦後のNHKや朝日新聞の対応は酷いものですもんね(><)
メディアなら正しい真相を伝えるべきところですが、
間違った真相を伝えると受け手側の国民からしたら、
間違ったままそれが真実だと思い込んでしまいますしね。
ご紹介されているような書籍があるからこそ、
今では正しい認識を持つ人も増えてきましたが、
更に正しい認識を広めて行かないといけませんね(´∀`)