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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  池上彰が知らない「神武東征」 ~ 教科書と「古事記」や「日本書紀」のどっちが正しいのでしょう? ~ 

    池上彰が知らない「神武東征」 ~ 教科書と「古事記」や「日本書紀」のどっちが正しいのでしょう? ~ 

    神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)
    神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)

    神武東征(じんむとうせい)は、日本神話において、初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話。

    池上彰 108





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 記紀では、この日向から大和への旅【東征】と呼び、出発の様子について、古事記は次のように記しています

    八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)
    八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)

    「 神倭伊波禮毘古命(かむいやまといはれいびこのみこと)、その同母兄(いろせ)五瀬命(いつせのみこと)と二柱、高千穂宮に坐(ま)して議(はか)りて云(の)りたまいけらく、『何地(いずこ)に坐さば、平らけく天(あめ)の下の政(まつりごと)を聞こしめさむ。なほ東に行かむ。』とのりたまひて、すなはち日向より發(た)たして筑紫に幸(い)行でましき。故(かれ)、豊国(とよのくに)の宇沙(うさ)に至りましし時…」

     「古事記 (倉野憲司校注)」より。

    神武東征ルート

     と東征は始まります。出発の記述は「筑紫に幸行でましき」とまずその頃の北九州をしめす筑紫に出向き、その後に「豊国の宇沙に至りましし時…」と記しています。

     旅程の順序として先に目的地を、その後詳細を記しているように見えますが、まず筑紫に行ったとする記載のわけは後で分かることになります。古代の謎解きの旅はここより始まります。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    私たち日本の歴史を記す「古事記」や「日本書紀」には、ハッキリと「神武天皇」のことが書かれており、その神武天皇「東征」を行い、日本の初代天皇として即位なされ、現代の私たちに繋がる日本が建国されたんです♥

    しかし、連日書かせて頂いておりますとおり、この池上彰なるヒトは、戦後の占領政策の延長でしかない「社会科」の「教科書」に「実在していた」と書かれていないからといって、「神武天皇の存在を否定」しているんです♥

    池上彰 108

    こちらもご参照♥

    歴史を歪める「ハリウッド」



    そのニュースが、こちらになります。

    三原じゅん子 103
    三原じゅん子氏「神武天皇は実在の人物」と認める 池上彰氏が質問(参院選)

    「 7月10日投開票された参院選で、神奈川選挙区で当選した自民党の三原じゅん子氏が、同日の選挙特番で「神武天皇は実在の人物」という趣旨のことを話すシーンがあった。テレビ東京系で7月10日放送された選挙特番「池上彰の参院選ライブ」の一幕だ。

     コトバンクによると初代天皇とされる神武天皇は、神の代から人の代への接点に位置する神話的な人物であり、史実を伝えるものはほとんどないといわれている

     番組中の録画の中で、選挙戦のテーマカラーが赤と白だった理由について三原氏「やはり日本の国旗の色。神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」とコメント。当選確実になった後には、中継で司会の池上彰氏からの質問に以下のように答えた。

    ――先ほどのVTRの中で、神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らないといけないとおっしゃってましたね。どういう意味なんでしょうか。明治憲法の方が良かったということでしょうか?

    全ての歴史を受け止めてという意味であります。

    ――神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?

    そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています

    ――あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?

    神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います

    ――神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?

    はい、そうですね。」


    あっぱれ

    (0:55頃から)



    「 では日本はどのようにして建国されたのか

     その頃の日本とシナの関係を書いた『後漢書』倭伝には次のようにあるのみです。

    「倭は韓の東南海にあり、山島に依りて居をなす。およそ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、使訳、漢に通ずる者、三十許(ばか)りの国なり」

     漢が「衛氏朝鮮」を滅ぼす前108年以前、新羅、高句麗、百済が建国される百年以上前から、シナ人は日本に百余国あったことを知っていました。…

     しかし

    「天皇は何処から来たか、日本がどのようにして建国されたか」

    については何も書かれていません。『旧唐書』日本 に「日本国は倭国の別種也」とあるだけです。弥生時代に彼らが日本にやって来たなら、そこに何かが書いてあるはずです。

    これは

    外部から言語の交替を強いるような支配者集団が渡来したことがなかった

    とした言語学者の見解やY染色体分析と一致しています。…」


    ポイント 女性

    昨日も書かせて頂きましたが、当ブログでのスタンスは、「倭≠日本」「邪馬台国≠日本」なのですが、ここにみられる「日本国は倭国の別種也」という記述にあるように、『旧唐書』東夷伝の中には、私たちの日本について、「倭国伝」と「日本国伝」の二つを並立して書いていて、「日本が倭国を併合した」って、ちゃんと書いています。

    また、卑弥呼の邪馬台国が、支那の「魏」に援軍を求めたのは247年で、ここからも分かるとおり、邪馬台国とは朝鮮南部と北部九州に跨る21カ国の属国を従えた「3世紀」北部九州に存在していた国です。

    女山神籠石

    詳しくはこちらをご参照♥

    邪馬台国があった場所



    彼らが「倭人」であり、その特徴は、「入れ墨」をしていた事だと、昨日も書かせて頂いていますが、これは「日本・大和(ヤマト)」の特徴ではありません

    で、その「3世紀」の邪馬台国以前の時代そこから数百年前紀元前108年以前に支那人は日本に百余国あったことを知っていたわけです♥

    ポイント 21

    「 様々な事実が明らかになった今でも系統言語学の成果を知らずY染色体も知らず日本では縄文前期からイネが作られていたことも知らず考古学も知らず文献根拠も示さず

    「大陸から稲作の技術とともに中国人や韓国人と同じモンゴロイドという弥生人が渡来し…私は弥生人が主流だと考えていますし…」 (八幡和朗 『最終解答 日本古代史』PHP文庫)

    なる根拠なき珍論をいう方がいる

     そして日本の建国について戦後になると多くの歴史学者「神武東征はウソだ、日本書紀はウソだ」と言い出し日本建国のいわれを排除し科学的根拠もないままに、

    「日本人は渡来人と縄文人の混血民族だ」、

    「韓国は日本人の祖先の国だ」、

    「日本人の祖先は江南から来たシナ人だ」、

    「渡来人が日本に稲作を教えた」、

     そのような「ウソ」公教育司馬遼太郎などの作家マスコミ大学教授などを通して流され続けたのです。…

     このようにして、戦後の日本人日本の建国自分が何者か自らの出自が分からないまま今日に至っている、そのように見受けられるのです。

     子供の頃、生家の床の間には「天照大神」と大書した掛軸が掛けられ、その上には今上陛下の婚礼写真が掲げられていました。では天照大神とはどのような神様だったのか、ご存じない方もおると思うので、戦前に教えられていた建国史の一端を紹介します。

     この根拠が日本書紀(720年に第44代元正天皇に奏上)です。ですから戦前は誰もが日本の建国を答えられました

    日本神武天皇橿原(かしはら)の地第1代天皇として即位された皇紀前660年2月11日に建国されました。それが今上陛下の御先祖様であり、私たち日本人には神武天皇の血が入っており、皇室は私たちの祖先なのです。そして皇室の御先祖様は天照大神です」 と。

     日本書紀の特徴は、神武天皇以後を歴史時代とし、その前を「神代(かみよ)」としたことです。神代には不可解な話も多いのですが、古代の人々はそれを「神話」として区別する理性を持っていたことが分かります。

     古代史とは、自分と関係ないと思う方もいますが木に喩えればそれは私たちの根です。根がしっかりしていればこそ幹が太く高くなり枝葉を伸ばし花や実をつけることができるのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本はどのようにして建国されたのか ~ 根拠なき珍論を繰り広げる八幡和朗



    いかがでしょうか?

    池上彰なるヒトが、占領政策の影響を受けていることが御理解いただけましたでしょうか♥ そんな池上彰は、メディアを通じて「嘘」の複製・再生産をやり続けているんです♥ こんなヒトの話を聞いたり本を読むということは、いかに日本人の人格や精神を破壊するかを想像して頂ければお判りのとおり、「百害あって一利なし」ということです♥

    池上彰 108

    こちらもご参照♥

    「社会科」って、結局は何なの? ~ 教育・社会悪化の根本原因=「社会科」

    「総力戦」を勘違いしている日本人 ~ キレイゴトでは、決してありません!



    ところで、神武東征の時期が、いつ頃かをご存知でしょうか?

    悩む女の子2

    日本書紀には、次のように書き記されています。

    「まさに難波碕に着こうとするとき速い潮流があって大変速く着いた。」

    さかのぼって河内国草香村(日下村)の青雲の白肩津に着いた。」

    実は、この日本書紀に書かれている時代は、大阪平野の成り立ちを考えれば、特定が出来るんです♥

    そして、その時代が、「神武東征」の時期にならざるを得ないんです♥ つまり、他の時代には「不可能」なんです。

    月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」。
    月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」

    ポイントとなる大阪平野の成り立ちですが、次のような変化を経て成り立っていった事が判っています♥

    大阪平野の変遷
    大阪平野の変遷

    変化の順番を時代別に示しますと、以下のようになります。

    1.河内湾1の時代 : 約7000年前~6000年前
    2.河内湾2の時代 : 約5000年前~4000年前
    3.河内潟の時代  : 約3000年前~2000年前(西暦紀元前1050年~前50年)
    4.河内湖1の時代 : 約1800年前~1600年前(西暦150年前~350年)
    5.河内湖2の時代 : 約1600年前以降
    6.大和川付け替え以前
    7.大和川付け替え以降
    8.現在

    ここで、卑弥呼の邪馬台国が存在した「3世紀」の大阪平野を示している図をご覧ください♥

    河内湖時代
    4.河内湖1の時代 : 約1800年前~1600年前(西暦150年前~350年)

    この時代は、大阪平野に巨大な湖である「河内湖」が存在していました♥ そして、水の流れが「河内湖」→「大阪湾」への一方通行になった時代です♥

    つまり、日本書紀に残されているような、

    「まさに難波碕に着こうとするとき速い潮流があって大変速く着いた。」

    このように上げ潮に乗って、難波碕に上陸ということが「不可能」です♥

    ですから、それよりも「前の時代」紀元前1050年~前50年の時代に、「神武東征」が行われたことになります

    河内潟時代
    3.河内潟の時代  : 約3000年前~2000年前(西暦紀元前1050年~前50年)

    潮の満ち引きのある「潟」が存在しています。



    ですから、「まさに難波碕に着こうとするとき速い潮流があって大変速く着いた。」といったことが可能だったんです♥

    また、さかのぼって河内国草香村(日下村)の青雲の白肩津に着いた。」とあるように、干潮時には、「川筋」が浮き出てきた時代です♥

    この一連の歴史を、現代の私たち日本人に伝え残しているのがもともと大阪城の地にあった「生國魂神社」です♥

    生國魂神社 12

    詳しくはこちらをご参照♥

    「いくたまさん」が伝える真実 ~ 神武東征の証明



    このように、私たち日本人には、誇るべき「世界最古の歴史」があります♥ そんなことも忘れ、敗戦後の占領政策によって、骨の髄まで腐ってしまったのが池上彰なるヒトです♥

    池上彰 101
    池上彰

    それでは、本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥ 少し長めですけれど、私たち日本人が知っておかなければいけない大切な事が、よくわかる動画です♥



    続きは次回に♥




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