2016-07-18 (Mon)

山の日(やまのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は8月11日。2016年1月1日に施行された。
山の日は、2014年(平成26年)に制定され、2016年(平成28年)に施行された日本の国民の祝日の一つである。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているが、山に関する特別な出来事などの明確な由来があるわけではない。「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(平成26年法律第43号)」が2016年1月1日に施行され、8月11日は同年より国民の祝日「山の日」となった。 この祝日が制定されたことで、祝日の制定がない月は6月のみとなった。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この書は「たかとり山」に託されていた【神武東征と日本武尊(やまとたけるのみこと)の足跡】をたどり、【日本建国の謎】を解き明かしていった報告書です。

また隈なく日本を巡り建国の心と、感動を探し求めた時空の旅の書でもあります。

月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」

日本武尊(歌川国芳画)
高取山から鷹取山を結んだ線は、【東征隊が進んだ方向を表すベクトル(矢印)】と考えたことに始まります。

全国の「たかとり山」を調べると【18の高取山と17の鷹取山】が見つかりました。

対として1つ足りない鷹取山の謎が解けたのは、この足跡を追う旅の中でした。

【九州には五対のベクトル】があり、そのうち【三対で朝倉市に三角形の領域】をつくっています。

記紀が示す【建国物語の東征が、なぜ北九州からではなく、日向からの出発なのか大きな謎】でした。

ところがこの三角領域で東征出発以前に倭国連合したことや二手に別れて出発したことを示していたのです。
この三角領域は高天原であると同時に、女王卑弥呼が住んだ邪馬台国の都かもしれません。驚くことに、このベクトルは足跡の第一層でしかなかったことです。【高尾山など多くの○尾山が○の一字を変えて東征各地のできごとを強調していた】のです。建国の足跡は全国に溢れていました。

ベクトルは出雲や四国そして丹波に分岐の遠征ですあったことを示しています。峻険な熊野山中を東征隊が進んだという、記紀による信じられない記録も、高尾山の足跡を残して明らかにしたのです。

東征が綿密な計画のもと【日本を隈なく言向けした旅】だったことが見えてきます。【日に向かう熱い心も見えてきます】。そして【青雲の先に「ひのもとの大倭(やまと)」は建てられました】。』

いかがでしょうか?
この書物について、少し解説をさせて頂きますと、著者は、古事記や日本書紀に「記録されている」、私たちの日本の建国の物語、すなわち「神武天皇の東征」の足跡が、今でも各地に残されている「山の名前」から、推測することができるって仰っています。
で、最初に注目されたのが「たかとり山」で、「高取山」と「鷹取山」の二種類が存在していて、それらが「対」になっていると仮定したところから、この書物に記される私たち日本の建国物語が始まるんです♥
また、その「たかとり山」を補足する形で、各地に非常に多くみられる「○尾山」も、大切な意味を持っていると仰っています。
そして、「山」と「山」とを結んだ線上に、ほぼ正確に、神社や史跡などが現存していることから、当時の日本人が正確に「方角」を認識していた可能性があることも示されています♥
非常に秀逸な書物で、お勧めさせて頂きます♥
ただし、当ブログでのスタンスと致しましては、「倭≠日本」で「邪馬台国≠日本」っていう立ち位置ですので、邪馬台国や卑弥呼は、単なる地方豪族だったとしてしか考えておりませんので、その部分の解釈につきましては、意見を異にしています。
ですが、この書物に記載されている内容は、とても価値があると考えておりますので、今後も度々引用させて頂く事になると思います。
冒頭でも書かせて頂いてますが、今年から新しく「山の日(8月11日)」が祝日として追加されました♥ この書物と地図を片手に、日本全国の山々を旅してみるのも、良いかもしれませんね♥

ところで、本日は、このニュースについて、見てまいりたいと思います。

☆三原じゅん子氏「神武天皇は実在の人物」と認める 池上彰氏が質問(参院選)
「 7月10日投開票された参院選で、神奈川選挙区で当選した自民党の三原じゅん子氏が、同日の選挙特番で「神武天皇は実在の人物」という趣旨のことを話すシーンがあった。テレビ東京系で7月10日放送された選挙特番「池上彰の参院選ライブ」の一幕だ。
コトバンクによると、初代天皇とされる神武天皇は、神の代から人の代への接点に位置する神話的な人物であり、史実を伝えるものはほとんどないといわれている。
番組中の録画の中で、選挙戦のテーマカラーが赤と白だった理由について三原氏は「やはり日本の国旗の色。神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」とコメント。当選確実になった後には、中継で司会の池上彰氏からの質問に以下のように答えた。
――先ほどのVTRの中で、神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らないといけないとおっしゃってましたね。どういう意味なんでしょうか。明治憲法の方が良かったということでしょうか?
全ての歴史を受け止めて、という意味であります。
――神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?
そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。
――あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?
神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います。
――神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?
はい、そうですね。」

(0:55頃から)
では、まずこの池上彰というヒトについて。。。

池上彰
嘘八百のクダラナイ本、つまりは「ゴミ」、「紙の無駄」なんですが、それを性懲りもなく出していますが、ここんとこ「サッパリ売れていない」ようで♥
ですので、当ブログでは、この池上彰なるヒトが書いた「ゴミ」は、一冊も紹介させて頂いてません♥
恐らくは、今後も、ご紹介させて頂くつもりもありません♥ はっきり言いますと、「価値ゼロ」どころか、「マイナス価値」です♥ つまり、「悪影響を受ける」っていうのが、すでに「一般常識」になりつつあります♥

池上彰
なぜ、こんなロクデナシがメディアで多用される理由は、こちらで御理解いただけると思います。
↓
☆歴史を歪める「ハリウッド」
それでは、先ほどのやり取りの中身を見てみましょう♥
まず、「選挙戦のテーマカラーが赤と白だった理由」として、三原さんが「日本の国旗の色」を挙げているんですが、とても素晴らしいことですね♥ 私たち日本の歴史をキチンと理解されていらっしゃいます♥
「 国民が自国の国旗を、これほどないがしろにするのは日本だけではなかろうかと、異国を数多く見てきただけに懸念と不安を持っている。
国旗国歌法の規定によると、わが国の国旗は正式には「日章旗」という。一般的には「日の丸」と呼ばれている。
旗のサイズは縦が横の3分の2の長方形、日章(日の丸)の直径は縦の5分の3で旗の中心に置く。色は白地に「紅」い丸。

みなさん!唱歌では「白地に赤く」と唄いますが、日の丸の色は「赤」ではなく「紅」なんです。

「紅白」はわが国の伝統色でめでたい色とされている。「白」は神聖と純潔を意味し「紅」は博愛、活力を意味する。
日章旗には古い歴史がある。国旗として使用されたのは嘉永7(1854)年に日本船の目印として採用され、平成11(1999)年に国旗国歌法によって定められた。意外にも正式に日章旗が国旗として定められた歴史は浅い。
ところがわが国は遙か昔から「日の丸」を大事にしてきた。
1300年以上前の701年、文武(もんむ)天皇の朝賀(ちょうが/新年の天皇陛下へのご挨拶)の式典において使われたのが最初だといわれる。
戦国時代(1500年代)には武田信玄、上杉謙信、織田信長などの武将たちが旗印として使い、豊臣秀吉も朝鮮出兵の時には「日の丸」を船に掲げている。
そして近世に入り、薩摩の島津斉彬(なりあきら)が「日の丸がわが国を代表する旗」と幕府に進言。嘉永7年に「異国船に紛れざるように日本総船印は白地に日の丸幟(のぼり)」を掲げるようにとの布告が幕府から出される。
わが国の「日の丸」は1000年以上も前から国民に愛されてきた。このような素晴らしい歴史を持つ国旗は世界には存在しないだろう。」
「 しかし、戦後、戦争に敗れた日本に対してGHQは、日本国民にアメリカの星条旗に畏敬の念を持って敬礼することを命じ、日の丸を掲げることを禁止した。
祝日にだけ特定行政機関の日の丸掲揚を許したが、それ以外は完全に禁止。教科書の挿絵に日章旗があると削除対象。文房具に日の丸のデザインがあるだけで没収。日本人のプライドをズタズタに引き裂く、実に悪質で陰湿な占領政策です。
当時の日本人は、どう思っていたのだろうか。GHQのWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)によって誇りを奪い去られた一部の日本人は、日の丸を拒絶したであろうが、心から日の丸を敬愛していた国民も多かったと思う。そんな人々は、どんな思いだったのかと胸が痛む。
昭和24年の正月に「国旗の無制限掲揚許可」に対する総司令部覚書によって、やっと日本国民は日の丸を取り戻した。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日の丸の色は「赤」ではなく「・・・・」なんです ~ 日本の常識・世界の非常識
そして、三原さんは、こうも語っています。「神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」と。
憲法を、文字で書かれた「法律」だって勘違いしているヒトが多いんですが、この三原さんは、「憲法」そのものの意味もキチンと理解されていらっしゃいますね♥
「 憲法というのは何かということを、今の日本人は全然よくわかっていない… 普通に今の日本で生活している人は憲法が何かということがわからない…それがこの間の「安保法案」の混乱を引き起こしていました。ママさんたちもデモに参加したりして…。
ところが、明治の元勲たちは見事にそれに気づいた、憲法とは何かという深いところまでちゃんとわかっていたということがすごいと思うんです。…
木戸高允がヨーロッパに行ったころ、あるいは坂本龍馬が船中八策(せんちゅうはっさく)を作ったころは、まだconstitutionの訳語が「憲法」とは固まっていない時代で、木戸は「政規典則」(せいきてんそく)、坂本龍馬は船中八策の中で「天下の律令」と言っています。でも、何かよくわからないけれど、そういう国の根本的な決まり事を定めないとダメなんだと、みんな思っていたんです
ですから、帝国憲法には、…吉田松陰以下の人々、小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)など幕末に幕府方として散っていった人々、あるいは明治政府と戦った板垣退助や大隈重信も含めて、その人たち全員、敵味方関係なく日本人全員の思いがこもっているんです。そのことをまず、お母さんたちにわかってもらいたい。
憲法とは伝統であり国柄である。それが本質である。条文は一番どうでもいい話なんです。憲法は条文ではない。…
よくグローバルスタンダードと言いますね。わが国では実はとっくにやっているんです。
お母さんたちに一番わかりやすい話で言うと、あるヨーロッパ人に
「うちの国では604年の十七条憲法で『和を以て貴しとなす』と書いてありまして」
と言ったら
「えっ、1604年?早すぎますよ」
と返されたことがあります。
「いや、最初の“1”は要りませんから。おたくの国では、その後三十年戦争に突入しますね」
とか
「『人は人なんだから殺しちゃいけません』という一番基本的な人権は、うちの国ではおたくより千年前からやっているので、人権という言葉は要らないんですよ」
と、日本人は胸を張って言えますからね。
そういうことをぜひお母さんたちに知ってもらいたいです。先日、…憲法のタウンミーティングに出演しました。…大阪のときは10人ぐらいの学生さんに並んでいただいて、私たちが何かしゃべる都度、マルかバツか三角みたいに札を出してもらいました。そのときに、
「憲法という言葉が日本に最初に現れたのはいつか知っていますか」
と言ったら、
「はいっ!」
と自信を持って手を挙げた学生さんが
「大日本帝国憲法ですよね」
と答えたんです。
私は
「そうじゃなくて、十七条憲法です。日本史で習いませんでしたか」
と言ったのですが、どうもみなさん、あれを憲法だと思っていないようなんです。…
まさしく憲法です…国柄、文化、伝統がそこにあるんですから。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆今の日本人が全然よくわかっていないこと ~ 國体って何?
余談ですが、「十七条の憲法はなぜ十七条なのか」について、書かれているブログがこちらになります♥
↓
☆小名木善行 ねずさんの ひとりごと 「十七条の憲法はなぜ十七条なのか」
さて、本題ですが、私たちの日本のことをキチンと理解している三原さんと違って、池上彰なるヒトは、こんなことを言っています。
「神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?」
「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?」
と。。。この池上彰なるヒトは、「教科書」に書かれているかどうかが大切な事だと思っているんでしょうか?
「 日下 : 世界史というと、教科書のことだと考える人が多数派です。世界史はひとつのものでしかなく、それが教科書に書いてあると思い込んでいる。そういう人は、自分が世界史を知らないのは教科書を勉強しなかったからだと考えている。受験の際は世界史は覚える範囲が広いからといって日本史を選ぶ人もいるし、いちど離れるとそれっきりになってしまう。だから中学校の世界史で止まっていて、そのうえ、そこで勉強したことを忘れている人が多い。
宮脇 : 私もじつは、世界史の点数は悪かったんですよ(笑)。なぜかといえば、ワケがわからないことを無理やり覚えさせられるようだったので、頭に入らなかったんですね。「どうしてか」という説明がなく、ただ「こうなった」と言われるだけなので、それはおかしいと思ってたんです。
日下 : そこに抵抗せず、与えられたものを素直に覚えられるタイプの人が、いい点をもらってくる。これは頭の善し悪しじゃなくて、先生と性格が似てるか、先生の言うことをそのまま受け入れるかどうからしい。
宮脇 : たとえばマルクス主義を説明するにしても、『資本論』をそのまま引用したりすれば、ものすごく難しい話になるじゃないですか。けれども教科書にはそのなかのいいところだけが書いてあって、それを先生から教えられたら、秀才は丸暗記します。それでいい点数を取った人たちがやがて新聞社などに入社して上層部にいく構図になっているんだと思います。
日下 : そのとおりですが、だんだん、そうではなくなってきている。第一次安保闘争(1959~1960年、安保条約を改訂した60年安保締結に対する反対運動)のとき血の気の多い学生が騒いでいて、「そんなことしていると就職先がないぞ」と言われたけど、実際はあったんです。何故かといえば、会社のほうも、血の気が多くてなんでも頑張ってやる若者を必要としていたからです。
だけど、第二次安保闘争(1970年、60年安保の自動延長に反対する運動)に参加した学生たちには就職先がなかった。なぜかといえば、安保の改訂をちゃんと振り返れば日本のためにはプラスになっていたとわかるからです。そういう判断もできずに運動に参加して騒いでいるだけの学生はいらない、と会社は敬遠したんですね。
そういうこともあるから、何かがあったときに「それは正か否か」と自分で判断できるようにしておくのは大切なんです。
第二次安保のあと、一部の新聞社だけは運動に参加していた学生も採ったんですが、その世代がもう定年を迎えているんですね。まあ、NHKや朝日新聞なんかにはいまでも、教条主義(※状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう。ドグマチズム。)で、言われたとおりに勉強していい成績をとった人たちが多い気はします。
彼らは実力がないので、記者クラブに集って官庁からの発表と解説をもらって帰ります。異口同音にペーパーをくれといいますから「お前らは山羊か」と言われています。
自分で文章を書くとリスクがかかるのでペーパーを欲しがるのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆新聞社などに入社して上層部にいくのは、どんな人でしょう
長くなりましたので、本日はここまでにさせて頂きますが、明日もこの件について見てまいりたいと思います♥
それでは、本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥
続きは次回に♥
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