2016-07-13 (Wed)

市民(しみん)は、政治的共同体である市及び都市においての構成員。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 戦後の社会科の教科書の中には、【戦前にはなかった次のようなコトバや概念】がやたらと躍るようになった。

戦後、普通に使われている【「社会」とか「民主」とか「個人」というコトバ】は、戦前育ちの老人たちには全く新しい概念であった。また、【市民とか「人権」、自己主張】もなかった。


最も著しい変化は、【日照権だ、漁業権だ、生存権だとやたらと人権を要求することが流行】して、それが正当化されるようになった。

町には至る所で毎日何かの【住民運動、市民運動が横行】し、【学校では学生運動、仕事場では労働運動が猖獗(しょうけつ/悪いことがはびこること)】するようになり、世の中は次第にすさんできた。

【個人の人権の過度の要求はあちこちでエゴやゴネ得、ストライキ運動を流行させた】。…

☆安保法案反対のハンガーストライキは大学生のプチダイエットでしかなかった
戦前は学校は国民学校の名の通り、【健全な国民を養成するのが教育の目的】であった。

それが【戦後は国民という言葉は慊焉(けんえん)され、市民、住民、公民が一般化】されてきた。

かくて戦後、社会科で育った日本人は、【国民である前に市民で、個人が国家の上にあるように錯覚】し、【国権より人権が尊ばれ、個人主義、社会主義、民主主義が進歩的だと考える】ようになった。


このため戦前には全く考えられない、【反国家、反権力、反日本、反国旗・国歌、反靖国、反戦平和などの運動が平然と行われる】ようになっていった。

以上、日本の社会や教育の悪化は、【戦前にはなかった社会科教育にその根源があることが分かった】。』

いかがでしょうか?
さて、連日にわたって繰り返して申し上げております、戦後にアメリカから、私たち日本に持ち込まれた、社会主義・共産主義がテンコ盛りな「社会科」について、本日も見て参りましょう♥
これは、以前からも申しあげていることですが、歴史というものは、一連の流れで見ていく必要があります♥
ところが、いまの「社会科」では、なぜか都合よく「ブツ切り」にして授業をすることで、本当の歴史が子供たちには理解しにくいように教え込んでいます♥
たとえば、学習指導要領で規定されている時代区分を、西洋と日本とで比較してみますと、こんな風になっています♥

御覧のように、私たち日本の国史である日本史の時代区分は、12世紀を境目として、「古代」と「中世」に分けられています。
実は、この時代区分は「西洋主体」の独特な考え方ですので、私たちの国史には、決して当てはめることはできないんです♥
まず、古代において、「西洋」と呼ばれた地域が、ギリシャ周辺の限られた地域でした。

対する「東洋」、つまり「オリエント」と呼ばれる地域が、ギリシャ周辺のヨーロッパから見て、「日が昇る方角」、「メソポタミア」と呼ばれた地域でした♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆オリエントの語源は、ラテン語で「日が昇る方角」 ~ ニセモノのヨーロッパと、本物のヨーロッパ
「西洋主体」の歴史観では、古代ギリシャ時代、そして古代ローマ時代を理想として考え、それらの文明が栄えた時代を「古代」としています。
やがて、古代ギリシャや古代ローマは滅んでしまいます。それらを最終的に滅ぼしたのは、異民族です♥
滅ぼした犯人が、「ゲルマン人」でした♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆クリスマス・イブの前日が祝日な理由 ~ 『天長節』には「日の丸」です
☆朝鮮王国とマリネラ王国 ~ 日本の天皇陛下、朝鮮の国王「殿下」w
で、この頃、つまり6世紀頃に、ある人物が生まれました。570年頃、アラビア半島にある都市メッカ、その支配部族であるクライシュ族出身で、名門ハーシム家のひとりとしてムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが生誕したんです。
のちに、「イスラム教」の開祖となる、イスラム教において、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)その他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)となる人物です♥
詳しくは、また別の機会にご説明させて頂きますが、ムハンマドの後の時代、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝(661年 - 750年)のウマイヤ朝が勃興します。
ウマイヤ朝(661年 - 750年)


そして、その後のイスラム黄金時代を築いた「アッバース朝」(750年 - 1517年)へと繋がります。
アッバース朝の版図(深緑はまもなく離反し、緑が850年以降の領土として留まる)


地図を見て頂くと、もともとの「西洋」に対する「東洋」、つまり「古代オリエント」、そして後のギリシャ文化と融合した「ヘレニズム」を継承していくのが、「イスラム圏」だったということが、ご理解いただけると思います。
また、「東洋」に対する「西洋」の文化を継承していったのが、東ローマ帝国、別名「ビザンツ帝国」です♥
東ローマ帝国の版図の変遷


そして、もう一度繰り返しますが、異民族ゲルマンが侵略し、西ローマ帝国を滅ぼした後にできたのが「フランク王国」で、これが現在のフランスやドイツといった、いわゆる「ヨーロッパ」へと繋がっていきますが、以上、御覧のように、もともとの「西洋」・「東洋」の文化を受け継いでいたわけではなかったわけです♥

フランク王国の時代別の領土
ですから、異民族の彼らが、現在のヨーロッパと呼ばれる地域を支配した後で、歴史を振り返ってみて、古代ギリシャ時代、そして古代ローマ時代を理想として捉えたんです♥ つまり、単なる「憧れ」なわけです♥
「西洋主体」の歴史観では、その「憧れ」の時代を「古代」としているんです♥

「 西洋の歴史で「中世」(Middle Age)とは、「古代」ギリシャ・ローマと「近代」に挟まれた「中の時代」のことです。この時代は、ゲルマン民族の大移動ののち、キリスト教化され、現代の西洋といわれる世界が形成されていった時期でした。
この時期を担ったのは古代ギリシャやローマの人々とは異なる民族で、宗教も言語も本質的に異なる人々です。だから、西洋の「中世」は古代ギリシャ・ローマが発展したものではなく、そこには明らかな断絶があります。
そして西洋史学の三分法をもとに、19世紀にはマルクス主義による歴史観がつくられました。「古代」は「奴隷制」の時代。「中世」は「封建制」で農奴の時代。「近代」は「資本主義」で労働者の時代。そしてそのいずれの時代においても人民は搾取されているという生産様式の矛盾した歴史を説きました。それが「進歩史観」と結びついて、「中世」の「暗黒」史観が生まれたのです。
こうした歴史の見方を、現在でも多くの歴史家たちが信じているようですが、そのような搾取の歴史の中からは、…偉大な「文化」は生まれません。強制からは、…大きなモニュメントも生まれようがないのです。「自由」があってこそ、こうした「文化」が生まれ、階級よりも「役割分担」の社会があったからこそ、長い間「社会」が安定してきたのです。統治者はいつの時代でも必要ですし、働く人民は決して圧迫されてきたわけではありません。
しかし、その「文化」においても、西洋の学者たちは自分たちが古代ギリシャ・ローマを受け継いでいると自負しているため、「古代」と「近代」の間に「中世」を挟んで、いかにも西洋「文化」が一貫して継続しているように考えているのです。「ルネッサンス」といわれる時代は、「古代」の「再生=ルネッサンス」であるとされていますが、実際には「再生」ではありません。
西洋の「中世」は「暗黒」の時代ともいわれます。西洋が古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いでいるなら、「暗黒」であるはずがありません。西洋の歴史が「中世」といっている時代は、正確にいうなら、新たな「西洋文化初期時代」(Primitive Age)というべきなのです。いまにつながる西洋文化の世界が形成されたのは、実はこの時代からなのです。

一方では、この時期の文化の様式を「ロマネスク」といっています。これは「ローマ的な」「ローマのような」という意味です。自分たちが古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いでいると考えているからですが、それを引き継いでいないことは、まったく新しい、キリスト教の文化であることからも明らかです。その形は、まだ素朴であることが誰にでも見て取れます。西洋の「ロマネスク」といわれる時代(1000年 – 1200年)の文化は、日本では飛鳥時代(592年 – 710年)の「アルカイスム(胎動期)」の文化に匹敵するものなのです。
古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いだというか、影響を受けて保存したのは、西洋ではなく「イスラム世界」なのです。「イスラム世界」を介して西洋は「古代」ギリシャ・ローマの文化を知り、その影響が「ルネッサンス」につながっていくのです。
こうした西洋の「進歩史観」を中国史に導入しようとしたのは、西洋史をなまかじりした宮崎市定氏で、そんな史観自体が西洋のつくりものであることを知りませんでした。ましてや日本にまであてはめようとしたのが、明治の歴史家たちだったのです。しかしもともとそんな歴史はなかったのです。
鎌倉時代は政治が貴族から武士に移ったといっても、武士はどこかよそからやってきて政治の実権を握ったわけではありません。武士は貴族政治の中から発生したのです。武士と呼ばれる人々は、もともと「清和源氏」、「桓武平氏」といわれるように、みんな天皇家、もしくは摂関家出身の人々だったのです。端的にいえば、鎌倉時代の『新古今和歌集』は平安時代の貴族的な『古今和歌集』をさらに洗練させた傾向を備えており、その継続であったのです。
宗教でも法然、親鸞ら鎌倉新仏教は旧仏教をくつがえしたわけではありません。まだ勢力も小さく、旧仏教もまた継続していきました。鎌倉彫刻は天平の古代彫刻を発展させて制作されています。その意味で「ルネッサンス」でもあったのです。
このように「文化」はすべて連続性の上につらなっています。西洋のような断絶はありません。しかし、日本の学者は西洋の歴史区分を鵜呑みにして、鎌倉時代と室町時代を「中世」に当てはめてしまいました。しかし、それは誤りであり、日本文化の独自性を損なうことになりかねません。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本に「中世」は、ありません♥
いかがでしょうか?
「西洋主体」の独特な考え方で、私たちの大切な日本の国史を、「古代」や「中世」などと時代を区切っていることが、まったくナンセンスであることが御理解いただけましたでしょうか♥

実際に、いまでも私たちが目にすることができる「モノ」で確認すると、凄く理解ができます♥
古代ギリシャのパルテノン神殿は有名ですが、これは紀元前440年ごろ、今から約2450年前に造られたモノです♥

とても美しいですね♥ ですが、この建造物は、ただそこに存在しているだけです。また、これを造った国家は、すでに現在は存在していません。
古代ローマのコロッセウムも有名です。これは西暦80年ごろ、いまから約1940年前に造られたモノです♥

こちらもとても美しいですね♥ ですが、この建造物もまた、ただそこに存在しているだけです。同様に、これを造った国家は、すでに現在は存在していません。
で、今度は、こちら。

異民族ゲルマン系の西ゴートで造られた、サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂です♥
スペインの史跡に指定されていますが、今から約1300年前に造られたモノです♥ さきほどの古代ギリシャや古代ローマとの「違い」は一目瞭然で、説明すら要りませんね♥
この建造物は、現在でも教会として機能していますが、これを造った国家は、すでに現在は存在していません。
続いて、今度は「イスラム圏」も見てみましょう。
これは、今から約1330年前に造られた、エルサレムの「岩のドーム」です♥

以下は、Wikipediaの抜粋です。
「 岩のドーム(いわのドーム、アラビア語: قبة الصخرة Qubba al-Ṣakhra)は、東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩(Foundation Stone)を祀っている。それゆえ、このドームはその神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所としてのモスクではない。 建設に際して刻まれた総延長240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定はするものの、預言者であることを認めている。
外部は大理石と美しい瑠璃色のトルコ製タイルによって装飾されているが、これは1554年にオスマン帝国のスレイマン1世の命によって建築家ミマール・スィナンが貼り直したもので、かつては樹木や草花、建物を画いたガラス・モザイクであった。ドーム部分は内部装飾も含めて11世紀に再建されたものだが、これはほぼ創建当時のままのデザインである。」
それでは、今度は、もともとの「西洋」でも「東洋」でもなかった、極東の「ある島国」における建造物を見てみましょう♥

さて、「現存する世界最古の木造建築」を、私たちは実際に目にすることができます♥ それが「法隆寺」です♥ 今から約1400年前に造られた、世界に誇るべき建造物です♥


とても美しいですね♥ そして何よりも、この建造物は、現在も利用されていて生きています。また、これを造った国家、すなわち、私たちの日本は、現在も、存在しています♥

「 そこには戦乱がありました。他民族に侵略され、追われて移動し、故郷を失い、消滅し、あるいは新たな故郷を求めるということが繰り返されて、現在ある国が定まっていったのです。
世界の国々はすべて、このような変化、断絶を経験しています。
しかし、日本にだけはそのような歴史がありません。一度だけ、モンゴルが攻めてきたことがあります。しかし、日本の国土には侵入できませんでした。」
「 世界史では、近代が国家観を形成し、人々の国民意識を育て、国家が成立したといわれます。しかし、日本は大陸から隔てられた島国という条件もあって、自然と一体になって、大八洲(おおやしま)がそのまま国土として意識され、早くから巧(たく)まずして人々の国民意識を育てることになり、それが途絶えることなく今日まで続いているのです。
日本人の変わらない連続性を示すものとして、たとえば『万葉集』を挙げましょう。それは日本の神話が生まれたのと同じ時期から詠み継がれてきたものです。あらゆる人々が自然の中で、農耕をしながら、旅をしながら、防人(さきもり)の困難さに耐えながら、あるいはいつに変わらぬ日常生活を営みながら、歌に詠んだものです。それをいま私たちが読んでも、何の違和感もありません。そこに詠まれている感情、気持ちをそのまま私たちのものとして感じとることができます。7、8世紀以前の人が心地よく感じた五・七・五・七・七の響きも、同じように心地よく響きます。だから、一部の専門家だけでなく、『万葉集』はいまも一般の人に広く読まれ、その歌が愛唱されているのです。
このようなことは他の国には絶対にありません。日本だけのものです。これは、日本では同じ体制、同じ言語、同じ文化が変わらずに連続しているからにほかなりません。」
「 世界には、前世紀の高い文化を示すもの、神殿や劇場、闘技場や水道などがいくつもあります。しかし、それらはすべて遺跡です。廃墟です。その文化は途絶えてしまって、いまは生きていません。
日本は違います。まだ、仁徳天皇陵を拝んでいます。千三百年前にはじまった伊勢神宮の20年ごとの遷宮はいまも営まれ、人々は神々しい気分を感じながら玉砂利を踏んで参拝しています。千四百年前の木造建築である法隆寺は、いまもそのままに、仏教の法要が営まれています。それらはすべて、いまも生きているのです。日本が不易流行(ふえきりゅうこう:いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。)の国である現れです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆世界では死んでいて、日本では生きています
それでは、本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥
続きは次回に♥
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