2016-06-29 (Wed)

2010年欧州ソブリン危機(2010ねんおうしゅうソブリンきき)または欧州債務危機(おうしゅうさいむきき)、欧州経済危機(おうしゅうけいざいきき)、欧州危機(おうしゅうきき)、通称ユーロ危機は、2009年10月のギリシャ政権交代による国家財政の粉飾決算の暴露から始まる、経済危機の連鎖である。2011年以降にもユーロ圏第三位のイタリア情勢が深刻化するなど、欧州不安は広範囲に拡大した。ここでいうソブリンとは地名や人名ではなく、ソブリン債(英:sovereign bond。各国の政府又は政府関係機関が発行し又は保証している国債などの債券)のことである。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 1981年、ギリシャはEC(欧州共同体)に加盟した。

欧州共同体の歴史
ユーロ加盟は2001年だ。その際、【巧みな粉飾があったことは、いまでは皆が知っている】。

ただ当時、誰も何も知らなかったとは思えない。感づいてはいたが、ヨーロッパの祖であり、民主主義の本家であるギリシャをECに加えたいばかりに、みてみぬ振りをしたのではないか。

☆日本ウイグル協会 東トルキスタンで行われた核実験について
忘れてはならないのは、【冷戦下において、ギリシャは南欧を共産主義の伸長から防衛する重要な砦であった】ことだ。

冷戦期のヨーロッパ勢力図。青がNATO、赤がワルシャワ条約機構、白が両同盟に属さない国家である。濃い色は発足時の加盟国、薄い色はその後の加盟国を指す。
当時、ギリシャの隣国は、ことごとく社会主義を標榜していた。同時に【ギリシャはイスラム文化圏に対する防波堤でもあった】。

1453年から1829年までオスマン帝国に乗っ取られていたこの国が、再びイスラムに引き摺られるなどあってはならない。

オスマン帝国の領土拡大

オスマントルコの衰退過程
そのためには、全面的に支援するほかはなかったのだろう。

ギリシャ(濃い緑)とEU(明るい緑)とヨーロッパ
【ギリシャの攻防は、十字軍の意地の再現】ともいえる。

ギリシャ 国旗

ギリシャ 国章
こうして1981年、ギリシャの加盟によって、ECはようやく「ヨーロッパ」としての体裁を整えたのであった。』

いかがでしょうか?
何故、西欧がヨーロッパの仲間に、「ギリシャ」を欲するのかという点については、昨日に書かせて頂きましたことで、十分にご理解いただけると思います♥
結論を言いますと、今の西欧人は、もともとのヨーロッパ人でもなんでもないんです♥ 勝手にそう「思い込んで」、ただ、それっぽく振る舞っているだけなんです♥
そもそも、歴史を振り返って見れば、古代ギリシャやローマの文化を後世にまで残してきたのは、「イスラム世界」です♥

「 古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いだというか、影響を受けて保存したのは、西洋ではなく「イスラム世界」なのです。「イスラム世界」を介して西洋は「古代」ギリシャ・ローマの文化を知り、その影響が「ルネッサンス」につながっていくのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本に「中世」は、ありません♥
本文中にもありましたように、1453年から1829年まで、ギリシャはオスマン帝国領でした♥
では、それ以前の時代はどうだったのでしょうか?
2世紀初頭、今から1900年ほど前の時代、現在のヨーロッパと呼ばれる地域では、ローマ帝国が繁栄していました。

緑色の部分が、ローマの支配を受けていない「大ゲルマニア」(マグナ・ゲルマニア Magna Germania)です。
時代は下り、5世紀前後、今から1600年ほど前の時代です。その頃、私たちの日本は、仁徳天皇陵が造られた時代です。

仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
「 日本最大の墳墓は第十六代天皇の仁徳天皇陵です。この前方後円墳の長辺の底辺部は486メートルもあり、エジプト最大のクフ王のピラミッドや秦の始皇帝の墳墓より大きいのです。
日本最大どころではありません。世界最大です。濠(ほり)は三重にめぐらされていました。」

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆エジプトのクフ王や秦の始皇帝よりもスゴイ! 「仁徳天皇」
4世紀~5世紀にかけて、ローマ帝国領土内に、ゲルマン民族の侵略がありました。それが、ゲルマン民族大移動と呼ばれるものです♥

ここで、ポイントになるのが、「異民族ゲルマンの侵略」です♥
古代ローマ帝国は、古代ギリシャと同じ「多神教」でした♥ ですから、異教徒に対しても、比較的寛容だったんです♥
しかし、そんな古代ローマ帝国に対して、度々テロ行為が行われていたのが、エルサレムの地であり、ユダヤ教徒でした。
ユダヤ教徒は、多神教ではなく「一神教」であって、頑なまでに「他の神」を信じません。いえ、もっと正確に言えば、「他の神」を否定するんです♥
そんなテロリストたちを、古代ローマ帝国は、「反徒」として、また「反乱煽動者」として捕え、そして、そのようなテロリストに対する唯一の処刑方法である『磔刑(たっけい)』によって、見せしめの処刑を行います♥ 平和を乱す、テロリストどもに対しての処刑方法です。
その中の、一人が、「イエス」でした♥ 単なる「テロリスト」の中の一人です。ですから、他にも『磔刑(たっけい)』に処せられた輩は、何人もいたんです♥

磔刑図(アンドレア・マンテーニャ画、1459年)
「 紀元30年、イエスはロバに乗り、両脇に「ああ救いたまえ!」と興奮して叫ぶ大勢の群衆を従えてエルサレムに入ってきた。…これは聖都の住民に、待望のメシア本物の「ユダヤの王」が、イスラエルをその軛(くびき)から解放するためにやってきたことを告げる紛れもないメッセージだった。
この行為は、ゼカリヤの預言を成就させるために、イエスとその信奉者によって演出されたものだった。
ゼカリヤの預言とは、「エルサレムにユダヤの王が雌ロバの子に乗ってやってくる」というもの。まさに、預言通りに演じたイエス。」

「 エルサレムで反徒・革命的行為をやらかしたイエスは、捕らえられる可能性を自覚していた。だから、最後の晩餐のあとすぐに弟子たちに、こう指示した…
「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」
捕らえに来るであろう兵士たちと戦う武器を用意しなさいと… 」

最後の晩餐 (レオナルド)
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆【明快】イエスがやった事をまとめるとこうなる♥
で、そんなテロリストたちに業を煮やした古代ローマ帝国が、いよいよ鎮圧に動きます♥
「 ローマ皇帝ヴェスパシアヌスは、息子のティトゥスに、直ちにエルサレムへ進軍し、犠牲を惜しまず、ユダヤ人の反乱を早急に、徹底的に撲滅せよと命じた。…迫り来るローマ軍の襲撃に備えるために人々は半狂乱になった。…ティトゥスは攻撃を急がなかった。…彼はエルサレムの周囲に石の壁を建設させて、すべての人を中に閉じ込め、食料と水の供給を遮断した。
それから彼は…市民がゆっくりと餓死してゆくのを観察することにした。
その結果起こった飢饉は恐ろしいものだった。一家全員が居ながらにして死亡した。道ばたは死体で足の踏み場もなくなった。…エルサレムの住民は食べ物を探して下水道内を這い回った。人々は牛の糞や乾いた草の塊まで食べた。ベルトを外し、靴を脱いでその皮の部分をしゃぶった。ユダヤ人はついに死体まで食べた…町から脱走しようとした人々は、たちまち捕まって…見せしめに十字架に架けられた。」

ティトゥス像(ルーヴル美術館)
「 ティトゥスにとって(エルサレムの)住民の自滅を待つだけでは十分ではなかった…彼の任務はユダヤ人を餓えさせて降伏に追い込むことではなく、彼らが自分たちのものだと主張する土地から根こそぎ排除することだった…
ティトゥスは軍団を率いてエルサレムを急襲した。ローマ軍は市の高台…から反徒を重砲で攻撃した…反徒が第二城壁の中へ逃げ込むと…城門に火を放った…兵士たちは男女、子供、金持ち、貧乏人、蜂起に加わった者、ローマに忠実を貫いた者、貴族、祭司、すべての人を攻撃した。彼らはすべてを焼き払った。全市が炎上した。…ティトゥスは未来の世代がエルサレムの名を思い出すことさえ無いように、市中に残っているものすべてを破壊するように命じた。…敗北したのはユダヤではなく、ユダヤ教だった。…以後、ユダヤ教はもはや価値のある崇拝の対象とは考えられないことになる。
ユダヤ人は今やローマの永遠の敵だった。…ローマ人は生き残ったユダヤ人を一人残らずエルサレムとその周辺地域から追い出し、この町の名も最終的にはアエリア・カピトリーナと変更して、全域をローマ帝国の直轄領にした。…紀元135年まで、エルサレムの名はローマの公式資料には存在しなくなった。」

ティトゥスの凱旋門
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「エルサレム」が消された日♥
で、このユダヤ教徒・イエスの弟子たちが、イエスを救世主だとして、ローマ帝国内で布教を始めます♥
それこそが、イエスの弟子たちによって、都合よく創り出された「キリスト教」でした♥

ローマ帝国の領域の変遷
やがて、ローマ帝国を一人で支配する最後の皇帝、テオドシウス1世(在位 379年 - 395年)が、392年にキリスト教を国教として定めました。彼の死後ローマは、現イスタンブルを中心とする東ローマと、ミラノを中心とする西ローマに統治が分かれ、ゲルマン民族等の異民族の侵略により、476年に、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマは滅ぼされてしまいます。これ以降、現在のヨーロッパに繋がる国々が長い年月を経て形造られていきます。それは、ローマ・ギリシャ人ではなく、ゲルマンなど異民族の支配する国でした。
それまでの、ローマ・ギリシャの文化や伝統を受け継いだのは、イスタンブルを中心とする東ローマでした。また、この時、キリスト教も事実上分裂します。東ローマの東方正教会(ギリシャ正教)と、西ローマの西方教会(カトリック)です。

東ローマ帝国の版図の変遷
このあとのことは、以前にも書かせて頂いておりますので、こちらをご参照ください♥
↓
☆戦争に引き込まれるということ
以上、非常にざっくりとした説明でしかありませんが、いま私たちがヨーロッパと認識している地域に住む人々、それが本来のヨーロッパ人でもなんでもない、ということが御理解いただけたのではないかと思います♥
では、本来のヨーロッパは、つまり元祖「西洋」がどこかといいますと、ギリシャ周辺の限られた地域になります♥

で、この「西洋(the West)」対して、「東洋(the East)」あるいは「オリエント(Orient)」と呼ばれた地域がありました。
以下は、Wikipediaの抜粋です。
「オリエント(Orient)は、東洋の訳語にあたる。その語源はラテン語で「日が昇る方角」を意味するオリエンス(Oriens)である。」
ギリシャ周辺のヨーロッパから見て、「日が昇る方角」、それが古代オリエントで、「メソポタミア」と呼ばれた地域でした♥

古代オリエント

メソポタミアに関連した地域の位置関係
「日が昇る」。。。どこかで、聞かれたことがございませんでしょうか?

「 須佐之男命(すさのおのみこと)は、母の伊邪那美が住んでいる地下の国に行きたいと大泣きします。しかし、須佐之男命は男神の伊邪那岐から生まれているので、伊邪那美を母と思っているのはおかしなことです。ですが、神を身近に感じて人間的な親しみを覚えていた人々は、これをおかしなこととは思わなかったのでしょう。
その須佐之男命は伊邪那岐から海をつかさどるようにいわれますがこれを断ります。このことには大きな意味があると考えています。
高天原(たかまがはら)には、その中心に天照大神(あまてらすおおみかみ)がおられます。高天原には山や川があり、草木が茂っています。天照大神はそこで田を耕し、機を織っています。つまり高天原とは山地、あるいは盆地のようなところだと思っていいでしょう。
一方、須佐之男命がつかさどるようにいわれたは海で、山地の高天原とは違います。だから、須佐之男命はそんなところは嫌だと断ったのでしょう。神々が海と山、海岸と陸地の奥の違いを感じていたことがわかります。
須佐之男命は高天原から追い払われますが、天照大神のところにもどってきて、子を産もうと提案します。そして、五柱の男神と三柱の女神が生まれます。すると、どういうわけか須佐之男命は勝ち誇り、乱暴を働くようになります。恐ろしくなった天照大神は天の岩屋の奥に身を隠してしまいます。すると世の中が真っ暗になりました。
これによって天照大神が太陽神であることがわかります。天照大神は山の主神であるとともに太陽神なのです。
天照大神が山の中の岩窟に隠れてしまい、辺りが真っ暗になると、神々は困ってしまいました。天照大神に岩窟から出てきてもらおうと、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が岩窟の前で全裸になって踊り狂い、他の神々もはやし立てて大騒ぎをします。すると、天照大神も何事が起こっているのだろうと、岩戸を開けて外をのぞき見ました。その瞬間、神がやっとばかりに岩戸を開けて、天照大神を外に引き出したため、辺りはふたたび明るくなります。
太陽は日本を照らすだけではないはずだ、と思うかもしれません。確かに太陽神といえば、天空を駆けめぐるギリシャ神話の太陽神ヘリオスのように、動く神がほとんどです。しかし、天照大神は高天原を動きません。のちに聖徳太子は、日本を「日出(いず)る国」といいました。それは、日本は太陽が昇るところである、という考え方があったからなのでしょう。日本という国名も太陽の本(もと)という意味ですから、太陽は常に日本にあって、天空を駆けめぐるようなイメージはもたなかったのだと思います。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「日本」の本当の意味
中途半端になってしまいましたが、本日はここまで♥
続きは次回に♥
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