2016-06-08 (Wed)

毛沢東思想(もうたくとうしそう、中国語: 毛泽东思想、拼音: Máo Zédōng Sīxiǎng)または毛沢東主義(もうたくとうしゅぎ、英語: Maoism、マオイズム)は、毛沢東を中心とする中国の共産主義者が創立した政治思想で、反知性主義の1つ。その信奉者は毛沢東主義者やマオイストとも呼ばれる。
毛沢東思想の主要概念には、人民戦争理論、新民主主義論、3つの世界論などがある。1947年以降の中国共産党規約では「マルクス・レーニン主義の中国における運用と発展」とされ、「マルクス・レーニン主義」などと並ぶ「行動指針」と位置づけられた。特に1950年代から1960年代の中ソ対立や文化大革命の時期に強調された。
半民半兵のゲリラ戦争と、核武装、有事を想定して政策を行うなど、長期戦略に基づく軍事力の増強を最優先課題とする。政治思想というより、軍事理論とされる場合も多い。
毛沢東思想は、1950年代以降の社会主義政策推進、1957年からの反右派闘争、1960年代以降に激化した中ソ対立、更に1966年に発動された文化大革命などで特に強調され、毛沢東の個人崇拝や、政敵の打倒、国外の各国共産主義勢力への干渉にも広く使用された。
毛沢東の死後、その思想をめぐる評価は微妙に揺れ動いた。 中国は核武装に成功したが、軍事力の代わりに経済崩壊を起こした。 地政学的にも中国国民党からチベット地方を奪取して西部の支配に成功したが、軍事力による覇権の道は後に西側から批判された。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 中国の大躍進、文化大革命の時代といまの状況の違いとは、当時は世界が東西の形に分かれていて、【中国は国際マーケットから完全に排除された独立経済体】だった。ひるがえって、【現在の中国は独立経済体ではなく、国際マーケットの中の一部に組み込まれている】。ここに大きな違いがある。

計画経済ならば、中国の景気が悪くなったときには、軍が人民を圧迫してでも好き勝手な数字と経済体をつくることが可能だった。

ただしいまの状況は、人民が解放されてしまっている。解放された人民に圧政を強いた場合、中国が独立経済体だった時代ならあり得なかったことだが、世界に門戸を開いてしまったことから、国際的に大きな批判を浴びることになる。

共産主義革命のような形で、欧米日はじめ周辺国とも完全に関係を断ち切るようなことをしない限り、文化大革命的な、改革開放的なかつてのようなパラダイムシフトはできない。…

周知のとおり、中国には習近平国家主席を領袖に抱く「太子党」と胡錦濤(1942年~)前国家主席と李克強首相(共青団・共産主義青年団、1955~)を頂点とする【母体の異なる二つの政治体が存在】する。

理論派で鳴らす李克強は国際金融のなかに中国を組み込もうとしている。

それに対して【習近平側は計画経済的、マルキスト的な発想の経済運営を行おうとしている】。

要は、いまの中国は【まったく正反対な両輪で動いている】わけである。…

現状を鑑みると、【改革開放路線の放棄、いわゆるマオイズムへの回帰という方向に進む】のだろう。

毛沢東
しかしながら、それを実現すべく習近平が邁進すると今度は、中国のいまある中国系企業の利権とか、中国要人の個人資産をどう取り扱うのかという問題が噴出してくるのは論を俟(ま)たない。中国は言わずと知れた【人治政治国家】であり、既得権を握る中国共産党の幹部がそれを許すのかどうかだ。…

【中国を法律で定めた、法治国家の論理で見てはいけないし、国際ルールを守るという前提で見てはいけない】。

勝手にルールをつくってしまう帝国、帝王主義の中国。

さらに人治主義がはびこる中国において、共産党守旧派がルール変更をどこまで許すかがポイントだと思う。

人民共和国となった中国の歴史を俯瞰すると、かつての李先念、いまの【李克強のような経済的発想を備えている開明派はかなり少ない】。

現在の国務院政治局常務委員、いわゆる中国のチャイナセブンは、そのほとんどがテクノクラート、技術系出身者で固められているなか、【李克強のみが北京大学法学部の出身で経済博士号を持つ異端者】である。

一方、国家主席、党総書記、中央軍事委員会主席の三権を手中におさめた習近平はいちおう精華大学の化学工程部を出たテクノクラート。【いちおうと言ったのは、元副首相の父・習仲勲のコネで推薦入学したから】である。

しかも習近平はハク付けのため、福建省長時代に精華大学のドクターを取得したが、これも同大の党委書記・陳希(習とは大学の同級生)が裏で動いたためとされている。

陳希は【習近平の学歴を構築した功績】から、習近平がトップに上り詰めると同時に中央組織部の常務副部長に引き上げられている。』

いかがでしょうか?
中国共産党内に存在する「母体の異なる二つの政治体」の対立が目立ってきていることは、先日もご紹介させて頂いています♥
こちらをご参照♥
↓
☆六四天安門事件27周年記念集会開催 2016年6月5日
そもそも、今回の対立に至るまでの流れは、こんな感じでした♥
「 権力闘争は2012年あたりから顕在化し、まず薄煕来があった。…習近平にとっては、薄煕来っていうのはちょっと煙たいけど兄貴分。だからできれば太子党(二世議員グループ)の仲間として守りたいと思っていたんだけれども、完全に彼を失脚させた。失脚させたあとで、その関連で出てきたのが薄煕来のお友達だった周永康です…周永康は…薄煕来よりも位は上なんですね。こいつを追い込んだ。追い込む途中で、彼の周りから攻めていって、金庫番と秘書役の5人を完全に失脚させた。…
だから周永康は事実上失脚で、ほぼ石油派の腐敗を断ち切った。その前に鉄道部を解体していますからね。鉄道部利権も半分ぐらいは軍から取り上げた。…
反腐敗キャンペーンっていうのは、これは権力闘争と同義語だから、…権力闘争は想像以上の熾烈な段階、というよりももう泥沼に入っている…
薄煕来問題は、習近平政権以前、胡錦濤政権で起きた…王立軍のアメリカ総領事館逃げ込み事件が端緒でした。
習近平が就任してからやったことはまず、彼の唯一の政治的盟友王岐山を、規律検査委員会の主任にしたことです。…習近平政権になってから、政治局常務委員は江沢民派の面々に固められて、7人の中でもだいたい4人ぐらいが江沢民派の連中です。そして政府にはだいたい胡錦濤派が入っている。たとえば総理大臣が李克強、副総理が汪洋ですね。
じゃあ、習近平がどこをやるかとなりますと、…規律検検査委員会です。規律検査委員会を彼の最大の武器にしたんです。…これでやってきた結果を見ると、まず摘発されるのは、ほとんど江沢民派につながる石油閥の連中です。すべてが江沢民派につながっている。全部ですよ。しかも軍人でもやられたふたり…あのふたりとも江沢民が残した人脈なんです…むしろ江沢民が、胡錦濤あるいは胡錦濤政権を監視するために残したんです。結局、江沢民が引退したあと、はっきり言うと十年間、胡錦濤政権は何もできなかった。できなかった理由の一つが軍を全部江沢民派が掌握したからです。…
だから胡錦濤はどうにもならなかった。それでここが面白いところなんですが、じつは胡錦濤が退陣する直前に何人かの軍人を抜擢したんです。…
習近平がいま腐敗摘発運動でやっつけているのは全部江沢民派なんです。江沢民派をやっつける意味は何かというと、ひとつは現職の政治局常務委員は江沢民派に固められていて習近平はどうにもならない。しかし、前任の退職した江沢民はをやっつけることで、現役の江沢民派に脅しをかけているんです。
もうひとつは…ここまでの彼の腐敗撲滅運動がうまくできたのは、おそらく胡錦濤派の後押しがある…胡錦濤はもう十年間ずっと江沢民派にいじめられていたので、自分の代が終わって習近平になってから、今度は習近平と手を組んで徹底的に江沢民派の残党を一掃するという構図です。…狙いを付けてているのは…中国の利権をすべて握っている上海派。ということは鉄道利権は脅かした。軍にはいまメスを入れている。その前に石油派の利権をガチャガチャにした。じゃあ残るのは何か?通信の利権ですよ。だから通信をつぎにやりますよ。…江沢民派の牙城だから。…通信に手を出すときは、たとえばアリババの社長のインサイダー取引(江沢民の孫のファンドがアリババの株を大量に保有)を摘発するとか、そういうところから始めると思う…チャイナモバイルとか、いろいろあるでしょう。ああいうところに、どんどんメスを入れていくというのが始まったらいよいよ最終戦争ですよ。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆支那の権力闘争
さらに、親のコネで、しかも推薦入学した習近平が、民主主義的に選挙で選ばれたわけでもないのにトップに上り詰めるまでの流れもみてみると、こんな感じです♥
「 曽慶紅(そけいこう)国家副主席は2003年ごろ、江沢民を見限って新しいトップリーダーの胡錦濤(こきんとう)にすり寄ったことがあり、江は一時権力中枢から疎外された時期があった。
そのとき、江は習近平が書記を勤める浙江省の省都杭州に滞在したが、この際習自身はもちろんのこと、彭麗媛(ほうれいえん)夫人も江お気に入りの宋祖英を連れて北京からはせ参じ、至れり尽くせりで江の世話をした。
この結果、習近平への心象をさらに良くした江が次期中央指導部の一人に据えようと党内の根回しを始めたようだ。とりわけ、江が将来、中央指導部入りをさせようと考えていた配下の陳良宇上海市書記が、汚職事件の形で胡錦濤に葬られたため、次の若手腹心を必要としていたのだ。
江は陳良宇の後任として習を上海市書記に推薦、将来の最高指導者候補として習を考えていることを多くの幹部に認識させる動きに出た。
太子党ではあるが、「目立ったミスもないが、目立った業績もない」といわれた習近平が中央指導部まで上り詰めたことは最大の謎だったが、香港マスコミは、習夫人の内助の功と江の引きが大きな要因であったことを強調している。
習近平が政治局常務委員会の序列ナンバー6で国家副主席になったとき、香港マスメディアは「習は江の代理人に過ぎない、自らの権力基盤を持たないので脆弱だ。場合によっては(党常務ナンバー7の)李克強に取って代わられるのではないか」との見方もあった。
確かに、共青団出身の胡錦濤は同じ系統の李克強(当時筆頭副首相)に目をかけ、習に対しては江沢民系の人物とみなし、国家主席兼総書記という自らの後継者の地位に就くことを望んでいなかったであろう。
香港情報によれば、①習が上海市から北京の中南海に引っ越してきた際、江が使っていた運転手や家政婦すべてを引き継いで江の機嫌を取ったこと、②2009年秋、国家副主席の習がドイツを訪問した際、メルケル首相にわざわざ江沢民の英文の著書二冊を送ったこと――で、胡は強い不快感を持っていたという。
温家宝(おんかほう)もまた、ずっと政治改革の必要性を強調してきた習が政治局常務委員会入りしたあと、イデオロギー色の強い保守的な発言をし始めたことに腹立たしさを感じたとも伝わっている。
当時、習は胡錦濤、温家宝の両重鎮から“目の敵”にされていたため、頼りは江沢民だけだった。その江沢民と江系幹部が最終的に習を守って、18回党大会で習をトップに押し上げた。そんな恩人の江沢民をその後、習近平が裏切るのだから、権力の世界は冷厳である。
習近平は、2007年の第17回党大会のとき、党中央に隠然たる影響力を保持し続けていた江沢民元国家主席の強い推薦で党中央政治局常務委員会入りした。このとき、国家副主席で党内ナンバー6という地位を確保した習近平は、次の2012年第18回党大会で党中央ヒエラルキーの最高ポストを手に入れることが決まった。
しかし、最高ポストに就いても、自分を押し上げた江沢民という影の実力者がいる。胡錦濤時代の10年間も事実上、江が院政を敷いていて、胡は100%実力を発揮し得たとはいえない。江がいる限り、習も胡と同じような運命をたどることになるだろうと考えていたに相違ない。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆目立ったミスもないが、目立った業績もない凡庸な習近平
ご理解いただけましたでしょうか?
このように、「目立ったミスもないが、目立った業績もない」と言われても、トップに上り詰めた習近平ですが、国家主席になった途端、周知のとおり「目立ったミス」を連発しちゃっています♥

どんどん外堀を埋められていく支那。。。

☆米国防長官が「中国は孤立の長城築いている」と名指しで批判、仲裁裁判所判断の尊重迫る

☆中国「事実無根」と米のテロ報告を非難 「新疆の対策、透明性欠く」批判に反発
楽しみですね♥
続きは次回に♥
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