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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  熊本地震・・・で蠢くパヨク ~ 内田樹と、ドイツ赤軍と、辻元清美。。。

    熊本地震・・・で蠢くパヨク ~ 内田樹と、ドイツ赤軍と、辻元清美。。。

    ウルリケ・マインホフ
    ウルリケ・マリー・マインホフ(Ulrike Marie Meinhof、1934年10月7日 - 1976年5月9日)は、西ドイツのテロリスト、ジャーナリスト。ドイツ赤軍の創設者指導者の一人。1960年代末から70年代初頭にかけてドイツ全土で銀行強盗誘拐爆破テロを行ない、逮捕後、裁判中に獄死した。




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【権威の否定】というのが、【ドイツの戦後教育の最大の課題】だった。

    ポイント

     ドイツでは、1960年代終わりから20年以上にわたって、【ドイツ赤軍のテロ】が続いた。

    驚き顔

    特に、1970年から71年に掛けて、あちこちで爆弾が炸裂し、銀行が襲撃され、警官が殺され政治家や資本家が誘拐され、暗殺され、大資本の企業で働いているという理由だけでごく普通の従業員までが無残にも巻き添えになった

    驚き顔



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     戦後25年も経ったこの時期、ドイツこのような闇の時間があったことは、日本ではあまり知られていない。ちなみに、【ドイツ赤軍という名前は、日本赤軍を真似た】のだという。

    ドイツ赤軍
    ドイツ赤軍

     当時、ドイツ赤軍の敵は多岐にわたっていた。まず「アメリカ帝国主義」それに与(くみ)する資本主義者たち、ナチの残党ドイツの国家権力の具現者(政治家や警察や裁判所)。それらがすべて「ファシスト」として一まとめにされた。

    驚き顔

     一方、このころドイツでは、家庭でも大学でも若者の反抗がクライマックスに達していた。ドイツ赤軍の隠れ家の特定などに思いのほか時間が掛かったのは、実は、若者の間に隠れたシンパが結構いたからではないかとも言われている。

     この時期は、【日本の全共闘世代が戦っていた時期ともちょうど重なっている】

    ポイント

    もちろん、アメリカのヒッピー・ムーブメントの影響も大いに受けていただろう。【ドイツでもアメリカでも日本でも、当時、若者は世界中であらゆる既成の権威を破壊しようと暴れていた】のだ。

    ポイント

    そして、ドイツではそのタガが外れ過激な犯罪に発展するという不幸が起こった。

    驚き顔

    日本はというと、やはりタガが外れかけたが【過激派は最終的には仲間内の粛正に没頭し、自滅の道を辿った】

    ポイント

     ドイツ若者の抵抗運動の根底一番重要なポイントとなったのは、他の国にはなかったものだ。

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    つまりナチの犯罪に対する総括

    ポイント

    【戦後のドイツでは、ナチ時代の権力者の多くがそのまま権力に就いていた】

    驚き顔

    それは、若者にとって胡散臭く虚構に満ちた欺瞞の世界だった。

    ポイント

    彼らはそれに嫌悪感不信感を持ち、自分たちはナチの犯罪に直接の責任がなかったこともあり、その罪の追求に熱中した。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    このドイツ赤軍のテロというのは、今から、約45年ほど前のお話です♥

    いまでも現実に起きているテロリストと同じことを、ドイツの一部の若者(=バカ者)がやっていたんです♥

    その根底にあったのが、「ナチの犯罪に対する総括」だったと著者は書かれています。

    まさに、その通りで、「戦後のドイツでは、ナチ時代の権力者の多くがそのまま権力に就いていた」わけで、ここが私たちの日本と違っています

    私たちの日本では、有能な人々が、GHQの公職追放で職を追われ、そこに「左翼の戦後利得者」が代わって職に就くようになりました♥

    「 占領期間中の「ウォー・ギルド・インフォメーション」は、新聞に「太平洋戦争史」が連載され、戦争そのものが、日本の軍国主義によって煽動されたものだという宣伝によってはじまった。この戦争史によって、大東亜戦争は「太平洋戦争」となり、南京「虐殺」も捏造されたのである。これはあくまで軍部と国民の分裂を工作するというOSSの方針であった。
     NHKはそれに呼応して「真相はこうだ」というラジオ番組を組み、満州事変から終戦までの日本軍国主義の犯罪的行為を、真相として国民に宣伝した。それを担当したのは、OSSの流れをくむGHQ情報局のアメリカ人であった。国民に知らされなかった情報を事実として、ドキュメンタリー風のドラマに仕立て上げた日本国民洗脳プロパガンダを行った。具体的な軍部否定の宣伝だけでなく、社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように情報を仕立て上げていったのである。
     東條首相は悪魔の権化のようになったし、いわゆる「A級戦犯」となった人々はその軍国主義の責任をとらされた。それを批判することも、対抗する情報を流す自由もが制されていたから(それが圧殺されていることさえ、知らされなかった)、多くの国民はそれを信じることになった。
     この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われそれに代わって、いわゆる戦後利得者が公職につき左翼的な言辞をふりまいた。…戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。…

     NHKもそれで完全に左翼化したことは、昭和21年10月5日の「放送スト」にまで発展したことでもわかる。あわてたGHQが、NHK職員を大量にレッド・パージしたのだが遅すぎた。新たな「放送法」をつくり、民間放送の設立を認めたとき、ファイスナーという担当官が《 NHK職員には共産主義者が多く、放送ストをする者もいた。また朝鮮戦争のときにパージされた者も多かった 》からだと述べた。民間放送の認可は、NHKそのものの左翼化を変えられなかったことによるものだと語っていたことになる。NHKに公共放送を独占され、民間放送をつくらせることにより、その独占状態、左翼化を防ごうとした経緯があったのだ。それは、ちょうどアメリカが左翼的なOSSから冷戦に対処するCIAに戦術を転換するときにあたっていた。
     しかし、その後続々とできる民間の放送局も保守的な報道をするわけでもなく、NHKの左翼性、リベラル性を超えるものではなかった。放送界、メディア界に入る人々の意識は戦後民主主義に染まり、あたかも客観的報道と称して、人々を社会主義支持の方向に導いていったのである。その文化運動の先頭にたったのが、放送ではNHKであり、新聞では朝日新聞だった。
     むろん、社会主義国の崩壊、北朝鮮の拉致問題などが、その態度を変えさせた面もある。しかし内実は、リベラルな態度にシフトしただけであった。リベラルとは、権力、権威から独立した自由な態度という曖昧なものだが、権力批判、権威批判の名のもとに、人々を混乱に導いた。フランクフルト学派に由来するこの権威主義批判は、文化面においては素人的凡庸主義を導くことになる。凡庸化があたかも新しい文化のような装いを取るようになる。識見のある権威を否定し、専門家よりも素人を多用するNHKの放送体質は、その理論によるものと思われる。
     それは、むろんNHKにとどまらない。現在の日本の文化面を覆っている素人化、凡庸化の現象はある意味で文化破壊であり、伝統と文化の断絶を意図したものであることを隠している。現代の日本の文壇や論壇を覆っている停滞は、その顕著な傾向によるものである。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように



    民中合作 1

    「 戦後の日本人を洗脳し、劣化させたのは、何もマスコミだけではありません。子供たちに対して、よりダイレクトに「日本人は過去の罪を背負い償うべき」と教え込んだのは、日教組の共産主義、社会主義的な思想に影響された教師たちです。…

     実はまたしてもGHQによる工作活動の影響があります。

     たとえば、日本を大事にしよう伝統的な生き方を大切にしようというような教育者は「公職追放」によって教育現場から追い出されたのですがGHQはこの公職追放を行うにあたり共産党が作成したリストも使用したと言われています。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    遵法精神がない日教組 ~ 法律を守る気がまったくない教職員たち



    で、ドイツでは、ナチ時代の権力者の多くがそのまま権力に就いていたわけで、ドイツ赤軍のようなテロの時代を経て、結果、辿りついた答えが「私たちドイツ人には罪は無い」です♥

    なんと、驚く事に、ドイツ人ナチスやヒトラーだけの戦争責任に転嫁しちゃったんです♥

    ですから、ドイツ人は、「戦争に対する謝罪」なんてしたことが無いんです♥ むしろ、ドイツ人も犠牲者だって言っているぐらいです♥

    「 韓国による反日と日本のリベラル報道の連携をドイツに関して述べましょう。

     敗戦後のドイツの大統領のひとり、ヴァイツゼッカーさんが1985年5月8日に連邦議会で行った演説が「日本と違ってドイツがきちんと戦争責任を認めている名演説」と日本では扱われ、韓国も盛んにこれを利用しています。この演説のなかで「過去に眼を閉ざす者は、そのために未来に対してもまた盲目となる」と述べたのが、名文句とされているのです。 この演説の日は、…別段、名演説とも何とも言われなかったのです。

     なぜか。演説のなかで戦争責任を謝罪するといった言葉は無いからです。

     ところが、日本で朝日新聞がその年の11月に「名演説」として取りあげ、岩波書店の雑誌「世界」も同年11月号で紹介し、岩波書店は翌年にブックレットも出しました。これを韓国がつかまえ「ドイツは反省しているのに日本はしていない」という宣伝に徹底的に利用しています。

     実際は、このヴァイツゼッカー演説では「民族全体に罪があるということではあり得ない」と述べてナチスに戦争責任を押し付ける意志をむしろ明確にしています。さらには「当時、まだ子供だったり、生まれてもいないドイツ人が罪を告白することは不可能だ。自分で手を下すことはできなかったのだから。」とも強調しています。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    ヴァイツゼッカー演説 全文 「実はドイツは謝罪なんかしていません」



    さて、今度は「ドイツ赤軍」のお話です♥

    冒頭でご紹介のウルリケ・マリー・マインホフと、アンドレアス・バーダー、これがテロリスト集団ドイツ赤軍の首謀者です♥

    アンドレアス・バーダー
    アンドレアス・バーダー

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 ドイツ赤軍(ドイツせきぐん、Rote Armee Fraktion, RAF)は、第二次世界大戦後のドイツ(旧西ドイツ)における最も活動的な極左の民兵組織であった。バーダー・マインホフ・グルッペ(Baader-Meinhof-Gruppe)という名義でも活動していた。日本では「ドイツ赤軍」または「西ドイツ赤軍」の呼称が一般的であるが、ドイツ語名の直訳は「赤軍派」であり、各国語の呼称も概ねこれに倣う。

    1970年代から1998年まで活動を行い、20年以上の活動で主なターゲットにしたのは、西ドイツの政府公共施設政府関係者政界関係者法曹関係者西ドイツ大企業とくに軍需産業幹部西ドイツの基地に駐留したアメリカ軍などで、多数の著名ドイツ人を殺害した。

    グループの起源1960年代末の学生運動まで遡る。1967年6月2日にイランのシャー、モハンマド・レザー・パフラヴィーが西ベルリンを訪問したとき、東側の諜報組織の工作を受けて抗議活動は暴動へ変わった


    ポイント

    東側、つまり共産主義・社会主義陣営の諜報組織の工作だったわけです♥

    日本共産党 5

     西ドイツ人の過激派学生と東側の諜報組織に支援された追放ペルシア人による猛烈な抗議の翌日、パフラヴィーはドイッチェ・オペラを訪問した。国王観劇の後、抗議参加者と西ドイツ警察の間に通りかかったドイツ人学生ベンノ・オーネゾルクが警察官カール=ハインツ・クラスによって射殺された。この事件は国内に衝撃を与え学生運動が激化した。

     そして、1968年頃に一部の若者を中心として先鋭化した反帝国主義、反資本主義、反米をスローガンに掲げた極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」が形成された(グループ名は中心となったアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフの二人にちなむ)。

     彼らの政治主張は「反帝国主義」で、暴力も辞さない広範な反体制活動を通じ、西側資本主義を打倒し、マルクス主義による世界革命を目指していた。そのため銀行強盗、爆破、誘拐、窃盗など非合法活動も含めたあらゆる革命行動を行った。バーダーとグドルン・エンスリンは、出入りしていた西ベルリンのヒッピー・コミューン「コムーネ1」のパンフレットに書かれていた「資本主義とブルジョワジーの生活スタイルの象徴であるデパートを客もろとも焼き払うことによって、ベトナムに於いて戦火に逃げ惑う人々と連帯できるのだ」という、前年の6月に起きたブリュッセルでのデパート火災(332人が死亡)にインスパイアされて書かれた詩に触発されて、1968年4月2日、フランクフルトの2つのデパートに放火(死傷者はなし)。その2日後、バーダーらは逮捕され、翌年、3年の刑を言い渡されたが、恩赦を受け、出獄する。連邦憲法裁判所はこの決定を不服とした。翌1970年4月、バーダーは再び逮捕されたが、マインホフの手引きにより脱獄する。

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     1970年5月には日本赤軍に共感してドイツ赤軍と改称。同じようにレバノンのPFLP訓練施設で戦闘訓練を受けた。その結果、ドイツ赤軍は革命活動には、あらゆる武器が使用できた。加えて高度な技術で改良された爆発物も彼らによって製造、使用された。1972年5月には西ドイツ各地で連続15件の爆破行動を起こしたが、この事件をきっかけに中心的メンバーのアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフたちは逮捕され、シュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監される。彼らの逮捕後は内部分裂が進み「赤軍再建組織」「六月二日運動」などに分裂したが相変わらず革命行動を繰り返した。マインホフは1976年に刑務所内で自殺するが、他メンバーは激しい獄中・法廷闘争を繰り広げた。ドイツ赤軍はギュンター・フォン・ドレンクマン西ベルリン高等裁判所長官、ジークフリート・ブーバック西ドイツ連邦検事総長、ユルゲン・ポント ドレスデン銀行会長など、政財界や司法界の重要人物を暗殺した。」


    o-SEALDS-facebook.jpg SEALDs_Emblem_alahgo.png

    で、このドイツ赤軍が共感していたのが日本赤軍です♥

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 日本赤軍(にほんせきぐん)は、中東など海外に拠点を置いて活動を行っていた日本の新左翼系団体国際テロ組織。1971年に共産主義者同盟赤軍派重信房子らが結成し、1970年代から1980年代にかけて多数の無差別テロ事件(日本赤軍事件)を起こした。2001年に解散。アメリカ合衆国国務省の国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、解散したために認定を解除した。」

    重信房子
    重信房子

    「 現在、政府が「集団的自衛権」の一部分を、極めて限定的に行使が可能な体制を築こうとしている。

     冷静に議論を眺めれば、理解できるが、効果的な抑止力を高め、日本の平和をより堅牢なものにすることを目的としている。ところが、この「集団的自衛権」の行使容認が、日本国憲法、とりわけ憲法九条に違反していると、多くの学者たちが反対の声をあげている。たとえば、東京大学名誉教授でフェミニストとして有名な上野千鶴子氏、神戸女学院大学名誉教授…内田樹氏らを発起人とした「安全保障関連法案に反対する学者の会」には、一万三千人もの学者、研究者が参加しているという。」


    安保法制に反対する学者の会
    安保法 学者
    安保法 市民

    詳しくはこちらをご参照

    就活に影響を与えてくれる大学教授 ~ 内田樹の「憲法違反」



    ここで、このヒト。

    内田樹
    内田樹

    こんな発言をしています♥

    「11月11日 

     重信房子が逮捕された。西成のワンルームに逼塞して、高槻のホテルで捕まった。私は日本赤軍という政治党派にいちどとしてシンパシーを感じたことがないけれど、この逮捕には少しだけ心が痛んだ。」


    とほほの日々 内田樹

    高槻といえば、もちろん、コレですね♥

    辻元清美
    辻元清美

    「 辻元清美の内縁の夫である北川明は、第三書館という出版社の社長で北川は昭和50年、スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵。西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終わり、公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意人物
     
     辻元の選挙区は大阪10区(高槻・島本)で、氏の地盤の高槻市はあの赤軍の重信房子が潜伏、逮捕された場所であり 周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い土地である。辻元の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属。(辻本は早大在学中に極左団体と関係していた。)重信房子支援者が勤務していた高槻市の光愛病院の創設者は、日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド)赤軍派の元メンバー光愛病院は、日本赤軍支援グループの拠点、巣窟だった。

     また辻元の内縁の夫、北川が経営する「第三書館」という出版社はマリファナや殺人、テロに関する詳しい書籍など、著しく反社会的な著作を多数出版。辻元の著作5点は「第三書館」から刊行。また、辻元が主催していた頃の「ピースボート」船上では当局の目が届かないのをいい事に参加者間(漫画家の石坂啓ら)で公然とマリファナが吸引されていた。「ピースボート」は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織北川は日本赤軍が移動する際ピースボートに紛れ込んでいた。」

    辻元清美の正体と日本赤軍

    で、「ピースボート」というのが、コレ。

    「 ピースボート(Peace Boat)とは、国際交流を目的として設立された日本の非政府組織(NGO)、もしくは、その団体が主催している船舶旅行の名称である。設立当初はアジアをめぐるクルーズの運営を主体としていたが、1990年以降は世界各地をめぐる「地球一周の船旅」を繰り返し行っている。後に政治家となった辻元清美ら早稲田大学の学生数名が1983年(昭和58年)に設立した。創設メンバーで現在も運営に関わっているのは、吉岡達也のみ。」

    最近は、熊本地震でも「顰蹙(ひんしゅく)」だったことで有名になりましたね♥

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    で、内田樹っていう大学で教授をさせてもらっているヒトが、心が痛んだ「重信房子」の逮捕ですが、ごく普通に生活をしている私たち日本人には、想像もできないことですね♥ 娘さんもゴチャゴチャと言い訳していますが、要するに、重信房子は単なるテロリストでした♥ 重信房子は、ISIS(イスラム国)のテロリストと同じ範疇のモノですから♥





    続きは次回に♥




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