2016-04-20 (Wed)

「南京事件」を報じる朝日新聞 1927年3月27日付朝日新聞夕刊
南京事件(なんきんじけん)は、1927年(昭和2年)3月24日、北伐の途上において蒋介石の国民革命軍の第2軍と第6軍を主力とする江右軍(総指揮・程潜)が南京を占領した際に起きた日本を含む外国領事館と居留民に対する襲撃事件。
☆南京事件 (1927年)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 中国共産党に関連する活動でも、【野坂参三は凄まじい行為を行っています】。

野坂参三
まず一つは、戦時中の中国の延安の「日本工農学校」で、【支那事変で捕まった日本人捕虜に対して、中国共産党のために「日本人洗脳」を手伝っていた】ことです。

これは、アメリカの国立公文書館で発見された【「延安レポート」という文書に明白に載っています】が、野坂参三が中国共産党の毛沢東に会い、日本軍人の士気を落とし、【最終的には支那事変(日中戦争)における日本を意図的に負けさせようと画策】し、作成した「マニュアル」です。

そのマニュアルには、…「戦争を起こした日本軍国主義が悪く、日本人は悪くない」という内容の日本人向けの洗脳方法が書かれていますが、報告された文書は【日本の敗戦後にはGHQがそれを活用し、占領下の戦後日本人の「洗脳工作」の元】になりました。

野坂は日本人捕虜の集まる日本工農学校の校長まで務め、【中国による「日本洗脳」を手伝っていました】。

つまり、【日本共産党幹部の野坂は、まず中国共産党と八路軍に対して、「日本を売った」わけ】です。


もう一つは、【朝日新聞の歴史に残る捏造報道となった「伊藤律架空会見事件」】です。

「伊藤律との会見」を報じた朝日新聞(1950年9月27日付)

伊藤律(いとうりつ)は、【松本清張の『日本の黒い霧』などで「革命を売る男」として取り上げられているので有名】です。

帯には「半藤 一利」の名が。。。
松本清張は特高警察に【尾崎秀実】(おざきほつみ)の情報を漏らし、「ゾルゲ事件」を発覚させてしまった「ユダ」が伊藤である――という推測によって書き上げ、それが既成事実化していましたが、これは【最近の研究によって「事実無根」であることが判明】しています。



【真相は、野坂自身が伊藤を「スパイ」と疑う端緒を作ったことだった】のです。…

伊藤律は戦後、徳田球一(とくだきゅういち)の「右腕」と呼ばれ、共産党の勢力拡大に邁進しますが、GHQの締め付けが厳しくなると、徳田を追うように【中国へ潜行し、中国共産党の日本向け工作機関である「北京機関」に入ります】。

徳田球一
伊藤は、日本国内では「消息不明」ということになっていましたが、死亡説やアメリカ亡命説など様々な憶測が飛び交うほど、当時のメディアを賑わしていました。
伊藤の面倒を見ていた徳田が余命短い重態になり、【伊藤は共産党の後継者争いに巻き込まれます】。ここで起きたのが、先の「伊藤律架空会見事件」です。これは特ダネを取ろうとした朝日新聞の記者が、「兵庫県(武庫川)の山の中で、伊藤律との秘密単独会見に成功した」という内容の「架空会見」を捏造して報道したものです。

実際には東京の某所に潜伏していた伊藤律自身は朝日新聞の記事を見て、「吹き出した」と後に語りましたが、戦後の【朝日新聞は、外国勢力に近い関係者の主張する虚言をそのまま信用する社風がある】らしく、平成26(2014)年には「朝鮮人慰安婦報道」をめぐって、重大な「虚報」を行いました。

その後、伊藤律は、逃亡先の中国では中国共産党の北京機関に合流しますが、その内部における野坂の影響力が拡大していました。昭和27(1952)年には徳田球一は意識不明になり、翌年死亡しました。内部抗争の中で伊藤は追い込まれ、【味方のはずの野坂から「スパイ」の烙印を押された】のです。伊藤は日本共産党を除名され、中国の監獄に監禁されます。


その後、文化大革命終了まで不自由な生活を余儀なくされた伊藤は、昭和55(1980)年に帰国しますが、国内では「尾崎・ゾルゲ事件」で仲間を警察に売った「ユダ」であるとまたもや烙印を押されることとなりました。

ゾルゲ事件

野坂参三理論の欠陥を認める所感を発表する伊藤律(1950年1月12日)
ここでも【「密告」の陰の主役は、野坂だった】のです。』



いかがでしょうか?
野坂参三という裏切り者は、とても有名ですので、良く覚えておいてください♥
ちなみに、現在の日本共産党のトップも、私たちの日本を裏切ったスパイの一族です♥

志位和夫
こちらをご参照♥
↓
☆日本共産党のトンデモなこと ~ 志位和夫の伯父は、ソ連のスパイでした♥
それでは、昨日の続きに入ります♥
私たち日本人は、戦後の教育で、「第二次世界大戦」あるいは「太平洋戦争」という意味不明な言葉で表現された戦争において、ファシズム国家だった、「ヒトラーのドイツ」や「ムッソリーニのイタリア」と手を組み、アジアの国々を侵略し、「民主主義」の連合軍と戦い、そして敗戦、ようやく戦前の体制が崩壊し、「民主主義国家」としての道を歩み始めた、と教え込まれています♥
さて、本当でしょうか?

答えは、もちろん「NO!」です♥
それでは、ご一緒に見て参りましょう♥
20世紀、今から約90年前、第一次世界大戦が終わり、世界の大国は、イギリス、大日本帝国、アメリカ、フランス、イタリアです♥
そして、私たち日本を中心に考えて、この時代の関係を現しますと、このようになります。
大日本帝国(明治時代) VS ソ連(コミンテルン)、アメリカ(左翼ユダヤ)

東アジア 地図 1920年
この頃の支那の状況は、軍閥が割拠する、まだバラバラな状態でした。

1910年代末の軍閥勢力図
それに加えて、北京政府や、中国国民党・孫文の革命政府、中国共産党など、それぞれが勝手し放題という状況です♥
そんな中で、社会主義国家のソ連(コミンテルン)が暗躍し、1924年には、中国共産党と中国国民党による第一次国共合作が成立し、軍閥に対抗するための素地が形成されました。

ヨシフ・スターリン
そして、いよいよ社会主義国家のソ連(コミンテルン)が動きを起こします♥ 1925年、孫文が死亡した直後、上海で「五・三〇事件」が勃発します。「五四運動」では学生主体だったのが、この時、労働者主体の運動へと変化したんです♥
「 排日の内容も時には(時とともに)変化があった。排外運動が排日の形で出たのは当然であるが、その後ソ連の指導する中国共産党が表はれるに従ひ、大正十二年頃から少し雲行きが変わってきた。学生会のリーダーは、英米系の基督教青年会の幹事から、何時の間にか共産主義青年会の幹部となり、排日から反帝国主義運動になったが、英米人は巧く泳ぎ回って、その鉾先を絶えず日本側に向けたのと、支那人の外人崇拝と日本軽視とは、日本人には(排斥運動を)やるが外人には手を着け得なかった。
ただ反基督教運動だけは起こり、英米人経営の学校にストライキが起きたり、奥地にある宣教師が逃げ出したりして、宣教師の活動は振るはなくなったが、彼等の播(ま)いた排日の種子は既に生え、彼等はその任務を果たしたのであった。
共産党が飛び出してから排日運動の中に労働者が加わって来た。それが著しく出たのは大正十四年の五卅事件(ごさんじゅうじけん)の時で、この時にはボイコットと共に労働者のストライキが加わり…日本人に食物も売らず、日本銀行の紙幣を受け取らず、日本船に乗らないといふ所まで行った。
この騒ぎで共産党はまんまと上海の労働者組合を其の手に収めてしまった。
大正十五年の北伐(蒋介石の国民党軍が北方軍閥を倒して支那を統一しようとした内戦)には、国共合作(北伐で国民党軍と共産党軍が手を結んだ)であったため、ソ連と英国の仲の悪い時ではあり、反帝国主義運動の鉾先を先ず英国に向け、武漢に飛び出して来た国民革命軍は口々に「打倒英国」を叫び、武漢政府(汪兆銘の率いる国民党政府)は漢口の英租界を武力で占領した。
すると機を見るに敏なる英国は、あっさりと漢口、九江の英租界を支那に返して反英の気を抜き、今まで(イギリスは)北方軍閥派の討赤連合軍(共産党潰しを狙っていた北方軍閥)を助けていたのを、鮮やかに百八十度転回して、当時江西まで下っていた蒋介石と手を握り、蒋介石に国共分袂(こっきょうぶんべい、蒋介石を説得して、共産党とたもとを分かつこと)の芝居を打たせ、蒋介石の共産党弾圧となり(それまでイギリスを敵視していた共産党を弾圧させるように仕向けた)、ソ連は英国に背負い投げを喰はさるると共に、反英は又排日となり、国民革命軍が南京まで下って来ると、南京の日本領事館の襲撃が行われた。
この蒋と英国の連合は今日(昭和16年時点)まで続いている。同時に排日も抗日から抗戦へと予定のコースを取ってきた。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
中国は、こうして騙されたんです♥
1925年、孫文亡きあと、蒋介石は、広東に中国国民党による政府として「国民政府」を組織します♥

国民政府が使用した中華民国の国旗
そして、いよいよ、「支那」の統一へと動き出します♥

北伐に望む蒋介石
1926年7月1日、国民政府は「北伐宣言」を発表、第1北伐北伐が開始されます。
北伐軍は、北京政府や各地軍閥を圧倒し、1927年、南京・上海を占領しました。

北伐後の中華民国の情勢。藍色の部分は蒋介石率いる南京国民政府の支配が強い領域。ピンクの部分は地方の軍閥の支配が強い領域。
さきほどの「五・三〇事件」に関する記述にもありましたとおり、そもそも、社会主義国家のソ連(コミンテルン)が暗躍し、排日ではなく、英米に対する反帝国主義運動が起こっていたんです♥
そして、中国共産党と中国国民党による第一次国共合作をもとにした、「支那」の統一の動き、それが蒋介石の「北伐」です♥
しかし、ここでイギリスは、蒋介石を裏切らせて、その矛先を中国共産党、そして私たちの日本へと仕向けるようにしたんです♥
そして、起こった事件が、有名な「南京事件」(1927年)でした。
「 戦前派の私達は、南京事件といえば、昭和二年(1927年)三月、蒋介石の北伐中に起きた共産派の(中国人)暴徒による排外暴動を想起する。外国の…領事館や居留民団を襲い、虐殺、暴行、掠奪のかぎりを尽くした事件である。
米・英・仏の軍艦はついに(南京)城内に向けて火蓋を切った。しかるに、わが(日本軍の)駆逐艦は中央(日本国政府)の命により隠忍した。これをいいことに、暴動化した(中国共産派)革命軍は、…(日本の)駆逐艦を射撃し、…(日本人)戦死者を出した。
そのあげく、…12名の水兵が武装解除され、在留邦人は全部暴行、掠奪をうけ、ある者は殺害された。」
「…(日本人)居留民全員は(南京城内の)領事館に収容されたが、この領事館も三回にわたって(中国人)暴徒の襲撃を受けた。
この時の惨状…(在南京日本人)領事が神経痛のため、病臥中をかばう夫人を夫の前で裸体にし、薪炭車に連行して(中国人暴徒)27人が輪姦…30数名の婦女は少女に至るまで凌辱され、…(日本軍の)駆逐艦に収容されて治療を受けた者が10数名もいる。」
「 日本軍は(日本政府の命で)発砲を禁じられて何の抵抗もせず、居留民保護にあたるどころか、簡単に武装解除されて、監禁・暴行される有様であった。反撃なしとみるや、中国兵はますます日本兵に対して狂暴さを増すのみであった。…これが(1927年当時の)日本の平和外交の現実…結果的にはますます中国人に軽侮されるのみ…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆南京事件では中国人暴徒が日本人を襲った♥ 【小学校教員採用試験レベル】
☆南京事件では女性がすべて凌辱されました♥ 【小学校教員採用試験レベル】
☆南京事件での平和外交の現実♥ 【小学校教員採用試験レベル】
弱腰に見える私たち日本、当時の大日本帝国の外交ですが、徹底して「支那」の内乱には関与していないことが、お分かりいただけますでしょうか?ここが、とても大切です。

南京事件の際に、イギリス・アメリカ・フランスは、即座に艦砲射撃をして、有無を言わさず無差別攻撃をしていますね♥
一方、この頃、またもやドイツ(ワイマール共和国)が裏側でコソコソとやっていることがありました。
以下は、Wikipediaの抜粋です。
「 1926年、朱家驊はマックス・バウアーを招いて中国への投資の可能性について会談し、翌年広州を訪れたバウアーに蒋介石の軍事顧問になるよう依頼した。1928年秋、バウアーはドイツに戻り、中国の工業化に協力できる企業と、南京で蒋介石の常任顧問を引き受ける人物を探した。しかし、多くの企業は中国の政局が不安定であるため躊躇し、バウアーも1920年のカップ一揆に加わっていたと疑惑をもたれたことや、また、ドイツの中国への直接軍事協力はヴェルサイユ条約に抵触するとの懸念もあり、招致は困難であったが、約30人の将校とともに、マックス・バウアーは中国に戻り、軍事顧問団を形成した。これ以降、ドイツの最新兵器が中国にもたらされる。バウアーの国民政府への関与は、後の中独協力の基礎となる。」

中独合作

軍事顧問として招かれたマックス・バウワー
長くなりましたので、本日はこの辺りまでといたしまして、本日の最後に「野坂参三」、「日本共産党」に関わる、終戦後の大事件「通化事件」について、関連記事をご紹介させて頂きます♥ ご興味があれば、お読みください。すべて、終戦後のお話です♥
こちらをご参照♥
↓
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その一
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その二
☆破防法調査対象の日本共産党と、終戦後の「通化事件」 その三
続きは次回に♥
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