2016-03-10 (Thu)

イエズス会の紋章
「日本人奴隷」の貿易
16世紀から17世紀にかけての日本は大航海時代を迎えて列強となったポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ諸国から、東南アジアにおける重要な交易相手としてだけでなく植民地維持のための戦略拠点としても重視された。
1560年代以降、ポルトガル商人による奴隷貿易が行われた。1571年には当時の王セバスティアン1世が日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。
1587年(天正15年)7月24日、豊臣秀吉は九州討伐の途上で当時のイエズス会の布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョを呼んで人身売買と宣教師の関わりについて詰問、即日奴隷の売買を含む南蛮貿易の禁止とキリスト教の布教を禁じるバテレン追放令を発布した。
やがて秀吉に変わった徳川家康によって南蛮貿易は朱印状による制限がかかり(朱印船貿易)、さらに鎖国に踏み切ったことで、外国人商人の活動を幕府の監視下で厳密に制限することになった。日本人の海外渡航と外国人の入国も禁止され、日本人が奴隷として輸出されることはほぼ消滅したとされる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 現在では、残虐な植民地支配のことを「未開な野蛮人に対する文明化に過ぎない」などと堂々と主張する人は少ないでしょう。しかし、そのような「文明化」に対する自負のような発言が現在でもなされています。

偉大な英国の首相【サッチャー】は自らの半生を綴った回顧録の中で次のように書いています。

マーガレット・サッチャー
「 私の家族も、ほかの多くの家族と同じように、大英帝国を大いに誇りにしていた。われわれが教えなければ、法も、よい行政も、秩序も知らなかったような土地に、【これらのものをもたらした】のだと感じていた。私は、遠い国々や大陸、そしてこうした土地にわれわれ【イギリス人が与える】ことのできる利益について、すっかり魅せられていた。子供のころ、中央アメリカで未開の部族と過ごした【メソジストの宣教師】から、彼らが書き方を教えるまで書くことを知らなかった部族民の話を聞いて、感心したことがある」
(サッチャー『サッチャー 私の半生』日本経済新聞社)
ここでサッチャーが思い返しているのは、彼女の本音でしょう。恐らく嘘はないはずです。本気で、未開の部族を文明化、啓蒙したイギリス人の物語に陶酔しているのでしょう。

しかし、よく考えてみれば、文字を書くことが、文明の優れている証拠にはなりません。文字をもたない文明が劣っているなどと決めつける根拠などありはしないのです。

【人間はそれぞれの文明の中で、平和に穏やかに暮らしていれば幸せ】なのであり、わざわざ【暴力を伴いながら、侵略し、「啓蒙」「文明化」してもらう必要などない】のです。

恐らく、侵略された多くの人々からすれば、それは「余計なお世話」以外のなにものでもないのです。

「法」や「よい行政」、「秩序」を与えたと誇っていますが、彼らには彼らなりの秩序があり、それを【欧米人が理解できなかっただけの話】でしょう。どちらの文明が優れているとはいえないのです。

レヴィストロース
欧米人が「野蛮人」だと捉える、未開部族の人々の思考方法を研究した人類学者の【レヴィ・ストロース】は次のように指摘しています。
「 われわれが、野蛮人はもっぱら生理的経済的欲求に支配されていると思い込む過ちを犯すとき、われわれは、野蛮人の方も同じ批判をわれわれに向けていることや、また野蛮人にとっては彼らの知識欲の方がわれわれの知識欲より均衡のとれたものだと思われていることに注意していない」 (レヴィ・ストロース『野生の思考』みすず書房)

誰しも自分たちの文明が優れていると思いがちですが、それは単なる思いこみに過ぎないのです。劣った文明圏で暮らしていると決めつけられた人々もまた、自分たちの文明が優れていると感じ、逆に、相手の文明を劣っていると考えるのです。
絶対的、客観的に優れた文明など想定できないというのは、当たり前の話ではないでしょうか。結局のところ、ヨーロッパ文明が優れていたというよりも、その発明した武器が他の文明を圧倒していたということに尽きるのだと思います。
果たして大量殺戮を可能にする兵器を作りだすことが文明的な営みなのか。大量殺戮こそ野蛮だと見做す人々の方が文明的なのか。

我々はもう少し考えてみるべきでしょう。
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さて、実際にアフリカの奴隷貿易に関与した人々も様々な手記を残していますが、その中には、現在では到底考えられないような差別意識、他民族に対する蔑視が明らかにされています。幾つか紹介しておきましょう。

アフリカに於ける奴隷狩りの様子
オランダの商人で奴隷貿易に関与していたウィリアム・ボスマンは次のように指摘しています。
「最初にいっておこう。黒人は十人が十人までがずるがしこく、卑怯で、詐欺師である。めったなことでは信用できない。機会があればいつでもヨーロッパ人をだます。…(略)…黒人というのは悪人に生まれ育ったのかとも思える」
アフリカで仕事に従事した外科医のジェイムズ・フーストンはこう述べています。
「一言ですまそう。かれらの気性は生まれつきひどく残忍で、身勝手で、嘘つきであり、かれらの統治のあり方はおなじように野蛮で文明化されていない。…(略)…彼らの習慣は同じこの地で仲良く暮らしている生き物にそっくりである。つまり猿だ」
黒人は卑怯で詐欺師、悪人、そして一言で言えば、「猿」である。
何ともいいようのない偏見ですが、【人間を人間として扱わない彼らの残虐な偏見が明らかにされた言葉】だといってよいでしょう。

実際に、彼らは、【黒人をはじめとする有色人種を、劣等人種として扱い、人間よりも猿に近い存在として、残虐に扱い続けてきた】のです。こうした偏見に基づいた侵略と植民地政策が世界中を席巻していたのは、恐るべき事実だといわねばなりません。』

いかがでしょうか?
白人のとんでもない勘違いによる偏見によって、おびただしい数の「人間」が被害にあっていた事が、御理解いただけましたでしょうか?
その根っこにあるのが、キリスト教でありユダヤ教です♥
冒頭にご紹介しています通り、私たちの日本が、キリスト教を禁じたのも、鎖国をしてキリスト教徒やユダヤ教徒を遠ざけたのも、日本人を奴隷にされないために行ったことでした♥
ちなみに、奴隷商人は、その多くがユダヤ人です♥
「 16世紀にキリスト教にプロテスタントが出ることによって、カトリックに対する改革運動の中で反動宗教改革として始まったイエズス会が、海外進出を開始しました。それは布教という名をつけた世界侵略が、ヨーロッパに始まったことを意味しています。」
「 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着して、キリスト教を伝えました。それによって、南蛮文化ももたらされ始めました。そして多くの宣教師たちがやって来たのです。オルガンやビードロ、カボチャ、カステラなどポルトガルのさまざまなものがその名とともに、日本に伝わりました。フィリピン、メキシコをはじめとする南米は、すべて布教と同時に侵略がなされてきました。大航海時代のコロンブスが、実はユダヤ人であったということがいわれていますが、ザビエルも、キリスト教に改宗したユダヤ人ではないかといわれています。
ですからユダヤ人が、実は、大航海時代の隠れた主役だということが、隠された歴史的事実として考えられるようになってきました。それだけ今、ユダヤ人の問題が、歴史の中に組み込まれるようになった、あるいは認知されるようになってきたのです。それだけユダヤ人の役割が、世界でも認知されているということです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆イエズス会ってなに? ~ 大航海時代の隠れた主役 ユダヤ人
では、キリスト教宣教師を締め出すために豊臣秀吉が発令した「バテレン追放令」を見てみましょう♥

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
『天正十五年六月十八日付覚』原文
・伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事、
[(自らが)キリスト教徒であることは、その者の思い次第であるべきである。]
・国郡在所を御扶持に被遣候を、其知行中之寺庵百姓已下を心ざしも無之所、押而給人伴天連門徒可成由申、理不尽成候段曲事候事、
[(大名が)国郡の領地を扶持として治めさせているが、その領地内の寺や百姓などたちにその気がなかったのに、大名がキリスト教徒になることを強いるのは、道理が通らずけしからんことだ。]
・其国郡知行之義、給人被下候事ハ当座之義ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不尽之義何かに付て於有之ハ、給人を曲事可被仰出候間、可成其意候事。
[大名がその国郡を治めることについて、大名に命じているのは一時的なことなので、大名が交代することはあっても、百姓は交代するものではないので、道理が通らないことはなにかしらあることで、大名がけしからんことを言い出せば、(百姓を)その意のままにできてしまう]
・弐百町ニ三千貫より上之者、伴天連ニ成候に於いてハ、奉得公儀御意次第ニ成可申候事、
[(知行地が)200町、3000貫以上の大名は、キリスト教徒になるには、朝廷や幕府に報告をし、その思し召しの通りにできることとする]
・右の知行より下を取候者ハ、八宗九宗之義候條、其主一人宛ハ心次第可成事、
[知行地がこれより少ない者は、八宗九宗などのような宗教上のことだから、その本人の思い次第であってよい]
・伴天連門徒之儀ハ一向宗よりも外ニ申合候由、被聞召候、一向宗其国郡ニ寺内をして給人へ年貢を不成並加賀一国門徒ニ成・候而国主之富樫を追出、一向衆之坊主もとへ令知行、其上越前迄取候而、天下之さはりニ成候儀、無其隠候事。
[キリスト教徒については、一向宗以上に示し合わせることがあると、そう聞いているのだが、一向宗はその国郡を寺領(寺内町)を置いて大名への年貢を納めないだけでなく、加賀国を全てを一向宗にしてしまい、大名の富樫氏を追放し、一向宗の僧侶に治めることを命じ、そればかりかさせ越前国までも取ろうとし、治天下の障害になっていることは、もう隠しようがない事実だ]
・本願寺門徒其坊主、天満ニ寺を立させ、雖免置候、寺内ニ如前々ニは不被仰付事、
[本願寺の僧侶には、天満の地に寺を置く(=天満本願寺)ことを許しているが、この(一向宗の)寺領のようなものは以前から許したことはない]
・国郡又ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒押付成候事ハ、本願寺門徒之寺内を立て候よりも不可然義候間、天下之さわり可成候條、其分別無之者ハ可被加御成敗候事、
[国郡や領地をもつ大名が、その家臣達をキリスト教徒にさせようとすることは、本願寺の宗徒が寺領を置くことよりもありえないことであるから、治天下の障害となるので、その常識がわからないような者には処罰ができることとする]
・伴天連門徒心ざし次第ニ下々成候義ハ、八宗九宗之儀候間不苦事、
[(大名などよりも)下の身分の者が思いのままにキリスト教徒になることについては八宗九宗と同じで問題にならない。]
・大唐、南蛮、高麗江日本仁を売遣侯事曲事、付、日本ニおゐて人の売買停止の事。
[中国、南蛮、朝鮮半島に日本人を売ることはけしからんことである。そこで、日本では人の売買を禁止する]
・牛馬ヲ売買、ころし食事、是又可為曲事事。
[ウシやウマを売買して食べることは、これもまたけしからんことである]
右條々堅被停止畢、若違犯之族有之は忽可被処厳科者也、
[ことごとくこれらの条文で固く禁止し、もし違犯する連中があればすぐに厳罰に処する]
天正十五年六月十八日
[以上 天正15年(1587年)6月18日]
いかがでしょうか?
非常に、まともな命令だと思われませんでしょうか♥
最後に、こちらのブログをご紹介させて頂きます♥
↓
☆世界消息:そのときわたしは
一部抜粋を載せておきますので、御関心があれば、訪ねてみてください♥
大西洋奴隷ルートの旅:ガーナ
アフリカ系アメリカ人、たとえばウィル・スミスを見て「この人は奴隷の子孫だ」とは普通思わない。アメリカ生まれという出自のさらに先を想像することはない。しかしその祖父や曽祖父の代まで遡れば、奴隷時代の生々しい話に取り囲まれるはずだ。著者によると、アメリカでは奴隷制について、公の場ではもちろん家族間でも話されることは稀だと言う。
わたしは見知らぬ人々を探しに、ガーナにやって来た。最初は1996年の夏、海岸沿いに身を潜めるいくつもの奴隷要塞を訪ねての旅だった。次はフルブライト奨学金を得て、1997年秋から一年間、ガーナ国立博物館に研究者として滞在した。ガーナを選んだ理由は、どこよりもわたしの目的に適っていたから。自分の祖先の村を探しに来たわけではない。奴隷たちの当時のバラクーン(収容所)を見たかったのだ。奴隷制を研究する学者として、また奴隷を祖先にもつ人間として、死者の魂をなんとか取り戻したかった。人身売買の中で自己を消し去られた者たちの「生」を蘇らせたかった。
わたしは過去を引き寄せたかった。当時の恐ろしい記憶が今も人を震え上がらせ、その命が宙ぶらりんのまま放置されていることを知っていたから。奴隷制は人を秤にかけ、命の序列決め、人間の価値を乱暴に振り分けた。
奴隷制が今も、アメリカ黒人運動の中で取り上げられるとすれば、それは過去のできごとへの執着や耐え難い記憶から抜け出せないためではない。黒人の命が今も危機にさらされているからだ。何世紀も変わることのない人種に対する偏見や政治判断により、価値を下げられているからだ。これが奴隷制の行き着いた先なのだ。人生をゆがめられ、医療や教育を受ける機会すら正当に与えられない。早すぎる死を迎え、投獄や貧困に追いやられる。奴隷制の行き着いた先、そこにわたし自身も立っている。・・・

1688年のエルミナ城。この城砦から多くの奴隷が南北アメリカ大陸に連行されていった。
奴隷の家族を所有したり、子を産ませた白人の男たちは、幻のような存在だった。まるでわたしたち奴隷一族が呪文で呼び出した産物であるかのように。彼らは調査検閲の圧迫を逃れるため、姿を消そうとした。白人たちの名前は、奴隷の名でもあるから忘れはしないが、39回の鞭打ちの刑や競売場で父の名を暴かれることを恐れるように、奴隷たちは恐る恐る主人の名を告げた。
叔母のローラは折に触れ「ボネール島(カリブ海南部の島)出身のドイツ人」(わたしたちの影の先祖の一人でもある男)の話をしてくれた。ローラ叔母さんはすべてを進んで話してくれた。過去のことは葬るのが一番と信じ、奴隷の子に無関心な父親ややっかいな家系、恥につながるだけの逸話になると、口を堅くとじてしまうベアトリス叔母さんとは違い、ローラは道理を超えた事実の詳細をあれやこれやと話してくれた。納戸にしまわれた話を外に持ち出し、わたしたちの家系を生んだスキャンダルの一つ一つを説明してくれた。ローラ叔母さんをひるませるものは何もなかったので、他の親族たちがタブーと思っている家族の情報を得たいと思ったら、わたしが聞きに行くのは彼女をおいてなかった。
ローラ叔母さんの話には、アフリカから大西洋を渡ってきた者のエピソードはなかった。一つの逸話もだ。フレデリック・ダグラス(奴隷制廃止運動家の元奴隷、1818年 - 1895年)が言うように、「奴隷の間では、家系の広がりはなかった」のだ。わたしの家族も同様だ、過去は謎のままだった。話は遠縁の白人の男たち、不明になっている黒人の父親、父権についてのウソや秘密、辿れない家系の流れといったものに集約された。叔母さんはときどき、ウィルヘルム・ハートマンとかレイナー・ヘルマンの名を口にした。「ヘルマンはケチなろくでなしだった。女たちはみんなそう言っていたよ」といった人物評も加えて。
わたしの家系については、アル中に金持ち商人、無感情な後見人といったバラバラの寄せ集め情報ばかり。わずかな情報しかなく、先祖についての話はすべて大雑把なものだ。どれだけ話を膨らませようとしても、「奴隷は家系をもたない」、この真実から逃れることはできない。「捕獲された奴隷」は、父ではなく主人の配下にあり、子は後継者ではなく、ただの産物となる。
奴隷についての昔ながらの話。白髪交じりの紳士が奴隷制度の誘惑に身をまかせ、哀れな黒い肌の女は「男の欲望に身を捧げる」。農園主とめかけである奴隷の「夫婦」の物語。あるいは尊敬できる立派な父親ではなく、主人である父に冒涜されるという悲惨な話。こういった新世界アメリカの痛ましい男女の物語を、誰が正常だと思うだろう。よく聞く話ではないか。がつがつした雇い主たち、無責任な主人たちと犯された母たちの血統をかき混ぜた、暗く濁った物語。
『まがい物』とは、オランダ人が混血の子を呼んだ言葉である。混血であることと同時に、婚外の子であることもほのめかしている。白人の主人たちは、まがい物を「息子」とか「娘」とは口が裂けても呼べなかったはずだ。それでもこのウソの家長たちは、名前をつけたという理由だけで、わたしたちのボロボロの家系の中の誰よりも、その子たちには目をかけた。・・・
続きは次回に♥
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