FC2ブログ

    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  大東亜戦争 >  昭和天皇が見抜かれていた大東亜戦争の遠因 ~ クリスチャンによる非道な人種差別

    昭和天皇が見抜かれていた大東亜戦争の遠因 ~ クリスチャンによる非道な人種差別

    51DAXZuRGrL__SX351_BO1,204,203,200_
    外交問題評議会(がいこうもんだいひょうぎかい、Council on Foreign Relations)は、アメリカ合衆国のシンクタンクを含む超党派組織。略称はCFR

    1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われている。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる。本部所在地はニューヨーク。会員はアメリカ政府関係者、公的機関、議会、国際金融機関、大企業、大学、コンサルティング・ファーム等に多数存在する。知名度が高く、影響力が大きいことで知られる。
    評議会員の主張の多くは、外交問題評議会の「凝縮された政策提言」への叩き台に使われるケースが多いとする意見がある。また、『フォーリン・アフェアーズ』には米国の重要な外交案件が示されるとする意見がある。

    外交問題評議会の起源は、ウッドロウ・ウィルソン大統領の外交ブレーンだったエドワード・マンデル・ハウス大佐が主宰した「大調査(Inquiry)」グループに求められる。同グループは1917年から1918年にかけて第一次世界大戦後の戦後国際秩序を検討するため、国務省とは別個に招集された知識人グループであり、ウォルター・リップマンが参加したことでも知られる。

    「大調査」グループはその一部がヴェルサイユ講和会議にも随員として加わり、講和会議に参加していた英国の外交官、研究者らと意気投合した。米英両国の人士は1919年5月30日、講和実現後もその知的交流を継続させるため米英両国共同の国際問題研究機関を設置し、ニューヨークとロンドンにそれぞれの支部を設置することで同意した。

    英国側は翌1920年に王立国際問題研究所としてこの組織を早々に樹立するが、米国側では資金難からその設立が難航、ようやく1921年2月3日に「大調査」グループと、1918年6月に設立され、実業家、国際弁護士らが主宰していた資金力豊富なサロン「外交問題評議会」の合流が合意され、同年7月29日に評議会の名が残されて現在の外交問題評議会が総勢75名で発足することとなった。初代議長にはサロン時代の会長を務めていた元国務長官エリフ・ルートを迎えている。なお、この設立の際にメンバーは「米国市民に限るべき」という議論が旧外交問題評議会会員達から上がったことから、王立国際問題研究所とは袂を分かつこととなる。現在も会員は合衆国市民と永住権獲得者に限定されている





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 人種差別と大東亜戦争との関係を考える際に、極めて重要なのが昭和天皇の御指摘です。

    昭和天皇 (2)

     昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように御指摘なさっております。

    「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后(ご)の平和条約の内容に伏在している。【日本の主張した人種平等案】は列国の容認する処とならず、【黄白の差別感は依然残存】し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然(またしか)りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」(『昭和天皇独白録』文藝春秋)

    旭日旗の小旗を持つ迪宮裕仁親王(幼少期の昭和天皇)、1902年(明治35年)
    旭日旗の小旗を持つ迪宮裕仁親王(幼少期の昭和天皇)、1902年(明治35年)

     昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦後の平和条約、すなわちヴェルサイユ条約の中に存在していることを指摘しています。そして、国際連盟設立の際に【日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」】についても語っているのです。さらに、アメリカのカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及しているのです。

    悩む女の子2

     ここで昭和天皇が指摘しているのは、一言でいえば「人種差別」の問題です。

    驚き顔

    昭和天皇「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因であったと指摘しているのです。

    ポイント

     大東亜戦争人種差別

     何故に、大東亜戦争人種差別と深く関わっているのでしょうか。

    悩む女の子2

    それは、【大東亜戦争が、「人種平等」という理念を掲げた戦争であったから】です。

    ポイント

    「侵略戦争」というイメージが先行する大東亜戦争ですが、【当時の日本人が掲げた大義は「人種平等」の理念だった】のです。

    ポイント

    本書ではこの問題を中心取り上げ、日本人が大東亜戦争で掲げていた大義そのものを検討していきたいと思います。

     日本人が明治維新を成し遂げ、日本の近代化を急いだ理由はどこにあったのでしょうか。

    悩む女の子2

     それは、【日本を植民地にしてはならぬという熱烈な愛国心】からでした。当時、世界は帝国主義時代にありました。欧米列強は、アジア、アフリカのほとんどの国を植民地にし非人道的で過酷な植民地支配を行っていました。…文字通り血も涙もない残虐な支配が行われていたのです。

    世界の植民地化の流れ
    世界の植民地化の流れ

     人間を肌の色で差別して、人間として扱わないそれが人種差別の構造です。同じ人間でありながら、対等の人間として扱われず、まるで劣った生物であるかのような扱いを受けるのです。

     世界中白人による有色人種に対する人種差別が行われていました。それが近代世界の悲しい側面でした。

    驚き顔

     世界のほとんど白人たちに支配される中、独自の力で近代化を成し遂げ独立国であり続けるこれが【近代日本の基本的な目的】でした。

    ポイント

     日本を絶対に植民地にしてはならないというのが、維新の志士たちの共通認識でした。

    福沢諭吉
    福沢諭吉

    福沢諭吉「独立自尊」の重要性を指摘しましたが、まさに「独立自尊」とは、明治維新以降の近代日本を貫く精神に他ならなかったのです。日本を決して植民地にしてはならないという意識、逆にいえば、一度選択を誤れば植民地にされかねないという危機意識【大東亜戦争開戦に到るまで、多くの日本人は、そうした危機意識を抱いていた】のです。

    日本人捕虜
    白人による日本兵捕虜の扱い方の一例

     考えてみれば、明治維新とは、実に不思議な「革命」でした。通常の革命は、特権階級に対して、被支配者が立ち上がるものですが、明治維新では、自分たちが特権階級に所属する武士たちが自分たちの特権を捨てるために敢行した奇妙な「革命」だったのです。

    驚き 2

     モーリス・パンゲは明治維新について、次のような的確な指摘をしています。

    日本の武家特権階級は他の階級の刃によって倒されるのではなかった。外国の圧力の前に、彼らはみずから革命のイニシアチブを取りそのためにみずからを消すという代償を払う(モーリス・パンゲ『自死の日本史』講談社学術文庫)

    41jVyId7ZUL__SX339_BO1,204,203,200_



     武士たちが武士の特権階級を自ら擲(なげう)ち、まるで自己否定するかのように近代化に邁進していったのは、独立自尊の精神の発露以外のなにものでもありませんでした。

     日本を植民地にしてはならない

     日本人が奴隷のように扱われるようなことがあってはならない

     我々の誇りを守るために多大な犠牲を払いながら、大急ぎで近代化を進めた。

     それが明治維新以降の日本の歩みでした。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    昭和天皇は、大東亜戦争の原因は、「遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している」と明言なされています。つまり、大東亜戦争の原因は、「ヴェルサイユ条約」にあると見抜かれているんです♥

    ヴェルサイユ条約は、1919年6月28日に、フランスのヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦における連合国とドイツの間で締結された講和条約のことです。

    『ヴェルサイユ宮殿、鏡の間における講和条約調印、1919年6月28日』。作・ウィリアム・オルペン
    『ヴェルサイユ宮殿、鏡の間における講和条約調印』 ウィリアム・オルペン

    この講和条約をめぐる会議で、私たち日本は人類史上初めて「人種差別撤廃」を唱えていました

    ところが、そこには邪魔者がいました。。。それが、アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソン(民主党、プロテスタント、進歩主義者)です♥

    ウッドロー・ウィルソン
    トーマス・ウッドロウ・ウィルソン

    「 ところで、「アメリカが嫌い!」という日本人に限って、「ウィルソンが嫌い!」、ましてや「許せない!」という人を聞いたことがありません。これほど日本にひどい仕打ちをしたアメリカ人はいないというのに。そもそもウィルソンが誰だか知らないのでしょうか。どうやら歴史教育に問題があるようです。…
     はっきり断言しましょう現在に至る全人類の不幸はウッドロー・ウィルソンが根源です。」

    「 フロイトによれば、自分をキリストだと勘違いしていたのがウィルソンで、戦争に中立を保つか介入するかなど、すべての重要政策は「自分がキリストとして活躍できるか否か」だけで判断したというのです。日英仏のような関係国にとっては、訳のわからない奇麗事を言いながら国際秩序をかく乱するだけのトラブルメーカーです。それでいて、アメリカ大陸の弱小国に対しては帝国主義的な姿勢をむき出しにするから始末に負えません。
     まず、ウィルソン初期の対外政策は、中米諸国への軍事介入を繰り返しています。やっていることは保安官のギャング退治そのものです。ハイチやキューバといった国、とも呼べないような弱小国には問答無用で兵を送り、そして、ヨーロッパ諸国に対しては「モンロー主義」「アメリカ大陸のことはアメリカが決める」と一方的に宣言します。バルカン半島の緊張でそれどころではない欧州諸国は聞き流します。」

    「 この時のアメリカは世界第三位の経済大国です。国際法の中立規定など無視して第一次世界大戦参戦各国に大量の武器や物資を売りつけ、さらに英仏など連合国に多額の戦費を貸し付け「国家丸ごと死の商人」のように振る舞います。それでいながら、連合国とドイツ率いる同盟国の双方に「勝利なき平和」、つまり「喧嘩をやめようよ」と訴えていたのですから、大したツラの皮の厚さです。
     さらに戦争に疲れ果てたドイツが和議を申し出たときは「帝政をやめて共和国になれ」と、「勝利なき平和」どころか憲法改変まで要求しています。この場合の憲法改変とは「別の国に生まれ変わってこい」という意味です。これでは無条件降伏要求と同じです。ドイツは絶望的な(つまりヤケクソな)抵抗を続けます。
     そしてアメリカは1917年に大戦に参戦します。ドイツが「無制限潜水艦作戦」と称して、中立国であるアメリカの商船を撃沈したことへの抗議だと説明されます。しかし、戦争当事国に武器や物質を売ることこそ戦争加担行為で国際法違反です。中立国のアメリカを敵に回したくないので容認してきたドイツがとうとう堪えきれなくなって直接行動に出たというのが真相です。…」

    「 さて、連合国は戦争で崩壊した戦後の秩序をどうするかを話し合うために集まります。中心は、英仏米伊日の五大国です。ここでウィルソンは有名な「十四カ条」を宣言します。その主な内容は、「秘密外交の廃止」「航海の自由」「民族自決」「バルカン半島と中東秩序構築」です。日本人はこれだけ聞くと何が問題なのだろう、と思うでしょう。ところが当時の世界の人々にとっては、これは綺麗事どころか紛争要因だと一目でわかる危険な内容なのです。…
     第一に「秘密外交の廃止」とは、大戦中に英仏伊日など主要国が結んだ約束を全部チャラにして、アメリカの要求に従って一から話し合いをやり直せという意味です。当たり前ですが英仏は激怒したので会議がもめにもめました。
     第二に「航海の自由」とは、七つの海を支配する大英帝国の縄張りをアメリカは無視して自由に航海させろとの意味です。ついでに海軍大国である日本への挑戦状でもあります。…大戦中にカナダから地中海までの広大な地域を守ったのは帝国海軍です。
     日本の前ではドイツ海軍など海の藻屑でした。だからウィルソンが何を言おうが無視して終了です。これは欧州の問題と違い、日本の国益にかかわることなので、受け付けません。日英vs.米の構図が鮮明になり、遺恨となります。
     第三に、「民族自決」とは、それまで世界中の「帝国」において少数民族として扱われてきた人々に、その意志と能力があるなら主権を持たせよう、という意味です。…
     大日本帝国では台湾人はこれを無視しましたが、朝鮮人が本気にして呼応し、三・一独立運動を起こします。半植民地の中華民国でも五・四運動が起きます。ウィルソンの支援に勇気を得た中華ナショナリズム民族主義者は日本や英国などに見境なく喧嘩を売り始めます。世界中に植民地を抱える英国などは対応で必死になり、かえって民族弾圧を強めたりします。ウィルソンの主張大英帝国の覇権に挑戦状をたたきつけ、ついでに日本にも喧嘩を売るという危険な内容だったのです。
     第四に、「バルカン半島と中東の新秩序構築」とは、「ハプスブルク帝国は八つ裂き」「オスマン・トルコ帝国は抹殺」の意です。この両国から20もの国が独立していきました。現在ではこの両国の旧版図に50もの国がひしめきあっています。…
     結局、ウィルソンの綺麗事世界中の過激派を狂喜乱舞させただけでした。

     極めつきがソ連邦の出現です。1917年、レーニンがロシアを暴力で乗っ取ってソ連という国を打ちたてます。レーニンの主張は、「世界中の政府を暴力で転覆せよ。そしてすべての金持ちを殺すのだ。そうすれば人類の思想郷が誕生する」です。これを「世界同時革命」と言います。危険極まりありません。

     英仏などは、こんな危険な主張をし、実際にロシアでその通りのことをやったレーニンを叩き潰そうとします。こうしてロシア革命干渉戦争が始まります。同盟国である日本へも出兵要請をします。西から英仏が、東から日本が攻め込めば、十分に勝機があったからです。
     ところが、これに待ったをかけたのがウィルソンです。「我が国は出兵しない」「いや出兵するから日本も協力せよ」「やはり日本の領土的野心が疑わしいので、兵力の上限は七万二千人とせよ」などと、次から次へと言を翻し、しかもそのすべてが意味不明なのです。
     これでは、ウィルソンの対ソ外交はレーニンへの側面支援としか言いようがあません。…日本はウィルソンの気まぐれに付き合った挙げ句に延々と鬼ごっこのような無益な戦いを繰り返します。これが、干渉戦争における極東戦線の実態でした(シベリア出兵という)。こうして、建国当初の危機を乗り切ったソ連は、まんまと生き残りに成功したのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    バナナ戦争とウッドロー・ウィルソン



    「 この500年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色民族の国を植民地支配した壮大なドラマでした。その中にあって、日本は前例のない国でした。第一次世界大戦の後のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を提案したのです。

     会議では各国首脳が、国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制づくりについて協議しました。人種差別撤廃提案が提出されると、白豪主義のオーストラリアのヒューズ首相は、署名を拒否して帰国するといって退室しました。議長であるアメリカのウィルソン大統領は、本件は平静に取り扱うべき問題だと言って日本に提案の撤回を求めました。…日本代表団の牧野伸顕男爵は、ウィルソン議長に従わず採決を求めたのです。イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアなどが反対しましたが、出席16ヶ国中11ヶ国の小国が賛成し、圧倒的多数で可決されました。
     しかしウィルソン大統領は「全会一致でない」として、この採決を無効としました。牧野は多数決での採決を求めました…人種差別撤廃提案が11対5の圧倒的多数で可決されたにもかかわらず、ウィルソン大統領はこの議決を葬りました。今日の文明世界では、あり得ないことです。…日本人も白人ではなく有色民族です。同じ有色民族として誇りある日本人は白人の有色民族への暴虐を看過する事ができなかったのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    キリスト教国による『壮大なドラマ』♥



    さて、ここでアメリカ民主党大統領のウッドロー・ウィルソンがやったことを概観してみますと、私たち日本が唱えた「人種差別撤廃」案を賛成多数であるにもかかわらず握りつぶしてしまいました共犯者は、白豪主義を掲げ、先住民のアボリジニを家畜のように扱ったオーストラリアです♥

    白豪主義
    白豪主義

    アメリカでは、ウィル・ブラウンという黒人リンチのうえ焼き殺されたりしていました「人種差別」以外の何物でもありませんね♥

    Omaha_courthouse_lynching.jpg
    レッドサマーでリンチして焼き殺したアフリカ系アメリカ人のウィル・ブラウンを囲んで記念撮影する白人(1919年)

    そして、もう一つ大事なことが、ユダヤ人によるロシア革命によってできた、ユダヤ人による社会主義国家「ソ連」を、徹底的に褒め称え、そして擁護したという事実です♥

    1936年のロシアの領土変更後におけるソビエト連邦の一部としてのロシアSFSR
    1936年のロシアの領土変更後におけるソビエト連邦の一部としてのロシアSFSR

    「 第二次世界大戦前、ソ連は日米英独の四大国を敵に回し、いつ滅びてもおかしくない状態でした。ところが、スターリンという指導者は日米と英独の戦争を煽りに煽り、共倒れのようなつぶし合いをさせて見事に生き残りました。」

    詳しくはこちらをご参照♥

    どうして日本とアメリカが。。。



    こちらもご参照♥

    日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」



    詳しくは別の機会にさせて頂きますが、実は、このアメリカ民主党大統領のウッドロー・ウィルソン側近の人物が、非常に重要な役割を果たしていました♥

    それが、社会主義者エドワード・マンデル・ハウスです♥ 冒頭でご紹介しています「外交問題評議会」の根っこにいた人物です♥

    外交誌『フォーリン・アフェアーズ』は、毎号欠かさず読んでいますが、最新号では、【中国経済のメルトダウンは近い】なんて記事も載っています♥ 非常に左翼的で攻撃的、かつ断定的な論調が多いですが、世界の左巻き連中(日本の左巻きとは異なりますw)が、今何を考えているかっていう裏読みには最適です♥

    で、そのエドワード・マンデル・ハウス、彼こそ、左翼・社会主義ユダヤ人らへと繋がる重要人物だったんです♥

    エドワード・マンデル・ハウス
    エドワード・マンデル・ハウス


    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事

    コメント






    管理者にだけ表示を許可する