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     >  日本 >  日本共産党のトンデモなこと ~ 志位和夫の伯父は、ソ連のスパイでした♥

    日本共産党のトンデモなこと ~ 志位和夫の伯父は、ソ連のスパイでした♥

    日本共産党
    外国勢力がつくり利用する日本共産党

    志位 正人(しい まさと、1889年10月22日 - 1945年5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は砲兵。

    (親族)
    二男 :  志位正二(陸軍少佐)
    五男 :  志位明義日本共産党船橋市議会議員)
    孫   :  志位和夫(衆議院議員、日本共産党委員長、志位明義の息子

    志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
     終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける
     1948年11月、シベリアより復員。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた。1950年6月、GHQの取調べを受ける
     1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる。1953年11月、外務省アジア局調査員となるが「二重スパイ」の活動は継続した。

    その後

     ユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた。その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラスDC-8型機の機内で死去した。日本共産党の志位和夫は甥にあたる。







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 今日の日本には、いくつかの野党がありますが、【反日左翼と言っても過言ではない野党】もあります。

    福島瑞穂こと工作員 趙春花 2
    福島瑞穂こと工作員 趙春花

     なかでも【「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」は、今でも警察庁の監視下にある組織】ですが、【過去に何をやってきた政党なのかということを、多くの日本人が忘れている】と思います。

    日本共産党
    今でも警察庁の監視下にある日本共産党

    ポイント

     彼らは戦後になって、「あの戦争に反対した唯一の政党」などと言っていますが、これは【大ウソ】であり、詰まるところは【日本を弱体化させ、ソ連赤軍を日本に上陸占領させるために様々な地下工作活動をしていた】のです。

    驚き 4

    悪名高い【「治安維持法」は、もともと、日本共産党によるテロ行為の取り締まりを強化する目的で制定された法律】です。

    驚き 2

    【最近では「護憲派政党」などと勘違いしている人も多い】ようですが、それはあまりにも不勉強すぎます。

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    こちらもご参照♥

    憲法九条 ~ 日本共産党が徹底的に反対したもの



    【共産党が守りたい日本国憲法の条文は、第九条だけ】です。

    驚き5

     【有名な共産党の幹部に、野坂参三(のさかさんぞう)という人物】がいます。

    野坂参三 共産党
    野坂参三

    1993年に101歳で大往生を遂げた野坂は、晩年には【親交のあった黒柳徹子】さんの番組や、NHKの番組にも出演するなど、良心的な人物という印象を与えていましたが、もともとは【日本という国家を打倒するために、ソ連でスパイ教育を受けた秘密工作員】でした。

    こちらもご参照♥

    近衛上奏  あの有名な慶應義塾大学と「日本共産党」の共通点 ~ 野坂 参三 (支那名:岡野進)



     野坂は最初、戦前日本にあった【キリスト教系の労働団体「友愛会」】からイギリスに派遣され、【イギリス共産党に入党】しており、そこから日本を経由して【ソ連に密航】

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    戦争が始まる前には【アメリカにも入国】していたと言われています。その後、【中国共産党と合流】して日本軍兵士に対する脱走勧告などを行い、【戦後はGHQによって府中刑務所から「解放」された徳田球一らと日本共産党を再建】し、衆議院議員となります。

    こちらもご参照♥

    国家総動員、総力戦、徹底抗戦、本土決戦を主張していたのは、共産主義者です



     その間に野坂は、【日本国憲法の草案作成を指揮したGHQ民政局次長のチャールズ・L・ケーディスと懇意】になっているのですが、【このケーディスという人物はCIAの前身であるOSSの要員】でもありました。

    ケーディス
    ケーディス

    こちらもご参照♥

    22歳の左翼ユダヤ人女子学生がつくったもの



     こうして見てみると、【戦後の日本共産党がどういう人々と繋がってきたのかということがよくわかります】が、その流れと意向を汲む【日弁連が「外国勢力」と結託し、海外での反日活動を煽ってきた源流】は、まさにこういった部分にあるのだということがわかります。

    日弁連

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    画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 怒れ日本人! 国連は反日左翼の巣窟だ。テキサス親父が国連で実態報告。

     今日でも【共産党の根本はまったく変わっていません】

    ポイント

    慰安婦問題では韓国を訪れて反日活動を煽るなど、【教科書的な基本的反日活動を地道に続けている組織】ですが、そもそも、【現在の委員長の志位和夫氏のおじの志位正二(しいまさつぐ)陸軍少佐も、かつてはソ連のスパイ】でした。

    志位和夫
    ソ連のスパイの甥 志位和夫(日本共産党委員長)

    驚き 4

     志位少佐は戦後、シベリアに抑留されますが、そこで【ソ連の特殊工作員として訓練】を受け【ユーリー・ラストボロフという名のKGB中佐の協力者として日本に帰国】します。

    驚き 4

    帰国後は、GHQ参謀第二部で何食わぬ顔をしながら勤務し、日本の自衛隊創設に関する情報をラストボロフに流していたのですが、やがて、当の【ラストボロフ自身がアメリカに亡命】したことをきっかけに、身に危険を覚えたために【警視庁に出頭、自らがスパイであったことを自白】しました。

    驚き 4

     ラストボロフは後にアメリカで、【日本人36人を協力者として使っていた】と証言しましたが、そのなかには【志位元少佐以外にも、外務省欧米局や国際協力局、経済局などに勤務する外務官僚らも含まれており、うち一人は取り調べ中に窓から飛び降り自殺した】そうです。

    驚き 4

     一方の【志位元少佐は、警視庁出頭の後、しばらくして石油会社の役員となったのですが、1973年、シベリア上空を飛行中の日本航空の機内で突然死】しました。断っておきますが、これは小説や映画の話ではありません。

    日本共産党
    アメリカがつくり、アメリカが利用する日本共産党

     このように、長年、【外国のスパイ勢力と結託することで生存してきた日本共産党】が、今日でもなお、日本の合法的な野党として活動しているということ自体、連邦法で共産党活動が禁止されているアメリカ合衆国の弁護士としての目線で見ると、【あまりにも異常】としか言えません。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    日本共産党の正体が御理解いただけましたでしょうか♥

    私たちの日本は、早く法律で、この日本共産党なる団体を解散させなければいけませんね♥ 未来の子供たちのためにも♥

    日本共産党は、アメリカがつくったものです♥ 同じように、中国共産党もやはり、アメリカがつくったものです♥

    共産党ポスター 2

    まるで、アメリカに対抗するかのようなポーズをとっていますが、これはその正体を隠すためです♥

    20世紀前半の世界を席巻していた共産主義者・社会主義者たちにパシリとして使われていたのが日本共産党をつくった野坂参三(のさかさんぞう)でした♥

    野坂参三 共産党
    単なるパシリだった野坂参三

    さきほども記述されていたように、野坂参三なるモノは、キリスト教系「友愛会」 → イギリス共産党入党 → 左翼ユダヤのソ連 → 開戦前のアメリカ入国 → 戦時に中国共産党合流、といった経歴を持つほどのパシリです♥

     どうして、野坂参三なるモノは、イギリスとか、ソ連とか、アメリカ、そして最後に支那へと、いとも簡単に移動して目的を果たしているのでしょうか?

     これはもちろん、背景にユダヤ人社会主義者の存在があったことが容易に推測できますね♥ すべて繋がっていたわけです♥

    「 真珠湾攻撃がだまし討ちではなかったということが、最近のさまざまな文書ではっきりわかってきました。ヴェノナ文書もOSS文書もそうした真実を明らかにしています。特に、ここ十年の研究は、ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込む政策を取っていたということを明らかにしています。
     まずハルノートが二つあったということです。また、ハリー・ホワイトというアメリカンのルーズベルト政権の官僚がソ連のスパイであったことが明らかになりました。ホワイトのような共産主義者が何を狙っていたかというと、戦争の後、日本に革命を起こすことでした。
     ロシア革命がそうであったように、…人々が混乱しているときを狙って社会主義革命を起こすという、レーニンなどの考え方があったのです。真珠湾攻撃は、山本五十六が指揮して、不意打ち的攻撃ということで成功したように戦後語られてきました。しかしこれはまったくの嘘ということがわかってきたのです。
     その当時、日本軍の電子信号、特に海軍が使っていた信号は全部アメリカ軍に読み取られていました。ですから真珠湾に日本軍が攻撃して来ることは、もうわかっていたのです。わかっていたがゆえに、アメリカでは、そのために4千人が死に、真珠湾に停まっていた船も壊滅しました。
     ルーズベルト大統領は民主党員で、国民を戦争に巻き込まない、青年を他国の戦争のためにしなせないということで大統領になったので、戦争をやろうとはいえなかったのです。しかし、黄色人種によって、卑怯にも真珠湾が攻撃されたとなれば、国民を戦争に動員できると考えたのです。そして、日本をどうするかという問題を考えた上で戦争を進行させたのです。それが「OSS日本計画」というものだったのです。
     それまでにも太平洋問題協議会という日米の協議会があって、日本の社会主義化に関する意見や情報を交換していました。日本を社会主義化、ソ連化するということを望んでいました。ソ連が理想国のように宣伝されていたのです。そこでルーズベルトのアメリカがそれを援助するためにつくったのが、秘密組織OSS(Office of Strategic Service :戦略諜報局)だったのです。この組織は、正式には1942年6月にできましたが、すでにOWIという前身の組織が1941年の7月にはできていて、情報戦で人々を惑わしたり、洗脳を行ったりするための戦略局として機能させました。
     一方、OSSはドノバンという人物が中心になって、戦争が始まったら相手国をどうするかという研究をしていました。これが今まではまったく無視されていましたが、CIAの前身の組織として明らかになってきたわけです。
     アメリカでもOSS研究が今盛んですけど、なぜか日本では一橋大学の加藤教授以外はほとんど研究がなされていません。かつてはゾルゲとかソ連のスパイのことしかいわれていませんでしたが、アメリカが社会主義化を扇動していたということがわかったのです。これが明らかになることはアメリカにとっても都合が悪いし左翼にとっても戦後の改革がいかにアメリカによってやらされていたかということ、また、明らかに共産主義化革命に導こうとする、二段階革命路線というものが暴露されることを恐れたわけで、この研究をやろうとする人がなかなか現れません。
     しかし、そういう事実が出てきているのですから、私たちは歴史修正主義といわれようとも、事実を認識しなくてはいけないのです。戦争の海軍の指導者たちがほとんど戦死したということもありますが、東京裁判では、海軍の指導者一人も処刑されていないことに注目すべきです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    山本五十六って、だれ? ~ 東京裁判で裁かれたのは「陸軍」だけでした



    やがて世界は、共産主義への恐怖を抱き、赤狩りの時代へと移っていきます。

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 赤狩り(あかがり、Red Scare)とは、政府が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathizer:同調者、支持者)を、公職を代表とする職などから追放すること。第二次世界大戦後の冷戦を背景に、主にアメリカとその友好国である西側諸国で行われた。
     ローゼンバーグ事件に代表される共産主義者による深刻な諜報活動に加え、1946年からの東欧における、また1949年の中国大陸における国共内戦の末の共産主義政権の成立、1948年から1949年にかけてのベルリン封鎖、および1950年から1953年の朝鮮戦争におけるソビエト連邦や中華人民共和国からの圧迫により高まった緊張に対して増大する懸念に合わせたものである。この場合の「赤」は共産党およびその支持者を指す。日本語の名称である赤狩りに対応する英語の名称Red Scareは"共産主義の恐怖"の意味であり、増大していた共産主義者の活動に対する強い懸念を示している。」


    逮捕されたローゼンバーグ夫妻
    逮捕されたローゼンバーグ夫妻

    「 ローゼンバーグ事件(ローゼンバーグじけん)は、ドイツ出身の核科学者のクラウス・フックス(※)がスパイ容疑で逮捕されたのが発端となって1950年にアメリカで発覚した、ソビエト連邦によるスパイ事件

     ※1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝えその情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている

     第二次世界大戦後の冷戦中の1950年に、アメリカのユダヤ人夫妻ジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグは、エセルの実弟で、第二次世界大戦中はロスアラモスの原爆工場に勤務していたソ連のスパイ・デイヴィッド・グリーングラスから原爆製造などの機密情報を受け取り、それをソ連に売った容疑でFBIに逮捕された。

     逮捕当時、公式に「証拠」とされるものはグリーングラスの自白のみだった。ローゼンバーグ夫妻は裁判で無実を主張したが、1951年4月5日に死刑判決を受けた。夫妻に同情した支援者によって西側諸国で助命運動が行われた。ローゼンバーグ夫妻の冤罪を訴えた著名人には、サルトル、コクトー、アインシュタイン、ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、ネルソン・オルグレン、ブレヒト、ダシール・ハメット、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラ、ピカソ、フリッツ・ラング、ピウス12世などがいた。

     さらにこの判決を「不当なもの」と主張する西側諸国の一部の左翼系マスコミを中心に、アメリカ政府を非難するプロパガンダ・キャンペーンが行われた。なお、冷戦後に公表されたソ連の文書や関係者の証言でこれらの左翼系マスコミに対してソ連が関与していたことが明らかになった

     司法側からは「供述すれば死刑にはしない」との取引誘導もあったが、ローゼンバーグ夫妻は供述を拒否し続け、最終的に死刑が執行された。なお、司法長官室と刑務所間のホットラインが処刑執行まで繋がっており、この状況が刻々と報道されて全世界が注目し興奮に沸いたが、ローゼンバーグ夫妻は1953年6月19日夜、ニューヨーク州シンシン刑務所にて同じ電気椅子にて、最初に夫のジュリアス・ローゼンバーグが午後7時6分に、そして次に妻のエセル・ローゼンバークが午後7時16分に、それぞれ1人ずつ処刑された。建国後初のスパイ容疑による民間人の処刑であった。

     冷戦が崩壊する1990年代前半までは、この事件は「マッカーシズムと反ユダヤ主義を背景にしたでっちあげである」としてソ連や左翼的文化人マスコミによって喧伝され、また「冷戦下のアメリカにおける人権蹂躙の象徴」として取り上げられてきた。

    しかし、1995年まで行われていた旧ソ連の暗号を解読する「ベノナ計画」に対する機密が解除され、これまでのアメリカ内部のスパイと旧ソ連の連絡の内容の一部が公開され、ローゼンバーグ夫妻が実際にソ連のスパイであり数多くのアメリカの軍事機密をソ連側に渡していたことが明らかになった。」


     こうして、世界が西と東に分かれる構造がつくりだされ、支那をめぐってソ連やアメリカが陣取り合戦をやっていきます♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    ホンモノのスパイ大作戦 ~ アメリカが知らなかったこと、ソ連が知っていたこと



     さて、このような時代の流れがあって、いまだに存在している「日本共産党」なる反日団体ですが、私たちの日本に必要でしょうか?

     答えは、明確ですね♥ 私たちの日本に社会主義者や共産主義者は必要ありません

     今年の選挙が楽しみですね♥


    続きは次回に♥




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