2016-02-13 (Sat)

YMCA創設者、ジョージ・ウィリアムズ (YMCA)
●キリスト教青年会(キリストきょうせいねんかい、Young Men's Christian Association; YMCA)は、キリスト教主義に立ち、教育・スポーツ・福祉・文化などの分野の事業を展開する非営利公益団体である。
●太平洋問題調査会(たいへいようもんだいちょうさかい、The Institute of Pacific Relations)は1925年にホノルルに設立され1961年まで活動を続けた、国際的な非政府組織・学術研究団体である。略称はIPR。第二次世界大戦前にはこの地域に関するほとんど唯一の国際研究機関としての役割を果たし、同地域におけるNGOの先駆的存在とみなされている。
ビッソン、ラティモア、ノーマンなど、第二次世界大戦後に活躍するアジア研究者・日本研究者を育成する役割を果たし、特にアメリカではそれまで立ち遅れていた中国学・アジア地域研究の発展の基礎が作られた。しかし東西冷戦の影響のもと、特にアメリカで左派的・容共的団体とみなされて反共攻撃の標的になり、解散した。
IPR設立の背景となったのはハワイにおけるYMCAの国際連帯運動である。YMCAのメンバーは1925年6月、IPRを結成してホノルル会議(第1回太平洋会議)を開催したが、この会議中の7月11日にIPRを常設機関とする決定がなされ、正式発足となった。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 大東亜戦争あるいは第二次世界大戦が、なぜ始まったかという問題は、アメリカという国、あるいは西洋全体が、1929年に始まった世界恐慌の波に襲われたことが大きな要因になりました。

世界恐慌初期の取り付け騒ぎ時にニューヨークのアメリカ連合銀行に集まった群衆
それによって、世界の資本主義国は失業者が多くなり混乱していきました。
一方で、【ソ連という体制ができあがって、社会主義国が一見、その影響を受けていないかのように見えました】。

世界恐慌期の各国工業生産の推移
資本主義というものと対立して、そこに【社会主義思想が生まれた】のです。それが1920~30年代でした。日本では【大正から昭和初期】までがそういう時期にあたりました。

レーニン
そういう世界の経済状況があって、戦争という解決方法しかないとアメリカのルーズベルト大統領は決意せざるをえなかったのです。これが世界大戦となる戦争の要因でした。

フランクリン・ルーズベルト
【日本が積極的に戦争を仕掛けようと思ったことはありません】。…日本人の側に開戦責任があると歴史家が考えるのは【狭量】で、日本だけしか見ていないからです。…

日本が戦争を仕掛けるようなことがあるとすれば、それは【引きずり込まれざるをえない戦争に対しての、これは何とかしなければならないという「専守防衛」】の、これまでの日本の対外政策の法則にのっとって、ということになります。
こちらもご参照♥
↓
☆戦争に引き込まれるということ
【真珠湾攻撃がだまし討ちではなかった】ということが、最近のさまざまな文書ではっきりわかってきました。【ヴェノナ文書】も【OSS文書】もそうした真実を明らかにしています。
特に、ここ十年の研究は、【ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込む政策を取っていた】ということを明らかにしています。

まず【ハルノートが二つあった】ということです。また、ハリー・ホワイトというアメリカンのルーズベルト政権の官僚が【ソ連のスパイ】であったことが明らかになりました。

ハリー・デクスター・ホワイト
ホワイトのような【共産主義者が何を狙っていたかというと、戦争の後、日本に革命を起こすこと】でした。

ロシア革命がそうであったように、…【人々が混乱しているときを狙って社会主義革命を起こすという、レーニンなどの考え方があった】のです。

スターリンとレーニン
真珠湾攻撃は、【山本五十六が指揮】して、不意打ち的攻撃ということで成功したように戦後語られてきました。しかしこれはまったくの嘘ということがわかってきたのです。

その当時、日本軍の電子信号、【特に海軍が使っていた信号】は全部アメリカ軍に読み取られていました。ですから真珠湾に日本軍が攻撃して来ることは、もうわかっていたのです。わかっていたがゆえに、アメリカでは、そのために4千人が死に、真珠湾に停まっていた船も壊滅しました。

山本五十六
ルーズベルト大統領は民主党員で、国民を戦争に巻き込まない、青年を他国の戦争のためにしなせないということで大統領になったので、戦争をやろうとはいえなかったのです。しかし、黄色人種によって、卑怯にも真珠湾が攻撃されたとなれば、国民を戦争に動員できると考えたのです。

そして、【日本をどうするかという問題を考えた上で戦争を進行させた】のです。それが「OSS日本計画」というものだったのです。

それまでにも太平洋問題協議会という【日米の協議会】があって、【日本の社会主義化に関する意見や情報を交換していました】。

日本を【社会主義化、ソ連化するということを望んでいました】。ソ連が理想国のように宣伝されていたのです。

そこで【ルーズベルトのアメリカがそれを援助するためにつくったのが、秘密組織OSS(Office of Strategic Service :戦略諜報局)だった】のです。

OSSの記章
この組織は、正式には1942年6月にできましたが、すでにOWIという前身の組織が1941年の7月にはできていて、【情報戦で人々を惑わしたり、洗脳を行ったりするための戦略局として機能】させました。

一方、OSSはドノバンという人物が中心になって、戦争が始まったら相手国をどうするかという研究をしていました。これが【今まではまったく無視されていましたが、CIAの前身の組織として明らかになってきた】わけです。

OSS長官時代のドノバン(1945年)
アメリカでもOSS研究が今盛んですけど、なぜか日本では一橋大学の加藤教授以外はほとんど研究がなされていません。

かつてはゾルゲとかソ連のスパイのことしかいわれていませんでしたが、【アメリカが社会主義化を扇動していたということがわかった】のです。

これが明らかになることはアメリカにとっても都合が悪いし、【左翼にとっても、戦後の改革がいかにアメリカによってやらされていたかということ、また、明らかに共産主義化、革命に導こうとする、二段階革命路線というものが暴露されることを恐れた】わけで、この研究をやろうとする人がなかなか現れません。


アメリカによってやらされていた左翼の一つ「日本共産党」

アメリカによってやらされていた日本共産党創設者の野坂参三
しかし、そういう事実が出てきているのですから、私たちは歴史修正主義といわれようとも、事実を認識しなくてはいけないのです。
戦争の海軍の指導者たちがほとんど戦死したということもありますが、【東京裁判では、海軍の指導者が一人も処刑されていない】ことに注目すべきです。

唯一、被告人となった嶋田繁太郎も【禁固刑】でした。

【東京裁判で裁かれたのは陸軍の軍人ばかりである】ということなのです。

そのことが、【アメリカが真珠湾攻撃を事前に知っていたかどうかの一つの大きな証拠】なのです。

【アメリカは日本の海軍を利用した】のです。

そして【日本の海軍も、戦争をやらざるをえないのならば、応えざるをえなかった】のです。

【山本五十六は、真珠湾攻撃について東条英機には12月になるまで教えていなかった】といいます。

山本五十六
【東条英機は、知らなかったことを泣いていた】といいます。

東条 英機
戦争というのは、決して一方的な敵と味方ということではなくて、【そこには常にそれを取り持つ、あるいはそれを利用する者があるということ】です。真珠湾攻撃に関しては、陸軍の人たちは必ずしも早い段階では知らなかったということです。
ただ、こうしたことは、大陸では経験済みだったと思います。【廬溝橋(ろこうきょう)事件は、結局はソ連のスパイがやっていたこと】でしたが、日本人がやったように仕組まれていました。そうした諜報活動が太平洋戦争では盛んに行われていたのです。』

いかがでしょうか?
「東京裁判では、海軍の指導者が一人も処刑されていない」ということを、御存知でしたでしょうか?
戦後に「山本五十六」が英雄のように語り継がれていることと、「東条英機」が悪の権化のように一方的に語られることについて、皆さんは違和感をお持ちではないでしょうか?
このような一方が「善」で、もう一方が「悪」であるという語り方は、一神教の発想です♥
ですから、このようなイメージを作り上げているのは、私たち日本人的な発想を持たない人間によるものだと、すぐに理解できますね♥
同様に、「帝国陸軍」と「帝国海軍」との比較でも、一神教的な断定的な語られ方がされますね♥
そういう見方が、判断を決定的に誤らせます。
さきほども触れられていますが、私たち日本が戦った当時のアメリカは、間違いなく「共産主義者・社会主義者」のアメリカでした♥ その背後には、表裏一体となったアメリカのキリスト教徒とユダヤ教徒が居たんです♥ 陰謀でもなんでもなく、ただ、彼らの意思によって、そうなったんです。
もともとロシア帝国は、東ローマ帝国由来の正当なキリスト教である「ギリシャ正教」でした。
そのロシア帝国を弱体化させるきっかけが日露戦争(1904年~1905年)でした♥
日露戦争時に、日本側に資金協力をしたのはユダヤ人です。当時、ロシア帝国と対峙していたのが、キリスト教・プロテスタントの大英帝国です。このユダヤ人とキリスト教・プロテスタントが表裏一体となって、ロシア帝国を滅ぼすことになります。それが、ロシア革命(1917年)です。ロシア革命の主導的立場にいたのは、ほとんどがユダヤ人でした♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」
革命直後のソ連は、非常に脆弱です。本来であれば、周囲を囲む強国、すなわち大英帝国、大日本帝国、そしてドイツとアメリカ、これら4カ国がその気になれば、簡単に潰せたのがソ連です♥

1936年のロシアの領土変更後におけるソビエト連邦の一部としてのロシアSFSR
その後の歴史がどうなったのかを見てみますと、キリスト教・カトリックの神聖ローマ帝国由来のドイツに対して、キリスト教・プロテスタントの大英帝国が対峙し、他方で、神道の私たち日本に対して、同じくキリスト教・プロテスタントのアメリカが対峙します。
キリスト教・カトリックと違って、キリスト教・プロテスタントはユダヤ人に親和的だったため、キリスト教・プロテスタントの大英帝国とアメリカに多くのユダヤ人が協力します。
ここに、キリスト教・プロテスタントとユダヤ人の表裏一体関係が生じます。
キリスト教・カトリックのドイツは、この重大な局面で、なんとユダヤ人を敵に回すヒトラーという、トンデモない自爆兵器を生み出します♥

ヒトラー
ユダヤ人により作られたソ連は、史上初の社会主義国家でした。ソビエト社会主義共和国連邦の樹立は、1922年です。
同じ年に、キリスト教・カトリックの総本山のイタリアでは、社会主義者によるクーデターが強行されます。それが、ローマ進軍(1922年)です♥

進軍するファシスト党員
指導したのは、ムッソリーニです♥

で、先ほどのヒトラーですが、コレも社会主義者です♥

ヒトラー
つまり、キリスト教・カトリックの地盤で、社会主義者が政権を握ったということになります♥ しかも、政党が国家を超越するファシズムです♥ 今の支那や北朝鮮と全く同じ、社会主義のファシズム国家です♥

国民社会主義ドイツ労働者党

全権委任法成立後に演説を行うヒトラー(1933年3月)
いかがでしょうか? 当時の構図が、見えてきましたでしょうか?
もう一度、先ほどのソ連を囲む4つの強国を確認してみましょう♥

1936年のロシアの領土変更後におけるソビエト連邦の一部としてのロシアSFSR
ソ連の西方では、「プロテスタントの大英敵国 VS カトリックのドイツ」という構図ですね♥ で、残るソ連の東方、そこに私たちの日本が存在しています。 もう、お分かりですね♥
つまり、当時、社会主義者が政権を担っていたキリスト教・プロテスタントのアメリカと、私たちの日本を戦わせる必要があったということなんです♥
そして、その土壌は、支那においてすでに醸成されていたんです♥
当時も、また現代においても、支那は非常に大きなマーケットであり、これをめぐって大英帝国とアメリカと私たち日本の三つ巴の市場争奪戦が行われていました♥
「 今度の事変(支那事変)の起こりは大正八年の排日で、そのとき私は…私のいたすぐ近所で排日の第一声が起こり、それから排日が抗日になるまで見物してきたから、ここには北京政府時代の排日の起こった時からの私の実見記を簡単に述べてみやう。
排日が起こったのは大正八年の五月四日であるから、五四運動といはれている。やったのは北京大学の学生だが、起こりはいろいろで…第一には英米が欧州戦争(第一次世界大戦)中に、東亜の市場を日本に独占されていたのを、何とかして取り戻さうとして、排日を煽り日貨排斥(日本製品ボイコット)を宣伝した。
欧州戦争中はさすがに気兼ねしていたが(日本が英米側についていたから)、休戦ラッパが鳴り響くや(1918年)、たちまち英米新聞が排日の宣伝を始め、それが支那新聞に伝染し、ようやく気勢(排日の気運)が出来てきた。
そこに欧州戦後の新思想(マルクス主義)が北京大学の学生教授の中に流れ込み、一方では当時北京政府の政権を握っていた親日派の段祺瑞(だんきずい)一派に対し、反対派の直隷派や失意政客(段祺瑞によって中央政府を追われた政治家たち)が段派を倒して政権を握る手段とした。
それに新興支那財閥の国貨運動(国貨=国産品)も加わって、排日の気勢が醞醸(うんじょう)されてきた。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「五四運動」① 学校で教える「ウソ」♥
「 五月四日の夜、親日派の曹汝霖(そうじょりん 交通総長。運輸大臣のようなもの。)邸を焼き打ちし、章駐日公使に負傷させた北京大学生は、さすが自分達のやったことに驚き、学校に帰って小さくなって震へていると、翌日の全市の新聞が大いに彼等の行動に肩を持っているし、政府の処置が緩やかであったのに元気を出し、たちまち火の手は北京の各大学から天津に伝はり、全国の学校に及んだ。
全国の学生運動の中心をなしたのは英米系の学校と、基督教(キリスト教)青年会の幹部とであった。基督教青年会の連中は学生を取り付けるために、映画を見せたり(排日の宣伝映画)、お茶を出したりして誘ひ込むのである。…私も度々排日の行列を見物したが、実際だらだらしたもので、熱も活気もなく、ブラリブラリと歩いていた。それもその訳で、行列(排日デモ行列)賃一日五十銭で狩り出されたのである。幹部連がうんと運動費を儲け(中間搾取は支那人の常です)、一般の学生には五十銭しかやらない。後には幹部連中の間で運動費の分配についての内輪喧嘩が起こった。幹部連は金は儲かるし、一躍愛国者として名誉を得るし、男女学生の合作だから、その間に恋の花も咲くし、一挙に金と名誉と恋とを得るので、排日運動がやめられなくなり、遂に排日商売(プロの排日屋)が出来上がり、機会ある毎に排日運動を起こすに至った。学生の方は行列賃を貰ふし、授業は受けなくてもよいし、試験も要らないので、試験になるとよくやったものである。ために学生の遊興が多くなり、学生の堕落となった。」
詳しくはこちらをご参照♥
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☆「五四運動」② 学校で教える「ウソ」♥
「 排日の内容も時には(時とともに)変化があった。排外運動が排日の形で出たのは当然であるが、その後ソ連の指導する中国共産党が表はれるに従ひ、大正十二年頃から少し雲行きが変わってきた。
学生会のリーダーは、英米系の基督教青年会の幹事から、何時の間にか共産主義青年会の幹部となり、排日から反帝国主義運動になったが、英米人は巧く泳ぎ回って、その鉾先を絶えず日本側に向けたのと、支那人の外人崇拝と日本軽視とは、日本人には(排斥運動を)やるが外人には手を着け得なかった。
ただ反基督教運動だけは起こり、英米人経営の学校にストライキが起きたり、奥地にある宣教師が逃げ出したりして、宣教師の活動は振るはなくなったが、彼等の播(ま)いた排日の種子は既に生え、彼等はその任務を果たしたのであった。
共産党が飛び出してから排日運動の中に労働者が加わって来た。それが著しく出たのは大正十四年の五卅事件(ごさんじゅうじけん)の時で、この時にはボイコットと共に労働者のストライキが加わり…日本人に食物も売らず、日本銀行の紙幣を受け取らず、
日本船に乗らないといふ所まで行った。この騒ぎで共産党はまんまと上海の労働者組合を其の手に収めてしまった。
大正十五年の北伐(蒋介石の国民党軍が北方軍閥を倒して支那を統一しようとした内戦)には、国共合作(北伐で国民党軍と共産党軍が手を結んだ)であったため、ソ連と英国の仲の悪い時ではあり、反帝国主義運動の鉾先を先ず英国に向け、武漢に飛び出して来た国民革命軍は口々に「打倒英国」を叫び、武漢政府(汪兆銘の率いる国民党政府)は漢口の英租界を武力で占領した。

英国製綿糸の対中国向け輸出高半減を伝える当時の新聞
すると機を見るに敏なる英国は、あっさりと漢口、九江の英租界を支那に返して反英の気を抜き、今まで(イギリスは)北方軍閥派の討赤連合軍(共産党潰しを狙っていた北方軍閥)を助けていたのを、鮮やかに百八十度転回して、当時江西まで下っていた蒋介石と手を握り、蒋介石に国共分袂(こっきょうぶんべい、蒋介石を説得して、共産党とたもとを分かつこと)の芝居を打たせ、蒋介石の共産党弾圧となり(それまでイギリスを敵視していた共産党を弾圧させるように仕向けた)、ソ連は英国に背負い投げを喰はさるると共に、反英は又排日となり、国民革命軍が南京まで下って来ると、南京の日本領事館の襲撃が行われた。
この蒋と英国の連合は今日(昭和16年時点)まで続いている。同時に排日も抗日から抗戦へと予定のコースを取ってきた。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆中国は、こうして騙されたんです♥
いかがでしょうか? 当時の支那におけるキリスト教会の役割、支那をめぐる各国の思惑が理解できますね♥
結局、私たちの日本は、本来一貫して敵国であるソ連ではなく、まんまと罠に嵌り、アメリカとの戦争を選択することになります。
安全保障上、重要であった日英同盟(日本とプロテスタントの同盟)を破棄し、社会主義者のドイツやイタリアと三国同盟(日本とカトリックの同盟)を結ぶという、とんでもない外交上の間違いを犯してしまいます。
著者が述べているように、「太平洋問題協議会という日米の協議会があって、日本の社会主義化に関する意見や情報を交換」していたわけで、その太平洋問題協議会は、冒頭でご紹介しているとおり、プロテスタントのYMCAが関わっています♥
長くなりましたので、本日はここまでに♥
歴史を見るうえで大切なのは、宗教です。宗教について述べないで、歴史を語るのは、無理なんです♥
長崎に原子爆弾を落としたのは、なぜでしょうか? プロテスタントのアメリカが、カトリック教徒が多く住む長崎に落としたんです。
宗教を無視してはいけない理由が、ここにあります♥
ですから、私たち日本の神道に忍び寄るキリスト教、これも非常に懸念していかなければならないのではないでしょうか?
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆皇室に忍び寄る「赤いクリスチャン」 ~ 賀川豊彦
続きは次回に♥
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