2016-01-27 (Wed)

神体である霊峰富士
神体(しんたい)とは神道で神が宿るとされる物体で、礼拝の対象となる。 大神神社では三輪山が神体とされ、皇大神宮では三種の神器の一つの八咫鏡とされるなど様々である。
その他、神道における「世界観の世として」の神代(かみしろ)や古神道の神奈備(かんなび)や皇室神道の神器(じんぎ)や古代からある神殿や神社神道の社(やしろ)や注連縄(しめなわ)の飾られる場所やものなど、いわゆる御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)といわれる神の宿る、降りる(鎮座する・隠れ住まう・居る)場所や物も神体という。
神道において、神とは魂・精霊・命・御霊(みたま)と表現も意味も様々であり、定義づけることなく包摂し享受してきた経緯から巨石や樹木、山や森等の森羅万象が神体または、御霊代・依り代として存在する
神体である鏡、刀、曲玉で構成される「三種の神器」は古代における王権の象徴とされ、皇室神道ともかかわり皇室が所有するといわれる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 平安後期の歌人・西行(さいぎょう)が伊勢神宮で詠んだとされる歌に、このようなものがある。
「何事のおわしますをば知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」

西行
旅先などで出合った古社の、その神さびた風情に思わず頭(こうべ)を垂れる、といった経験をおもちの方は少なくないと思う。
しかし、【日本人以外、とくにキリスト教圏やイスラム教圏の人には、このような宗教観は理解しがたい】ことであろう。【何が(誰が)祀られているのかもわからないのに、それがありがたいなどということはありえない】、と言うかもしれない。

一方、日本人はそこが神社でさえあれば、拝むのに躊躇(ちゅうちょ)は感じないだろう。

実際、初詣の長い列に並んでいる参詣者のなかには、詣でる神社の祭神を知らない人が多くいるに違いない。

また、京都の八坂神社や鎌倉の鶴岡八幡宮といった、有名神社の参詣者でも、「この神社にはどんな神様が祀られているのですか?」という質問に、すらすらと答えられる人はそう多くいないだろう。

八坂神社

鶴岡八幡宮
しかし、こうしたことは、日本人の信仰心の薄さを示すものとはいえない。神道そのものが、そうしたものを曖昧にする性質があるからだ。

このことは、神道とともに日本人の信仰の柱となっている仏教と比較するとわかりやすい。

たとえば、【寺院では何が祀られているのかは、本堂に入れば目の前に仏像(本尊)があるので一目瞭然】だ。…

東大寺の本尊 盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)
これに対して【神社では、祭神が宿る神体(御霊代・みたましろ)が参詣者に公開されることはまずない】。

それどころか、【神体を泰安する本殿そのものが、参詣者の目が届きにくいように配置されている】ことが少なくない。

このように神道では、核心部が不可視となっていることが多い。祭においても、最重要の儀礼は神職のみでひっそりと行われるのが一般的だ。それも、夜の闇のなかで行われることが多い。

しかし、かりに神体や祭儀が公開されたとしても、そこに確たるものを見出すことは難しい。なぜなら、神体は仏像のように神の似姿ではなく、鏡や剣、勾玉(まがたま)といった【神が宿る物体でしかない】からだ。祭儀においても、主人公たる神の姿が見えないので、儀礼そのものはあっけないものだったりする。


三種の神器(イメージ)
教義の面でも同様のことがいえる。

仏教には釈迦(しゃか)の教えを収録した(とされる)『般若心経(はんにゃしんぎょう)』や『法華経(ほけきょう)』といった経典が、キリスト教にはイエス=キリストの言動を記録した『聖書』があって、教理の根幹をなしている。

般若心経
ところが、【神道には、これらに当たる聖典が存在しない】。

『古事記』『日本書紀』を神道の聖典とみることもできるが、そこに信者が従うべき教えや規範が説かれているわけではない。神道の信者は「記紀」などの神話や祭などを通して、崇敬の念や信仰規範を見出していかなければならないのである。』

いかがでしょうか?
私たち日本人は無意識のうちに「神道」の世界の中で生きています♥
そんな「神道」に生きる私たち日本人と、キリスト教やイスラム教の国々に住む人との宗教観の違いが理解できましたでしょうか♥
実は、日本人ほど信仰の篤い民族はいません♥ しかも、無意識のうちに、それをやってのけているんです♥

「 日本人には宗教心が乏しいと言われて久しいが、これは誤解である。正月を迎えると毎年9000万近い国民が、最寄りの神社仏閣に初詣に、嬉々として参集する。9000万人とは、動けない病人、老人、赤子を除く成人のほぼ全員である。
これほどの宗教的動員力が外国にあるだろうか。地方村落の中に氏神様の無いところはなく、村落共同体の生活は、この氏神を中心として動いている。その総社が伊勢神宮であり、遠い神代から現代まで延々と信仰がつながっている。皇居は国民全体の氏神様で、その森の中で天皇は全国民を代表して、日夜宮中三殿に祈りを捧げておられる。天皇は日本の最高の神官として、神代から一貫してその聖なる務めを果たされておられる。これほど宗教的神聖な国家が外にあるだろうか。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆メッカ巡礼者数の「30倍」の人が毎年お参りする国
そして、私たち日本人は信仰が篤いだけではありません。なんと、2つの異なる宗教を共存させている民族なんです♥
「 日本人ほど、意識していないにもかかわらず、宗教的な国民はないと思います。海外旅行から帰ってきた日本人の多くが、散歩で近所を歩いて気づくことは、たくさんの神社やお寺があることです。それはよく見かけるコンビニエンスストアの数よりはるかに多いのです。全国で神社の数は約八万、お寺も約八万、合計十六万もあります。これに対して、コンビニエンスストアは五万ほどです。西欧やイスラム諸国には教会・寺院が多いという印象がありますが、日本にもたくさんの神社仏閣があるのです。
ではなぜ、神道、仏教の二つが、ともにあるのでしょう。他の国では二つの宗教があれば、いつでも争っています。いがみあっています。ところが日本では、そうした争いを聞きません。不思議に感じるでしょう。なぜ二つの宗教の建物がだいたい同じ数だけあるのでしょう。人が宗教を信じるといえば、たいてい一つの宗教なのに、日本人は両方にお参りしています。これを神仏習合(しんぶつしゅうごう)といいますが、そんな宗教の形態は他の国では見られません。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本でコンビニよりも数多くあるもの。。。神仏習合
それは、いつ頃からのことでしょうか? どうして他の国々では無理なことが、私たち日本人には出来たのでしょうか?

「 宗教という言葉は英語のリリジョン(religion)の訳ですが、これはラテン語のreligareからきた言葉で、「結びつける」「縛りつける」といった意味です。結びつける中心には一つ、絶対的なものがなくてはなりません。宗教の根本には一つの神、特定の教祖、経典が想定されているのです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教には確かにそれがあります。仏教は釈迦の存在がその中心です。
このように定義すれば、宗教が排他的にならざるを得ないのは当然ともいえます。古くは反イスラムのキリスト教十字軍、現在では非イスラムに対するイスラム原理主義者たちのテロなどが、その現れといえるでしょう。ほとんどの宗教が平和を説き、愛を説いています。にもかかわらず宗教間の争いが絶えないのは皮肉なことです。
日本に仏教が入ってきたとき、多少の衝突はありましたが、決定的な争いにはなりませんでした。それは八百万(やおよろず)の神の神道の寛容性です。これは宗教の中にあっては特筆すべきものであって、注目しなければなりません。しかし、それだけではありません。そこには聖徳太子という偉大な思想家の存在があったことを忘れてはなりません。
各宗教に創始者はいます。しかし、宗教の習合を説き、宗教間の壁を乗り越えて人間のあり方を追求した人はほかにいません。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆世界で唯一、宗教間の壁を乗り越えた偉人 ~ 聖徳太子

聖徳太子
聖徳太子の時代、つまり、今から1400年も前から、私たち日本人にとっては、あたりまえのことだったんです♥
で、現在の世界を見てみますと。。。
例えば、新年早々、イスラム教同士で、こんなことになっています。(この辺りのお話は別の機会にさせていただきます。)

同じような出来事が、たったの400年前(日本では江戸時代)に、キリスト教徒同士の間で起こっていました♥

三十年戦争時の虐殺を描いたジャック・カロによる版画『戦争の惨禍』
「 当時のヨーロッパ…だいたい1500年あたりから1800年ぐらいまでのヨーロッパですが、これは宗教内乱の時代、そしてそれを克服せんと奮闘した時代でありました。現在のドイツに相当する地域では、その人口が三分の一に減ってしまったといわれる「三十年戦争」が、1618年から48年まで続きました。
西欧の宗教戦争というべきものは二つありました。
一つは、イスラム教徒に対する防衛戦争。これは十字軍の時代以来ずっと続きました。
もう一つは、いま申し上げた「三十年戦争」もそうですが、カトリックとプロテスタントの争い。これまた、至るところで戦争を繰り返しています。このすさまじい宗教戦争は16世紀、17世紀、18世紀と、息つく暇もないほどでした。まさに、内乱に次ぐ内乱の時代です。そのため、「軍事革命の三百年」ともいわれています。
ところが、その三百年間、わが日本は武器を放棄しています。武装解除の平和な時代でした。それもまた一方の事実であります。江戸時代を通じてそうだったことは周知のとおりです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆平和な江戸の200年 VS キリスト教内乱の300年
御理解いただけましたでしょうか?
さて、私たち日本の偉人、聖徳太子の時代は飛鳥時代(592年~710年)ですが、同時に古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)でもあります。今から、1400年前のことでした。
ここで、私たち日本の国技の「相撲」のお話♥

相撲絵(歌川国貞、1860年代)
実は、相撲の歴史はとても古いんですけれども、どれ程古いか御存知でしょうか♥

たとえば、古墳時代の埴輪で、「力士」が発掘されています♥
福島県の泉崎村にある「原山古墳」で発見された、今から1300年前の力士像の埴輪が、こちらです♥

力士像埴輪
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆泉崎資料館HP (福島県西白河郡泉崎村)
それだけでは、ありません。ちゃんと神話の時代のお話にも記されています♥
それが、古事記です♥ 出雲の国譲りの神話に残されているんです♥
「 『古事記』の国譲り物語は、わが国の独自の思想といってもよいでしょう。国を征服するのではなく、相手を納得させたうえで国を譲らせるのです。地上世界の出雲の国は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟である須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫の大国主命(おおくにぬしのみこと)が治めていました。天照大御神は出雲は自分たちが治めるべき国だとして、息子の天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)に出雲行きを命じますが、天忍穂耳命は途中の天の浮橋から地上世界を見下ろした際、なにやら大変騒がしいので引き返し、天照大御神に報告します。…
天照大御神は自分で決断せず高御産巣日神(たかみむすびのかみ)を通じて八百万の神々を集め、どう対処するか相談させるのです。神々は協議の末天菩比命(あまのほひのみこと)を推薦し、天照大御神も協議の結果を受け入れて、大国主命に出雲を差し出すように交渉するため、天菩比命が出雲へ派遣されました。…
ところが、天菩比命は大国主命に媚びてしまい、三年経っても高天原(たかまがはら)へ帰ってこなかったのです。そこで、次に天若比子(あめのわかひこ)が派遣されますが、あろうことか天若比子は大国主命の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚して、八年間も帰ってこないのです。

ここで、鳴女(なきめ)という雉(きじ)を偵察に送りますが、天若比子は弓矢で雉を射ち殺してしまいます。その矢が高天原まで飛んできたので、願をかけて投げ下ろすと天若比子に当たり死んでしまいます。そしていよいよ、国譲りにつながる建御雷神(たけみかずものかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が派遣されるのです…

建御雷神らとの交渉に移ります。繁栄している出雲に国を譲れというわけですから、通常は出雲は抵抗するはずです。しかし、出雲の支配者である大国主命は自分の一存では決められないので、子供たちの意見を聞いてくれと頼みます。子供の一人建御名方神(たけみなかたのかみ 諏訪大社に祀られる)は抵抗して諏訪まで逃げるのですが、結局建御雷神に服することになり、大国主命は出雲の国を天照大御神に譲ることになります。しかし、無条件譲渡ではなく、出雲の現実の政治は高天原に任せるが、死者の世界(あの世)は大国主命が支配者になるという妥協案が成立します。そして、大国主命は出雲大社に祀られることになります。この合意に基づき、天照大御神の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が葦原の中つ国(日本)に降臨し、日本を治めることになるのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆国譲り物語
以下、Wikipediaの抜粋です。
「 『古事記』の神代(日本神話)においては、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣(葦原中国平定)の際、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲の起源とされている。」
初代天皇の神武東征がおよそ2000年前と推定されていますから、その前の神話の時代に、すでに「相撲」の起源があったことが分かります♥
神武東征の時期は、こちらをご参照♥
↓
☆「いくたまさん」が伝える真実 ~ 神武東征の証明
いかがでしょうか? 「相撲」の歴史の古さを御理解いただけましたでしょうか♥
そして、「相撲」は神道とも密接に関係しています♥
以下、Wikipediaの抜粋です。
「 相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として「奉納相撲」が地域住民により、現在も行われている。健康と力に恵まれた男性が神前にてその力を尽くし、神々に敬意と感謝を示す行為とされる。そのため、礼儀作法が非常に重視され、その一環として力士はまわし以外は身につけない。その名残は現代の興行形式である大相撲にも見られる。また、古代から現代に至るまで皇室との縁は深い。」
で、最後に、力士の頂点である「横綱」について♥

「横綱」のみ許される、この「綱」♥
この「綱」は、注連縄(しめなわ)です♥

出雲大社の注連縄
以下、Wikipediaの抜粋です。
「 もともと大相撲は神へ奉納される神事であり、そのことから力士の最高位である大関の中で特別に選ばれた者だけが神の神体であり、自身が生き神である証としての注連縄である横綱を張ることができる。」
つまり、「横綱」は「御神体」なんです♥

千代の富士 貢

神々しいですね♥
続きは次回に♥
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