2016-01-25 (Mon)

山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日 - )は、日本の労働運動家。勲一等瑞宝章受章。日本労働組合総連合会初代会長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)会長、情報通信産業労働組合連合会委員長、全国電気通信労働組合(全電通)委員長を歴任した。
大阪市出身。行商人の子として生まれる。父親は仕事が長続きせず、職業を転々としていたため、幼少期は貧しい生活を送った。旧制豊岡中学の学生だった1944年、海軍甲種予科練習生に志願し、海軍航空隊に配属された。1945年の敗戦後、父が疎開していた富山県に引き揚げ、父の実家で農作業を手伝ったり、浮遊機雷の除去に従事したりした。1946年、金沢逓信講習所業務科に入学し、1948年に卒業すると、富山県の郵便局に勤務した。

1942年当時の予科練生
海軍飛行予科練習生(かいぐんひこうよかれんしゅうせい)とは、大日本帝国海軍における航空兵養成制度の一つ。志願制。“予科練”(よかれん)と略称で呼ばれることが多い。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 あらためて確認しておきたいのは、1946年、【吉田茂はあらゆる形の自衛権を否定する旨を公言していたという事実】だ。

吉田茂
しかし、こうした吉田の「自衛」を放棄するという主張は、戦後日本の一貫した国防方針とはならなかった。
こうした国防方針を否定することになったのは国際情勢が激変したことによる。【冷戦の激化にともない、日本の再軍備が必要だとアメリカが考え始めた】のだ。

1950年の元旦、マッカーサーが「日本国民に告げる声明」において、次のように指摘した。
「この【憲法の規定】は、たとえどのような理屈をならべようとも、【相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない】」


詳しくはこちらから♥
↓
☆(新聞と9条:28)軍備なき国:28
【これは、極めて重大な指摘】だ。

憲法の規定について、従来、吉田は、自衛戦争も否定する旨の発言を繰り返してきた。だが、【マッカーサーが日本国憲法には、「自己防衛の冒しがたい権利」を否定したものではないと強調した】のだ。

吉田茂とマッカーサー
これは、明らかに、日本の再軍備を念頭に置いたものであり、このマッカーサー発言以降、吉田茂の「自衛」論も変化を遂げることになる。

「自衛権」の問題に関して、社会党の猪俣浩三議員が、吉田茂に質問すると、吉田は次のように答弁している。
「自衛権は国に存在するのであって、自衛権の発動としての戦争、その場合はいたし方ないのでありますが、しかしながらしばしば自衛権という名において侵略戦争が起こされたことがあるから、自衛権という文字を使用することについては軽々になすべからざるものであるということを申した記憶があります」 (1951年10月19日、平和条約及び日米安全保障条約特別委員会)
多くの侵略戦争が「自衛権」の名目の下で遂行されたと指摘し、自衛戦争をも否定する趣旨の発言を繰り返してきたのが吉田茂だ。だが、情勢の変化にあわせて、その発言の趣旨を大幅に変化させている。

【誰がどうみても、憲法九条の解釈が変わっている】。「自衛戦争もできない」「正当防衛権も持たない」と解釈していた同じ人間が、「自衛権は国に存在するのであって、自衛権の発動としての戦争、その場合はいたし方ない」というのだから、これは【憲法解釈の変更】とみて間違いないだろう。』

いかがでしょうか?
現在の憲法をめぐる、ちっとも訳の分からない議論。この議論の原点が、「憲法改正せずに自衛隊を創設したことから生じる矛盾」にあると、著者は言います。まさしく、その通りだと思います♥
現在の自衛隊の皆さんのご活躍は大多数の国民に支持されていますね♥ 大多数の国民は、自衛隊の防衛力が必要だと考えていますね♥ ですから、自衛隊を認める形に、憲法こそ変更しなければならない時に来ているんです♥
かつて日本共産党が徹底的に反対したもの、それが 憲法第九条です♥ そして、日本共産党は、自衛権の放棄に強く反対していたんです♥ 日本共産党は、いかなる戦争であれ、日本は戦争を放棄とした吉田茂の憲法解釈に大反対していたんです♥
それが、何故か、いまはこうなっちゃってます♥ 憲法9条をまもる、と・・・・

まるっきり正反対ですね♥
日本共産党は、科学的社会主義、つまりマルクス主義を党是とし、対米従属と大企業の支配に対して革命を目指し、将来的に民主集中制、つまりは一党独裁のファシズムを容認し、中央集権的社会主義国家を目指すテロ組織です♥ 旧・ソ連のスパイだった野坂参三が創設した組織です♥


野坂参三(中国では岡野進)
公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」(平成27年1月)が公表でも、過激派同様に危険な組織として紹介されているぐらいです♥





詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆公安調査庁 HP
一方、日本は戦争をすべて放棄するとした吉田茂の当初の憲法解釈を認め、さらに「非武装中立」というトンデモ主張をしていたのが日本社会党でした♥
日本社会党が日本共産党と違うところは、なんでしょうか?また、日本社会党から現在の民主党に繋がる流れは、どういった感じだったのでしょうか?以下、簡単にですが、見て参りましょう♥

社会主義国家建設、反米・反資本主義などはそっくりなんですが、革命を暴力によらずに行い、民主集中制を認めないという点が異なっています。革命後に中央集権的・一党独裁ファシズム体制をとりますが、党内における派閥の容認というところが決定的に違う部分です♥ 何故そうなったかといいますと、それほど党内部の分裂、つまり左派・中間派・右派といった考え方が異なった者同士が集まる集団だったからなんです♥
で、基本的に、この両者は仲が悪いんです♥ 両者とも支持基盤とすべき人々が重なっているため、競合関係にあるからです♥
「 昨年10月、沖縄を訪ね、辺野古基地移設反対派の前でカウンター街頭演説を行いました。その様子をブログやフェイスブックなどで紹介したところ、「なぜ、彼らは日がな一日、歌って踊って弁当を食べて暮らしていけるのか?」「資金はどこから出ているのか?」という声が相次ぎました。私は講演会等でこの疑問に対し、次のように説明しています。
私が18年間勤めた市役所の労働組合は、自治労連の傘下にありました。地方公務員の労働組合には民主党(以前は社会党)系の「自治労」と共産党系の「自治労連」があります。元々は一つの団体だったのが血で血を洗う闘争の果てに二つに分離したその経緯は、Wikipedeiaをご参照ください(「血で血を洗う」~実際にその闘争に参加した人から、リンチなどの生々しい話を聞いたことがあるので、あえてそう書きました。『平和を愛する左翼』は、実は暴力的でとても怖いのです)。」
続きはこちらから♥
↓
☆杉田水脈が見た 共産党を支える公務員労働組合の「正体」
で、そんな日本社会党は、たびたび分裂をしています♥
以下はWikipediaの抜粋です。
「 社会党左派と社会党右派の対立が深刻化し、1950年1月16日には一旦分裂する。75日後の4月3日の党大会にて統一し、対立は収まったに見えたが、サンフランシスコ講和条約への賛否を巡って再び左右両派が対立して1951年10月24日再分裂する。左右両派が対立するなか、1950年に日本労働組合総評議会(総評)が結成される。総評は労働組合から日本共産党の影響を排除しようとするGHQの肝いりで結成された。」
1950年にGHQが、反共の日本労働組合総評議会(総評)を作ったんです♥

で、続き。
「 国内で再軍備論争が過熱するようになると、総評内では再軍備反対派が台頭。反米・反政府の姿勢を強めた。1951年には戦前の労農派マルクス主義の活動家が中心となって社会主義協会が結成されるなど、その後社会党を支える組織的・理論的背景がこの頃に形成されていった。この西欧社会民主主義と異なる日本社会党の性格を、日本型社会民主主義と呼ぶ。」
西欧型の社会民主主義、つまり民主社会主義は、革命を否定して、議会制民主主義の中で社会主義の理想を実現しようとする、中道左派の穏健な社会主義思想です♥もちろん、社会民主主義の捉え方の一つで、資本主義社会の「改良」を訴えて、階級闘争を否定する特徴があります。ところが、日本社会党の主張は、あの毛沢東でさえ、「世にも不思議な政党である」と述べているぐらい、異質でした♥
で、続き。
「 1951年、分裂直前に委員長に就任した鈴木茂三郎は「青年よ銃をとるな」と委員長就任演説で訴え、非武装中立論を唱えた。この考え方は厭戦感情の強かった当時の若者などにアピールして、分裂以後も非武装中立論を唱えた左派社会党は党勢を伸ばした。左派社会党躍進の背景には、総評の支援もあった。
左派社会党は1954年に、社会主義革命を明記した綱領(左社綱領)を決定した。左社綱領は、労農派マルクス主義の主張が体系的に述べられたものであったが、左右社会党が再統一を果たすと、折衷的な内容の綱領である「統一社会党綱領」がつくられた。
社会党、特に左派は再軍備反対と共に、護憲を公約に掲げるようになった。
日本国憲法は社会党案に近い内容で、そのため制定当初から社会党は好意的であった。しかし、左派には社会主義憲法の制定・天皇制廃止を求める意見があり、一方の右派には再軍備賛成など、いずれも改憲が必要となる意見が存在した。
1959年参議院選挙では東京選挙区で公認候補が全滅するなど党勢が伸び悩んだ。
これ以前の1956年、総評に批判的な右派労組が全日本労働組合会議(全労会議)を結成。全労会議と密接な関係を持っていた西尾末広派と河上丈太郎派の一部は、1959年に相次いで脱党し翌年民主社会党(後の民社党)を結成する。なお、民社党の離反の背後には、米国の支援もあった。」
こうして米国支援のもとに、日本社会党の右派が分離し、民主社会党、のちの民社党が結成されるんです♥

「 日本社会党の左翼性や安全保障政策に反発して1960年(昭和35年)に結成された民社党は、西欧社会民主主義を標榜したが、日本の社会、政界で常に少数勢力でしかなかった。アメリカCIAが、「左派穏健勢力」に資金提供し、民社党結成を促していたことが2006年(平成18年)7月18日、アメリカ国務省の外交資料集に公開された。」
この民社党を支援していた反共主義の強い日本の労働運動の右派の組織が全日本労働総同盟(同盟)です♥ 「自由にして民主的な労働組合」を旗印に、日本社会党を支持する左派路線の日本労働組合総評議会(総評)と対抗した組織です♥
やがて、労働運動の再編が起こりますが、その再編は同盟の路線に沿ったもので、1989年に誕生する日本労働組合総連合会(連合)でも、同盟系が主流派となっています。
その中心にいたのが、日本労働組合総連合会(連合)の初代会長、山岸章です♥

山岸章
労働運動の再編とともに、政界再編の動きが現れます。その中心にいたのが、悪名高き小沢一郎です♥

小沢一郎
1993年、自由民主党を離党した小沢一郎、羽田孜らが新生党を結成します。政策は小沢の著書『日本改造計画』を踏襲したもので、具体的には、新自由主義的な経済改革、貿易自由化の推進、首相官邸機能の強化、軍事も含めた積極的な国際貢献、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革(小選挙区制の導入)などが提唱されていました。
※本書の執筆(協力)者はすべて学者であり、具体的には「国内政治」は御厨貴と飯尾潤、「経済」は伊藤元重と竹中平蔵、「外交・安全保障」は北岡伸一だったみたいです。
同じく1993年、憲法を尊重する「尊憲」の立場を取りリベラルな立場を取る武村正義、鳩山由紀夫などが、自由民主党から離党し、新党さきがけを結成します。
1994年、新生党、そして民社党その他が結集して、新進党が結成されます♥
この年、細川内閣の退陣に伴ってできたのが、日本国憲法下において在職期間が最短の短命内閣、羽田内閣でした♥
そして、この年、自由民主党と日本社会党が連立を組むというトンデモなことが起きます。悪名高い村山内閣の誕生です♥ これをきっかけにして、日本社会党は奈落の底に落ちていきます。
「 1994年6月、羽田連立与党は自民党の海部俊樹元首相を首班選に擁立、自民党内の分裂を狙ったが、自民党は村山委員長を首班とする自社連立政権樹立を決定。羽田連立与党との連携を重視する社会党議員も、自党党首首班には抗しきれず、海部に投じた議員はごくわずかにとどまった。政権奪回に執念を燃やす自民党も同様で、決選投票の結果村山の首班指名が決定し、自由民主党、新党さきがけと連立した、自社さ政権)である村山政権が発足した。村山首相は、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言した(後に1994年9月3日開催第61回臨時党大会で追認)。この結果、社会党の求心力は大きく低下し、その後分党・解党をめぐる論議が絶えなかった。」
村山首相の有名な所信表明演説は、こちらで確認ができます♥
↓
☆第百三十回国会における村山内閣総理大臣所信表明演説 平成六年七月十八日
「 私は、日米安全保障体制を堅持しつつ、自衛隊については、あくまで専守防衛 に徹し、国際情勢の変化を踏まえてその在り方を検討し、必要最小限の防衛力整備を心がけてまいります。」

1996年の村山内閣総辞職後、日本社会党は社会民主党(社民党)に改称します♥
同年、鳩山由紀夫と鳩山邦夫、菅直人、岡崎トミ子らにより、民主党が結成されます。このとき、約半数の社会民主党所属の国会議員が社会民主党(社民党)を去り、民主党結成に参加しました。
この結党時に25億円の費用が掛かり、うち15億円を鳩山家からの、残りの10億円を連合からの借り入れで賄ったといわれています。

旧民主党機関紙「CLUB-D」創刊号表紙
1997年、新進党は、自由党・改革クラブ・新党平和・新党友愛・黎明クラブ・国民の声の6党に分裂し消滅。
さらに、1998年に、旧民主党、民政党(新進党離党者による太陽党、国民の声、フロム・ファイブの3党が合併したもの)・新党友愛・民主改革連合(日本労働組合総連合会(連合)を支持母体とする院内会派)が合流し、新しく民主党が結成されました♥
これが、現在の民主党に至るまでの流れです。現在の民主党の中に、共産党は嫌いだけれど、でも考え方は同じような社会主義者がたくさん存在する理由が、お分かりいただけましたでしょうか?


では、最後に、連合のトップだった山岸章のインタビューをご紹介させて頂きます♥ 非常にまともな考え方をされていますよ♥
こちらの動画をご覧ください。
↓
特攻隊員山岸章少年秘話
労働運動から日本社会党入党へ
小沢一郎のエピソード
自社さ連立政権誕生
現状の政治不信
青山氏の願い
続きは次回に♥
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