2016-01-24 (Sun)

正当防衛(せいとうぼうえい)とは、急迫不正の侵害に対し、自分または他人の生命・権利を防衛するため、やむを得ずにした行為をいう。正当防衛は、それが構成要件に該当しても犯罪が成立せず(刑法上の正当防衛)、他人の権利を侵害しても損害賠償責任を負わない(民法上の正当防衛)。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 昭和20年に日本が敗北したあと、旧・日本軍は解体させられた。この時点で、日本には、「国防軍」も「自衛隊」も存在しなかった。【文字通りの丸腰状態】が続いていた。【この間、日本はマッカーサー率いる米軍によって守られている状況】にあった。…

こちらもご参照♥
↓
☆いまだにまったく検討すらされていないこと
この丸腰の、被占領期に作られたのが日本国憲法だった。

こちらもご参照♥
↓
☆メイド・イン・オキュパイド・ジャパン
当初、憲法第九条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。

この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。

吉田茂
「 戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しては居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。従来近年の戦争は多くの自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」 (1946年6月26日、衆議院本会議)
ここで吉田茂は、憲法九条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、【「自衛権の発動としての戦争」まで否定している】のだ。

日本が攻め込まれても、これに抵抗することができないというのだ。吉田は、その根拠として、多くの戦争が「自衛権」の名の下で行われてきたことを挙げている。

要するに、憲法九条があるために、自国を守るための「自衛」すら不可能だというのが、1946年当時の吉田茂の考えだった。

では、いったい日本がどこかの国に攻められたときには、どうしたらいいのか。黙って、侵略されるままにしていればよいというのだろうか。

吉田は、侵略された際については、次のように述べている。
「 平和国際団体が確立せられたる場合に、若(も)し侵略戦争を始むる者、侵略の意志を以て日本を侵す者があれば、是は平和に対する冒犯者であります、全世界の敵であるというべきであります。世界の平和愛好国は相寄り相携えて此の冒犯者、此の敵を克服すべきものであるのであります」 (同日、本会議)
これは、…【「集団安全保障」の考え方】を説明したものだ。要するに、日本に攻め込んでくるような平和を乱す勢力に関しては、世界の平和愛好国が力を合わせて、これを排除すればいいという思想だ。

集団安全保障に基づく国連軍



今日では考えられないことかもしれないが、こうした【吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ】。


日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。

野坂参三
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある。二つの性質の戦争がある、一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である、是は正しくない、同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般放棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の放棄、斯(こ)うするのがもっと的確ではないか」 (1946年6月28日、衆議院本会議)
日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争まで放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。

これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「 戦争放棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認むると云うことは、偶々(たまたま)戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自体が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」
吉田茂は、今日の常識で考えれば、極めて常識的な野坂参三の指摘を「有害無益の議論」だと断じて、あくまで自衛戦争をも否定する。

過去の侵略戦争は「自衛」の名の下で遂行されたのであるから、あくまでも日本は「自衛戦争」まで含めて否定する。国家の正当防衛を認めることが「有害」であるとまで言ってのけているのだ。

いかなる戦争であれ、日本は戦争を放棄する。これが当時の吉田茂の憲法解釈にほかならなかった。

野坂は12月の議会で次のように指摘している。
「 この第九条の討論の中においてはっきりしたことは、すなわち自衛権をわが国が棄てたということである。自衛権がないわが国の民族、これの独立さえ棄てよということが、この条項の中にはいっている。われわれ【共産党はこれに対して徹底的に反対】した」 (1946年12月17日、衆議院本会議)
確かに野坂が言うように、自衛戦争すら認めないというのであるから、吉田総理は自衛権そのものを放棄したと解釈するのが当然であろう。この【自衛権の放棄に関して、共産党の国会議員が強く反対していた】のだ。

現在からこうした議論を眺め返してみると、【どちらが共産党で、どちらが保守勢力なのかわからないような珍しい光景】だ。』

いかがでしょうか?
かつて日本共産党が徹底的に反対したもの、それが 憲法第九条です♥
かつて日本共産党は、自衛権の放棄に強く反対していたんです♥
かつて日本共産党は、憲法第九条の中に、「自衛権がないわが国の民族、これの独立さえ棄てよということが」入っていることを理解していたんです♥
かつて日本共産党は、いかなる戦争であれ、日本は戦争を放棄とした吉田茂の憲法解釈に大反対していたんです♥
それが、何故か、いまはこうなっちゃってます♥ 憲法9条をまもる、と・・・・

まるっきり正反対ですね♥
どうして、こんな風になっちゃうんでしょうか?

実は、この日本共産党の創設者である野坂参三(中国では岡野進)は、ユダヤ人が作った社会主義のソ連のスパイだったことが判明しています。ソ連崩壊後、公文書が公開され、野坂が戦中にアメリカからコミンテルンのディミトロフに送った手紙が明らかになったからでした。野坂本人も「残念ながら事実なので処分を認めざるを得ない」と述べてもいます。

野坂参三(中国では岡野進)
では、この人物を追ってみましょう♥
昭和20年2月、敗戦にさかのぼること半年前、ようやく昭和天皇への拝謁が認められた近衛文麿は、死ぬ覚悟を決めたうえで、非常に重要な上奏をしました。昭和天皇への拝謁は、実に3年ぶりのことでした。

近衛文麿
「 近衛自書の墨筆で、八枚あった。その概要は以下のとおりだが、長文なので要点のみに絞って引用する。
「 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候(ぞんじそうろう)。以下、此の前提の下に申述べ候。
敗戦は我国体の瑕瑾(かきん)たるべきも、英米の輿論(よろん)は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず、(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは側知し難し)、随(したが)って敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命に候。
つらつら思うに我国内外の情勢は、今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存候。…
ソ連は欧州に於て、其の周辺諸国にはソビエット的政権を、爾余(じよ)の諸国には少なくとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之(これあり)候。…
ソ連のこの意図は、東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野(引用者注:野坂参三)を中心に、日本解放連盟組織せられ、朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居り候。」 」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆近衛上奏 あの有名な慶應義塾大学と「日本共産党」の共通点 ~ 野坂 参三 (支那名:岡野進)
近衛文麿は昭和天皇に対して、「内外の情勢」が「共産革命に向かって急速度に進行」している現状を説明し、その首謀者・ソ連が、「親ソ容共政権を樹立」するために、「着々其の工作を進め」ていて、それはアジアにおいても同様で「野坂参三を中心」とした工作が朝鮮、台湾、日本で行われている、と明確にアドバイスしています♥
そして、この時、昭和天皇に対して近衛文麿は、次の進言を行いました。
「見込みなき戦争をこれ以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候(ぞんじそうろう)」
「共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候」
つまり、昭和天皇に対して、「日本の負けを認めましょう」「停戦しましょう」と上奏したんです♥
ところが、この近衛上奏が邪魔をされてしまい、戦争が終わるまでに時間がかかり、各地で甚大な被害を生じ、さらに原爆まで落とされる羽目になってしまったんです。それは、すべて共産主義者たちの画策でした。
「 終戦までの過程がかくも遅れたのは、コミンテルンによる「敗戦から革命へ」の実践による“成果”だったことは火を見るより明らかである。わが国の官僚や軍部が感化された理論は、第三インターナショナル(コミンテルン)からの指導によるものだった。 この時期、昭和天皇のごく身辺近くまで、共産主義の地下水脈は接近していた。
それは一九三二(昭和七)年五月、コミンテルンで採択されたいわゆる「三二テーゼ」の概略を繙(ひもと)いてみればすぐに分かる。

「三二テーゼ」と一般的に呼ばれる文書には、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」という長い正式名称が付いている。

「日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。――換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。――現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。
●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ。
●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し。
●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。
●ソヴィエト連邦および中国革命の防衛」(『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)
このテーゼを採決する現場にいた人物こそ、近衛が天皇にその名を挙げた野坂参三(のさかさんぞう、中国名・岡野進)はじめ、片山潜(せん)、山本懸蔵(けんぞう)などである。
「三二テーゼ」が、日本における共産主義運動を支える基本綱領となっていたのは言うまでもない。当然の一致と言おうか、戦後になってGHQ民政局長ホイットニーたちが実行した日本改造計画と瓜二つなのだ。彼らが果たせなかったのは「君主制の転覆」だけで、他の目標の大部分は連合国、なかんずくアメリカ国務省内のコミンテルン分子の手によって成就された。救いだったのは、「敗戦から内乱に転化」して共産革命が成立する寸前に、世界規模の冷戦が始まったことであろう。コミンテルンそのものは一九四三(昭和十八)年に幕をいったん閉じるが、その果たした謀略の影響力は計り知れなかった。」
詳しくはこちらをご参照♥
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☆国家総動員、総力戦、徹底抗戦、本土決戦を主張していたのは、共産主義者です
そして、占領軍やアメリカ政府内にいた共産主義者が狙っていたのは、私たち日本の社会主義化でした♥
「 日本人はこうした言論操作にあまりにも無防備であった。…現行憲法の内容も「民主主義」憲法ではなく、「社会主義」憲法であることも批判されないように統制されていた。アメリカでさえなかった権利を、22歳の左翼ユダヤ人女子学生が、日本国憲法の女性の権利の条項を書いていたのである。
その成立過程からも、それをつくり出した左翼ユダヤ人・ケーディスら民政局の動向からも、これが社会主義憲法であることは明らかである。
それを「民主主義」といったのは、二段階革命路線の一段階目であったからである。あたかも、単に市民憲法であり、社会主義ではないかのように見せていた。
アメリカ政府が内部の左翼性に気づいたのは、2年後に民政局左翼の連中を追い出した時点であった。だが、それまでに五大改革がすべて実行され、日本人の分裂とモラルを壊す東京裁判も続けられた。すべてあとの祭りであった。OSSからCIAに変わったときには、すでに「OSS空間」がつくられていたのである。
問題は占領軍の弾圧体制が解かれた後も、その体制を日本人が自ら維持してしまったことである。…憲法制定だけでなく、財閥解体、農地解放、神道指令、公職追放、教育改革は、「民主化」以上に第一段階の「革命」をめざしていた。…利得者であった左翼は、徹底的にそれを利用した。マスコミだけでなく、教育機関の左翼化が、日教組、大学教員、官僚に浸透し、その方向で動いたのは周知のとおりである。
私はこのことを、日本の左翼化ではなく、「OSS空間化」と呼ぶことにする。つまり、OSSの「日本計画」がGHQの下で日本を階級分裂させ、軍部批判を起こし、社会主義化させようとした最初の計画だったからである。
OSSは共産党の野坂参三に政権をとらせようと画策した。一方で、中国で毛沢東を政権につかせることに成功した。一般にアメリカは蒋介石を支持したといわれているが、実はそうではない。この二人が、同じ延安にいたことは不思議な符合であった。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆22歳の左翼ユダヤ人女子学生がつくったもの
いかがでしょうか?
御覧のように、見事に繋がっていることが御理解いただけましたでしょうか♥ 私たち日本を戦争に引き込んだのは、共産主義者です♥

で、この極左の日本共産党と、現在のヘンテコ・リベラルの野党の違い、このあたりも重要なので次回ご説明させて頂きます。
最後に、昨年12月18日に、公安調査庁から「内外情勢の回顧と展望」(平成27年1月)が公表されていますので、そちらのご紹介をさせていただきます♥

沖縄での日本共産党と過激派の動向や、

日本共産党の「慰安婦問題」をめぐる主張や、

反原発運動への日本共産党の関与や、

平和安全法制に関する日本共産党の非常に矛盾した主張の展開など、分かりやすく解説されています♥

ぜひ、ご一読ください♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆公安調査庁 HP
続きは次回に♥
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