2016-01-09 (Sat)

ネル・グウィン(Nell Gwyn, 1650年2月2日 - 1687年11月14日)は、イングランド王チャールズ2世の寵姫。
ネル・グウィンは1650年、ヘレスフォードの貧民街で生まれた。父のトマス・グウィンは王党派の大尉だったが、1660年の王政復古を待たぬまま、投獄中にオックスフォードで獄死した。ネルの母エレノアは下層階級の出身だった。ネルは母と姉ローズとの3人暮らしになり、エレノアはエール(ビール)を売って生計を立て、ネルは11歳からオレンジ売りをするようになった。やがてネルは女優を志すようになり、彼女を見込んだウィリアム・シェイクスピアの甥の息子チャールズ・ハートと、劇作家ジョン・レイシーから、ダンスの手ほどきと舞台女優の訓練を受けた。
ネルは1665年に、15歳でドライデンの劇『インドの皇帝』の舞台に立った。これが彼女の初舞台だった。このデビューは大成功をおさめ、ネルはキングハウス劇場の劇団に入った。ネルはコメディ女優として、たちまち人気女優となった。ネルはハートの恋人となっていたが、1667年の夏に、ハートの金銭的な事情により別れ、その後バックハースト卿チャールズ・サックヴィルの恋人になった。しかしサックヴィルとも間もなく別れた。
1668年、ネルがデュークハウスで上演されていた、エサリッジの『できるなら彼女はそうしただろう』を観ていた時、同じく舞台を観に来ていたチャールズ2世と出会い、それからネルは国王の寵姫になった。彼女は王のことを、「私のチャールズ3世」と呼んだ。前述のチャールズ・ハートとチャールズ・サックヴィルという過去の恋人に続いて三人目の「チャールズ」だということで、そう呼んだのである。それでも王は、彼女のユーモアのセンスと気取りのなさを気に入り、その呼び名を許した。ネルは1670年の5月8日に息子チャールズを生んだ。
しかし、1671年にネルに強力なライバルが出現した。フランス貴族の娘ルイーズ・ケルアイユだった。ルイーズはルイ14世から、チャールズ2世をカトリックにするべく密命を帯びて、1671年にイングランドの宮廷に送り込まれた。チャールズ2世は、淑やかで美しいルイーズに夢中になった。ネルは取り澄ましてもったいぶったルイーズの事を、皮肉のきいた機知でよくからかった。ネルはそのうちにルイーズを「しだれやなぎ」や「やぶにらみ美人」と呼ぶようになった。この「しだれやなぎ」というのは王が美女の涙に弱く、またルイーズがそれを知っていた事を、「やぶにらみ美人」というのはルイーズが少し近視で、やぶにらみのようになる事を例えて言ったものだった。ネルは、その明るさとユーモアと機知で王を楽しませ、よく笑わせていた。ルイーズやホーテンス・マンチーニなどの他の寵姫達とは違い、ネルは田舎が好きで、よくチャールズ2世や息子と共に田舎で過ごした。また、ネルは友情に厚く、かつての劇場仲間を忘れず、彼らが困っている時は援助を惜しまなかった。
1673年にホイッグ党の陰謀者タイタス・オーツが、カトリック教徒がプロテスタントを虐殺してロンドンに火を放ち、チャールズ2世を暗殺して弟のヨーク公ジェームズを王位につけるつもりだと公言した。ロンドンは大混乱に陥り、海軍省書記官のサミュエル・ピープスまでが、秘書と共に無差別のカトリック一斉検挙で投獄されてしまった。ピープスは、ネルの舞台を観てファンになり、その後に友人になっていた。ネルはチャールズ2世にピープスの無実を訴え、彼を暗殺犯のリストから取り除いてくれるように頼んでもいる。
タイタス・オーツの陰謀により、カトリックへの急進的な反発が渦巻いていた頃、ネルの乗った馬車がオックスフォードで群集に取り囲まれるという事件が起きた。彼らはネルの馬車に王家の紋章が付いていたため、ルイーズ・ケルアイユの馬車だと思ったのであった。ネルは窓から顔を出すと「皆さん、乱暴しないで。私はプロテスタントの娼婦よ!」と叫んだ。群衆は、「ネルが一緒なら仕方ないや。」と殺気だった雰囲気が薄れ、すぐに「ネル!ネル!」の大合唱が起こり、馬車を通したという。

ルイーズ・ケルアイユ
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 明治の元勲たちをつくった江戸時代の教育について…

伊藤博文
この人(明治の元勲)たちはたった数カ月ヨーロッパに行っただけで、憲法がなかったらこんなになってしまうんだということ、日本は憲法を作らなくちゃならないということを見抜いたわけです…しかも、そこで【キリスト教に代わる、日本という国をまとめる存在として天皇陛下がいらっしゃるということに気づいた】。

欧米で言う人権や平等は【神から見ての平等】なわけで、キリストから見れば人間はみんな一緒、というのが平等の意味です。

人間の中に金持ちや貧乏な人などいろいろな人がいても、一方で神様から見たら人間は皆平等だというのがあるから、【別にいろいろな人がいてだから格差があってもかまわない。それを履き違える人が日本には多い】…そういうキリスト教のような存在が日本にはない…

でも、【日本にはご皇室があると気づいて、大日本帝国憲法(明治22年/1889年)を作っていった】。

新皇居於テ正殿憲法発布式之図(1889年、安達吟光画)
言葉も違うし、文化や風土も違う所に行ったのに、なぜ彼らはそういうところに着眼できて、きちんとした憲法を日本に作ることができたのか。…

二つの次元に分けてお答えしましょう。
最初は通り一遍の回答から言ったほうがいいでしょう。彼らをつくった【江戸の教育】とはどういうものだったか。江戸時代の初等教育は【寺子屋】で「いろは」を教え、聖徳太子による【十七条憲法(604年)】や鎌倉時代の【貞永式目(じょうえいしきもく/1232年)】を教える。つまり、【国語と社会と道徳が一体化】していました。

寺子屋の筆子と女性教師 一寸子花里「文学ばんだいの宝」
貞永式目を学べば、「日本というのはこういう社会だ」ということがわかります。貞永式目はもちろん鎌倉時代に作られたものですが、実は【江戸時代にも生きていますし、今の民法にも入っている】んです。

民法で、土地を無断で使用(占有)して20年間、地主が何も言ってこなければ、その土地は使用していた人のものになるというのがありますね(→民法の取得時効の概念)。あれはもともと貞永式目にあったのです。…

気がついたら北条泰時(やすとき)が取得時効の概念を発明していた。そのぐらい貞永式目というのはすぐれものなんです。

北条泰時
貞永式目を学ぶと【裁判の規範がわかりますから、道徳がなんとなくわかる】。江戸時代に徳川吉宗が【公事方御定書(くじがたおさだめがき/1742年)】を作っても、当時は刑法の罪刑法定主義なんてありませんから、【公開しない】んですね。

徳川吉宗像(徳川記念財団蔵)
※罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)とは、ある行為を犯罪として処罰するためには、立法府が制定する法令(議会制定法を中心とする法体系)において、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定しておかなければならないとする原則のことをいう。
御定書を見せないでおいて、実はこういう掟(おきて)があったのだ、というようなことをやる。当時は、「見せたら裏をかくやつがいるから見せない」などということが平気で罷(まか)り通っていました。でも、貞永式目を読んでいれば、だいたいこういうことを守っていれば社会でおかしなことにならないというのがわかるわけじゃないですか。…」

寺子屋書初歌川豊国(初代)画 文化1年(1804) 国立国会図書館所蔵
で、【寺子屋の授業というのは一斉授業ではない】んです。【違う学年の子どもが同じ教室】に行って、小さい子は「いろは」を習う。「じゃあ次、お前はこれをやれ」と、一枚の半紙にひたすら字を書いていったりするわけです。その内容は【習熟度によっていろいろ】で、漢文を書く子もいれば、三行半(みくだりはん)という離縁状の書き方も習うわけです。将来結婚して、離婚するときになったら、書けないと困るからと。

つまり、【寺子屋というのは社会で生きていくための知識を学ぶ場所であって、先生のイデオロギーが入り込まない】んです。

同じ時代の【支那(しな)の教育】だと、先生が漢文を延々と音読して丸暗記させる。同じ時代どころか20世紀になってもそうだったんですが、【これは寺子屋とは「似て非なるもの」どころか、似てもいないし非なるもの】です。

漢文の丸暗記は教育として成立していない。だから、支那では学校の先生の社会的地位は低かった。一方、日本の寺子屋の先生は、そう高いわけではないですけど、浪人さんとか、神主さんとか、お坊さんとか、そう低いわけでもない人がやっていました。
【江戸時代の識字率はほぼ100%】です。

よく識字率60%という数字が言われていますが、あれは漢字が読めない人の率なんです。【世界の識字率一位が断トツで日本】、二位・三位が英仏で識字率40から50%ぐらいだとよく言われるんですけど、【英仏のその数字はアルファベットが書けるかどうか】です。

【英仏は王妃様が自分のイニシャル二つしか書けないという時代】です。イングランドのチャールズ二世の愛妾(あいしょう)だったネル・グウィンはNとGしか書けません、みたいな。…

識字率といっても中身が全然違うわけです…戦国時代だって、日本のお姫様で読み書きができない人なんていない…
【貴族階級ですらヨーロッパは識字率が低い】んです。次男以下は単なる穀潰(ごくつぶ)しだから教育しない。いざというときのスペア以外のなにものでもない…

少女時代のマリア・テレジア
もちろん、国と時代にもよります。ハプスブルク家のマリア・テレジアは、「うちのマリー・アントワネットはできが悪くて五カ国語しか読み書きできません」なんて言ってますから。

マリー・アントワネット
ただ、それでも、【ヨーロッパはどこの国でもエリートしか教育しなかった】。【教育を受けられるということ自体、特権階級なんです】。
【日本はそこが全然違います。末端まで行き渡っている】。

だって、江戸時代に立て札が成立するんですから、平仮名で書いておけば全員読めるし、漢字が混じっていたら「庄屋さん、読んでください」ということになる。庄屋さんの権威を高めてあげるときはわざと漢字を多くするみたいなことをするんです。そもそも、出版が商業として成立していますからね。おとぎ話の赤表紙、歴史や軍記物の黒表紙、大人向けの黄表紙といったように。

歌川広重「東海道五十三次・藤川」

立て札部分の拡大図
読み書き算盤(そろばん)と言いますけど、算術ができなかったら商業も発達しないです…
【ヨーロッパはキリスト教が数学を禁止している時代が長かった】ので、「数学ができるようなやつは魔女だ」と火あぶりになってしまった時代も長いんです。ヨーロッパで数学ができるのはユダヤ人かアルメニア人だとよく言われます。たまにイスラム教徒とか。

一方日本では、算盤を練習すると暗算もできるようになるし、江戸時代にはあちこちの神社に算額が掲げられて、和算の本がベストセラーになったりしています。
江戸時代は、初等教育ですでにこのレベルですよ。断トツで世界一です。』

いかがでしょうか?
私たちの日本が、明治時代よりも前に、断トツで一位の教育水準を誇っていた事が、御理解いただけましたでしょうか?
これが著者の言うところの二つの次元のうちの一つの側面です。もう一方の側面は、次回以降で明らかになります♥
ここで大切なのは、私たち日本では、全国津々浦々、初等教育が行き届いていたってことです。つまり、戦後の教科書に一時期書かれていたような、例えば「士農工商」みたいな「階級に分かれた身分制度」なんて存在していないことが、ここからも理解できるんです♥
ところが、諸外国では存在していたんです♥それも、最近まで♥今でも、「身分制度」と言わないまでも、子供たちが、わずか10歳程度で将来の道が決定づけられる先進国と呼ばれる国がありますね?御存じでしょうか?
それが、ドイツです♥この辺りのお話は、別の機会にさせていただきます♥
今回は、お隣の国の例で見て参りましょう♥
「 朝鮮では女性差別も甚だしかった。日本が1910年に韓国を併合して、まず人口動態を調べようとしたら、統計がない。戸籍すらない。しかも、女性には「名」がないことも分かった。「姓」はあるが、「朴さんのところの嫁さん」という通称だけで、個々の名前がない。そこで日本人が名前を付けさせ、戸籍をつくった。それほど朝鮮人女性というのは差別されていた。実際、つい最近、娘の友だちが韓国人に嫁いだら、「朝飯を男は居間で食って、女は台所で食う」という。それで、さっさと離婚して帰ってきた。
朝鮮の古い文献を見ても、「閔妃(ミンピ)」などという妃(きさき)の名は出てくるが、下層階級の女性の名は出てこない。日本が戸籍をつくってから、「芳子」とか「君子」とか、日本式の「子」のつく名前が急に増える。それを「ヨンジャ」とか読むのだが、それは名をつける伝統がないから日本の真似をしたということだろう。「女性を大事にするかどうか」は、文化のバロメーターだ。女性の待遇をみれば、その国の文化がわかる。それだけでも、日本と朝鮮にはものすごく大きな違いがある。
ちなみに、日本では「女流文学」がすでに11世紀には成立している。西欧に500年先駆けている。紫式部、清少納言をはじめ、女流作家がぞろぞろいた。江戸時代には寺子屋制度もできるが、寺子屋の先生は3分の1が女性だった。教育の普及に加え、有職(ゆうそく)の婦人がすでにそれだけ存在したことは世界の奇跡と言ってもいいほどだ。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「レリゴ~」は、ありのままで。 「アイゴ~」は漢字のままで。 ~ 「日本人の泣き方」と「朝鮮人の鳴き方」
「 最近は韓国の正体をあえて書く本が日本で次々と出るようになった。藪(やぶ)をつついて蛇を出すとはこのことだが、韓国の正体は日本人の想像を超えているのではないかと思うので、韓国理解のための補助線をもう一本引いておこう。
③それは都市化の問題である。
昔の韓国には都市がなかった。日本に併合されてから…少しずつ都市が誕生した。都市には商店街が出現し、その一画には遊女がいるようになった。自由で個人営業の遊女である。
これを当然のことと思ってはいけない。李王朝時代の韓国では、両班以上の男性から招かれて参上する女性には特別の身分があった。それは職業ではなかった。妓生(キーセン)といって、帰りにはたくさんの下賜品があった。お招きがあれば、五十歳でも六十歳でも参上したのは職業ではなく身分だからで、彼女らには廃業はなかった。…
韓国は昔から女性不足の国で、それを支配した北方の中国も女性不足だったから、韓国は毎年、何百人もの両班の娘の献上を中国から強制されていた。…
韓国が慰安婦問題にこだわるのは、それ以外に日本を脅すカードがないからであろう。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆妓生は職業ではなく「身分」です
と、まあこんな感じで。。。お分かりでしょうか?お隣の朝鮮では、身分差別があって、女性蔑視があって、いわゆる売春婦も「職業」ではなくて「身分」であって、それは、現在も継続している事実なんです♥
日本人として生まれてきて、本当に良かったって思います♥
で、最後に、江戸時代のあちこちの神社に掲げられた算額について。

群馬群榛名町 榛名神社 (文化8年(1811) 石田玄圭一徳門人 奉納 )
みなさんは、チャレンジされたことがありますでしょうか?

では、その算額からの出題です♥
こういった書籍が出ていますので、ご興味あれば、是非、買って読まれてみられることをお勧めいたします♥
↓
それでは、問題です♥

今から、200年前の江戸時代に、神社に掲げられた問題です♥
みなさんは、簡単に解けますでしょうか?

続きは次回に♥
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