2015-12-31 (Thu)

カンボジア王国(カンボジアおうこく)、通称カンボジアは、東南アジアのインドシナ半島南部に位置する立憲君主制国家。ASEAN加盟国、通貨はリエル、人口1,513万人、首都はプノンペン。1970年にカンボジア王国が倒れてから勃発したカンボジア内戦を経て、1993年に誕生した。
南はタイランド湾に面し、西はタイ、北はラオス、東はベトナムと国境を接する。国民の90%以上が、クメール語(カンボジア語)を話し、仏教(上座部仏教)を奉ずるクメール人(カンボジア人)である。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 カンボジアへは度々行くのですが、最近行った時に、欧米からのバックパッカーが集う安宿にあえて滞在してみたことがあります。近くには雑然とした市場や、10名前後の女性を揃える売春宿などがありました。

いい機会なので、そこに泊まっていたドイツ、オーストラリア、フランス、アメリカ人らと会話をしましたが、威張り腐ったりする者などおらず、みんな気さくに話してくれました。
「どこから来たの」と聞かれて、「フロム・ジャパン」と言うと、「オー、日本人ですか。どうかよろしく」と丁寧に接してくれ、我が恋女房に対しても、エレベーターを「お先にどうぞ」と譲ってくれました。
彼ら白人たちと接していて、いつも不思議に思うのが、なぜこれほど気さくな人々が、【アジアの国々を植民地化し、500年間にもわたり有色人種を苦しめ、略奪、搾取、虐殺を行った】のか、ということです。

私はアジアの国々で白人帝国主義、植民地時代の残虐さを嫌になるほど聞いてきました。あまりにもおぞましくて文章や言葉では表せないほどです。なぜ、これほど残虐になれたのかと不思議でたまりません。

私は別に、白人を憎めと言っているのではありません。【私たち日本人も有色人種の国家、国民であるならば、アジアの国々の植民地時代500年の歴史をしっかり知るべき】だと思うのです。

滞在中にカンボジアの仲間や友人と、プノンペン市民に大人気のクラブでドンチャン騒ぎをしたことがありました。クラブといっても倉庫を改造したような店です。カンボジアの男たちも酔いが回るにつれ、口も軽くなり、静かにしていた女性陣も大声で話すようになります。クメール語、日本語、英語で話が何とか通じるのも面白く、おかげで呑み過ぎて、翌日二日酔いになりました。

カンボジアは、【日本の悪口プロパガンダを常にやっているチャイナやコリア】と関係が深いのですが、それでも【カンボジア人は日本が大好き】なのです。

「本当は日本が嫌いな奴もいるだろう。私が日本人だからと遠慮しているのではないか?」
と聞くと、彼らはムキになり、反論します。
「絶対に違います。カンボジア人で日本を嫌いな人はいません」
カンボジアの大学で日本語を教える60代の日本人教師は笑顔でうなずきました。
「私は、これまで日本人の悪口を聞いたことがありません」
カンボジアの人々は日本を尊敬しています。原子爆弾を二つも落とされ、徹底的に叩き潰されたにもかかわらず、日本人たちは必死に頑張って、世界で最も豊かな国になった。カンボジアも日本のようになりたい、と口々に語るのです。

カンボジアの大学生たちと語り合い、喜びと希望もありましたが、この国の悲しみを深く知ることにもなりました。【驚くことに彼らは近現代史をほとんど知らない】のです。

フランス植民地、日本進出、ロン・ノル時代のことを話しても、「聞いたことはある」だけ。

200万人を虐殺したといわれるポル・ポト時代(1975~1979年)以外の事はあまり分からないと言うのです。ポル・ポト時代があまりにも残虐過ぎて、他の近現代史はほとんど教わっていないようでした。【カンボジアは一部の大きな悲劇だけが伝わり、大事な近現代史を奪われてしまった】のです。

ある意味で【日本と似ている】と思いました。

わが国は戦争に敗れ、GHQ(連合国軍総司令部)により「日本の戦前は暗闇」「すべて日本が悪い」と、【日本人から誇りと自信を奪う教育】が徹底して行われました。私たちはいまだにその後遺症に苦しんでいます。』

いかがでしょうか?
歴史教育をキチンと受けていないのは、カンボジアと日本の共通点ですね♥
カンボジアは、人口1500万人程度の、まだまだ小さな国ですが、そのまじめな国民性やASEANとしての地理的条件などから見ても、今後飛躍していく可能性が高い国です♥
自国通貨はありますが、現地で流通している通貨は米ドルです♥しかも、定期預金ですと金利が、うんと高くついてくるんです♥

詳しくはこちら♥ ⇒ プノンペン商業銀行 ドル預金
プノンペン市内の不動産価格は、坪300万円程度で、東京の一等地並みなんですよ♥街中では、日本円で2000~3000万円相当の高級車が、バンバン走っています♥
自国通貨が弱すぎる点が問題ですけれど、そのほかの条件は、概ね良好だと思います♥
そんなカンボジアの学生さんの様子がこちらです♥
↓
さて、昨日は、マレーシアならびにマレー半島の先端にある小島、つまりシンガポールが、地政学的に非常に重要な地域で、この地域を支配した国が覇権を握ってきた、というお話をさせていただきました。

いま、支那が侵略をしようと狙っているのも、まさにこの地域です。

カンボジア、ベトナム、ラオスといった国々は、フランスが植民地として支配していました♥フランス領インドシナっていいます。

画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ ☆アジアの主な植民地
フランスが植民地として支配していた地域は、こんな感じになります。

色が薄い方が歴史が古い時代で、色が濃い方が歴史が新しくなっています。つまり、だんだんと支配地域が縮小していることが、一目瞭然ですね♥
これは、カトリックの盟主だったスペインがプロテスタントの帝国だった海賊国家イギリスに敗れたあと、同じくカトリックのフランスが、プロテスタントのイギリスに次々と破れていったからです♥
「 まず、ある事件をお話ししたいと思います。「ブラックホール事件」です。高橋さんのこの本では「黒窖(こつこう)事件」という表記がなされています。
「南印度のカルナチック方面では、英仏の衝突が盛に繰返されてゐたが、ベンガル方面では両国の関係は平穏であつた。」
カルナチック方面というのは南のほうです。マドラスとかマイソールとか書いてある、そのあたりです。ここにはイギリスとフランスの双方が入って主導権争いをしていました。ベンガル方面というのは、カルカッタ(現コルカタ)などのある北東のほうの一帯です。
「カルカッタの英人居留地の付近には、仏の居留地シャンデルナゴルと、和蘭(オランダ)のチンスラとがあつた。其の距離は互に三、四哩(マイル)位で(※1マイルは約1・6キロ)、ともにフーグリ河(ガンヂス河下流の支流)の付近にあつた。それは、ベンガル王が欧羅巴(ヨーロッパ)人間の闘争を嫌ひ、領内の欧羅巴人から献納金を納めさせて貿易を許してゐたからであつた。
十八世紀の半頃、南印度のカルナチックでは英仏の衝突が繰返され、英人の勢力が次第に拡められて行ったので、其の報道は、ベンガル地方の英仏両国人の間に、一種不安の空気を漂はせ、両国人は万一に備へて、カルカッタとシャンデルナゴルに城塞を築いた。
時のベンガル王スラジャ・ドーラは両国人に向かつて戦備を整へることを禁じたが、其の際、英人の態度が著しく傲慢であつたといふので、王は英人に対して悪感(おかん)を持つた。ベンガル王は前々から英国人の態度に注意し、其の将来の発展について恐怖してゐたのであつた。
一七五六年六月(※江戸中期ですね)、土王(※土地の王さま、土着の王さま)スラジャ・ドーラは自ら五万の大軍を率いてカルカッタ(※イギリス人たちの居留地ですね)を襲った。英人はウイリヤム城に據(よ)らないで(※籠城しないで)、城の外を班に分けて防いだ(※いくつかの部隊に分かれて、ドーラ王の軍隊と戦った)。十六日に兵火を交へた。嘗(かつ)て戦を知らなかつた幻の楽園フーグリ河畔は、この時砲火に洗礼せられた。これがやがて全印度が英国人の掌中に収められる意味深い洗礼であらうとはガンガーの女神――印度人がガンジス河をガンガーの女神と呼ぶ――も知らなかったであらう。十八日には激しい市街戦となり、英国のベンガル総督ドレークは婦女子を伴ひ、船で同地を逃れ、職員(イギリス側の戦闘員たち)はウイリヤム城に入った。二十日城兵は降参した。スラジャ・ドーラは城に入って金銀財宝を略奪したが、それが少なかつたので失望したといふ。降参した英人百四十六人は十八呎(フィート)四方―― 一呎は約一尺 ――の堅固な牢屋に押入められた。」
日本間で一間は六尺ですから、十八呎は三間。三間四方というと…どれくらいの広さでしょう?
三間×三間ですから九坪、すなわち十八畳。そんなところに百五十人近い男たちを押し込めたというんですが、さあ、そんなに入るでしょうか?」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ブラックホール事件 【プロテスタント】のイギリス vs 【カトリック】のフランス
そして、江戸時代末期、海洋覇権を握った海賊国家イギリスと、ユーラシア大陸に領土を拡張するロシア帝国、この二つの国家が私たちの日本がある東方へと侵略を続けていきます。

やがて、20世紀でもっとも重要な変化が起こります。革命によってロシア帝国が倒され、史上初の社会主義国家・ソ連がユダヤ人たちによって確立されます♥この社会主義国家を支配したのは、まぎれもなくユダヤ人たちでした♥
そして、本来は戦争をする必要がなかった国々が、互いに対立するように仕向けられていきます♥

「第二次世界大戦前、ソ連は日米英独の四大国を敵に回し、いつ滅びてもおかしくない状態でした。ところが、スターリンという指導者は日米と英独の戦争を煽りに煽り、共倒れのようなつぶし合いをさせて見事に生き残りました。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆どうして日本とアメリカが。。。
そして私たちの日本は、大東亜戦争に挑みます。白人により植民地化されたアジアの国々の解放です♥
ハワイの真珠湾攻撃が始まりのように教えられていますが、私たちの日本が目指したのは、アジアの植民地の解放ですから、最初の攻撃も、アジアで行っています♥それが昨日ご説明させて頂いた「マレー上陸作戦」でした♥
では、大東亜戦争に至る前の仏領インドシナは、どういう状況だったのでしょう?

「 日本では国策の日本航空輸送が創設(1929=昭和4年)され、主要都市を結ぶ航空ネットが出来上がった。追いかけるように純民間航空も続々生まれた。
一歩先を行く欧米の民間航空は早々に国際間の航空路を開拓し、サービスを競った。オランダ航空は豪華な食事を乗客に振舞う「空飛ぶ食堂車(Flying Dining Car)」まで登場させた。
こうしたサービスは女性蔑視のキリスト教世界では男性の仕事とされてきたが、それを米ボーイング社が破った。“船酔い”などに対応するという口実で看護婦の中からすこぶるつきの美女を選んでスチュワーデスとして乗務させた。これが1930年のことだった。
キリスト教国でもない日本は翌31年、東京ー下田を結ぶ民間航空会社が当時のお嬢様学校、白鷗(はくおう)やフェリス出身の女性を採用し乗務させた。スチュワーデスにごく普通の女性を採用したのは、実は日本が世界の航空界で初となる。
日本航空輸送は38年(昭和13年)、大日本航空と改名して国際線に進出した。台北、京城、サイパン、コロールに加え、満州の新京、奉天、支那大陸の北京、南京、青島にも飛んでいた。
このほか大日航の系列として満州航空、中華航空が設立され、満州域内と北京、上海、広東など重慶を除く支那のほぼ全域に路線網を広げていった。…
しかし順調に伸びる航空路線図は東南アジアで悉(ことごと)くストップを食った。とくに仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)が大きな障害となった。
日本はこの年(1938年)にタイとの間で相互乗り入れを調印したが、フランスはバンコクに向かう日本機が仏印の上空を飛行することを拒否した。大日航機はしょうがなく大きく迂回するルートを飛んだ。
英領ビルマのラングーン空港は欧州諸国機が乗り入れていたが、ここも英国が日本機の乗り入れを拒否、米領フィリピン、蘭印(インドネシア)もそれに倣(なら)った。
この頑なさの理由は簡単だ。飛行機は白人の強さ、権威の象徴だった。
仏印ではベトナム人によるテロや反乱はしょっちゅう起きていた。これに対し仏印植民地政府は第一次大戦当時の旧式爆撃機ボテ1機を飛ばして「機銃掃射を加えればベトナム人は戦意を喪失して大人しくなった」と、アンドレイ・ビオリスの『インドシナSOS』にある。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆飛行機は○○の強さ、権威の象徴だったんです
要するに、カトリックのフランスも、やっぱり残虐なキリスト教徒なんですね♥
神道の日本人に生まれて、良かったです♥

最後に、この動画をどうぞ♥
続きは次回に♥
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