2015-12-03 (Thu)

熊襲(くまそ)とは、日本の記紀神話に登場する、九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる人々で、また地域名を意味するとされる語である。古事記には熊曾と表記され、日本書紀には熊襲、筑前国風土記では球磨囎唹と表記される。
古事記には、景行天皇の皇子であるヤマトタケルによるクマソタケル(熊襲建、川上梟帥)の征伐譚が記され、日本書紀においては、それに加え、ヤマトタケルに先立つ景行天皇自身の征討伝説が記される。特に前者は、当時小碓命と名乗ったヤマトタケルが、女装しクマソタケル兄弟の寝所に忍び込み、これらを討ち、その際に「タケル」の名を弟タケルより献上されたという神話で有名である。
こちらもご参照♥ ⇒ ☆熊襲踊りとヤマトタケル伝承

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この史書(=『魏志倭人伝』)の概要は次の通りです。
「倭人は帯方郡の東南、大海の中におり、山や島に国や村をつくっている。旧(もと)百余国あり。漢の時代、朝見するものあり。いま使者(通訳付き)を送ってくる国が30ほどある。

帯方郡から倭に至るには、海岸に沿って船で移動し、【韓国】を経て南下し、次いで東へ向かい、倭の北岸【狗邪韓国】(くやかんこく / 3世紀中頃に朝鮮半島南部にあった国。先の韓国とは別の国。)に至る7千里なり。」

ここまでの記述から、海岸に沿って南下し、さらに東へ向かうと、朝鮮半島南部に倭の北岸がある、つまり、倭人が朝鮮半島南部に住んでいて、その朝鮮半島南部は倭人の国だっていうことが理解できますね♥日本海を渡る前に、倭人の国があると書かれているんです♥そして、このあと、日本海を渡ります。
「 始めて一海を渡る千余里、対馬国に至る。…対馬には千余戸ある。良田なく海産物を食べ船で交易す。
また対馬の南の海峡を渡る千余里、一大国に至る。…3千戸ばかりの家あり。田畑はあるが船で交易す。
また一海を渡る千余里、末廬国(まつろこく、まつらこく)に至る。4千戸あり。皆潜って魚をとる。」

ここまでの記述から、朝鮮半島南部から初めて日本海を渡り、まず対馬、そしてさらに海を渡り壱岐へ、さらに海を渡って末廬国(まつろこく)、つまり東松浦半島・唐津付近に上陸したことが分かりますね♥

「 東南に陸行、5百里にして、伊都国に至る。…家は千余戸。代々王はいるが【女王国に属す】。ここは【帯方郡の使者が常に留まる所】なり。
東南、奴国に至る百里。2万余戸あり。
東行、不弥国に至る百里。…千余家あり。
南、投馬国に至る水行20日。…約5万余戸あり。
南、【邪馬台国に至る】、女王の都する所、水行10日陸行1月。…約7万余戸あり。」

ここで、よく勘違いをしている人が多い重要なポイントが書かれています。それは、「水行20日」とか「水行10日陸行1月」と書かれている部分です。水行、つまり川を遡上するのに20日とか10日もかかり、さらに陸路で1カ月も要するのだからと、勝手に当時の移動速度を計算し、挙句に邪馬台国は近畿にあったはずだ・・・なんて目茶苦茶なことを発言している人が、とっても多いんです♥
そんな計算をしても、しなくても、答えは簡単に出てくるんです♥
そのためにも、帯方郡からの、ここまで記載されている移動距離を確かめておきましょう♥
帯方郡 → 狗邪韓国 = 7千里
狗邪韓国 → 対馬国 = 千余里
対馬国 → 一大国 = 千余里
一大国 → 末廬国 = 千余里
末廬国 → 伊都国 = 5百里
伊都国 → 奴国 = 百里
奴国 → 不弥国 = 百里
不弥国 → 投馬国 = ?
投馬国 → 邪馬台国 = ?
書かれている距離のみの合計で、1万7百里となります♥そして、次をご覧ください。
「 女王国より北、戸数・道里は略載できるも、他は遠く国交なく記載できず。今まで記した国以外に女王国の北の国は21カ国ある。これが【女王国の境界の尽きる所なり】。
【女王国の南に狗奴国(くなこく)あり。男子を王とす。官に狗古智卑狗(くくちひく)あり。女王に属せず】。
帯方郡から女王国に至る距離は1万2千里なり。」

帯方郡から女王国に至る距離は1万2千里だって、ハッキリと書かれていますね♥ですから、先ほどの「1万7百里」を引き算すれば、残りはたったの「1300里」となります♥
ですから、邪馬台国が九州から飛び出るなんて、ありえない妄想なんです♥
「【男子は大小となく皆黥面文身(げいめんぶんしん)す】。…いま倭人が水に潜り魚貝をとり、体に入れ墨するは大魚や水禽から身を守るためである。それが次第に飾りとなる。クニ毎に入れ墨が異なり、或いは右側、或いは左側、或いは大きく、或いは小さく、尊卑による区別あり。…」

入れ墨をしていたって書かれていますね♥
勇敢なニュージーランドの原住民のマオリ族も入れ墨をしていましたね。

マオリ族の青年
こちらもご参照♥ ⇒ ☆突然、平和な島国にやってきた「プロテスタントの帝国」 ~ マオリ族の戦い

「その風俗淫(みだら)ならず。…父母兄弟寝るところが異なる。…食するときは高坏を用い手で食す。人が死ぬと棺にいれ土を盛って冢(つか)を作る。…敬う人にあうと手を打ってお辞儀の代わりにする。…倭人は長寿にて百年、あるいは8、90年。その俗、国の大人は皆4、5婦、下戸もあるいは2、3婦。一夫多妻である。婦人淫せず、嫉妬せず、盗みせず、訴訟少なし。法を犯すと、軽き者は妻子没収、重き者は一家、宗族滅す。身分秩序あり、税制あり、立派な家もある。市場あり。それを監督する官もおる。
卑弥呼の住む女王国の北には1人の統率者をおき諸国を検察させる。彼は伊都国におる。…
かつて男王がおり、その7~80年間、倭国乱れ、戦が何年も続いた。1女子を立て王となす。名は卑弥呼。…
女王国の東、海を渡る千余里、また国あり。みな倭種なり。
倭国から海を渡り、行くと様々な国あり。」 …
このように、倭国とシナは古より交流し、シナは当時の倭国の状況を詳しく知っていました。しかも『三国志』にある「倭人」の条は、「高句麗」や「韓」(馬韓、辰韓、弁韓)に比べても記述量も多く、詳しく書かれています。…
では…邪馬台国は何処にあったというのか。そこに至るルートは明記してあり、素直に読めば容易に見当が付きます。…
先ず「その北岸狗邪韓国に至る」とあるように、「その」は「倭」を意味し、「倭人」の地域が「狗邪韓国」とは奇異に感じますが、「韓」(馬韓)の祖先は「倭」だったのですから、この理解は当を得ています。半島の南部は倭人の住む地域だったということです。
そして女王国、即ち邪馬台国の都より北にある、女王国連合に属する国名が21並び「これ女王国の境界の尽きるところなり」とあります。
次いで、「帯方郡より女王国に至る1万2千里」とあり、この文章からシナ人の理解する倭国の領域は、半島南部から対馬・壱岐を経て北部九州を含む地域を指しており、女王の都、邪馬台国も北部九州にあることは明らかです。…

方位といい距離といい、筑後川下流域の南方、旧山門郡周辺が有力候補となります。
魏志倭人伝に書いてある通りに読めば、話は簡単なのです。

では、女王国連合に属する国名が21並び、次いで「これ女王の境界の尽きるところなり」と記した後の一文は何を意味するのでしょう。

「その南に狗約国あり、男子を王となす。その官に狗古智卑狗(くくちひく)あり。女王に属せず。」
北部九州説は、
「狗奴国は筑後川下流域の南、【熊本県】を指し、【記紀に記されている熊襲(くまそ)国のこと】です」
と答えます。何の無理もありません。…
では狗古智卑狗(くくちひく)とは誰か。彼を【狗奴国の菊池彦】とすれば、菊池地方や菊池川が女王国の領域に入るので「女王に属せず」なる魏志倭人伝の記述と相容れません。筑肥山地を邪馬台国と狗奴国の境界とすれば、菊池川や菊池市は狗奴国の領域となり、無理なく説明できます。…

では女王の都する邪馬台国は具体的にどこにあったのか。

それは…旧地番で福岡県山門郡瀬高町と推定しています。

具体像としては、現在のみやま市瀬高町【女山(ぞやま / 旧名 女王山)】の西の高台、【女山神護石(ぞやまこうごいし)周辺】に卑弥呼の宮跡があったのではないか。そこからは2本の中広銅矛や秀麗な首飾りが出土しています。…

画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ ☆女山史跡森林公園・女山神籠石
周辺からは祭祀に用いられる中広鋒銅矛が多数出土しています。周辺からは弥生中期から後期にかけての甕棺墓、土こう墓、石棺墓などの墓地郡があり、鉄剣、鉄斧、方製鏡も出土しています。
町の観光パンフには高さ5メートル、周囲約140メートルの円墳・権現塚は【卑弥呼の墓】と紹介されています。

画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ ☆権現塚古墳


更に、塚原巨石群には、【戦前「卑弥呼神社」があった】とのこと。何れにしても、これらの話はここが女王の住む都であった傍証として無視出来ないと考えています。』

いかがでしょうか?
日本書紀や古事記、あるいは魏志倭人伝、それらに記されている事柄が、決して作り話や空想なのではなく、今でも語り継がれるとおり、また各地に残されている遺跡が示すとおり、事実である蓋然性が高いことがお分かりいただけましたでしょうか?
古来より、立派な文明を脈々と続けている、それが私たち日本人なんですね♥
続きは次回に♥
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