2015-11-28 (Sat)

川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年)5月11日 - 2009年(平成21年)7月8日)は、日本の地理学者、文化人類学者。
三重県出身。京都帝国大学文学部地理学科卒業。文学士。東京工業大学教授を経て川喜田研究所代表、筑波大学教授、中部大学教授、東京工業大学名誉教授。元日本ネパール協会会長。財団法人・日本エスペラント学会顧問。実父は、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれる川喜田半泥子で、その次男である。銀行家で元百五銀行頭取・会長を務めた川喜田壮太郎は実兄。実姉の澄子は民族学者岡正雄の妻。
KJ法は、文化人類学者の川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)がデータをまとめるために考案した手法である。KJは考案者のイニシャルにちなむ。
データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめていく。共同での作業にもよく用いられ、「創造性開発」(または創造的問題解決)に効果があるとされる。
「KJ法」は(株)川喜田研究所が商標登録し(登録商標日本第4867036号)、正規の教育・コンサルティングを行なうための認定を行っている。また、コンピュータで使えるソフトウエアで、KJ法を使えると称したものが配布・販売されているが、「KJ法を使える」ことを謳うだけであれば商標の使用にはあたらないものの、川喜田研究所から商標の使用許諾を受けずに「KJ法」を商標として使用している場合には商標権侵害になる。


戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 近頃、一般教養で「文化人類学」を選択したことが古代史研究に役立っている、そう思うようになっています。担当教授は…【川喜田二郎】、その講義を通して学んだことはただ一つ。
「 ある民族や事象を把握するには、【定説や既成概念】にとらわれてはいけない。立派な肩書きの方々の意見も【根拠】を確かめよ。多数派も意味をなさない。持論にとらわれてもいけない。多方面から可能な限りデータを集め、分析し、玉石を見分け、虚心坦懐にデータをして語らしめよ」 。

この手法は古代史研究に適用出来るからです。分からなければ、関連する多くのデータを集め、【科学的・論理的】に扱わねばなりません。さしたる根拠もないのに、ああ思う、こう思うと自己主張する者の前に、古代史は真の姿を表さないのです。

もう一つ学んだことがあります。当時、【江藤淳】教授が「文学」を担当していました。先生は【戦後、誰もが貝のように口を閉ざしていた「検閲」を暴いた巨星】でした。

江藤淳
友達から「おもしろいから」と誘われ、講義を聴きに行くと、確か本館の大教室で、薄明かりのなかでうつむき加減に語っていた小柄な先生の姿を今も覚えています。しかし先生の口からでた言葉は衝撃的なものでした。

私は、「戦前は言論の自由はなかったが、戦後自由になった」と教えられてきたのですが、先生は「戦後の日本には言論の自由は一切なく、全てが検閲を受け、今日の言論空間が形成された。現行憲法も占領期に米国から与えられたものだ」とおっしゃる。

しかも「検閲は違法行為故、タブー視され、反米親中ソの社会党、共産党から朝日新聞、大手出版社、NHKなどまで、誰もが口を閉ざしてきた。だから一般国民はこの事実を知らない」というのです。

事実確認は性癖であり、その後、先生の『閉ざされた言論空間』、『一九四六年憲法 その拘束』、『忘れたことと忘れさせられたこと』を読み、今、私たちが呼吸しているこの言論空間が【違憲検閲によって成り立っている】ことを確信した次第です。




【中学校時代の社会科授業の不愉快さ、日本を悪し様に言いつのる教師たち】、だから私は理系に進んだのですが、その根源が分かった気がしました。今にして思えば、【この時代に扶植された「検閲」による歴史観は、近現代史から古代史にまで及んでおり、肩書きの立派な方々の古代史論も例外なくその影響下にあり、歪められていた】のです。』

いかがでしょうか?
すでに多くの方々が気付きはじめた、敗戦後の占領期における「事実の歪曲」、「歴史の捏造」ですが、現在の私たち日本人にとって、排除しなければならない数々の弊害の原因となっています。
「 占領期間中の「ウォー・ギルド・インフォメーション」は、新聞に「太平洋戦争史」が連載され、戦争そのものが、日本の軍国主義によって煽動されたものだという宣伝によってはじまった。
この戦争史によって、大東亜戦争は「太平洋戦争」となり、南京「虐殺」も捏造されたのである。これはあくまで軍部と国民の分裂を工作するというOSSの方針であった。
NHKはそれに呼応して「真相はこうだ」というラジオ番組を組み、満州事変から終戦までの日本軍国主義の犯罪的行為を、真相として国民に宣伝した。それを担当したのは、OSSの流れをくむGHQ情報局のアメリカ人であった。国民に知らされなかった情報を事実として、ドキュメンタリー風のドラマに仕立て上げた日本国民洗脳プロパガンダを行った。具体的な軍部否定の宣伝だけでなく、社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように情報を仕立て上げていったのである。
東條首相は悪魔の権化のようになったし、いわゆる「A級戦犯」となった人々はその軍国主義の責任をとらされた。それを批判することも、対抗する情報を流す自由もが制されていたから(それが圧殺されていることさえ、知らされなかった)、多くの国民はそれを信じることになった。
この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われ、それに代わって、いわゆる戦後利得者が公職につき、左翼的な言辞をふりまいた。…戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。…
NHKもそれで完全に左翼化したことは、昭和21年10月5日の「放送スト」にまで発展したことでもわかる。あわてたGHQが、NHK職員を大量にレッド・パージしたのだが遅すぎた。新たな「放送法」をつくり、民間放送の設立を認めたとき、ファイスナーという担当官が
《NHK職員には共産主義者が多く、放送ストをする者もいた。また朝鮮戦争のときにパージされた者も多かった 》
からだと述べた。民間放送の認可は、NHKそのものの左翼化を変えられなかったことによるものだと語っていたことになる。NHKに公共放送を独占され、民間放送をつくらせることにより、その独占状態、左翼化を防ごうとした経緯があったのだ。それは、ちょうどアメリカが左翼的なOSSから冷戦に対処するCIAに戦術を転換するときにあたっていた。
しかし、その後続々とできる民間の放送局も保守的な報道をするわけでもなく、NHKの左翼性、リベラル性を超えるものではなかった。放送界、メディア界に入る人々の意識は戦後民主主義に染まり、あたかも客観的報道と称して、人々を社会主義支持の方向に導いていったのである。その文化運動の先頭にたったのが、放送ではNHKであり、新聞では朝日新聞だった。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように

その多くは、共産主義者によるものです。
そして、その共産主義者こそが、私たちの日本を戦争へと踏み込ませ、戦争を長引かせ、敗戦後に革命を狙っていたんです。
「 近衛は身辺に尾崎秀実(おざきほつみ)ら共産主義者の巣窟があった事実を恥じ、その不明を天皇に詫びた。
三年ぶりに天皇に拝謁が叶った近衛の言葉を復誦すれば、
「これら軍部内一味の狙いは、必ずしも共産革命に非ずとも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、意識的に共産革命まで引ずらんとする意図を包蔵しおり」
と述べ、天皇のほうに向き直り、一段と声を張って共産革命の脅威を訴えた。
「見込みなき戦争をこれ以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候(ぞんじそうろう)」
訴えたかった問題の焦点は二つあって、一つは「この一味」の具体的氏名がいったい誰なのか、という点である。
もう一つの重要な焦点は、一刻も早い終戦にあった。
巻紙の最後になって近衛は再度、天皇に深く一礼し悲痛な言葉で上奏を締めくくった。
「共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候」
だが、天皇の「御勇断」にはこれから先、まだ半年かかった。
その間の東京大空襲や沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦など猖獗(しょうけつ、悪い物事がはびこり猛威を振るうこと)を極めた事実は改めて述べるまでもない。
終戦までの過程がかくも遅れたのは、コミンテルンによる「敗戦から革命へ」の実践による“成果”だったことは火を見るより明らかである。わが国の官僚や軍部が感化された理論は、第三インターナショナル(コミンテルン)からの指導によるものだった。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆国家総動員、総力戦、徹底抗戦、本土決戦を主張していたのは、共産主義者です

現在、巷に蔓延る「胡散臭い古代史」。
定説や既成概念にとらわれないで、たとえ立派な肩書きのヒトの意見も根拠を確かめてみる、それを実践して、分かりやすく解説してくださっているのが、この書物です♥
非常に、お勧めです♥
続きは次回に♥
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