2015-11-27 (Fri)

『ミッション:インポッシブル』(Mission:Impossible)は、1996年のアメリカ映画。アメリカのテレビドラマ『スパイ大作戦』の映画化作品であるが、映画の邦題は原題のままにされている。
主演のトム・クルーズはこの作品で初めて映画プロデューサーに挑戦し、自ら監督を選んでいる。クルーズ/ワグナー・プロダクションズ(1992年設立)の第1回作品。
あらすじ
中央情報局(CIA)の特殊作戦部Impossible Mission Force(IMF)は暗殺・謀略など特殊工作に従事している。
ジム・フェルプス率いるIMFチームは、CIA工作官のリスト漏洩事件における解明作業のため、プラハで遂行した作戦中、イーサン・ハントを除くメンバー全員が次々と殺されてしまった。
生き残ったイーサンはCIAのキトリッジと会うが、この作戦はIMF内部にいると見られる密告者を探し出すのが目的だったと聞かされる。生き残ったイーサンに疑いがかかり、その疑惑を晴らすため、フェルプスの妻でもう一人の生き残りであるクレアと共にIMF内部の裏切者を探す。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 1950年代、中国はソ連を共産圏のリーダーとして認め、従属していた。【脆弱な国のふりをして、技術的に進んだソ連から支援を引き出そうとした】のだ。

独裁者・毛沢東
しかし、【従属は毛沢東の好みではない、ということをソ連は知っていた】。

【ソ連は、中国を恐れ、信用していなかった】。

しかし、【米中が同盟を結ぶことをそれ以上に恐れていたので、アメリカに偽りのメッセージを送った】。

1961年末、アナトーリ・ゴリツィンという男がヘルシンキのCIAのトップに接触し、亡命の意志を伝えた。CIAの協力により、ゴリツィンは家族とともに、フィンランドの首都ヘルシンキからスウェーデンの首都ストックホルムまで飛行機で逃亡した。ゴリツィンはウクライナ出身の45歳になるKGB幹部で、戦略計画部門で働いた後、フィンランドのソビエト大使館にイヴァン・クリノフという偽名で派遣されていた。ストックホルムから空路アメリカに向かった彼は、ソビエトの対西洋作戦の情報ファイルを携えていた。彼は、「西側が接触した最も価値の高い亡命者」と呼ばれ、後にテレビドラマ『ミッション・インポッシブル(邦題は『スパイ大作戦』)』の登場人物のモデルにもなった。中ソ関係についてのきわめて貴重な情報をもたらし、それは、その後の数年間、アメリカの外交および情報コミュニティに多大な影響を及ぼした。
当初から、アメリカの諜報機関の職員はゴリツィンを信用した。ゴリツィンは、西側で活動する何人ものソ連のスパイの名を明かし、自分が信用できることを示した。最大の貢献は、英国の秘密情報部の工作員キム・フィルビーがソ連のスパイだったことを暴露したことだ。
またゴリツィンは謀略家で、後に、英国の首相ハロルド・ウィルソンはKGBのスパイだと主張した。【彼の情報操作の一つは、中国とソビエトが共産主義の盟主の座をめぐって争い、決裂した、という噂に関するものだ】。
「そのような噂に根拠はない。中国人がアメリカから貴重な情報を盗めるよう、KGBが仕立てた嘘だ」
とゴリツィンは断言し、こう警告した。
「いずれソ連から亡命者が来て、中ソ決裂の証拠を持っていると主張するだろう。それがいつであれ、この人物を信用してはならない」
2年以上後に、この予言は的中した。
1964年1月に、ユーリ・ノセンコというKGBの工作員が、ジュネーブでCIA職員に接触し、しばらく後に亡命した。彼は二重スパイで、西側のために諜報活動をしていたことがソ連にばれたのだ。モスクワに召喚されたが、行けば収監は確実で、おそらくさらに悪い結果が待っているとわかっていたので、アメリカへの亡命を決意したのだった。
ノセンコは、【中ソ関係について一般的な見方とは矛盾する多くの情報をもたらした】。

特に、中ソの分裂は深刻だという彼の主張は、それに根拠がないとするゴリツィンの主張と真っ向から対立した。

実際はどうかというと、【当時、中ソの分裂は深刻な局面を迎えており、国境地帯での衝突が頻発し、全面戦争まで懸念されていた】。

ノセンコは、ゴリツィンは亡命してきたのではなく、KGBの命を受けてアメリカに潜入し、米中が同盟を結ぶのを阻むために偽の情報を流した、と主張した。

独裁者・毛沢東
さらに彼は、【毛沢東は共産主義体制の盟主の座のみならず、世界秩序の支配者という地位を狙っている】、と不吉な予言をした。』

いかがでしょうか?
支那が、何を考えてきたかが良く分かりますね♥
アメリカが気付かなかったことを、ソ連は、とっくに見抜いていたんですね♥
ところで、アメリカ合衆国の情報機関である中央情報局(CIA)の工作官、ジェームズ・アングルトンをご存知でしょうか?

ジェームズ・ジーザス・アングルトン
詳しくは、ウィキペディアをご参照いただくとしまして。。。
↓
ジェームズ・ジーザス・アングルトン
ユダヤ左翼の巣窟であったOSS、そして社会主義占領政策を行ったGHQ、そして、戦前・戦後を通じて、私たちの日本の中枢部にも多数の共産主義者たちが存在していました。
アメリカ本国でCIAが設立されるきっかけになったのも、危険な共産主義者への対抗のためでした。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆田中 英道 戦後日本を狂わせた左翼思想の正体―戦後レジーム「OSS空間」からの脱却
そして残念ながら、こうした危険極まりない共産主義・社会主義の独裁国家である支那の思惑に同調する輩が、私たちの日本にも、少なからず存在しています。
このサークルや。。。
↓

このテロ活動団体。。。
↓


詳しくはこちらから♥
↓
☆内外情勢の回顧と展望(平成27年1月)の公表について
公安調査庁のレポートからお分かり頂ける通り、日本共産党は、いまでもテロリストの集団です。
このテロリスト集団の元を辿っていくと、私たちの日本を悲惨な戦争へと導いた共産主義者たちに繋がっていきます。
「 近衛の周辺では、ゾルゲ事件の主役・尾崎秀実(おざきほつみ)らを中心とした「昭和研究会」と、その延長戦上に生まれた「朝飯会(あさめしかい)」という組織が活動していた。
近衛の脇が甘かったのは事実で、これらの組織にはゾルゲの手が回り、コミンテルンに情報が筒抜けとなっていたことは近衛にとっては痛恨事といわねばならない。
問題は、「朝飯会」の主要メンバーに、尾崎秀実と同席していた当時近衛の秘書でもあった牛場友彦が「朝日」版の協力者になっている点である。
牛場のほかにもうひとり、見逃せない影をもつ人物がいる。
「朝飯会」メンバーで、「信毎」と緊密な関係をもつ男、風見章(かざみあきら)である。
風見は第一次近衛内閣の書記官長(昭和十二年六月~十四年一月)に就いた経歴があるが、前身は「信毎」で共産党の地下運動を支えたいわくつきの記者だった(須田禎一『風見章とその時代』ほか)。
風見が「信毎」でやったことは、マルクスの『共産党宣言』を絶賛する連載記事を掲載し、過激な労働争議の支援をしたことに尽きる。
元朝日新聞記者の尾崎秀実はもちろんのこと、コミンテルンによる資金援助で支えられていた太平洋問題調査会(IPR)の主要メンバーと、「朝日新聞」の関係には根深いものがあったことは周知の事実だ。」
こちらをご参照♥
↓
☆「朝飯会」と「朝日新聞」 ~ 尾崎秀実、牛場友彦、風見章
「 木戸幸一が明治の元勲・木戸孝允(きどたかよし)の孫にあたることは言うまでもない。木戸には弟・和田小六(わだころく)がいた。
その和田小六の長女・正子が昭和十四年にアメリカから一時帰国していた少壮の経済学者・都留重人と見合い結婚をして、木戸・和田家と都留家の深い縁(えにし)が結ばれたのだ。
都留のもう一つの顔は、ハーバード大学で築き上げた共産主義者としての側面である。
都留はハーバードにいるときに、三歳年長のカナダ人学生、ハーバート・ノーマンと深い親交を結ぶようになった。ノーマンは宣教師の息子として、長野県軽井沢で生まれている。
二人の共通の話題はマルクス主義だった。」
こちらをご参照♥
↓
☆日本を「敗戦から革命へ」と導く水先案内人たち
マルクス主義については、こちらをご参照ください♥
「 最近は「マルクス主義がよくわからない」「ソ連は崩壊したのに、どうしていまだにマルクス主義という言葉が生き残っているのか?」といった声も学生たちから聞かされます。
そのたび、いろいろ説明していますが、マルクス主義はある意味、キリスト教の鬼っ子のような面があります。
マルクス(1818~1883年)の言っていることは「新約聖書」にも近いことです」
☆マルクス主義は、キリスト教の鬼っ子
で、タカ派の政府系新聞、グローバル・タイムズ(環球時報。人民日報の国際版)。
この阿呆も、投稿していましたね♥
↓

宋文洲

元記事は、こちらから♥ ⇒ ☆宋文洲 環球時報 投稿
解説は、こちらをご参照♥ ⇒ ☆「戦勝国中国は沖縄と九州を占領する資格があった!今回は尖閣を奪還せよ!」俺たちの宋文洲先生が中国の極左情宣紙「環球時報」に4月寄稿したマジキチ檄文が陽の目を浴びる
☆高須院長が宋文洲に反論!「イスラム過激派と連合赤軍の関係を知らないの?」自爆テロを教えた過激派の歴史
同じような連中は、まだまだたくさん居ます。

その一例が、コレです♥
「 沖縄大学教授で『環救時報』のコラムニストである劉剛は、「沖縄の帰属先は未定、日本は我が物顔をするな」と主張しながら、親中ムードを県内に醸成している。また、劉は「中国社会科学院」の司令を受けて、県民識者を誘って北京で開催される沖縄関連シンポジウムへ送り出している。目的は、シンポジウムの状況を中国全土へ放映しながら「沖縄の帰属先は未定」のフレーズを県民から引き出し、沖縄侵攻への民意作りであるのだ。
「中国社会科学院」は沖縄独立工作の担当機関で、中国国務院(内閣)の指揮下にある。」
☆沖縄県のお墓 ~ 日本人の税金で、何してるの? 名桜大学
日本人のみなさん、惑わされないように致しましょう♥
続きは次回に♥
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