2015-09-28 (Mon)

ロシア軍艦対馬占領事件(ロシアぐんかんつしませんりょうじけん)は、幕末にロシア帝国の軍艦が対馬芋崎を占拠し、兵舎・工場・練兵場などを建設して半年余にわたって滞留した事件。ポサドニック号事件とも呼ばれる。
ご参照 ⇒ ☆鈴木大の情報探索活動 : ポサドニック号事件を事例に
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 通説 : 満州事変以降、日本の中国侵略はとどまるところを知らなかった。日本の数々の国際法違反にアメリカは切歯扼腕(せっしやくわん)していたが国内情勢から関与できず、経済制裁しか行えなかった。日本は、中国への背後からの支援を絶とうと、無謀にもアメリカに真珠湾攻撃をしかけ、敗戦への道をたどる。
あえて、「侵略」「国際法違反」「無謀」など、日本の歴史学者がまったく定義しないまま使い、定着している表現でまとめてみました。このような通説を信じているとしたら、「日本人は謀略に弱い民族だ」との誹(そし)りを免れません。部分的に正しい事実は、まったくの嘘より恐ろしいのです。

この通説だけですべてを説明できていると思っている方にお尋ねします。
【なぜソ連が出てこないのですか、と】。

大正から敗戦まで、日本の最大の仮想敵はソ連です。アメリカではありません。
こちらもご参照♥
↓
☆日本を守り抜いた「士魂」
☆「民主党、共産党、社民党の議員」と「女性電話交換手」との決定的な違い
ソ連抜きに、この時期の日本をめぐる国際政治を語っているという時点で、ソ連の謀略にはまっているのです。

「ソ連の謀略」と言っただけで、「陰謀論だ」とレッテル貼りをして議論をさせない人々が多くいます。そういう人たちに対しては逆に問いかけてください。
「あなたはバカですか?それともスパイですか?」と。
こちらもご参照♥
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☆「朝飯会」と「朝日新聞」 ~ 尾崎秀実、牛場友彦、風見章
☆共産主義者と手を結び、近衛文麿を陥れた木戸幸一
まず、「ソ連の謀略」という言葉を使うのが学問的ではないという前提に立ちましょう。では、ソ連は謀略を働いていなかったのでしょうか。ありえません。現に、当時から「ゾルゲ事件」のようなスパイ事件が発覚していました。…この手の人たちは「バカ」と決めつけていいでしょう。
こちらもご参照♥
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☆もう一人の尾崎♥
しかし、もしこのような通説の流布が【巧妙に仕組まれていた】としたならどうでしょう。

最近の研究では、ソ連は世界中にスパイを放ち、特に日本の近衛内閣とアメリカのF・ルーズベルト政権の中枢を固め、【日米両国を戦争に向かわせて共倒れに持ち込んだ】ということが明らかになっています(『ヴェノナ文書』)。
日本人に「スパイなど昔も今もいるはずがない。そんなもので歴史を語るなどナンセンスだ」などと思わせ、右のような通説を信じさせていたとしたらどうでしょう。まさにスパイの所業です。』

いかがでしょうか?
著者は、「日米両国を戦争に向かわせて共倒れに持ち込んだ」と述べています。まさに、その通りですね♥
そして、その主犯を、ここでは「ソ連」としています。これも正しいですね♥
ユダヤ人がつくった社会主義・共産主義のソ連、これが犯人です。
こちらもご参照♥
↓
☆ユダヤ人はロシアで革命を起こし、ドイツ革命も狙っていたんです
ここで、冒頭のポサドニック号事件までの流れを整理するために、世界史をまとめてみます♥
日本では江戸時代(1600年~1868年)です。
当時のヨーロッパは、「三十年戦争(1618年~1648年)」と呼ばれる宗教戦争の真っ最中でした♥

しかも、この戦争は、同じキリスト教徒同士が殺し合いをしていたんです。
「カトリック」と「プロテスタント」に分かれての「殺し合い」です♥
なぜ、同じ「イエス・キリストさま」を信仰するキリスト教同士での殺し合いになったのでしょう?

遡ること100年ほど前、カトリックのトップに君臨する教皇アレクサンデル6世の承認によって、ヨーロッパ以外の新領土の分割方式が取り決められました(トルデシリャス条約 1494年)。この取り決めは、当時の大国であったスペインとポルトガルが世界を山分けしても良いっていう、カトリックのトップからの許可でした♥
ここから、カトリックによる世界侵略・植民地化が始まります(→いわゆる大航海時代)。
こちらもご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約
そんな中、1515年に教皇レオ10世が、サン・ピエトロ大聖堂の建築のための贖宥状を、大々的に発売しました♥ 政治家のパーティー券みたいな感覚で、傘下の教会を経由して、大々的に資金集めを行ったんです^^

サン・ピエトロ大聖堂
このとき、教会に対して否定的で、聖書に帰れ、原始キリスト教精神に帰れっていう考え方(→つまりキリスト教原理主義)で、教会を批判したのがマルティン・ルターです。

マルティン・ルター
1517年にルターは、ローマ教会の腐敗を批判し、教会の指導者たちに改革を訴えました(→宗教改革)が、ローマ教会はルターの訴えに耳を傾けるどころか、彼に異端のレッテルを貼り、追放しました。それを受けたルターはプロテスタントの創始者となり、新しい教会を西ヨーロッパに次々と建てていったんです♥
ちなみに、このルターは、「われわれは、ユダヤ人を殺害しないという誤りを犯している」なんて発言しているぐらい、ユダヤ人差別主義の元祖ヒトラーです♥ ヒトラーが影響を受けたっていう説もあるほどです^^

こちらもご参照♥
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☆偉人? 宗教改革のルター♥
こうして旧教・カトリックから新教・プロテスタントへの鞍替えが、他の国々へと波及していき、カトリックとプロテスタントの殺し合いへと繋がっていくんです。
あの有名なカクテル、ブラッディーマリーに因んだ事件も、この頃に起こっています。

ブラッディーマリー(Bloody Mary)
時のイギリスの王様は、ヘンリー8世(1491年~1547年)でした。6回の結婚、カトリックからのイングランド国教会の分離をしたことで有名なイギリス王です♥

ヘンリー8世
このヘンリー8世と、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれたのが、「ブラッディーマリー」のマリー(=メアリー)の由来となったメアリー1世です。

キャサリン・オブ・アラゴン

メアリー1世
王妃であるキャサリン・オブ・アラゴンは、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘でした。このイサベル1世とフェルナンド2世は、教皇アレクサンデル6世からカトリック王の称号を授けられ「カトリック両王」と呼ばれます♥ この両王は、コロンブスに出資して、新大陸を発見したり、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐してレコンキスタを終結させた、まさにカトリックの保護者でした^^
そんな名門の王妃キャサリン・オブ・アラゴンが、1533年に突然、結婚の無効を突きつけられ、王妃の座を追われてしまいます。で、そのあとがまに座ったのは、かつてキャサリン・オブ・アラゴンの侍女だったアン・ブーリンです。

アン・ブーリン
王妃アン・ブーリンの家系は、そもそも平民(地方農民)の家系です♥それが、カトリックの名門から王妃の座を略奪したんです♥
で、ヘンリー8世と略奪婚をしたアン・ブーリンの間に生まれたのがエリザベス1世です♥

エリザベス1世
ちなみに、1536年、結婚から2年後にアン・ブーリンは、国王暗殺の容疑、および不義密通(5人の男と姦通、うち1人は実の兄弟ジョージ・ブーリン)を行ったため、反逆罪に問われ、同年5月19日、反逆、姦通、近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられちゃいました♥

ロンドン塔
父ヘンリー8世の死後、敬虔なカトリック信者であるメアリー1世は、ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、ローマ教皇を中心とするカトリック世界に復帰しようと試みました♥
そのために、結婚の相手に従兄の子にあたるスペイン王太子フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)を選んだんです♥

フェリペ2世
メアリーは幾多の反対を押し切り、1554年に11歳年下のフェリペと結婚。フェリペには共同王としてのイングランド王位が与えられました。しかし、1556年にスペイン王として即位するために本国に帰国、1年半後にロンドンに戻ったものの、わずか3か月後には再びスペインに帰国し、以後二度とメアリーに会うことはありませんでした。
こちらもご参照♥
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☆ブラッディーマリーの語源
ところで、このフェリペ2世の時代こそ、カトリックの盟主、スペイン帝国の黄金時代でした♥

1598年のフェリペ2世の帝国
この頃すでにアジアにあるフィリピンは、スペインに侵略・植民地化され(1565年)、現代でもフェリペ2世の名前に因む「フィリピン」が国名です^^
こちらもご参照♥
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☆あれじゃ、ネズミも生きちゃいられないよ♥
やがて、プロテスタントの帝国と呼ばれるイギリスが勃興します。カトリックの大国・スペインの無敵艦隊に勝利(1588年)したことがきっかけでした。

アルマダの海戦
時のイングランド女王が、あの略奪婚をしたアン・ブーリンの子・エリザベス1世(在位 1558年~1603年)でした♥

エリザベス1世
1577年、イギリスの海賊・ドレーク率いる船団が初めて太平洋に乗り入れ、世界一周しています。この後、続々と、探検隊が出発するのですが、スペインやポルトガルに先を越されていたイギリスは、特に利益になるような島を発見出来ませんでした♥
で、エリザベス1世の時代になると、何をしたのでしょうか?

略奪婚の母親から生まれただけはあります。イギリスは、スペインやポルトガルの商船隊が、アメリカ大陸から金銀財貨を積んで帰国するところを待ち受けて、もっぱら掠奪(りゃくだつ)する海賊行為を行ったんです♥
エリザベス1世は、掠奪の名人ドレークに、勲章を与へ、爵位を授けました。しかも、このドレークは、アフリカ大陸の黒人を奴隷としてアメリカ大陸に売込む商売を始めて巨利を博した御仁です^^

フランシス・ドレーク
最初に黒人の奴隷貿易で巨利を得たのはイギリスです。この商売には、女王以下大臣までも投資して、その利益を分け合っています。イギリスは女王みずからが海賊を礼賛し支援した国です。イギリスは海賊という手法で広い大洋を制覇し、豊かさを追求した国です。これが大英帝国の基礎になっています♥ また、東インド会社は1600年に設立されていますが、これもエリザベス1世の指導のもとでした。

エリザベス1世 1600年頃
こちらもご参照♥
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☆イギリスが商社に託した「略奪と暴力」
☆立ち上がったのは、言うまでもなく日本人です
この頃に、ようやく日本が江戸時代(1600年~1868年)を迎えます♥
当時のヨーロッパは、まさに「三十年戦争(1618年~1648年)」と呼ばれる宗教戦争の真っ最中でした。
同じキリスト教徒同士の殺し合いです。 「カトリック」と「プロテスタント」に分かれての「殺し合い」です♥

最終的に、カトリックのフランスが、プロテスタント陣営につくことで決着がつきました。フランスは、スペインと神聖ローマ帝国という2つのハプスブルク家に囲まれている関係から、ハプスブルク家とは折り合いが悪く、そのため敵に回ったのでした♥ この時の、フランス国王がルイ14世(1643年~1715年)です。

ルイ14世
そして、1641年にイギリスで清教徒革命が起こります。クロムウェルという人物が出てきて、流血革命の中で、王様であるチャールズ1世を処刑しちゃいます♥

チャールズ1世の処刑
この革命が起こった動因の一つが「千年王国論」でした♥
「千年王国論」っていうのは、「神さまが約束してくれた至福と恍惚の王国が千年続き、その後、神が再臨する」っていう妄想です♥
これ、ユダヤ教の考え方なんです♥
終末が迫っていて、神さまとサタンとの最終戦争である「ハルマゲドン」が起こって、地上が破壊されてしまう・・・
でも、その極限状態のところで神さまが再臨して、至福の天国に救われるっていう妄想です♥
そんな妄想にカトリックは、神さまは再臨しない、この地上に神さまは訪れない、いまあるこの教会こそが「神の国」だ、なんて真向から否定します♥
で、清教徒が逃げ出して渡ったのが、アメリカでした♥ これが、現代アメリカの支配層のWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれる人々の祖先です。ユダヤ教の考え方に近いことが、分かりますね♥

メイフラワー号
こちらもご参照♥
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☆平和な江戸の200年 VS キリスト教内乱の300年
一方、三十年戦争で疲弊したヨーロッパですが、特に戦場となった神聖ローマ帝国は、ヴェストファーレン条約によって300以上の領邦国家と帝国自由都市の集合体に生まれ変わりました。つまり弱体化されてしまったんです♥

ヴェストファーレン条約後の神聖ローマ帝国
で、オーストリアを中心に、ハプスブルク家は結束を強めます♥
そんな中、1683年にオスマン帝国は、宿敵ハプスブルク家に対して軍事行動を起こします。フランスのルイ14世から、中立の約束を得たオスマン帝国が、20万の兵力をもってウィーンを包囲したんです(第二次ウィーン包囲)。

第二次ウィーン包囲
この頃、ロシアはひたすら領土を拡張していきます。

東に拡大するロシア(1600年頃)
1654年と1658年には、清露国境紛争が勃発し、1689年にはネルチンスク条約が結ばれています。

ロシア・ツァーリ国の領域(1700年)

ネルチンスク条約 国境線(右側の薄い赤が外満洲、外満州の北側がネルチンスク条約による清・ロシアの国境、外満州の南側がアイグン条約と北京条約による清・ロシアの国境)
ロシアを名実ともに、ヨーロッパの大国にしたのが、初代ロシア皇帝のピョートル1世(在位 ツアーリ:1682年~1725年、皇帝:1721年~1725年)です♥

ピョートル1世
その後も戦争が続くヨーロッパで、一つの大きな事件が起こりました。1789年の「フランス革命」です。

バスティーユ襲撃
こちらもご参照♥
↓
☆市民革命とは「市民という泥棒が王様を殺してその財産を奪うもの」 ~ フランス革命
カトリックの国・フランスの王様・ルイ16世が、市民と称する強盗殺人集団の暴徒の手によって、公開処刑され、財産を略奪された事件です♥
当然、近隣の王国は、これを鎮めようと干渉します。ところが、市民革命を経て、共和制となったフランスにおいて、まさにヒトラー顔負けの独裁者が現れました。それが、独裁者・ナポレオンです^^

「玉座のナポレオン1世」
最終的に、独裁者・ナポレオンのフランスが敗北します。
その後一旦、ルイ18世による王政復古がもたらされますが、それも長続きしませんでした♥
今度は、7月革命(1830年)です。

7月革命
こうして、革命を通じたヨーロッパにおけるパワー・バランス崩壊が行われたのが、この時代の特徴です♥
そして、クリミア戦争(1853年~1856年)が勃発します。

セヴァストーポリ包囲戦
不凍港を求める大国・ロシアと、それをさせまいとするイギリス陣営との戦争です♥

で、この頃に、ロシア軍艦対馬占領事件(1861年)が起きています。ポサドニック号事件とも呼ばれます。

ロシア軍艦ポサドニック号が、対馬に来航し、尾崎浦に投錨し測量、その後浅茅湾内に進航しました。ロシア太平洋司令官だったリハチョーフ大佐は、不凍港を確保するため対馬海峡に根拠地を築くことを提案、ロシア海事省大臣だったコンスタンチン・ニコラエヴィチが、対馬への艦隊派遣を許可、リハチョーフの命令によりポサドニック号が派遣されました。
ポサドニック号が尾崎浦に投錨すると、藩主宗義和は重臣を急派し、速やかに退帆するよう抗議していました。ところが、ビリリョフ艦長は船が難破して航行に耐えられないので、修理のために来航した旨を回答し、さらに修理工場の設営資材や食料・遊女を要求したんです。遊女もですよ♥
その後は、芋崎に無断で上陸して兵舎の建設などを始め、船体修理を名目に工場・練兵場などを建設しました。
こうやって、侵略を進めてきたのが、イギリスやロシアですね♥
キリスト教の西洋白人は、こうやって武力で侵略をするんです。
西洋白人だけではありません。支那も、一貫して武力で侵略を続けていますね♥

中国が南シナ海の南沙諸島、ファイアリクロス(中国名・永暑)礁に完成させた滑走路の衛星写真=20日撮影(IHSジェーンズ提供・共同)
画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 南シナ海、中国人工島の滑走路完成 3000メートル級 衛星写真で確認
そろそろ日本人は、目を覚ましましょう♥
続きは次回に♥
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