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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日米関係 >  黒人が黒人を奴隷にした国 ~ リンカーンの正体

    黒人が黒人を奴隷にした国 ~ リンカーンの正体

    アブラハム・リンカーン
    エイブラハム・リンカーン(英: Abraham Lincoln 、1809年2月12日 - 1865年4月15日)は、アメリカ合衆国の政治家である。姓はリンカンと表記されることもある。弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経て、1861年3月4日に第16代アメリカ合衆国大統領に就任した。
    リンカーンは奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷を解放したとされる。しかしながら、リンカーンは本来奴隷解放論者ではなく、実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の奴隷が解放されただけであって、奴隷制が認められていた北部領域では奴隷の解放は行われなかった。北軍側には5つの奴隷州があり、国際社会を欺いたに等しいこの宣言は、英仏が南部連合を支援するような融資や取引をやりにくくして、戦費や兵器を調達しにくくするために、および南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコットの効果を狙い、実施されたものであった。事実、南部有利の戦況はやがて揺らいでいった。


    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 さて、いよいよ「アメリカ建国神話」のクライマックスです。人類史上の英雄とまでいわれている、第16代大統領アブラハム・リンカーンのお話です。…

    ストウ夫人
    ストウ夫人

     ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』を読んだことがあると思います。南北戦争のアメリカ南部で、優しいトムおじさんが黒人だというだけで奴隷にされ、いろんな悲しい目に遭い続けた挙げ句に非業の最後を遂げるという小説です。南北戦争のイメージは、ストウ夫人が作りました



     世の中、ここまで善と悪を極めている話というものは眉に唾をつけて聞かなければいけないものです。偽善のにおいがプンプンします。こんな話を世界中に広めたアメリカ人というのは、プロパガンダの名人なのではないかと思ってしまいます。もう少し踏み込みますと、【リンカーンは偽善者ですらなく、ただの極悪人】です。…

    驚き顔

     まず、南北対立の話ですが、あまりにも北部にだけ都合のいい話になっています。南部の主張では、「黒人奴隷は貴重な財産だ。アンクル・トムの小屋みたいな話はありえない。大体、ストウ夫人は一度も黒人奴隷を見たことがなかったのではないか」となります。要するに「黒人は家畜として大事にされていたのだ」ということです。

    驚き顔

     余談ですが、アメリカ連邦の最初の6人の大統領すべて南部のヴァージニア出身です。だから「ヴァージニア王朝」などとも呼ばれます。「建国の父」と言われるワシントンジェファーソンは大農場主で、黒人奴隷の愛人に子供まで生ませています。どれほど黒人たちが南部の人たちに“大事にされていた”かが、おわかりでしょう

    驚き顔

     問題は北部です。確かに北部に黒人奴隷はいませんでした。しかし、彼らに自由があったわけでも差別がなかったわけでもありません。例えば選挙権ですが、黒人の投票率はゼロパーセントです。なぜならば、投票所に黒人が来ようものなら、白人がリンチを加えて追い返してしまうからです。警察も裁判所も見て見ぬふりです。北部の人たちは黒人を追い出して白人だけの国にしたかっただけなのです。…』

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    リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。しかし1989年から2003年にかけて断続的に2度も起きた内戦により、戦争一色の無秩序な国と化していた。

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    リベリア共和国 国旗

    『 アフリカ西部リベリアという国があります。「自由の国」という意味です。首都はモンロビア。モンロー宣言のモンローが名の由来です。この国は白人に追放された黒人が建てた国です。建前は「黒人を故郷の土地に帰そう」です。ご丁寧に新大陸から渡ってきた黒人ですが現地の黒人を奴隷にしていきました。…

    驚き顔

     さて、本題の南北戦争です。1860年リンカーンは【「奴隷解放」を公約に掲げ】、北部諸州の熱狂的な支持を受けて連邦大統領に当選しました。これに危機感を抱いた南部諸州は、連邦からの離脱を本気で考え始めます。奴隷制度をいきなり廃止されたら、明日からは生きていけないからです。これに慌てたリンカーン【南部諸州に対し「奴隷制廃止」の延期を申し出ます】

    驚き顔

    支持者は「公約違反だ」と責め立てますが、リンカーンはなりふり構いません。しかし、南東部の11州はリンカーンの懐柔を拒否し、【独立とアメリカ連合国(Confederate States of America)の建国を宣言】します。これに対してリンカーンは、南西部の諸州には「連邦にとどまるなら【奴隷制の維持を認める】」との甘言まで弄します。…

    驚き顔

     優秀な軍人を揃えていたアメリカ連合国は最初の2年は善戦します。当時世界第3位の大国であるフランスからは国家承認も得ました。リンカーンは焦ります。そこでフランスのライバルである英国を味方につけようと考えました。そうしてひねり出されたのが、「この戦争は奴隷解放のための正義の戦争である」との「奴隷解放宣言」なのです。どういうことでしょうか。

    南軍旗
    レベル・フラッグ(南部海軍旗)。南部人の誇りと抵抗の象徴とも、また南部の人種差別と白人至上主義の象徴ともみなされている

    1863年当時の世界で、圧倒的な勢力を誇る最強の大国は大英帝国です。大英帝国を率いるパーマストン首相は【熱心な奴隷解放論者】でした。いわば、「趣味は奴隷解放」とでも言える人で、そののめり込み方はポルトガルの奴隷商人に補償金を出してまで廃業させてしまうほどでした。パーマストンはリンカーンに対し好意的な中立を保ちます。…結果的に奴隷解放宣言は、戦いに勝つプロパガンダとなりました。…

    パーマストン
    パーマストン

     経済力や生産力など総合的な国力で優るアメリカ連邦(北部)が徐々に優位となりアメリカ連合国は追い詰められます。最後の2年は、棒切れや石ころまで手に取って戦うところまで追い詰められ、アメリカ連合国は完膚なきまで破壊されます。アメリカ連合国の指導者や軍人は徹底した復讐裁判で糾弾されました。…

    驚き顔

     終戦直後にリンカーン暗殺されたために奴隷解放こそされたものの黒人差別はまったく解消されなかった…しかし、リンカーンが長く生きていてもどうなったのかはわかりません。なぜなら今でもアメリカ人、とりわけ北部にとって「内戦」とは連邦離脱を阻止する戦いであり南部にとっては「リンカーンの侵略戦争」にすぎないのですから【奴隷解放など二の次】なのです。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    正しいアメリカの姿が見えてきませんでしょうか?

    現代アメリカ人の祖先「メイフラワー・サティアンに乗って流れついたイギリスの落ちこぼれ」です♥

    現代アメリカの支配層のWASP・・・やっぱり女王蜂は、イギリスに居らしゃいますね♥

    エリザベス2世

    どうやって、足掻いても、この事実は変わりませんね♥

    ところで、サティアンといえば・・・

    メディアでよく見かける、あのヒトや・・・
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    某・民主党のあのヒトや・・・
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    そこから連なるこんな輩・・・
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    やっぱり、裏では繋がっているんですね♥

    共産主義者


    続きは次回に♥




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