2015-09-14 (Mon)

コサック・ママーイ コサックの理想像
コサック(哥薩克、ウクライナ語: козак)は、ウクライナと南ロシアなどに生活していた軍事的共同体、またはその共同体の一員である。
コサックの起源については不明な点が多い。15世紀後半にコサックは、ウクライナの中南部、「荒野」という草原地帯で発祥し、ドニプロ川の中流を中心とするザポロージャ地方に根拠地を築いた。16世紀にコサックの一部はドン川の下流に移住し、そこで新たな根拠地を創立した。それらのコサックはザポロージャ・コサックとドン・コサックと呼ばれ、コサック諸軍の中で最古軍であった。初期のコサックは、没落した欧州諸国の貴族と遊牧民の盗賊によって構成され、河川が豊かな土地を有する自治共同体を編成し、黒海・アゾフ海の北岸地帯で略奪行為を行い、東欧におけるキリスト教の世界の先隊としてイスラムの諸勢力と戦った。

回教徒の頸を串指しにしている凱旋のウクライナ・コサック(ティモフィイ・カルィーンシクィイ、1786年の画像)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 宗教とくに【一神教は、うまくいかなくなると原理主義になりやすい性質】があります。
時代が移り変われば、千年前、二千年前の教えではあわない部分が出てくるので、教義を見直し、リアリスティックに対応していかなければならなくなります。
しかし、【それで失敗したとき、教えに忠実でないからだと競争相手を叩き、殺し合いにも発展する】ことがあるわけです。

宗教だけでなく、イデオロギーにしても一歩間違うとそうなってしまいます。
【近代化や合理主義、あるいはマルクス主義などは、キリスト教をやめよう、正そうとしていた人たちが“新しいキリスト教”としてつくりだしたものである】ともいえます。だから【イデオロギーを形成するという目的も理屈のための理屈】になりかねません。

世界史を学んでいると、そういう見方ができるほど、【キリスト教は尖鋭的】でした。異端を切り捨てて排除しようとしてきた【キリスト教は、その意味でも原理主義だったといえる】のです。…

詳しくは、こちらをご参照♥
↓
☆ヒトラーはたったの20年、クリスチャンは何と2000年♥
☆偉人? 宗教改革のルター♥

いまも続く【ロシアとウクライナの衝突にしても、ロシア正教とカトリックのぶつかり合い】とみることもできます。
ロシア正教とカトリックの違いは、こちらをご参照♥
↓
☆戦争に引き込まれるということ
「正教会」(ギリシア正教、東方正教会)はキリスト教の宗派のひとつで、ロシア正教もここに属します。一方のウクライナでは主にカトリックが信仰されているので、その時点ですでにうまくいかないわけです。
9世紀後半から13世紀にかけて東ヨーロッパに存在した【「キエフ大公国」は「ルーシ」とも呼ばれます】。
このルーシがロシアの語源で、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがっていました。

ルーシは国の名前であるだけでなく、民族を指す言葉にもなっています。…
【バイキング(ノルマン人)の子孫がもともとルーシと呼ばれていた人々】で、いわゆる【東スラブ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)は当初はルーシではありません】でした。国としてのルーシは、1240年にモンゴル帝国によって滅ぼされています。

モンゴル帝国の版図の変遷 テムジンがチンギス・ハンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つの領域国家のゆるやかな連邦体制に移行した帝国の版図を示した(1294年時点)。ジョチ・ウルス(黄)、チャガタイ・ウルス(濃緑)、イルハン朝(緑)、大元ウルス(紫)である。
そんなモンゴルを蹴散らしちゃった国があります♥
↓
☆世界では死んでいて、日本では生きています

そしてモンゴルの支配を受け入れるようになってからは、その土地に住む人はみなルーシになりました。ウクライナ人は、ポーランド領にいたルーシでカトリックになり、ベラルーシ人はリトアニアにいたルーシ、ロシア人はモンゴルの遊牧民と結合したルーシというように考えてもいいでしょう。

その後、ルーシが分裂した地方政権のうち【モスクワ大公国が急速に発達】していきました。もともとモスクワは、モンゴル軍がルーシを征服したときには小さな砦だったのに、モンゴル帝国に対して臣従の姿勢を示して、うまく取り入ったことから大きくなれたのです。

チンギス・カン肖像
そのためモスクワ大公国とモンゴルの結びつきは強く、ウクライナ人からすれば、「モスクワのルーシなんて、ひと皮むけばタタールだ」ということになります。

【タタールとはモンゴル人のこと】です。
ウクライナで、タタールと結んだモスクワと戦った遊牧民は【コサック】と呼ばれ、両者の関係は険悪でした。ソ連が崩壊したとき、ウクライナが独立した背景にはそういう歴史もあるわけです。』

いかがでしょうか?
あのロシア人も、モンゴルとの結合民族だっていうことが、良く分かりますね♥
同様に、支那はもちろんのこと、朝鮮人もモンゴルに結合されちゃっていますねw
こちらもご参照♥
↓
☆【授業のウソ】朝鮮人はモンゴル人の子孫 ⇒ 正解
☆「母は日本人」+「父は非道な侵略者」
ですから、これ!
↓

どれも、モンゴルに支配され、モンゴルと結合した民族です♥
さて、モンゴル帝国に支配されたクリミアに住んでいたのはのは、クリミア・タタール人でした。
これは、モンゴル帝国の末裔です。
しかし、その後、エカチェリーナ2世がロシアに併合してしまいます。

エカチェリーナ2世
さらにのちに、スターリンがクリミアに住んでいるクリミア・タタール人全員をシベリアや中央アジアに追放してしまいます♥

スターリン
この強制移住のあとに、クリミアにロシア人が入植しました。
実は、この当時、ユダヤ人の国家を、このクリミアに建設しようという動きがありました(最終的に頓挫し、のちのイスラエル建国へと繋がっていきます)。なぜなら、この地域には、もともとユダヤ人の国があったからなんです♥
温暖なクリミア半島は、かつてのユダヤ人の故郷・パレスチナのカナンの地と似ているからなんです。クリミアでは、ブドウが取れ、世界的にも有名なマサンドラ・ワインの産地でもあります♥
詳しくは、こちらをご参照♥
↓
☆クリミアに住んでいた「ユダヤ人」♥
☆クリミアと「幻のユダヤ人の国」♥
さらに時を経て、今度は、フルシチョフ(スターリンの死後、スターリン批判によってその独裁と恐怖政治を世界に暴露した人です)がクリミアをウクライナへ割譲します。

フルシチョフ
そして、ソ連崩壊後に、追放されたクリミア・タタール人が大挙してクリミアへ戻ってきたんです。これが、現在の反ロシア勢力のひとつとなっています。
で、ユダヤ人のジョージ・ソロスも、このウクライナで積極的な活動をしています。

ジョージ・ソロス
何を企んでいるんでしょうね?
続きは次回に♥
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