2015-09-01 (Tue)

ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、大東亜戦争で、私たちの日本は、アメリカと戦って敗れました。
日米に巣くうソ連の手先・共産主義者たちによって、日本は戦争へと引き込まれました。
そもそも、そこに至るまでの数百年の歴史を紐解けば、「大英帝国」と「ロシア帝国」の飽くなき覇権争いが背景にあります♥
ロシア帝国はその後、ユダヤ人の手によって革命を起こされ、社会主義のソビエトが誕生しました。
ちなみに、当時ユダヤ人の役割を見抜いていたヒトラーも、同様に社会主義です。
ロシア帝国、その後のソビエト、そして大英帝国が覇権を争った最終地点こそ、私たち日本を含む大東亜でした。
もちろん、出遅れたアメリカも、覇権争いに参加します。そして、日米が戦争へと・・・
では、大英帝国は、それまでの間に、一体何をしてきたのでしょうか?
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 次は…『大南方地政論』の著者・小牧實繁という京都帝大教授の別の本『世界新秩序建設と地政学』を読んでみます。当時の評判の高かった知識人が書いた本は読むに値します。…

こちらで読むことができます♥ ⇒ 近代デジタルライブラリー
「スペイン、ポルトガル両国がその植民政策の失敗と相互の呑噬(どんぜい、※潰し合い)の結果相次いで衰亡したのにつけ込んで、やがて太平洋に立現れたのはイギリスであつた。十六世紀後半スペイン船を掠奪する為に太平洋に派遣せられたフランシス・ドレーク(※イギリスの海賊です)は、イギリス人として太平洋に登場した最初の人間で、【海賊国家の完全な代表者】であつた。その後、…ジェームス・クックの…」

フランシス・ドレーク
こちらもご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約
☆戦争に引き込まれるということ

ジェームス・クック
ジェームス・クックはわかりますよね。…
オーストラリアやニュージーランドを旅行したことのある人はあちこちにクックの名をかぶせた島や湾や山があったのをご覧になったことと思います。それぐらい南半球では有名な人物です。
クックは探検家のように思われておりますが、実質はそうではありません。じつは【イギリス政府に頼まれた侵略の手引き者】だったんです。

「数回に亙(わた)る航海によつて悉(つぶ)さに太平洋の形勢を偵察したイギリスは十八世紀末葉から俄然露骨な太平洋の支配に乗出すに至つた。」

クックの航路 (赤は第1回航海、緑は第2回航海、青は第3回航海をあらわす。青の点線は、クック死後の航海ルート)
1788年、オーストラリアのシドニーでイギリスの植民が始まっています。これは、クックの数回にわたる航海の結果でした。
「即ち彼(か)れイギリスは印度侵略の余勢を駆つてシンガポールを掠取し、太平洋の西の関門を扼(やく)して東南アジアに十分な諜略的睨みを利かせ、そこから勢力線を二分して【一(ひとつ)は北方支那及び日本の侵略に志し】、【一は南方舊蘭印(きゅうらんいん、※いまのインドネシア)、濠洲(ごうしゅう、※オーストラリア)、ニュージーランドの刧掠(こうりゃく)】にと向ひ、かくて東亜の勢力に代つて【世界の中枢たる西太平洋を自らの支配下に置かんとする態勢を整へた】のである。」


西太平洋が「世界の中枢」である、といっていますね。だからいま、【中国がこれを自分のものにしようと躍起になっている】んです。そして【アメリカと日本が阻止しようとしている】。

「殊(こと)に濠洲では、その西欧より甚だ僻遠(へきえん)に位する地理的位置を悪用して(※ヨーロッパからはあまりにも遠い。それをいいことにして)、【往(ゆ)く往く土民(※先住民)を殲滅し、不遜な巨濠主義(きょごうしゅぎ、※ふつうは「白豪主義」といいます。…)を振り翳(かざ)してその大部分を廣漠無人(こうばくむじん)の地として確保】した。」

白豪主義
白人最優先、非白人の排除を旗印にした政策、それが白豪主義です。さながら狩りをするようにして先住民のアボリジニを殺していった。

「…かくして一応【西部太平洋沿岸の領土支配を完成】するや、(※イギリスは)十九世紀後半よりは更に【西南より東北へと洋中島嶼(ようちゅうとうしょ)の占拠に驀進(ばくしん)し始めた】のである。即ち一八五三年ノーフォーク、一八七四年フィジー、一八八八年ファンニング、一八八九年フェニックス、一八九二年エリスと【洋上の基地たるべき重要な島々を次々に占領して漸次(ぜんじ、※しだいに)勢力線を北上せしめ】たが、こゝに、カナダ太平洋海岸と濠洲とを連絡せしめて【太平洋上に一大円弧を畫(えが)く包囲陣を形成】せんとした傾向が窺はれる。十九世紀末、前記の島傳(しまづた)いに【濠洲、カナダ間の海底電線を完成】させた事の如きはその一つの証左である。」

イギリスは世界全体をにらみ、知恵に富んでいるというか、ずる賢いというか、次々と手を打っていきました。オーストラリアからカナダに抜ける島伝いに地下ケーブルをつないでいったのです。』

オール・レッド・ライン
大西洋横断ケーブル敷設後の1868年、英国はこれまでの国内すべての電信会社を国有化した。そして、それらの会社に多額の買収金が支払われた。この資金をもとに、英国は次々と新しいケーブルを敷設していった。ケーブル網は南アフリカのケープタウンや、ブラジルのペルナンブーコ、ウルグアイのモンテビデオまで達した。
中でも重要視されたのが、英国の植民地だったインドとの通信であった。英国とインドはすでに陸上のケーブルで結ばれていたが、このケーブルは通信状態が悪かったので、新たなケーブルを必要としていた。そして、英国からイベリア半島、地中海を通り、さらにスエズからアデンを経由してムンバイへと至る海底のインド洋線が開通し、1870年から通信を始めた。さらに1872年には、インドからオーストラリアへのケーブルも敷設された。
インドへの海底ケーブルは、開通当時は3つの会社のケーブルを経由してつながっていたが、1872年に、その3社と他の1社を加えた4社は合併し、イースタン・テレグラフ社が誕生した。一方、インド以東のケーブルを所持していた会社も合併し、イースタン・エクステンション社が設立された。この2つの企業は多数の海底ケーブルを有し、通信産業において大きな力を持った。そしてそれは、英国の通信面における優位性を示すものであった。
その到達点が、太平洋横断電信ケーブルである。この事業は1878年に開始され、1902年、カナダのバンクーバーから、フィジーを経由し、そこからニュージーランドや、オーストラリアのブリスベンへとつながるケーブルが完成した。これにより、英国は当時の自国の植民地をつなぐ大きなケーブル網を作り上げることに成功した。このケーブル網はオール・レッド・ラインと呼ばれる(英国の植民地が地図上で赤く塗られていたことに由来する)。

『 「此のやうなイギリスの政策は、全く、当時日本の覚醒と興隆を見てとり(※当時、勃興する日本を見て取り)、【今後世界史の舞台が太平洋に帰らんことを認識して逸早(いちはや)く有利な地政学的態勢を完成せしめ置かんとする為のもの】であつたことは言ふまでもないであらう。」

アフリカは、資源はあるものの存在感はなかった。そこで結局、【日本とシナとインドネシアなどが取り巻く西太平洋が世界の中枢をなす】ようになるという見通しがあった。【アメリカがアジアに顔を向けるようになったのも同じ理由から】でした。』

いかがでしょうか?
日本とシナとインドネシアなどが取り巻く西太平洋が世界の中枢をなす。
これは、現在もまったく変わっていません♥
しかも、今後数十年先を見ても、益々その重要度が増してきます。

詳しくはこちらから♥ ⇒ ☆【世界】人口ボーナス期で見る有望市場は(2015年2月)
すでに、これらの有望なマーケットの争奪戦が始まっていますね♥
同時に、支那の、というか支那共産党の弱体化を狙った動きが出てきていますね♥
私たち日本人は、きちんと日本の国益を考えなければなりませんね^^
私たち日本の国益。
それを護るためにも、安倍総理、頑張って下さい♥




続きは次回に♥
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