2015-08-25 (Tue)
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ミール・ジャアファル(左)と息子ミール・ミーラーン(右)
ミール・ジャアファル(Mir Ja'afar, 1691年 - 1765年2月5日)は、東インドのベンガル太守(在位:1757年 - 1760年、1763年 - 1765年)。ハーシム・ウッダウラ(Hashim ud-Daula)とも呼ばれる。
プラッシーの戦いとミール・ジャアファルの裏切り
1757年6月、 6月23日朝、先手を打ったクライヴは、プラッシー村に野営していたベンガル軍に攻撃を加え、ベンガル軍もすぐにこれに応戦し戦闘が始まった(プラッシーの戦い)。
ベンガル軍62,000人は、シラージュ・ウッダウラの武将モーハン・ラールとミール・マダン率いる歩兵5,000人と騎兵7,000人、太守の叔父ミール・ジャアファル率いる歩兵35,000と騎兵15,000人であり、あとはフランスの援助である少数の砲兵隊であった。一方、イギリス軍の構成は、ヨーロッパ人兵800名とインド人傭兵2300人と、太守軍に対し極めて少数だった。
このように、ベンガル軍のほうがイギリス軍より圧倒的有利であったが、歩兵35,000と騎兵15,000を率いてベンガル軍に味方していたミール・ジャアファルはイギリスとの秘密協定によりを動かさず、ベンガル軍の主力50,000人は傍観するだけで戦闘に参加しなかった。
つまり、ベンガル軍の4分の3近くは戦闘に参加していなかったことになるが、シラージュ・ウッダウラは戦いに参加しないのはミール・ジャアファルの作戦だと思い込み、全く疑おうとしなかった。
その後、ベンガル軍の敗色が濃厚となると、シラージュ・ウッダウラは気落ちして、ミール・ジャアファルに助言を求めた。ミール・ジャアファルは手にコーランをのせてシラージュ・ウッダウラに忠誠を誓い、「明日自分がイギリス軍への総攻撃をかけるので、今日はもう日も暮れているから戦闘をやめましょう」と言った。
だが、モーハン・ラールは「今の状況で戦闘を停止すれば味方の軍は今日の戦闘に敗れたと誤解し、夜半に乗じて四散してしまいます」と反対した。にもかかわらず、シラージュ・ウッダウラはミール・ジャアファルを完全に信頼しきっており、全軍に戦闘停止を命じた。
しばらくすると、モーハン・ラールの心配した通り、ベンガル軍に動揺が広がった。逃げ出す兵が続出し壊走に近い状態となり、シラージュ・ウッダウラもあせりはじめ、首都ムルシダーバードへ逃げ出した。一方、戦闘停止を提案したミール・ジャアファルは公然とイギリス軍に合流し、クライヴに勝利の祝意を伝えたのち、ムルシダーバードへと向かった。今でもなお、ミール・ジャアファルの名は、インドでは「裏切り者」の代名詞である
そして、7月4日、ベンガル太守シラージュ・ウッダウラは逃げきれずにミール・ジャアファルの息子ミール・ミーラーンに捕えられ、その命令により殺害され、その遺体は首都ムルシダーバードへと運ばれた。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、大東亜戦争で、私たちの日本は、アメリカと戦って敗れました。
日米に巣くうソ連の手先・共産主義者たちによって、日本は戦争へと引き込まれました。
そもそも、そこに至るまでの数百年の歴史を紐解けば、「大英帝国」と「ロシア帝国」の飽くなき覇権争いが背景にあります♥
ロシア帝国はその後、ユダヤ人の手によって革命を起こされ、社会主義のソビエトが誕生しました。
ちなみに、当時ユダヤ人の役割を見抜いていたヒトラーも、同様に社会主義です。
ロシア帝国、その後のソビエト、そして大英帝国が覇権を争った最終地点こそ、私たち日本を含む大東亜でした。
もちろん、出遅れたアメリカも、覇権争いに参加します。そして、日米が戦争へと・・・
では、大英帝国は、それまでの間に、一体何をしてきたのでしょうか?
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 インドがイギリスの植民地にされるという悲劇はここからはじまりました。「ブラックホール事件」に続いて起こるのが有名な「プラッシーの戦い」です。

「英人大虐殺の報は各居留地の英人を憤激させたことは言ふまでもない。一七五七年十二月マドラスを発したワトソン提督の英国艦隊は、兵二千四百と、其の指揮官陸軍中佐【ロバート・クライヴ】を乗せて、一路コロマンデル海岸をフーグリ河口へと急航してゐた。

ロバート・クライヴ
フーグリ河口に着いたクライヴは直ちに上陸して陣地の構築を始めた。やがて其の陣営には、さきに遁走した英国のベンガル総督ドレークが東印度商会員【ワーレン・ヘスチングス】を伴ふて来てゐた。」

ウォーレン・ヘースティングズ
このときの指揮官である「クライヴ」という名前を覚えておいてください。
それからもうひとり、「ヘスチングス」という名前も覚えておいてください。後者は当時は単にひとりの「東印度商会員」でしたが、のちに初代インド総督(1774~86年)になって、インドを牛耳ります。ふつうは「ウォーレン・ヘースティングズ」と表記されます。
「ヘスチングスは時に二十四歳で、クライヴの下に兵として従軍することを志願した。クライヴは勿論これを許した。後にヘスチングスが彼の後継者として【全印度総督】となり、あらゆる辣腕を振ふであらうなどといふことは、クライヴも夢にも思つてゐなかつたであらう。クライヴとヘスチングス、不思議にも今フーグリ河畔の星辰(※星座です)は、印度経略の二大巨人の影をてらしてゐるのである。…

スラジャ・ドーラ
クライヴに対して土王スラジヤ・ドーラは賠償金を約して和議を申入れた(※ドーラは「ブラックホール事件」に関して賠償金を払うから…といって和平を申し入れたのです)。剛胆無比のクライヴは心に深く期することがあつて、一応和議に応じたが、苟(いやしく)も自分が一度此の地にまで北航して来た以上、【ベンガルの地は完全に英国のものとしなければ措(お)かないといふ確乎たる野望】を抱いてゐた。これは、これから後のクライヴの行動が一番よく証明してゐる。かゝるクライヴの野望は、兇傑(きょうけつ、あくどいやり手)ヘスチングスの間諜(※情報工作)によつて見事に成功する。ヘスチングスは、ドーラ王の一族で、国軍の司令官であるミルジャフィルが、ひそかに王位を狙つてゐることを探知してクライヴに通じた。」

戦闘後、ミール・ジャアファルと面会するロバート・クライヴ
ドーラ王の一族で、国軍の司令官であったミル・ジャフィルの野望を察知したヘスチングスは、それをクライヴに知らせ、仲間割れを誘ったのでした。
察知されていた通り、ミル・ジャフィルが裏切ったものだから、ベンガル王ドーラはイギリス軍の前に敗れることになります。そして、それが【インド植民地化の引き金】になる、いまでも南アジアでは「ミル・ジャフィル」(正確には「ミール・ジャファール」)という名前は「裏切り者」という意味で使われているようです。
「この探知はまことに事実であつた。クライヴは密かにミル・ジャフィルと謀り、事が成就したならば、カルカッタを中心とする広大な土地を英人に永代借地として与えへること、英軍及びカルカッタ政府へ巨額の寄贈金をなすこと等を約束させ、協力して王を放逐する計画を進めてゐた。…」 』

いかがでしょうか?
白人の侵略者って、必ず正面からは攻撃せずに、卑怯な仲間割れをさせるんです♥
幕末から明治にかけての日本に対しても、同じような謀略がなされました。
でも、西郷隆盛や勝海舟、その他大勢の優秀な日本人が内乱を防いだんです。

こちらもご参照♥
↓
☆敬天愛人
ところが、大東亜戦争時においては、私たち日本の中枢部にいた共産主義者によって、夥しい犠牲を伴った敗戦へと導かれてしまいました。真の狙いは、私たちの日本において、共産主義革命を起こすことにあったんです。



こちらもご参照♥
↓
☆「戦争反対」を唱え、そこから「内乱へ転化せよ」
☆共産主義者と手を結び、近衛文麿を陥れた木戸幸一
実は、16世紀~19世紀半ば頃まで、世界経済に占めるインドと支那のウェイト(下表ご参照)は、およそ50%を占めていました。
それを略奪していったのは、一体誰でしょうか?
もう一目瞭然ですね♥ 侵略者は、白人キリスト教徒ばかりだったのですから^^

そういった白人キリスト教徒による略奪という事実を隠そうとして、白人は正しい歴史教育を行っていません♥
こちらもご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約
☆戦争に引き込まれるということ
同様に、ふがいなかった支那や朝鮮も、歴史を捏造してまで、自分達のふがいなさを隠していますね♥

画像はこちらから♥
そもそも、この文章で間違っているところは、日本がファシズムだったと書いている所にあります。
反安倍を唱える阿呆な輩や共産主義者に、よくみられる傾向ですが、ファシズムと軍国主義を混同し、同じ意味合いで捉える恥さらしが大変多くいらっしゃいます♥
徹底した無知っぷりです♥ 思わず笑ってしまいますね^^
ご存知でしょうか? 「軍国主義は平和主義の反対語」だっていうのは、丸山眞男の口からデマカセだということを。

阿呆の丸山眞男
「軍国主義」っていう言葉の意味は、軍事を国策上の最優先事項にする体制のことです。
軍国主義は、むしろ穏健な思想なんです。だからこそ、ほとんどの国が軍国主義を経験していますね。
考えてみて下さい。軍隊がなかったら、外国から侵略されますね?
やくざとかマフィアといった犯罪組織にやりたい放題されますよね?
現に中南米では、犯罪組織の武力が国家の武力を上回っているような状況にあります。
平和な世の中が欲しいなら、軍国主義をやらなければダメ。これが、歴史が教えてくれていることですね♥

こちらもご参照♥
↓
☆歴史を勉強しないとこうなっちゃう。。。バカモノの子 西穂波の事例

では、軍国主義の反対語はなんでしょうか?
「軍国主義」の反対語、それが、「ファシズム」なんです♥
まったく正反対の言葉なんですよ♥
ファシズムというのは、一国一党独裁であって、国家の上にその独裁党が君臨する体制のことを言います。
ですから、日本には、まったく当てはまりません。
ファシズム国家とは、ナチスのドイツ、現代の共産党の支那、共産党の旧ソビエト連邦、フセイン時代のバース党のイラク、などを言います。

そして、すべてのファシズム国家に共通するのが、独裁政党と軍部の対立関係です。
現代の支那がそうであるように、もともと軍国主義と、一党独裁のファシズムとは、正反対のものですから、しっくりいかないんです♥
独裁政党にとって軍は、常に警戒しなければならない宿敵となっていますね♥

私たち日本人は、正しい知識を身につけなくてはなりませんね♥
そのためにも、安倍総理、頑張って下さい♥

続きは次回に♥
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