2015-08-16 (Sun)
近衛上奏文
「 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存侯
以下此の前提の下に申述べ侯、
敗戦は我国体の瑕瑾たるべきも、英米の輿論は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず、(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)随て敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存侯。国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に侯。
つらつら思うに我国内外の情勢は、今や共産革命に向って急速に進行しつつありと存侯。即ち国外に於ては、ソ連の異常なる進出に御座侯。我国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術、即ち二段革命戦術採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存侯。ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざることは、最近欧洲諸国に対する露骨なる策動により、明瞭となりつつある次第に御座侯。
ソ遅は欧洲に於て、其の局辺諸国にはソピエット的政権を、爾余の諸国には少くとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之侯。ユーゴのチトー政権は、その最も典型的な具体表現に御座侯。ポーランドに対しては、予めソ連内に準備せるポーランド愛国者連盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切侯。
ルーマニア、ブルガリア、フィンランドに対する休戦条件を見るに、内政不干渉の原則に立ちつつも、ヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上ソビエット政権に非ざれば、存在し得ざる如く強要致侯。イランに対しては、石油利権の要求に応ぜざるの故を以て、内閣総辞職を強要致侯。スウェーデンがソ連との国交開始を提議せるに対し、ソ連はスウェーデン政権を以て、親枢軸的なりとて一蹴し、これがため外相の辞職を余儀なくせしめ侯。
占頷下のフランス、ベルギー、オランダに於ては、対独戦に利用せる武装蜂起団と、政府との間に深刻なる斗争が続けられ、且つこれら諸国は、何れも政治的危機に見舞われつつあり、而してこれら武装団を指導しつつあるものは、主として共産系に御座侯。ドイツに対してはポーランドに於けると同じく已に準備せる自由ドイツ委員会を中心に、新政権を樹立せんとする意図なるべく、これは英米に取り今日頭痛の種なりと存ぜられ侯。
野坂 参三(中国名:岡野進) 明治45年、慶應義塾大学理財科に入学し、在学中に友愛会や新人会に入り労働運動に参加する。日本共産党議長、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記を務め、名誉議長となる。
ソ連はかくの如く、欧洲諸国に対し、表面は内政不干渉の足場を取るも、事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治を親ソ的方向に引きずらんと致居候。ソ連のこの意図は、東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野を中心に、日本解放連盟組織せられ、朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居候。
かくの如き形勢より推して考うるに、ソ連はやがて日本の内政に、干渉し来る危険十分ありと存ぜられ侯。(即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く、共産主義者の入閣、治安維持法及び、防共協定の廃止等々)
翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々具備せられ行く観有之侯。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵慨心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する所謂新官僚の運動、及びこれを背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座侯。
右の内特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之侯。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存侯。皇族方の中にも、此の主張に耳を傾けられるる方あり、と仄聞いたし侯。
職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、その多くは共産主義主張を受け入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て、国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て、彼等を引きずらんとしつつあるものに御座侯。
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。
この事は過去五十年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が、最近静かに反省して到違したる結論にして、此の結論の鏡にかけて、過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思い当る節々頗る多きを、感ずる次第に御座侯。
不肖は、この間に二度まで組閣の大命を拝したるが、国内の相剋摩擦を避けんがため、できるだけこれら革新論者の主張を容れて、挙国一体の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能わざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳無之、深く責任を感ずる次第に御座侯。
昨今戦局の危急を告ぐると共に、一億玉砕を叫ぶ声、次第に勢を加えつつありと存侯。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも、背後よりこれを煽動しつつあるは、これによりて国内を混乱に陥れ、遂に革命の目釣を達せんとする共産分子なりと睨み居候。一方に於て徹底的米英撃滅を唱う反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座侯。
軍部の一部には、いかなる犠牲を払いても、ソ遅と手を握るべしとさえ論ずる者もあり、又延安との提携を考え居る者もありとのごとに御座侯。以上の如く、国の内外を通じ共産革命に進むべき、凡ゆる好条件が日一日と成長しつつあり、今後戦局益々不利ともならばこの形勢は急速に進展致すべくと存侯。
戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みありというならば、格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込なき戦争をこれ以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存侯。随って国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を、講ずべきものなりと確信仕侯。
戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来りし、軍部内のかの一味の存在なりと存候。彼等は已に戦争遂行の自信を失いおるも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ侯。
もしこの一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志、この一味と饗応して国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成し難き恐れ有之侯。従て戦争を終結せんとすれば、先ずその前提として、此の一味の一掃が肝要に御座侯。
此の一味さえ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼左翼の民間分子も影を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに他ならざるが故に、その本を絶てば、枝葉は自ら枯るるものとなりと存侯。
尚これは少々希望的観測かは知れず侯えども、もしこれら一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、米英及び重慶の空気は緩和するに非ざるか。元来米英及び重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、その政策が改らぱ、彼等としても戦争の継続につき、考慮する様になりはせずやと思われ侯。
それはとも角として、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の勇断をこそ望ましく奉存侯。 」
(『論争』1962年8月号)
こちらからお借り致しました ⇒ 近衛上奏文 昭和20年2月14日
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。
未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。
いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、嘘です。デタラメなんです♥
私たちの日本は、諸外国によって戦争に引き込まれていきました。
そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥
彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 昭和二十年八月三十日、マッカーサーが厚木に降り立って間もなく、ハーバート・ノーマンも再び日本の土を踏んだ。
ハーバート・ノーマン
ノーマンの身分はカナダ公使官員だったが、【マッカーサーの強い要望から総司令部の対敵諜報部(CIS)分析課長に任命】される。
その【ノーマンが最初にやった仕事は、府中刑務所に入っていた徳田球一(とくだきゅういち)や志賀義雄(しがよしお)ら、十六名の主要な共産党員を釈放】することだった。
徳田球一
志賀義雄
十五日の朝、ノーマンは彼ら共産主義者を解放した瞬間、
「このときほど自分の生涯で楽しかったことはなかった」
と回想している。
マッカーサーが、日比谷の第一生命ビルをGHQの本部としたのは九月十五日である。その数日前、ノーマンは和田家に仮住まい中の盟友、【都留重人】(つるしげと)を訪ねている。
極めて俊敏な行動といっていい。
都留重人
そこで【都留から府中刑務所に共産党員多数が拘束されている事実を聞かされ、総司令部に解放命令を出させる約束をした】のだった。
ノーマンの次の作業は、【GHQから委託されて、近衛文麿と木戸幸一に関する意見書を作ること】だった。
近衛、木戸をA級戦犯指名し、起訴に持っていくための資料である。
木戸幸一
【木戸の姪が都留の妻であることは、当然のこと先刻承知】している。
ノーマンは再度、都留を訪ね、その情報をよすがとしてGHQに二通の「戦争責任に関する覚書」を提出した。【この「覚書」で近衛と木戸は、それぞれの位相を際立たせる形で論評されている】。
近衛はここまで言うか、というほど【酷評】され、木戸は内大臣の職責は「所詮、【盲腸のようなもの】さ」と言った【都留の言がそのまま使われ】るほど、【身贔屓(みびいき)に満ちた内容】だった。
都留の仕事は、いかに内大臣の役割が無意味で軽い職だったかを証明することだった。たしかに初期の内大臣の職務は「盲腸」のような存在ともいわれたが、昭和天皇の時代には違った。
事実、【木戸は東條を天皇に推挙したことに始まり、五年有半にわたってもっとも重大な国事に関与】してきた。
木戸幸一
【天皇の一番傍に仕え、参内上奏の諾否を決定し、西園寺亡きあとは、あたかも元老のように振る舞う地位】にいた。
その木戸の役割をノーマンは必要以上に軽く見せようと、都留と図っていたのである。
都留重人
ハーバート・ノーマン
木戸「覚書」は近衛「覚書」の三日後に提出されているが、【賛辞に満ちた木戸「覚書」】から先に見ておこう。
「戦争責任に関する覚書 木戸幸一 一九四五年十一月八日
――内大臣の地位は政治的に有力というよりは多分に名誉と威厳をともなうものであった。法律的任務を有効にする御璽(ぎょじ)の保持者である内大臣は、政治的影響力において、宮内大臣をしのぐことはほとんどなく、枢密院議長より重要でないのは確かであった。――事情を知る人びとの報告から、木戸が最初に降伏を決定した重要人物の一人であったことは合理的に十分立証される。その件について決心がつくと、かれは考えられるあらゆる影響力を使って、天皇とその顧問たちに降伏の必要性を説いた。この事についてかれの決断とそれを遂行した一貫性は木戸の典型的な点である。かれは果断で鋭敏な人物であり、友人でかつて後援者だった近衛とは対照的に、心が決まれば敏速に行動する」
孤独だと言われていた【天皇にとってただ一人の最高助言者だった事情さえも、都留はノーマンに説明しなかった】。
【近衛は三年間にわたって天皇に拝謁できなかったが、その全面に立ち塞がったのは木戸である】。
【迫り来る共産革命の脅威を説いた「近衛上奏文」を知った木戸 → 都留 → ノーマンたちは、近衛を貶(おとし)めるための「覚書」を作成した】。
次に、【弾劾された近衛「覚書」である】。
「戦争責任に関する覚書 近衛文麿 一九四五年十一月五日
かれが他人に罪を着せる本能はよく知られているが、その近衛も日本の中国侵略を『正当化する』断定的諸声明を弁明しおわせることは今までのところ明らかにできずにいる。――近衛にはコンプレックスがあったし、ときには特に政治において矛盾した性格があった。生まれつき憂鬱症で、ふさぎこんで逡巡と不決断と因循(いんじゅん)に身をまかせる性格であった近衛のいろいろな行動や方針をいっしょに組み合わせて検討してみても、何らかの型が容易に浮かび上がってくるものではない。かれは弱く、動揺する、結局のところ卑劣な性格であった。
淫蕩(いんとう)なくせに陰気くさく人民を恐れ軽蔑さえしながら世間からやんやの喝采を浴びることをむやみに欲しがる近衛は、病的に自己中心で虚栄心が強い。――ひとつ確かなのは、かれが何らかの重要な地位を占めることを許されるかぎり、潜在的に可能な自由主義的、民主主義的運動を阻止し挫折させてしまうことである。かれが憲法起草委員会を支配するかぎり、民主的な憲法を作成しようとするまじめな試みをすべて愚弄することになるであろう。かれが手に触れるものはみな残骸と化す」
ここまで【口を極めて罵(ののし)らなければならなかった動機は、言うまでもなく「上奏文」の内容にあった】。』
いかがでしょうか?
近衛が天皇に訴えたかった【国家の裏切り者】の姿が見えてきましたね♥
近衛文麿
昭和天皇率いる私たちの日本、そしてルーズベルト率いるアメリカ。
実は、双方の国の中枢部に、ソ連の手先、共産主義者が紛れ込んでいたんです♥
そして、その両者を戦わせた。まったく、無益な戦争だったんです。
手のひらで踊らされてしまったんです♥
支那においては、アメリカと組んで日本と共闘した台湾国民党を、最終的には、ソ連が支援する中国共産党が追い出しました。
そして、今の共産党独裁国家が成立しています。
そもそも近衛は、中国戦線不拡大の政策を推進していました。
蒋介石と日本軍は、日本軍を中国から引き揚げることに合意すらしていたんです。
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
しかし、朝日新聞記者出身の共産主義者・尾崎秀実は、日本が日中戦争を拡大させるように仕向けたんです。
朝日新聞記者だった尾崎秀実
朝日新聞記者だった尾崎秀実の逮捕後に関しては、こちらが詳しいです♥
↓
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
こちらをご参照♥ ⇒ 驚天動地だった「尾崎」の逮捕♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【実録】取り調べ時の「尾崎」の様子♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【驚愕】あの「尾崎」が残した手記♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥
日本と中国との戦線不拡大がほぼまとまりかけていたその時、尾崎らは汪兆銘を首班として日本の傀儡政権を擁立させました。
その結果、まとまりかけていた和平工作は挫折し、重慶の蒋介石軍と日本軍がまさしく泥沼の戦争に入り込んだのです。
共産主義者(旧:ソビエト連邦および現:中華人民共和国の母体・中国共産党)が、日本と支那(現:台湾の母体・台湾国民党)を戦争へと向かわせたんです。
開戦に遡ること5年前(1936年)、二・二六事件が起こります。
二・二六事件を主導したのは、いわゆる【皇道派】と呼ばれる、反共・反ソを掲げる精神的国家主義の傾向が強かった人々です。
共産主義者、特にソビエト連邦にとって、皇道派は邪魔者以外の何者でもありませんでした。
なぜなら、皇道派は、ソ連を強く警戒し、蒋介石や米国との軋轢は避けようとする傾向があったからです。
それに対して、【反皇道派(統制派)】は南進論で支那(現:台湾の母体・台湾国民党)一撃を謳い、英米を敵国と位置づけていました。支那(現:台湾の母体・台湾国民党)をまず叩いて、そして日本のいうことを何でもきくようにしなければならない、さらにソ連に対しての備えはするけれども、決して対ソ戦争はしない、と主張していたんです。
そして、二・二六事件は鎮圧され、皇道派は事件以後、実権を失い、反皇道派(統制派)が主導権を握ったんです。
この時、私たちの日本の敵が、変わったんです。
本来、日本が戦わなければならなかった「共産主義」のソビエト連邦や中国共産党から、台湾国民党・イギリス・アメリカへと矛先を変えるように誘導されてしまったんです。
このとき私たち日本の正面の敵は、イギリスであって、ソビエト連邦(旧:ロシア)だったんです。
イギリスもソビエト連邦(旧:ロシア)も、真っ向から戦うわけではありません。
誰かと誰かを戦わせて、漁夫の利を得るのが、常套手段です。
つまり、イギリスとソビエト連邦(旧:ロシア)の陣取り合戦で、私たちの日本は、身内である日本人の裏切り者・共産主義者が実権を握ってしまったことで、イギリスが陣取り合戦に敗れ、ソビエト連邦(旧:ロシア)が勝ってしまったんです。
こうして、私たちの日本は、戦争へと引き込まれていったのです。
こちらもご参照♥
↓
戦争に引き込まれるということ
戦時中、国家総動員や総力戦を謳ったり、徹底抗戦や、本土決戦を主張したり、これらの言葉は、共産主義者が口々に唱えたものなんです♥
なぜでしょうか?
彼ら共産主義者が目標としたのは、「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガンでした。
1932(昭和7)年5月に、いわゆる「三二テーゼ」と呼ばれるスローガンが、コミンテルンで採択されました。
正式名称は、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」です。
もう一度、繰り返しますね♥
「日本共産党の任務」です。
それは、次のように高らかと謳っています。
「 日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。…
換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。…
現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。
●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ。
●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し。
●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。
●ソヴィエト連邦および中国革命の防衛 」 (『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)
いかがでしょうか?
最も重要なのは、「戦争反対」を唱え、そこから「内乱へ転化せよ」という部分です。
つまり、口では「戦争反対」と唱えながら、私たち日本の世論を分断し、そしてそこから「内乱へと誘導しなさい」って事なんです。そして、「共産革命」を起こせ、と。これが「三二テーゼ」の主旨です♥
これは、現在も継続されています♥
現代の日本共産党も、同じ考えを持って活動している「テロ政党」です♥
だから、日本共産党は現在でも公安の監視対象なんです
先程の「三二テーゼ」でも、良く分かると思いますが、共産主義者の考えている事は、すべて革命思想です。
つまり、他人の「皮(革)」を剥いで「命」を奪い、その財産を強奪する思想です。
それでは、ここで、基本的なクイズです。
(問1)憲法改正に何故あれほど頑なに反対する人たちが存在しているのか?
(問2)日本が自衛のための国軍を持つことに何故反対する人たちが存在しているのか?
(問3)彼らは何故、旧ソ連や中国について、一切批判しないのか?
ヒントは、「三二テーゼ」と呼ばれる「日本共産党の任務」です。
答えは、憲法改正させないのは共産主義者に都合が良いからですね♥
だって、国軍を否定する願っても無い憲法ですから。共産革命がやりやすくなるんです。
自衛隊の行動を縛ったり、自衛隊そのものに反対するのも、共産革命の邪魔になるからです。
旧ソ連や、特に現在の支那は共産主義者の仲間・共産党仲間ですね♥
いかがでしょうか?
そんな革命政党・日本共産党がいまだに存在し、愚鈍な民主党もほとんど同じ主張をしていますね!
後ろでは繋がっているんですね、きっと♥
正体バレバレ!【SEALDs主催】「戦争法案反対」デモに山本太郎・菅直人・有田芳生・志位和夫・小西裕之・赤旗・維新の党集結!
渋谷には「赤い」バカモノがいるw
SEALDsとは、【民青、過激派、在日、チンピラの連合軍】のこと。
SEALDsは、【全労連=共産党系の労組】の街宣車を使っています。つまり、SEALDsは、共産党の下部組織です。また、SEALDsに参加している若者のかなりの部分が共産党の青年組織であることも公の事実です♥デモを仕切っているのが日本共産党系の青年組織「民青」(日本民主青年同盟)であることもバレちゃっています♥
SEALDs奥田愛基「全労連さんから車を借りたのは事実ですが、たまたま車が空いていたから。」
「在日4世で参政権がない。でも政治に声を上げたい」「戦争法案許さない」SEALDs声上げ
SEALDsは就職できなくてふるえる・左翼活動家や共産主義テロリストが就職できないのは事実
法政大学の中核派の女テロリスト 洞口朋子(26歳)
貴重な画像はこちらからお借り致しました♥
↓
5寸釘の女、まあ、なんていうことでしょう、ビフォー、アフター。
続きは次回に♥
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