2015-08-13 (Thu)


渋谷には「赤い」バカモノがいるw

SEALDsとは、【民青、過激派、在日、チンピラの連合軍】のこと。

SEALDsは、【全労連=共産党系の労組】の街宣車を使っています。つまり、SEALDsは、共産党の下部組織です。また、SEALDsに参加している若者のかなりの部分が共産党の青年組織であることも公の事実です♥デモを仕切っているのが日本共産党系の青年組織「民青」(日本民主青年同盟)であることもバレちゃっています♥
SEALDs奥田愛基「全労連さんから車を借りたのは事実ですが、たまたま車が空いていたから。」
「在日4世で参政権がない。でも政治に声を上げたい」「戦争法案許さない」SEALDs声上げ
SEALDsは就職できなくてふるえる・左翼活動家や共産主義テロリストが就職できないのは事実

法政大学の中核派の女テロリスト 洞口朋子(26歳)



貴重な画像はこちらからお借り致しました♥
↓
5寸釘の女、まあ、なんていうことでしょう、ビフォー、アフター。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。
未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。
いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、嘘です。デタラメなんです♥
私たちの日本は、諸外国によって戦争に引き込まれていきました。
そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥
彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 近衛上奏から一カ月半ほど経った昭和二十年四月五日、【ソ連は日ソ中立条約延長破棄を通告】してきた。
その二カ月前には【ヤルタ会談】が行われ、重大な「密約」が交わされている。

チャーチルとルーズベルトはソ連の対日参戦を強力に促し、【ドイツ降伏三カ月後にソ連が対日参戦すれば見返りに南樺太、千島などをソ連に割譲する】、としたものだ。




詳しくはこちらの書物をご参照♥
↓
狂気の最中に、命がけで正義を貫いた立派な人々
二十年五月七日(日本時間八日)、ドイツは降伏文書に調印し、きっちり三カ月後の八月八日、ソ連は対日参戦を布告したのである。

小野寺信(おのでらまこと、少将、ストックホルム駐在武官)から送られた情報は何者かによって握り潰され、【日本は終戦をめぐる国家の舵取りを大きく誤った】。』

小野寺信 ※小野寺の送った機密情報は「ブ情報」と呼ばれ、海外からの貴重な情報源となった。「ブ情報」の「ブ」は、ミハウ・リビコフスキ(Michał Rybikowski)の上官ブジェスクフィンスキの頭文字である。大戦最末期にはヤルタ会談後にソ連が対日宣戦するとの最高機密情報を日本に送っている。
『 このインテリジェンス問題の闇については、すでに岡部伸(おかべのぶる)氏の『消えたヤルタ密約緊急電』(新潮選書)によって克明に明かされているので、ここでは触れない。
小野寺「密電」が握り潰されるさなか、ソ連軍が欧州から東部へシベリア鉄道で大移動するとの情報も伝えられていた。
【それでも、なおわが国政府はソ連を和平の仲介役とする案にこだわった】のだ。

この真相はいまだに謎に包まれた部分も多いが、【戦後体制を共産主義国家に委ねようとした陸軍統制派や学者たちがかかわっていた事実だけは明白】である。

こちらもご参照♥
↓
NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」 NHKこそなぜ視聴率の悪い大河ドラマ「平清盛」を早く打ち切りを決められなかったのか。

デタラメ番組 NHKスペシャル 「終戦 なぜ早く決められなかったのか」
大本営には参謀次長直轄の【戦争指導班長(課長と同格)】という席があり、昭和二十年四月、同班長から鈴木貫太郎首相の【首相秘書官となった松谷誠(まつたにせい)大佐は、「終戦後日本国家再建方策」という「親ソ論文」を提出】している。

松谷誠
その論文で松谷は、
「スターリンは独ソ戦後、左翼小児病的態度を改め、人情の機微に即した左翼運動の正道に立っており、ソ連の民族政策は寛容なものとなった。――よってソ連はわが国体と赤とは絶対に相容れざるものとは考えざらん」
と【スターリンを高く評価】したうえで、続けてこうまで言う。
「戦後わが経済状態は、米の企図する日本政治の民主主義化よりも、ソ連流の人民政府主義の方が将来日本的政治への復帰の萌芽を残し得るならん」
と。

改めて言うまでもなく、【参謀本部中枢から首相秘書官に就いた指導者が、ここまであからさまにソ連への期待感を抱いていた裏には、ある謀略があった】としか考えられない。

鈴木貫太郎といえば、天皇からもっとも信頼を受けていたとされる人物である。

鈴木貫太郎
松谷たちは、【日本が共産化しても皇室と国体は安泰であると錯誤した論法で、日本を共産化しようと画策していた】のだろう。

ヤルタ会談後に小野寺からの電報を直接受信したのは、参謀本部次長の秦彦三郎(はたひこさぶろう)で、その実務官は松谷から戦争指導班長を引き継いだ種村佐孝(たねむらさこう)大佐だった。
その種村も「対ソ外交交渉要綱」を起案(昭和二十年四月二十九日)し、【ソ連を味方に戦略を組むべし、と提案】している(『大本営機密日誌』)。

同要綱は、「帝国はあくまでも対米英戦を完遂する為」に「ソ連を我が方に誘引すべし」としている点で、松谷案と同類である。
種村は「日支ソ三国善隣友好相互提携不可侵」条約を結んで、「相互の親善を図る」と説く。
そのために、【ソ連への交渉役として特使を派遣するよう進言し、あろうことか、その案は実現する】。

特使には【ソ連への「手土産」として満州と外蒙古の割譲、南方占領地域の権益譲渡案などが託された】と考えられる。

そこで、「手土産」を提げてソ連へと派遣された特使こそ、【戦後体制に影響を与えた極めて重大な人物】であった可能性が浮上するのだ。 』

いかがでしょうか?
近衛が天皇に訴えたかった【国家の裏切り者】の姿が見えてきましたね♥

近衛文麿
そもそも近衛は、中国戦線不拡大の政策を推進していました。
蒋介石と日本軍は、日本軍を中国から引き揚げることに合意すらしていたんです。
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
しかし、朝日新聞記者出身の共産主義者・尾崎秀実は、日本が日中戦争を拡大させるように仕向けたんです。

朝日新聞記者だった尾崎秀実

朝日新聞記者だった尾崎秀実の逮捕後に関しては、こちらが詳しいです♥
↓
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
こちらをご参照♥ ⇒ 驚天動地だった「尾崎」の逮捕♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【実録】取り調べ時の「尾崎」の様子♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【驚愕】あの「尾崎」が残した手記♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥
日本と中国との戦線不拡大がほぼまとまりかけていたその時、尾崎らは汪兆銘を首班として日本の傀儡政権を擁立させました。
その結果、まとまりかけていた和平工作は挫折し、重慶の蒋介石軍と日本軍がまさしく泥沼の戦争に入り込んだのです。
共産主義者(旧:ソビエト連邦および現:中華人民共和国の母体・中国共産党)が、日本と支那(現:台湾の母体・台湾国民党)を戦争へと向かわせたんです。

開戦に遡ること5年前(1936年)、二・二六事件が起こります。
二・二六事件を主導したのは、いわゆる【皇道派】と呼ばれる、反共・反ソを掲げる精神的国家主義の傾向が強かった人々です。
共産主義者、特にソビエト連邦にとって、皇道派は邪魔者以外の何者でもありませんでした。
なぜなら、皇道派は、ソ連を強く警戒し、蒋介石や米国との軋轢は避けようとする傾向があったからです。
それに対して、【反皇道派(統制派)】は南進論で支那(現:台湾の母体・台湾国民党)一撃を謳い、英米を敵国と位置づけていました。支那(現:台湾の母体・台湾国民党)をまず叩いて、そして日本のいうことを何でもきくようにしなければならない、さらにソ連に対しての備えはするけれども、決して対ソ戦争はしない、と主張していたんです。
そして、二・二六事件は鎮圧され、皇道派は事件以後、実権を失い、反皇道派(統制派)が主導権を握ったんです。
この時、私たちの日本の敵が、変わったんです。
本来、日本が戦わなければならなかった「共産主義」のソビエト連邦や中国共産党から、台湾国民党・イギリス・アメリカへと矛先を変えるように誘導されてしまったんです。
このとき私たち日本の正面の敵は、イギリスであって、ソビエト連邦(旧:ロシア)だったんです。
イギリスもソビエト連邦(旧:ロシア)も、真っ向から戦うわけではありません。
誰かと誰かを戦わせて、漁夫の利を得るのが、常套手段です。

つまり、イギリスとソビエト連邦(旧:ロシア)の陣取り合戦で、私たちの日本は、身内である日本人の裏切り者・共産主義者が実権を握ってしまったことで、イギリスが陣取り合戦に敗れ、ソビエト連邦(旧:ロシア)が勝ってしまったんです。
こうして、私たちの日本は、戦争へと引き込まれていったのです。
こちらもご参照♥
↓
戦争に引き込まれるということ
戦時中、国家総動員や総力戦を謳ったり、徹底抗戦や、本土決戦を主張したり、これらの言葉は、共産主義者が口々に唱えたものなんです♥

なぜでしょうか?

彼ら共産主義者が目標としたのは、「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガンでした。
1932(昭和7)年5月に、いわゆる「三二テーゼ」と呼ばれるスローガンが、コミンテルンで採択されました。
正式名称は、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」です。

もう一度、繰り返しますね♥
「日本共産党の任務」です。
それは、次のように高らかと謳っています。
「 日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。…
換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。…
現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。
●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ。
●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し。
●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。
●ソヴィエト連邦および中国革命の防衛 」 (『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)

いかがでしょうか?
最も重要なのは、「戦争反対」を唱え、そこから「内乱へ転化せよ」という部分です。
つまり、口では「戦争反対」と唱えながら、私たち日本の世論を分断し、そしてそこから「内乱へと誘導しなさい」って事なんです。そして、「共産革命」を起こせ、と。これが「三二テーゼ」の主旨です♥

これは、現在も継続されています♥
現代の日本共産党も、同じ考えを持って活動している「テロ政党」です♥
だから、日本共産党は現在でも公安の監視対象なんです
先程の「三二テーゼ」でも、良く分かると思いますが、共産主義者の考えている事は、すべて革命思想です。
つまり、他人の「皮(革)」を剥いで「命」を奪い、その財産を強奪する思想です。
それでは、ここで、基本的なクイズです。
(問1)憲法改正に何故あれほど頑なに反対する人たちが存在しているのか?
(問2)日本が自衛のための国軍を持つことに何故反対する人たちが存在しているのか?
(問3)彼らは何故、旧ソ連や中国について、一切批判しないのか?

ヒントは、「三二テーゼ」と呼ばれる「日本共産党の任務」です。
答えは、憲法改正させないのは共産主義者に都合が良いからですね♥
だって、国軍を否定する願っても無い憲法ですから。共産革命がやりやすくなるんです。
自衛隊の行動を縛ったり、自衛隊そのものに反対するのも、共産革命の邪魔になるからです。
旧ソ連や、特に現在の支那は共産主義者の仲間・共産党仲間ですね♥
いかがでしょうか?
そんな革命政党・日本共産党がいまだに存在し、愚鈍な民主党もほとんど同じ主張をしていますね!
後ろでは繋がっているんですね、きっと♥


正体バレバレ!【SEALDs主催】「戦争法案反対」デモに山本太郎・菅直人・有田芳生・志位和夫・小西裕之・赤旗・維新の党集結!
続きは次回に♥
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