2015-08-12 (Wed)

渋谷には「赤い」バカモノがいるw

SEALDsとは、【民青、過激派、在日、チンピラの連合軍】のこと。

SEALDsは、【全労連=共産党系の労組】の街宣車を使っています。つまり、SEALDsは、共産党の下部組織です。また、SEALDsに参加している若者のかなりの部分が共産党の青年組織であることも公の事実です♥デモを仕切っているのが日本共産党系の青年組織「民青」(日本民主青年同盟)であることもバレちゃっています♥
SEALDs奥田愛基「全労連さんから車を借りたのは事実ですが、たまたま車が空いていたから。」
「在日4世で参政権がない。でも政治に声を上げたい」「戦争法案許さない」SEALDs声上げ
SEALDsは就職できなくてふるえる・左翼活動家や共産主義テロリストが就職できないのは事実

法政大学の中核派の女テロリスト 洞口朋子(26歳)

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。
未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。
いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、嘘です。デタラメなんです♥
私たちの日本は、諸外国によって戦争に引き込まれていきました。
そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥
彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 近衛は身辺に【尾崎秀実(おざきほつみ)ら共産主義者の巣窟があった事実】を恥じ、その不明を天皇に詫びた。

近衛文麿

朝日新聞記者だった尾崎秀実

朝日新聞記者だった尾崎秀実の逮捕後に関しては、こちらが詳しいです♥
↓
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
こちらをご参照♥ ⇒ 驚天動地だった「尾崎」の逮捕♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【実録】取り調べ時の「尾崎」の様子♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【驚愕】あの「尾崎」が残した手記♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥

三年ぶりに天皇に拝謁が叶った近衛の言葉を復誦すれば、
「これら軍部内一味の狙いは、必ずしも共産革命に非ずとも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(【之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり】)は、【意識的に共産革命まで引ずらんとする意図】を包蔵しおり」
と述べ、天皇のほうに向き直り、一段と声を張って共産革命の脅威を訴えた。


近衛文麿
「【見込みなき戦争をこれ以上継続するは、全く共産党の手に乗るもの】と存候(ぞんじそうろう)」

訴えたかった問題の焦点は二つあって、一つは「この一味」の具体的氏名がいったい誰なのか、という点である。
もう一つの重要な焦点は、一刻も早い終戦にあった。
巻紙の最後になって近衛は再度、天皇に深く一礼し悲痛な言葉で上奏を締めくくった。
「【共産革命より日本を救う前提先決条件】なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候」
だが、天皇の「御勇断」にはこれから先、まだ半年かかった。
その間の東京大空襲や沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦など猖獗(しょうけつ、悪い物事がはびこり猛威を振るうこと)を極めた事実は改めて述べるまでもない。

こちらもご参照♥
↓
Tokyo was a holocausted city♥
ソ連参戦については、こちらもご参照♥
↓
狂気の最中に、命がけで正義を貫いた立派な人々
【終戦までの過程がかくも遅れたのは、コミンテルンによる「敗戦から革命へ」の実践による“成果”だった】ことは火を見るより明らかである。わが国の【官僚や軍部が感化された理論】は、【第三インターナショナル(コミンテルン)からの指導によるもの】だった。

この時期、【昭和天皇のごく身辺近くまで、共産主義の地下水脈は接近】していた。

それは一九三二(昭和七)年五月、コミンテルンで採択されたいわゆる【「三二テーゼ」の概略】を繙(ひもと)いてみればすぐに分かる。

「三二テーゼ」と一般的に呼ばれる文書には、「日本における情勢と【日本共産党の任務】に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」という長い正式名称が付いている。

「日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする【革命】の性質および【任務】の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。――

換言すれば、【君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立】を経ねばならない。――

現瞬間のための【主要な行動スローガン】は、次のものでなければならない。
●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を【内乱に転化】せよ。
●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の【土地の農民のための無償没収】。地主、金貸し、および銀行に対する【農民の一切の負債の取消し】。
●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。
●【ソヴィエト連邦および中国革命の防衛】」(『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)

このテーゼを採決する現場にいた人物こそ、【近衛が天皇にその名を挙げた野坂参三(のさかさんぞう、中国名・岡野進)はじめ、片山潜(せん)、山本懸蔵(けんぞう)】などである。


野坂 参三(のさか さんぞう、1892年(明治25年)3月30日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の政治家、日本共産党議長、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記を務め、名誉議長となる。初名は小野参弎(おの さんぞう)。中国では岡野進と称した。


県立神戸商業学校(現・兵庫県立神戸商業高等学校)に進学。在学中論文に「社会主義を論ず」を発表して教師からひどく叱責される。明治45年、慶應義塾大学理財科に入学し、在学中に友愛会や新人会に入り労働運動に参加する。卒業後、常任書記となる。1919年(大正8年)友愛会の派遣でイギリスに渡り、英国共産党に参加する。帰国後、第一次共産党結成に参加。1923年(大正12年)6月5日の第一次共産党検挙事件に際してソ連へ密航した。日本労働総同盟の産業労働調査所主事となり、慶應の後輩野呂榮太郎に影響を与える。


のち三・一五事件で検挙されたが、「目の病気」を理由に釈放された。1931年(昭和6年)に妻の野坂龍とともに秘かにソ連に入国。外国人向け政治学校東方勤労者共産大学(クートヴェ)で秘密訓練を受け、コミンテルン、内務人民委員部(NKVD)のスパイになった。その後米国にも入国、アメリカ共産党とも関係する。また、1940年(昭和15年)、中華民国の延安で中国共産党に合流する。同年10月に日本工農学校を組織したり、1944年(昭和19年)2月日本人民解放連盟を結成し、日本人捕虜に再教育を行ったり前線で「日本兵士よ。脱走しなさい。私が日本に帰れるようにしてあげます。共産党第八路軍、日本人岡野進」という内容のビラを配布など、日本打倒を目指した活動をおこなった。野坂は第二次世界大戦終了後の1946年(昭和21年)1月12日に中国から帰国し、府中刑務所から解放されていた徳田球一らと日本共産党の再建を果たす。


ソ連のシベリア抑留の帰国者に関する手紙で、ソ連のシベリア抑留の肯定、延長を求める文面があり、それを元に国会で大々的に追及される。1950年(昭和25年)に日本共産党がコミンフォルムから平和革命路線を批判され内部分裂した際には、徳田らとともに所感派の指導者となり、宮本顕治らの国際派と対立。GHQのチャールズ・L・ケーディスと親しくしていたが、レッドパージを受けて地下活動、中国に亡命(北京機関)して武装闘争路線を採った。


1955年(昭和30年)に帰国、第一書記に就任する。1956年(昭和31年)に東京都選挙区から参議院議員に当選、1977年まで4期(うち1期は3年議員)にわたって参議院議員を務めた。1958年(昭和33年)に共産党議長となり、宮本が書記長となった。1982年(昭和57年)7月の第16回大会で退任し、以後名誉議長となった。
しかし、『週刊文春』9-11月の連載が元となり、調査の結果ソ連のスパイだったとして日本共産党名誉議長を解任され、その後中央委員会総会において野坂の除名処分が決定された(名誉議長解任時は高齢であることを配慮して党からの年金支給が続けられた)。その際、野坂は「残念ながら事実なので処分を認めざるを得ない」と述べた。これはソ連崩壊後、公文書が公開され、野坂が戦中にアメリカからコミンテルンのディミトロフに送った手紙が明らかになったことによる。



「三二テーゼ」が、【日本における共産主義運動を支える基本綱領】となっていたのは言うまでもない。

当然の一致と言おうか、【戦後になってGHQ民政局長ホイットニーたちが実行した日本改造計画と瓜二つ】なのだ。
GHQ内の左翼勢力に関しては、こちらをご参照♥
↓
21世紀は「伝統回帰の時代」。。。リベラルの終焉
彼らが果たせなかったのは「君主制の転覆」だけで、他の目標の大部分は連合国、なかんずく【アメリカ国務省内のコミンテルン分子】の手によって成就された。
救いだったのは、「敗戦から内乱に転化」して共産革命が成立する寸前に、世界規模の冷戦が始まったことであろう。
東西冷戦の真実に関しては、こちらもご参照♥
↓
米ソ冷戦は仕組まれたものでした♥
コミンテルンそのものは一九四三(昭和十八)年に幕をいったん閉じるが、その果たした謀略の影響力は計り知れなかった。』

いかがでしょうか?
近衛が天皇に訴えたかった【国家の裏切り者】の姿が見えてきましたね♥
そもそも近衛は、中国戦線不拡大の政策を推進していました。
蒋介石と日本軍は、日本軍を中国から引き揚げることに合意すらしていたんです。
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
しかし、朝日新聞記者出身の共産主義者・尾崎秀実は、日本が日中戦争を拡大させるように仕向けたんです。
日本と中国との戦線不拡大がほぼまとまりかけていたその時、尾崎らは汪兆銘を首班として日本の傀儡政権を擁立させました。
その結果、まとまりかけていた和平工作は挫折し、重慶の蒋介石軍と日本軍がまさしく泥沼の戦争に入り込んだのです。
共産主義者(旧:ソビエト連邦および現:中華人民共和国の母体・中国共産党)が、日本と支那(現:台湾の母体・台湾国民党)を戦争へと向かわせたんです。

開戦に遡ること5年前(1936年)、二・二六事件が起こります。
二・二六事件を主導したのは、いわゆる【皇道派】と呼ばれる、反共・反ソを掲げる精神的国家主義の傾向が強かった人々です。
共産主義者、特にソビエト連邦にとって、皇道派は邪魔者以外の何者でもありませんでした。
なぜなら、皇道派は、ソ連を強く警戒し、蒋介石や米国との軋轢は避けようとする傾向があったからです。
それに対して、【反皇道派(統制派)】は南進論で支那(現:台湾の母体・台湾国民党)一撃を謳い、英米を敵国と位置づけていました。支那(現:台湾の母体・台湾国民党)をまず叩いて、そして日本のいうことを何でもきくようにしなければならない、さらにソ連に対しての備えはするけれども、決して対ソ戦争はしない、と主張していたんです。
そして、二・二六事件は鎮圧され、皇道派は事件以後、実権を失い、反皇道派(統制派)が主導権を握ったんです。
この時、私たちの日本の敵が、変わったんです。
本来、日本が戦わなければならなかった「共産主義」のソビエト連邦や中国共産党から、台湾国民党・イギリス・アメリカへと矛先を変えるように誘導されてしまったんです。
このとき私たち日本の正面の敵は、イギリスであって、ソビエト連邦(旧:ロシア)だったんです。
イギリスもソビエト連邦(旧:ロシア)も、真っ向から戦うわけではありません。
誰かと誰かを戦わせて、漁夫の利を得るのが、常套手段です。

つまり、イギリスとソビエト連邦(旧:ロシア)の陣取り合戦で、私たちの日本は、身内である日本人の裏切り者・共産主義者が実権を握ってしまったことで、イギリスが陣取り合戦に敗れ、ソビエト連邦(旧:ロシア)が勝ってしまったんです。
こうして、私たちの日本は、戦争へと引き込まれていったのです。
こちらもご参照♥
↓
戦争に引き込まれるということ
戦時中、国家総動員や総力戦を謳ったり、徹底抗戦や、本土決戦を主張したり、これらの言葉は、共産主義者が口々に唱えたものなんです♥

なぜでしょうか?

彼ら共産主義者が目標としたのは、「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガンでした。
1932(昭和7)年5月に、いわゆる「三二テーゼ」と呼ばれるスローガンが、コミンテルンで採択されました。
正式名称は、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」です。

もう一度、繰り返しますね♥
「日本共産党の任務」です。
それは、次のように高らかと謳っています。
「 日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。…
換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。…
現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。
●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ。
●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し。
●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。
●ソヴィエト連邦および中国革命の防衛 」 (『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)

いかがでしょうか?
最も重要なのは、「戦争反対」を唱え、そこから「内乱へ転化せよ」という部分です。
つまり、口では「戦争反対」と唱えながら、私たち日本の世論を分断し、そしてそこから「内乱へと誘導しなさい」って事なんです。そして、「共産革命」を起こせ、と。これが「三二テーゼ」の主旨です♥

これは、現在も継続されています♥
現代の日本共産党も、同じ考えを持って活動している「テロ政党」です♥
だから、日本共産党は現在でも公安の監視対象なんです
先程の「三二テーゼ」でも、良く分かると思いますが、共産主義者の考えている事は、すべて革命思想です。
つまり、他人の「皮(革)」を剥いで「命」を奪い、その財産を強奪する思想です。
それでは、ここで、基本的なクイズです。
(問1)憲法改正に何故あれほど頑なに反対する人たちが存在しているのか?
(問2)日本が自衛のための国軍を持つことに何故反対する人たちが存在しているのか?
(問3)彼らは何故、旧ソ連や中国について、一切批判しないのか?

ヒントは、「三二テーゼ」と呼ばれる「日本共産党の任務」です。
答えは、憲法改正させないのは共産主義者に都合が良いからですね♥
だって、国軍を否定する願っても無い憲法ですから。共産革命がやりやすくなるんです。
自衛隊の行動を縛ったり、自衛隊そのものに反対するのも、共産革命の邪魔になるからです。
旧ソ連や、特に現在の支那は共産主義者の仲間・共産党仲間ですね♥
いかがでしょうか?
そんな革命政党・日本共産党がいまだに存在し、愚鈍な民主党もほとんど同じ主張をしていますね!
後ろでは繋がっているんですね、きっと♥


正体バレバレ!【SEALDs主催】「戦争法案反対」デモに山本太郎・菅直人・有田芳生・志位和夫・小西裕之・赤旗・維新の党集結!
続きは次回に♥
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