2015-08-08 (Sat)

リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge, キリル文字:Рихард Зорге, 1895年10月4日 - 1944年11月7日)は、ソビエト連邦のスパイ。1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけてゾルゲ諜報団を組織して日本で諜報活動を行い、ドイツと日本の対ソ参戦の可能性などの調査に従事し、ゾルゲ事件の首謀者として日本を震撼させた。

尾崎秀実

ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。
この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元【朝日新聞記者の尾崎秀実】(おざきほつみ)もいた。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。
未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。
いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、嘘です。デタラメなんです♥
私たちの日本は、諸外国によって戦争に引き込まれていきました。
そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥
彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 次の第三の問題点に、【「波風」改竄の疑惑】が隠されている。

牛場友彦
「半封建的侵略主義的」な「日本帝国主義の本質の分析」のためにこの手記を刊行したと刊行意図を述べ、それを【「信濃毎日新聞」(以下「信毎」)と牛場友彦が支援】してくれたと感謝を述べている箇所である。


近衛文麿
近衛の周辺では、【ゾルゲ事件の主役・尾崎秀実(おざきほつみ)】らを中心とした「昭和研究会」と、その延長戦上に生まれた「朝飯会(あさめしかい)」という組織が活動していた。
近衛の脇が甘かったのは事実で、これらの組織には【ゾルゲの手が回り、コミンテルンに情報が筒抜けとなっていた】ことは近衛にとっては痛恨事といわねばならない。

この点について、近衛は昭和二十年二月十四日、天皇に上奏し、自身の不明を次のように詫びている。
尾崎が処刑された三カ月後のことである。
「不肖は彼らの主張の背後に潜める意図を十分に看取する能わざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳無之(これもうしわけなく)、深く責任を感ずる次第に御座候(ござそうろう)」 (矢部貞治『近衛文麿』下)

矢部貞治『近衛文麿』

朝日新聞記者だった尾崎秀実の逮捕後に関しては、こちらが詳しいです♥
↓
こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥
こちらをご参照♥ ⇒ 驚天動地だった「尾崎」の逮捕♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【実録】取り調べ時の「尾崎」の様子♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【驚愕】あの「尾崎」が残した手記♥
こちらをご参照♥ ⇒ 【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥

尾崎秀実
問題は、「朝飯会」の主要メンバーに、【尾崎秀実】と同席していた当時近衛の秘書でもあった【牛場友彦】が【「朝日」版の協力者】になっている点である。

牛場友彦
牛場のほかにもうひとり、見逃せない影をもつ人物がいる。
「朝飯会」メンバーで、「信毎」と緊密な関係をもつ男、【風見章(かざみあきら)】である。

風見章
風見は第一次近衛内閣の書記官長(昭和十二年六月~十四年一月)に就いた経歴があるが、【前身は「信毎」で共産党の地下運動を支えたいわくつきの記者】だった(須田禎一『風見章とその時代』ほか)。

須田禎一『風見章とその時代』
風見が「信毎」でやったことは、【マルクスの『共産党宣言』を絶賛する連載記事を掲載し、過激な労働争議の支援をした】ことに尽きる。


つまり、牛場と「信毎」の間を繋ぎ、「朝日」に近衛の手記を渡した陰には、そもそも風見章がいたと考えれば「序」文との辻褄が合うのだ。
「朝日新聞」は昭和二十年十二月末、近衛の手記を「信毎」から入手して紙上で連載し、翌年五月に冊子としてまとめ、刊行した。
その際、【風見や牛場の作為的な手が加わって】、【「あだ波」を「荒波」と改竄して刊行した】可能性は否定できない。そうすれば、東京裁判で天皇の「平和志向」を印象づけられるからだ。…

元朝日新聞記者の尾崎秀実はもちろんのこと、【コミンテルンによる資金援助で支えられていた太平洋問題調査会(IPR)】の主要メンバーと、【「朝日新聞」の関係には根深いものがあった】ことは周知の事実だ。

しかも、太平洋問題調査会と「朝飯会」会員、「朝日新聞」の主要メンバーはほとんど重なっていた。

三者にまたがる人物を挙げれば、【牛場友彦、佐々弘雄(さっさひろお)、笠信太郎(りゅうしんたろう)、西園寺公一(さいおんじきんかず)といった親コミンテルン一派】であり、束ねていたのがほかならぬ風見章だった。

したがって、「朝日新聞」版の『失はれし政治』を史料とするには、あまりにも偏りすぎていると言わざるを得ないのである。…
以上のような背景を踏まえたうえで、昭和史研究家がどのような史料をもとに「波風」と言い続けてきたのかを検証したい。
共通しているのは、【彼らはひたすら天皇が「反戦主義者」だったと言い募る点】だ。
それは、陸軍が暴走して日本を戦争に駆り立てた、と証明するのに【都合がいいから】であろう。
言うまでもないが、東京裁判と同じ方程式を【現在でも繰り返している】。…』

こちらもご参照♥ ⇒ 朝日新聞を糺す国民会議 朝日新聞を消せ!
いかがでしょうか?
御前会議において、昭和天皇は、明治天皇の御製「よもの海」を一部言葉を置き換えて詠みあげられました。
【内閣の最高責任者】の近衛首相と【統帥部の最高責任者】の杉山参謀総長が、揃って「あだ波」と聞き、書き遺しています。
昭和天皇を含め、御前会議の場に居合わせた十六名の出席者のうち、近衛、杉山の二人だけが記録を遺しています。

明治天皇御製「よもの海」

<明治天皇御製>
よものうみみなはらからと思ふ世になど【波風】のたちさわぐらむ
<昭和天皇が詠まれた「よもの海」>
四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど【あだ波】の立ちさわぐらむ
「あだ波」は「敵」を指す言葉です♥
天皇は、「敵が騒いで海が荒れ、まことに困ったことだ」と、替え歌で本心を婉曲に表現してみせたんです♥
「あだ波」に対峙せざるを得ないとの覚悟を替え歌に託し訴えたんです♥
御前会議の場に居た全員が、昭和天皇の詠まれた「よもの海」の真意を理解していたんです♥
だから、その場が凍りついた、「満座は粛然として声もなかった」と近衛は、その時の状況をリアルに書き遺しているんです。
粛然とは、「静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。」ということです。
昭和天皇が、「波風」と詠むべきところを、故意に「あだ波」と詠まれた意味を、全員が理解したからこその「粛然」なんです。

近衛文麿
そして、近衛の死後、貴重な史料を元に、「平和への努力」という冊子が刊行されます。

こちらには、近衛の手記の通りに正しい記載がなされています。
ところが、朝日新聞の刊行した冊子では、意図的に書き換えられたんです♥
その朝日新聞とGHQ。ここに「共産主義者」の姿が見え隠れしていますね♥

同様に、今日でも他にも様々な方法で刷り込みが行われています。
その典型例をご覧ください。
こちら♥
↓
替え歌の事実が完全に伏せられていますね♥
巧妙に手を加えています♥

このTBSが製作したデタラメ特別番組、【 シリーズ激動の昭和~あの戦争は何だったのか~日米開戦と東條英機 】は有名です♥

(以下はwikiより)
『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機』は、TBS系列で、2008年12月24日の18:55 - 23:32(JST)に放送されたドキュメンタリーとテレビドラマの特別番組。2008年3月10日に放送された『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』に続くTBSの「シリーズ激動の昭和」の第2弾であり、ドキュメンタリー(18:55 - 20:40)とテレビドラマ(20:45 - 23:32)の2部構成で放送された。ドキュメンタリー部分のメイン司会は、前作と同じく筑紫哲也が行う予定であったが、筑紫の死去により代役として安住紳一郎と鳥越俊太郎の両名が司会を務めた。

革命思想の鳥越についてはこちらから♥ ⇒ 亡き筑紫哲也の意思を継いだ、リベラル電波人士の正体
制作局 : TBS
演出 : 鴨下信一
原作 : 保阪正康
脚本 : 池端俊策
プロデューサー : 八木康夫、堤慶太、那須田淳
(うはw 左翼ばっかりですね♥)
原作は保阪正康 になっています。
保阪正康について、ここで最近の話題をお一つ♥

保阪正康
今年3月、宮内庁が20年以上もの長い歳月と膨大な経費をかけて、「昭和天皇実録」が編纂・刊行されました。
総ページ数も膨大なのですが、この中には、触れられていない事実が数多く存在しています。
その一つとして著者は、明治天皇の御製「よもの海」を、昭和天皇が替え歌で詠まれていた事実を伏せている、と言っています。
そして、その上で、「替え歌の背景を再検証すべき」だと言っています。
なぜなら、昭和天皇を平和主義者にして、そして軍部に責任を押し付ける、左翼・リベラルや似非保守のプロパガンダの根っこに、この御製「よもの海」があるからなんです。
左翼・リベラルは論外と致しまして、例えば、似非保守の連中が「昭和天皇実録」について分析している本があります。
半藤一利や保阪正康らによって書かれた『 「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書) 』という本です。
徹底的に昭和天皇擁護&軍部批判をしている、まったくデタラメな本です♥
似非保守である彼らは、歴史の見方が歪んでいます。
あるいは、ワザとそのように解釈をし、喧伝しているのかもしれません♥
こういった嘘を見抜くためにも、今回ご紹介する優れた書物は、非常にお薦めです^^
因みに、さきほどの似非保守の連中の主張するところは、以下のような感じです。(wikiより抜粋)

半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。大東亜戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年は護憲派としての活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『忘却された視点』『安楽死と尊厳死』『愛する家族を喪うとき』『日本の医療』『オモテの議論ウラの議論』など多数。しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には、実証的立場からの批判も多い。また第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、このことにあわせ、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的である。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的であり、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的である。学生時は60年安保に反対する学生運動に参加するなど、左翼系の学生であった。しかし、仲間と共に鉄道のストライキを呼びかけた際に鉄道職員から「学生は帰れ!」と野次を飛ばされ、「何か違う」と学生運動に疑問を持ったという。
あらら、まったく保守ではありませんね♥
思想がグチャグチャですね~
こんな作家が書く本は、一切読まなくても構わないでしょう^^
続きは次回に♥
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