2015-08-07 (Fri)

エガートン・ハーバート・ノーマン (Egerton Herbert Norman, 1909年9月1日 - 1957年4月4日)は、カナダの外交官。日本史の歴史学者。日本生まれ。ソ連のスパイ。在日カナダ人宣教師の子として長野県軽井沢町で生まれる。その後カナダのトロントに移り、父と同じトロント大学ビクトリア・カレッジに入学、この頃より社会主義への傾倒を始める。1933年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。歴史学を研究し1935年に卒業。その後ハーバード大学に入学し、エドウィン・ライシャワーのもとで日本史を研究しつつ、学友で「社会主義者」を自称した都留重人などと親交を結ぶ他、学友を社会主義活動へ勧誘し続けた。第二次世界大戦後、カナダ外務省からGHQに出向し、1945年(昭和20年)9月27日からの昭和天皇とマッカーサーのGHQ側通訳を担当した。連合国軍占領下の日本の「共産化計画」に携わるかたわら、学者としても、安藤昌益の思想の再評価につとめ、渡辺一夫・中野好夫・桑原武夫・加藤周一らと親密に交流した。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。
未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。
いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、嘘です。デタラメなんです♥
私たちの日本は、諸外国によって戦争に引き込まれていきました。
そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥
彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 実は「よもの海」を記録した近衛文麿の手記は、近衛が自決(昭和二十年十二月十六日朝)したあと、【二種類】出版されている。

近衛文麿
そのうち、「あだ波」の基礎史料として先に紹介したのは日本電報通信社(「電通」の前身)刊行による『平和への努力』に記載された記録で、昭和二十一年四月一日付発行の冊子である。

編者・田中寛次郎は、情報・通信界の泰斗とされた吉田秀雄(実業家、電通社長)や福島慎太郎(外交官、共同通信社長)と親交のあった人物だ。
田中は巻頭で、
「近衛公は或る意味で近代日本の気品と理性の象徴であった。――更に公の悲劇と日本の悲劇が胚胎したことが悲痛に回想される。ここに近衛家の許諾を得て、この手記集を公刊する所以である」
と記しており、軽井沢の近衛別荘に残されていた手記を近衛家から直接、受け取って編纂したことがうかがえる。
ところが厄介なことに、これとは別にもう一点、「近衛文麿公の手記」とサブタイトルがついた『失はれし政治』という冊子が刊行された。

『平和への努力』から一カ月半後の二十一年五月十五日付で、【「朝日新聞社」から刊行】されたものだ。

奇妙なことだが、【この手記では「よもの海」の御製が「波風」と記されている】のである。

【同じ近衛の手記でまったく異なる記載】があるのは、いかにも奇異な現象と言わざるを得ない。…

終戦直後になって近衛の手記が二種類刊行され、その一方に「波風」と記されているのはどうしたことだろうか、と新たな謎に包まれる。

こうした史料が存在する以上、「波風」でよろしいのではないか、との反論が寄せられる可能性があるので、【「朝日新聞」版】に関してひと言申し添えておかなければならない。

「朝日」版の『失はれし政治』を注意して調べてみれば、【意図的な改竄があった】のではないかと思われるフシが背景から浮かんでくる。正確な歴史史料として採用するには、【いざというとき不都合と言わざるを得ない】理由があるのだ。…

まず朝日版の序文は、冒頭に恥も外聞もなく、「ニューヨーク・タイムズは『近衛の伝説』といふ題でこの手記を社説において論評している」と、同紙の社説をそっくり引用して書き起こす。

「日本の政治がファシズムへ、戦争態勢へと突入して行ったそれぞれの転機は、満州事変、五・十五事件、国際連盟脱退、二・二六事件等であり、そのうち最も鋭角的な基点となったものは二・二六事件であるが、それ以降、少なくとも支那事変以後敗戦に至るまでの日本の戦争政治は、【その中心を、近衛政治に見出す】。ーーわれわれはこのやうな記録を一つの手がかりとして、半封建的侵略主義的な過去の日本ーー特殊な日本帝国主義の本質の分析を始めなければならない」としたうえで、「本書刊行に際し、軽井沢山荘における資料蒐集に関しては、【信濃毎日新聞社】に負ふところ多く、また終始支援を得た近衛公秘書【牛場友彦】氏に感謝の意を表す」
と記している。…
象徴的なのは、第一に近衛を断罪して、戦争責任の大半を彼に押しつけようとしている点である。

「序」の論旨は面白いことに、【半藤一利氏の『昭和史』の内容と二重写し】といえる点も挙げておこう。

半藤一利
第二には、いかに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲が厳しかった時代とはいえ、ここまでの自虐的戦争総括はあまりに醜いという点だ。
思わず、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という【奇妙な碑文】を思い起こさずにはいられない。

こちらもご参照♥ ⇒ それって、犯罪? いいえ、犯罪ではないんです♥
こちらもご参照♥ ⇒ Tokyo was a holocausted city♥
原爆を落とされたのは戦争をやった日本が悪いのです――と世界に謝罪するこの一語の発端は、【すでに終戦直後の朝日新聞に始まっていた】のだ。GHQ内では日本の「民主化」と称した【財閥解体、皇族・華族階級の解体、獄中にいた共産党員の解放、労組育成】などを急務としたコートニー・ホイットニー准将率いる民政局がもっとも勢力を誇示していた時期に当たる。

コートニー・ホイットニー
局長代理のケーディス大佐、ハーバート・ノーマン(共産党員のカナダ人外交官)、トマス・ビッソン(容共の日本研究家)、オーウェン・ラティモア(中国研究家)といった専門家がGHQを介して新聞社などに影響力を行使していたのは明らかである。』


ケーディス

ハーバート・ノーマン

「ノーマンは共産主義者」英断定 GHQ幹部 MI5、35年の留学時
日本占領政策に影響 2014.7.27 11:00
カナダの外交官でGHQ(連合国軍総司令部)幹部だったハーバート・ノーマンが英ケンブリッジ大に留学していた1935年、英MI5(情報局保安部)がノーマンを共産主義者だと断定し、第二次大戦後の51年にカナダ政府に通報していたことが26日、英国立公文書館所蔵の秘密文書で明らかになった。ノーマンは50年代にソ連のスパイ疑惑が持ち上がったが、MI5が既に戦前から共産主義者と断定していたことで、ノーマンが関わり、左翼的傾向が強かった初期のGHQの日本占領政策の再検証が求められそうだ。(編集委員 岡部伸)
◇
ノーマンはカナダ人宣教師の息子として長野県軽井沢町に生まれ、日本語も堪能で、GHQ内で強い発言力を持っていた。
秘密文書「ノーマン・ファイル」(分類番号KV2/3261)は、英国内のスパイ摘発や国家機密漏洩(ろうえい)阻止などの防諜を担うMI5などの文書のうち、「共産主義者とその共感者」と名付けられたカテゴリーに含められていた。
MI5のガイ・リッデル副長官がカナダ連邦騎馬警察(RCMP)のニコルソン長官にあてた51年10月9日付の書簡では、33~35年にノーマンがケンブリッジ大学に留学中の共産主義活動に言及。「インド学生秘密共産主義グループを代表してインド人学生の共産主義への勧誘の責任者を務めていたノーマンが35年にイギリス共産党に深く関係していたことは疑いようがない」と記されている。この時期のノーマンは、33年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学して急進的な雰囲気に染まり、社会主義者クラブに参加していたことが知られている。
文書によると、MI5の断定の根拠となったのは、インド国外のインド人を監視するインドの情報機関「IPI」の調査だった。同機関は35年4月、卒業直前のノーマンがインド人学生を共産主義グループに勧誘する責任者を務めたことが断定できる複数の証拠や証言を入手し、MI5に提供。MI5は同年7月、ノーマンを共産主義者と見なしたが、この事実はカナダや米国政府には伏せられた。
ところが、50年に米上院でノーマンがソ連のスパイだという疑惑が浮上。さらに51年5月には、ノーマンと同じケンブリッジ大トリニティ・カレッジを同じころに卒業した英外務省高官のバージェンスとマクリーンが失踪し、同大在学中に共産主義に傾倒した5人によるソ連のスパイ網「ケンブリッジ5」の疑惑が浮上。MI5は、ノーマンはそこにつながる「ケンブリッジ・リング」の1人だという疑いを強め、51年10月に急遽(きゅうきょ)、RCMPに通報した。
カナダ外務省は50年10月24日に同省高官だったノーマンを尋問したが、ノーマンは「共産党員だったことはなかった」と答え、その後も否定を繰り返した。
作家の工藤美代子氏は「世界有数の情報機関、MI5がケンブリッジ時代のノーマンを共産主義者と判断してカナダ政府に情報提供していた意義は大きい。冷戦時代に『赤狩り』といわれて不当な弾圧として非難されたマッカーシー上院議員の主張は、一般論としては正しかったことが裏付けられる」と語っている。
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『 【朝日新聞内にはこうした勢力に呼応する幹部が多数おり】、その一派が先の「ニューヨーク・タイムズ」社説に乗っかって【昨日までの日本を叩くプロパガンダを開始】していたのだ。

東京裁判が開廷された(昭和二十一年五月三日)のは、ちょうどこの「朝日」版『失はれし政治』が刊行された時期に重なるのだが、【朝日は早くも東京裁判のお先棒を担いでいた】ことがよく分かる点も付け加えておきたい。』
こちらもご参照♥ ⇒ 朝日新聞を糺す国民会議 朝日新聞を消せ!
いかがでしょうか?
御前会議において、昭和天皇は、明治天皇の御製「よもの海」を一部言葉を置き換えて詠みあげられました。
【内閣の最高責任者】の近衛首相と【統帥部の最高責任者】の杉山参謀総長が、揃って「あだ波」と聞き、書き遺しています。
昭和天皇を含め、御前会議の場に居合わせた十六名の出席者のうち、近衛、杉山の二人だけが記録を遺しています。

明治天皇御製「よもの海」

<明治天皇御製>
よものうみみなはらからと思ふ世になど【波風】のたちさわぐらむ
<昭和天皇が詠まれた「よもの海」>
四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど【あだ波】の立ちさわぐらむ
「あだ波」は「敵」を指す言葉です♥
天皇は、「敵が騒いで海が荒れ、まことに困ったことだ」と、替え歌で本心を婉曲に表現してみせたんです♥
「あだ波」に対峙せざるを得ないとの覚悟を替え歌に託し訴えたんです♥
御前会議の場に居た全員が、昭和天皇の詠まれた「よもの海」の真意を理解していたんです♥
だから、その場が凍りついた、「満座は粛然として声もなかった」と近衛は、その時の状況をリアルに書き遺しているんです。
粛然とは、「静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。」ということです。
昭和天皇が、「波風」と詠むべきところを、故意に「あだ波」と詠まれた意味を、全員が理解したからこその「粛然」なんです。

近衛文麿
そして、近衛の死後、貴重な史料を元に、「平和への努力」という冊子が刊行されます。

こちらには、近衛の手記の通りに正しい記載がなされています。
ところが、朝日新聞の刊行した冊子では、意図的に書き換えられたんです♥
その朝日新聞とGHQ。ここに「共産主義者」の姿が見え隠れしていますね♥

同様に、今日でも他にも様々な方法で刷り込みが行われています。
その典型例をご覧ください。
こちら♥(1分40秒あたりから)
↓
替え歌の事実が完全に伏せられていますね♥
巧妙に手を加えています♥

このTBSが製作したデタラメ特別番組、【 シリーズ激動の昭和~あの戦争は何だったのか~日米開戦と東條英機 】は有名です♥

(以下はwikiより)
『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機』は、TBS系列で、2008年12月24日の18:55 - 23:32(JST)に放送されたドキュメンタリーとテレビドラマの特別番組。2008年3月10日に放送された『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』に続くTBSの「シリーズ激動の昭和」の第2弾であり、ドキュメンタリー(18:55 - 20:40)とテレビドラマ(20:45 - 23:32)の2部構成で放送された。ドキュメンタリー部分のメイン司会は、前作と同じく筑紫哲也が行う予定であったが、筑紫の死去により代役として安住紳一郎と鳥越俊太郎の両名が司会を務めた。

革命思想の鳥越についてはこちらから♥ ⇒ 亡き筑紫哲也の意思を継いだ、リベラル電波人士の正体
制作局 : TBS
演出 : 鴨下信一
原作 : 保阪正康
脚本 : 池端俊策
プロデューサー : 八木康夫、堤慶太、那須田淳
(うはw 左翼ばっかりですね♥)
原作は保阪正康 になっています。
保阪正康について、ここで最近の話題をお一つ♥

保阪正康
今年3月、宮内庁が20年以上もの長い歳月と膨大な経費をかけて、「昭和天皇実録」が編纂・刊行されました。
総ページ数も膨大なのですが、この中には、触れられていない事実が数多く存在しています。
その一つとして著者は、明治天皇の御製「よもの海」を、昭和天皇が替え歌で詠まれていた事実を伏せている、と言っています。
そして、その上で、「替え歌の背景を再検証すべき」だと言っています。
なぜなら、昭和天皇を平和主義者にして、そして軍部に責任を押し付ける、左翼・リベラルや似非保守のプロパガンダの根っこに、この御製「よもの海」があるからなんです。
左翼・リベラルは論外と致しまして、例えば、似非保守の連中が「昭和天皇実録」について分析している本があります。
半藤一利や保阪正康らによって書かれた『 「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書) 』という本です。
徹底的に昭和天皇擁護&軍部批判をしている、まったくデタラメな本です♥
似非保守である彼らは、歴史の見方が歪んでいます。
あるいは、ワザとそのように解釈をし、喧伝しているのかもしれません♥
こういった嘘を見抜くためにも、今回ご紹介する優れた書物は、非常にお薦めです^^
因みに、さきほどの似非保守の連中の主張するところは、以下のような感じです。(wikiより抜粋)

半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。大東亜戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年は護憲派としての活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『忘却された視点』『安楽死と尊厳死』『愛する家族を喪うとき』『日本の医療』『オモテの議論ウラの議論』など多数。しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には、実証的立場からの批判も多い。また第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、このことにあわせ、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的である。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的であり、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的である。学生時は60年安保に反対する学生運動に参加するなど、左翼系の学生であった。しかし、仲間と共に鉄道のストライキを呼びかけた際に鉄道職員から「学生は帰れ!」と野次を飛ばされ、「何か違う」と学生運動に疑問を持ったという。
あらら、まったく保守ではありませんね♥
思想がグチャグチャですね~
こんな作家が書く本は、一切読まなくても構わないでしょう^^
続きは次回に♥
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