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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  目立ったミスもないが、目立った業績もない凡庸な習近平

    目立ったミスもないが、目立った業績もない凡庸な習近平

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    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    さて、いよいよ中国共産党の弱体化明確になってきましたね♥

    ソビエト共産党約70年で崩壊したように、中国共産党の崩壊も近づいています。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 曽慶紅(そけいこう)国家副主席は2003年ごろ、江沢民を見限って新しいトップリーダーの胡錦濤(こきんとう)にすり寄ったことがあり、江は一時権力中枢から疎外された時期があった。

    曽慶紅
    曽慶紅(そけいこう)

     そのとき、江は習近平が書記を勤める浙江省の省都杭州に滞在したが、この際習自身はもちろんのこと、彭麗媛(ほうれいえん)夫人も江お気に入りの宋祖英を連れて北京からはせ参じ、至れり尽くせりで江の世話をした

    習 妻 2
    彭麗媛(ほうれいえん)

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    宋祖英

     この結果、習近平への心象をさらに良くした【江が次期中央指導部の一人に据えようと党内の根回しを始めた】ようだ。とりわけ、江が将来、中央指導部入りをさせようと考えていた配下の陳良宇上海市書記が、汚職事件の形で胡錦濤に葬られたため、次の若手腹心を必要としていたのだ。

    江沢民
    江沢民

     江は陳良宇の後任として習を上海市書記に推薦、将来の最高指導者候補として習を考えていることを多くの幹部に認識させる動きに出た。

    習近平
    凡庸な習近平

     太子党ではあるが、「目立ったミスもないが、目立った業績もない」といわれた習近平が中央指導部まで上り詰めたことは最大の謎だったが、香港マスコミは、【習夫人の内助の功と江の引き】が大きな要因であったことを強調している。

    驚き顔

     習近平が政治局常務委員会の序列ナンバー6で国家副主席になったとき、香港マスメディアは

    習は江の代理人に過ぎない、自らの権力基盤を持たないので脆弱だ。場合によっては(党常務ナンバー7の)李克強に取って代わられるのではないか」

    との見方もあった。

    李克強
    李克強

     確かに、共青団出身胡錦濤は同じ系統の李克強(当時筆頭副首相)に目をかけ、習に対しては江沢民系の人物とみなし、国家主席兼総書記という自らの後継者の地位に就くことを望んでいなかったであろう。

    胡錦濤
    胡錦濤

     香港情報によれば、①習が上海市から北京の中南海に引っ越してきた際、江が使っていた運転手や家政婦すべてを引き継いで江の機嫌を取ったこと、②2009年秋、国家副主席の習がドイツを訪問した際、メルケル首相にわざわざ江沢民の英文の著書二冊を送ったこと――で、胡は強い不快感を持っていたという。

    温家宝
    温家宝

     温家宝(おんかほう)もまた、ずっと政治改革の必要性を強調してきた習が政治局常務委員会入りしたあと、イデオロギー色の強い保守的な発言をし始めたことに腹立たしさを感じたとも伝わっている。

    習近平
    凡庸な習近平

     当時、胡錦濤、温家宝の両重鎮から“目の敵”にされていたため、頼りは江沢民だけだった。その【江沢民と江系幹部が最終的に習を守って】、18回党大会で【習をトップに押し上げ】たそんな【恩人の江沢民をその後、習近平が裏切る】のだから、権力の世界は冷厳である。

    驚き 2

     習近平は、2007年の第17回党大会のとき、党中央に隠然たる影響力を保持し続けていた【江沢民元国家主席の強い推薦】で党中央政治局常務委員会入りした。このとき、国家副主席で党内ナンバー6という地位を確保した習近平は、次の2012年第18回党大会で党中央ヒエラルキーの最高ポストを手に入れることが決まった。

     しかし最高ポストに就いても自分を押し上げた江沢民という影の実力者がいる胡錦濤時代の10年間も事実上、【江が院政を敷いて】いて胡は100%実力を発揮し得たとはいえない【江がいる限り習も胡と同じような運命をたどる】ことになるだろうと考えていたに相違ない。

    驚き顔

     ところが、予想外の事件が勃発した。2012年2月の【王立軍(おうりつぐん)事件】だ。このとき、胡錦濤からの政権移譲はまだ半年以上先のことだったが、【習近平は胡錦濤や共青団系と手を結び】、事件を奇貨として【江沢民派幹部への攻撃】を頭に思い描いたようだ。

    王立軍
    王立軍

     王立軍事件とは、一級行政区【重慶市】の副市長である王立軍が四川省成都にある【米領事館に逃げ込んだ事件】だが、その際、王は政治亡命の手土産代わりに米側に【大量の機密資料を持ち込んだ】のである。

    薄煕来
    薄煕来

     その中に何やら上司の【薄煕来(はくきらい)】重慶市書記、【周永康(しゅうえいこう)】政治局常務委員兼政法委員会書記、【徐才厚(じょさいこう)】軍事委員会副主席、【令計画(れいけいかく)】党中央弁公庁主任(のちに党中央統一戦線部長、全国政協会議副主席)の4人がひそかに政権奪取を相談していた電話録音があったとされる。この4人は、かつて毛沢東死去後に打倒された江青女史らの4人組になぞらえて「新4人組」などとも呼ばれている。

    周永康
    周永康

    徐才厚
    徐才厚

    令計画
    令計画

     王立軍は元重慶市公安局庁で、電話盗聴など情報収集が得意な警察幹部であった。王は薄煕来の腹心であったが、薄の妻【谷開来(こくかいらい)】が関係した殺人事件の取り扱いをめぐり薄と諍いを起こし、身の危険を感じて米領事館に保護を求めたのだ。

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     盗聴内容によれば、12年秋の党大会で引退することが決まっている周永康は、自身が持つポスト、党中央政治局常務委員兼政法委員会書記の後任に薄煕来を推し、周、薄の一派で党大会以後も引き続き司法、警察、武警などの政法関係の権限を保持し続けることを画策した。』

    驚き顔

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    いかがでしょうか?

    世界最大の発展途上国、そのトップに君臨する凡庸な習近平は、現在も絶大な権力を持っている江沢民のおかげで、その地位になることが出来ました。でも、裏切ったんです♥

    しかも、どうやらクーデターも実際にあったようですね♥

    さて、いよいよ中国共産党の解体ショーが始まりそうですね♥

    楽しみですね^^

    そう言えば、今年の3月に、かつて親中派代表格のデイビッド・シャンボーが、ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿した論文が話題になりましたね♥

    こちらもご参照ください。

    WSJ

    終えんに向かい始めた中国共産党

    デービッド・シャンボー

    終えんに向かい始めた中国共産党

    By David Shambaugh

    2015 年 3 月 10 日 18:22 JST   原文 (英語)


     なじみ深い年中行事のようになってきた中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が5日に招集された。色彩豊かな民族衣装をまとった少数民族から洗練された億万長者まで約3000人の「選ばれし」代表が中国全土から集まり、1週間にわたって国家の現状について討議し、政治参加のまね事を行う。

     この印象的な会議が中国政治体制の強さの表れだと見る人もいるが、そこには深刻な弱さが隠されている。中国の政治は常に芝居がかっているが、全人代のようなイベントは中国共産党(CCP)の力と安定を見せつけることを狙った芝居だ。当局者も市民も、これらの儀式に従うよう求められ、喜色満面で参加し、公式のスローガンをおうむ返しに唱える。これは、「表態(ビャオタイ)」という中国語で知られる、表面的な従順さにすぎない。


     その見かけによらず、中国の政治体制はひどく衰弱しており、共産党は、そのことを一番よく知っている。強力な指導者である習近平国家主席は、反体制派と腐敗の取り締まりが党の支配を強化することを期待している。彼は、党を破綻に導いたミハイル・ゴルバチョフの中国版になることは避けたいと決意している。しかし、結局、ゴルバチョフのアンチテーゼにはなれず、彼と同じ結果をもたらしてしまうかもしれない。習主席の圧政は中国の制度と社会に激しい衝撃を与えており、これを限界点に近づけている。

     独裁政権の終えんを予想するのは難しい。1991年に起きたソ連の崩壊を予想した西側の専門家はほとんどいなかった。米中央情報局(CIA)は全く気付かなかった。東欧諸国の崩壊も同様に、反共産主義者の希望的観測として冷笑されていた―実際に起こるまでは。ソ連崩壊後にグルジア、ウクライナ、キルギスタンで2003年から05年にかけて相次いで起きた「色の革命」と11年の「アラブの春」も驚きをもって迎えられた。


     中国ウオッチャーは、同国の体制が死にかけた89年の天安門事件以来、体制の崩壊と衰退の明確な兆候を見逃すまいと警戒し続けてている。何人かのベテラン中国学者は、リスクを冒して共産党支配の崩壊は不可避だと主張してきた。他の人たちは―私も含めてだが―もっと慎重だった。しかし、時は移ろい、われわれの分析も変わってきた

     私は中国共産党支配の最終段階は始まったばかりだが、多くの人が考えているよりも進んでいると信じている。もちろん、われわれは今後終えんに至るまでの道がどのようなものになるのかは知りようもない。おそらく極めて不安定で無秩序な状態になるだろう。しかし、体制がいくらか明瞭な形で解体を始めるまでは、その内部にいる人たちはそのままの状態を続け、見せかけの安定に寄与することだろう。


     共産党支配が静かに終わる公算は小さい。一つの出来事が穏やかな内部崩壊の引き金になることはないだろう。終えんには時間がかかり、混乱と暴力を伴う公算が大きい。私は、習主席が権力闘争あるいはクーデターで退陣させられる可能性も否定しない。強力な反腐敗キャンペーン―今週の全人代での一つの焦点―によって、彼は、党、国家、軍、それに商業部門の重要人物たちをひどくいら立たせている。

     中国には「外硬内軟(外には強固に、内には柔らかに)」という格言がある。習主席は真にタフな指導者で、信念と自信に満ちあふれている。しかし、この強気な性格は、内部が極度に弱くなっている党・政治体制にそぐわない。


     体制のぜい弱さと党の組織としての弱さを示す五つの明確な兆候をみてみよう。
    .
     第1は、中国の経済エリートが一歩足をドアの外に出して、体制が本当に崩壊を始めたら大挙して脱出する用意をしていることだ。中国の富について研究している上海の胡潤研究院は14年、調査対象となった「富裕層」―393人の億万長者―の64%は移民を実行しつつあるか、その計画を持っていると答えたとの報告を発表した。中国の富裕層が外国で学ばせている子供の数は記録的水準に達している(それ自体、中国の高等教育の質への批判だ)。

     中国人の数百万ドルをかけた米国出産ツアーに関連して米連邦捜査当局が南カリフォルニアの数カ所を家宅捜索したとウォール・ストリート・ジャーナルが報じたのはつい最近のことだ。米国で生まれた子供は米国籍を持つことができる。中国の富裕層はまた、海外の不動産を件数、価格とも記録的水準で買いあさっており、タックスヘイブンやダミー会社などを使って資産を海外に移す動きも多い。


     一方、北京政府は海外に逃げた多くの金融犯罪者の本国送還を求めている。ある国のエリート―その多くが党員だ―が大挙して逃げ出すというのは、政権と国の将来に確信を抱いていない明確な兆候だ。

     第2に、習氏は12年に国家主席に就任して以降、09年から同国で行われていた政治的締め付けを大幅に強化している。その標的は、報道機関、ソーシャルメディア、映画、芸術と文学のほか、宗教団体、インターネット、知識人、チベット族、ウイグル族、反対分子、法律家、非政府組織(NGO)、大学生、それに教科書にまで及ぶ。共産党中央委員会は13年、「2013年9号文書」として知られる厳しい命令を党全体に向けて発した。これは西側の「普遍的価値」、つまり立憲民主主義、市民社会、自由な報道、新自由主義経済などを支持するように見えるいかなる人物をも探し出すよう求めるものだった。


     もっと安定していて、自信のある政府なら、このような厳しい締め付けは行わないだろう。これは党指導部の根深い懸念と不安の表れだ。

     第3に、政権を支持しているように見える者の多くも、支持を装っているだけだ。近年、中国国民に広がる演技に気付かないわけにはいかない。昨夏、私は一握りの外国人の1人(かつ唯一の米国人)として、党関連のシンクタンクが主催する「中国の夢」に関する会合に出席した。中国の夢は習氏を象徴する概念だ。出席者は2日間にわたって席に座り、二十数人の学者たちによる退屈で長々と続くプレゼンテーションを聞いたが、学者たちの顔はこわばり、その身ぶりには生気が無く、彼らが退屈を感じていることは明白だった。彼らは党とその指導者の新たな主張への支持を装っていた。しかし、プロパガンダが力を失っていること、そして王様が既に裸になっていることは明らかだった。

     私は昨年12月に北京に戻り、共産党の高級幹部を育成する中央党校で行われる会合に出席した。そこでもまた、中国の最高幹部と外交政策専門家が共通のスローガンを復唱していた。ある日の昼食時、私は校内の書店を訪れた。そこは、中国のエリートが何を学んでいるのかを知るために私が定期的に訪れる重要な場所だ。棚にはレーニンの「選集」から米国のライス元国務長官の回想録に至る本が並び、入り口のテーブルには「大衆路線」を促進する運動について習氏が説明したパンフレットが高く積まれていた。大衆路線とは、党と大衆とのつながりを意味する。筆者が店員に「これは売れていますか」と尋ねたところ、店員は「売りものではありません。無料であげています」と答えた。そのパンフレットの積まれた高さから察すると、明らかに人気はなさそうだった。

     第4に、中国共産党と人民解放軍にはびこる腐敗は中国の社会全体にもまん延している。習氏の反腐敗キャンペーンはこれまでのものと比較すると長続きしており、厳格でもあるが、どんなキャンペーンでもこの問題を解決することはできない。そのルーツは一党支配体制、封建的人間関係、透明性の全くない経済、国営メディア、それに法の支配の欠如にあるからだ。

     加えて、習氏の運動は反腐敗キャンペーンとしては中途半端で選択的な追放にすぎないことが判明しつつある。これまでの標的の多くは政治的に従属的な地位にある者たちか、江沢民元主席の支持者だけだ。江氏は現在88歳だが依然として中国政治のボス的な存在だ。江氏が生きている間に同氏の庇護(ひご)する者たちを追及するのは、習氏にとって危険だ。習氏が自身に忠誠を誓う者たちを昇進させていないようであるからなおさらだ。もう一つの問題は、習氏は「太子党」の1人であることだ。同氏の政治的な人脈は他の太子党の人たちに広がっている。この銀のスプーンをくわえて生まれてきた世代は中国社会全体から批判されている。


     最後に、中国経済―西側では止めることのできない強い力と見られているにもかかわらず―は一連の体制的なワナにはまりこんでいてそこから脱するのは容易ではない。習氏は13年11月、大規模な経済改革案パッケージを打ち出した党の中央委員会第3回全体会議(3中全会)を主宰したが、改革はこれまでのところ出発点でエンスト状態だ。そう、消費支出は増えて、官僚主義は弱まり、財政改革も一部に導入されたが、習氏の野心的目標は達成されていない。改革パッケージには強力な、がっちりとした利害グループ―国営企業や地方の党幹部ら―が立ちふさがり、その実施を阻止している。

     ますます明確になってきたこの五つのひびは政治改革によってのみ解決できる。中国が厳格な政治制度を緩和しない限り、革新的社会と「知識経済」―3中全会の主要な目標―は決して実現できないだろう。政治制度は中国が必要としている社会・経済改革にとって大きな障害になっている。改革ができなければ、習氏と指導部は自分たちが回避したいと思っている運命を引き寄せてしまう可能性がある。

    (デービッド・シャンボー氏は、ジョージワシントン大学の国際関係の教授で中国政策プログラムのディレクター。またブルッキングス研究所のシニアフェローも務める。「China’s Communist Party: Atrophy and Adaptation」や、最近では「China Goes Global: The Partial Power」などの著書がある)


    続きは次回に♥




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