2015-07-19 (Sun)

『これまでの戦争はすべて、日本からしかけたものではない』ということを理解できない「歴史に学ばない」人々の典型例
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 いまから考えると、西洋諸国を東洋から撤退させたこの大東亜戦争こそ、世界大戦の時代を終結させることにつながったというべきでしょう。ヨーロッパの撤退という、19世紀以来の【世界支配の形】を完全に変えたのです。アヘン戦争からはじまった東洋における西洋支配は、【アメリカを除いて】終焉しました。すべて引き込まれた戦争とはいえ、【日本は世界を変えた】のです。その意味でも、これは【太平洋戦争ではなく、大東亜戦争であった】のです。

これまで軍部が暴走した戦争と、あたかも【引き込まれたことを無視して、日本が能動的に戦争をしかけたような解釈】で、戦争の時代が語られてきました。これを変えなくてはなりません。
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インド人は知っていて、日本の学者が知らないこと♥
【日本は決して好戦的ではない】し、残酷なことを平気で行う民族では【ありません】。これまでの対外戦争は【すべて、日本からしかけたものではない】。むろん戦争中は、作戦の中で攻撃的なものはありました。それは戦争ですから当然です。しかし戦争を開始する理由は【すべて受け身であった】のです。
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『アリ』と『ゾウ』♥
大東亜戦争をはじめたとき、それをニュースで知った日本国民の大多数は、これをやむを得ない戦争と支持しました。アメリカと戦争をしても、その物量で勝つことは不可能であることは誰しも感じていたことです。しかし【負け戦でもしなければならない】。ハル・ノートをのむわけにはいきませんでした。むろん、アジアにおける軍事的な体制は、日本が先行していました。飛行機、戦艦などの分野では他国の勢力を圧倒していました。その意味では、戦争は無謀ではなかったのです。しかし長期戦となると別でした。それでもドイツよりも長く持ちこたえたのです。
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ヴァイツゼッカー演説 全文 「実はドイツは謝罪なんかしていません」
【戦争を避けて、その屈辱の中に生きるよりも、矜持(きょうじ)を保つほうを選んだ】のです。その矜持はアメリカにも通じていました。もし天皇を戦犯にすれば、さらに戦争が延び、連合国の被害が大きいことを知っていたのです。アメリカで、この戦争がはじまってすぐにつくられた【OSS (Office of Strategic Services)という戦術局】は、【最近発見された文書】で、すでに最初から天皇を戦争責任者として追求しない方針を固めていたことが判明しています。しかし【OSSは、天皇と軍部が対立しているような情報を流し、また国民の中の分裂を助長する戦術を立てていました】。

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米占領下の政策は、民主主義ではなく、社会主義でした
このあたらしい資料によると、【天皇を象徴として残し、日本を戦後、社会主義の国にするという方針を立てていた】のです。この【OSSの下では、多くの社会主義者が協力し、彼らが方針を決めていた】のです。』


いかがでしょうか?
『日本は決して好戦的ではない』、『残酷なことを平気で行う民族でない』、『これまでの戦争はすべて、日本からしかけたものではない』、ここが重要なポイントです♥
戦後の教育で、愚かにも、まったくアベコベに思い込んでしまった(思い込まされてしまった?)、いえ、それどころか、自ら率先して信じ込んでいる左翼・リベラルの人々が、今でも多く存在しています。同じ日本人として、恥ずかしい限りですね^^
メディアでも、こんな未熟な人たちの映像を、「積極的」に、まるでCMみたいに流し続けていますね♥

でも、正反対の意見の人の映像も、公平に流さないといけませんね?
それが、報道という「お仕事」の役割なんですからw

考え方は、みんなそれぞれあって良いんです♥
でも、報道関係者自身の偏った未熟な考え方を押し付けたりする行為は、不要です♥
内閣の支持率云々・・・ってニュースも、まったく参考にもなりません。
私たち日本人は、野党、特に「民主党」を見限っていますね♥

惑わされない様に、致しましょう^^
で、こういう場合、やっぱり歴史の流れ、特に、大きな流れで知っておくことが、とっても大切なんです♥
あのビスマルクの名言、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』、これが大切なんです^^
左翼・リベラル思想の人は、『歴史』を知りません。彼らは、愚者です♥
現在の支那や朝鮮の多くの国民と同じなんです。まるで、無知そのもの。
とても哀れなんです。
それでは、大きな歴史の流れを、ここで、見てみましょう♥
西暦5世紀、私たちの日本では、仁徳天皇陵が造られた時代です。

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エジプトのクフ王や秦の始皇帝よりもスゴイ! 「仁徳天皇」
まず、大陸の東側では、すでに漢民族の治める国は、3世紀初頭に滅亡してしまっていました。その原因は、主に北方からの異民族の侵略にありました。
そして、五つの異民族(=五胡)が治める国々が群雄割拠した時代、五胡十六国時代の時代(300年頃 – 440年頃)を経て、南北時代(440年頃 – 590年頃) → 隋の時代(580年頃 – 620年頃) → 唐の時代(620年頃 – 900年頃)へと続いていきます。隋も、唐も、鮮卑族という異民族が治める国でした。
お分かりでしょうか?漢民族が治める国が滅ぼされた後、延々と「異民族支配の国々」が続いていますね♥
つまり、大陸の東側は、異民族に侵略をされ、文化や伝統が分断されています。昔から言われている、「中国4000年の歴史」なんて、存在していません。異民族に支配され、分断され、継続されていないんですから♥
例えば、北米で侵略されたアメリカン・インディアンの方々が、現在のアメリカを含めて、「アメリカン・インディアン2000年の歴史」なんて言うはずがありませんね?逆に白人アングロサクソン・プロテスタントの人々が、先住民の時代を含めて、「アメリカ2000年の歴史」なんてことも言いませんね?
同様に、中南米の国々の人々が、「マヤ4000年の歴史」とか、「アステカ800年の歴史」とか、言いませんね?
でも、中国は・・・可笑しいですね♥ 正しくは、「中国66年の歴史」となるんです♥
こんな風に、連続性のない国々は、当然、自分たちよりも優れた文化や伝統を持つ国に学ぼうとします。古くは、鮮卑族の隋や唐が、まさしくそうでした。
だから、隋や唐は、私たちの日本に学ぶために、多くの人々を、危険を冒してまで派遣してきたんです♥日本から大陸に遣わされた数よりも、それを遥かに上回る規模と回数で、日本へ学びに来ていたんです^^
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遣隋使や遣唐使よりも、はるかに多かった「遣日使」

2世紀初頭のローマ帝国。緑部分がローマの支配を受けない「大ゲルマニア」(マグナ・ゲルマニア Magna Germania)で、ローマ領となったライン川西部と南部の「小ゲルマニア」と対になる。
それでは、今度は大陸の西側を見てみましょう。西暦5世紀、私たちの日本では、仁徳天皇陵が造られた時代です。大陸の西側では、4世紀~5世紀にかけて、ローマ帝国領土へのゲルマン民族の侵略がありました。ゲルマン民族大移動と呼ばれるものです♥

そもそもローマは、イタリア半島を中心とした国家で、ギリシャ文明からの影響を多大に受け、ギリシャ神話と同じく、ローマ神話も「多神教」でしたので、異教徒に対しても、比較的寛容でした。ところが、紀元前のエルサレムの地では、度々、民衆による武装蜂起が繰り返されていました。現代でいうところの「テロリスト」がたくさん存在していたんです♥
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ユダヤ人対ローマ帝国 ①♥
そんな「テロリスト」の代表例が、「イエス」です♥
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【驚愕】実は平和主義者ではなく、革命家だったイエス♥
【仰天】本当のイエスの姿。。。「人種差別」と「暴力」と♥

ユダヤ教徒として、頑なまでに「他の神」を信じなかった「イエス」。ローマ帝国に対する「反徒」として、また「反乱煽動者」として、それらの人間に対する唯一の処刑方法『十字架刑』によって、「イエス」はローマによって処刑されました。
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十字架に磔(はりつけ)にされたのは、ある理由があったんです♥

やがて、ローマによってユダヤ人の約束の地「エルサレム」は完全に滅ぼされて、そこから追い出されてしまいます。ユダヤ人の流浪の始まりです。神殿を奪われたユダヤ人は、これ以降、「神殿」ではなく「律法」を中心とするようになり、ラビの指導によるユダヤ教が形成され始めました。
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「エルサレム」が消された日♥
では、革命家イエスを信奉していた人々は、どうしたのでしょう?もはやユダヤ人の約束の地はありません。散り散りバラバラになってしまったユダヤ人に対してではなく、これ以降、伝道の主要な対象はローマ人になっていたのです。イエスは革命志向のユダヤ人ナショナリストから、平和的な宗教指導者へと変貌、ローマ人に対するキリスト教の布教が始まったんです♥
ここで象徴的なことがあります。イエス信奉者は、そのイエスを処刑したローマ人に対して布教をする必要性から、ユダヤ人を敵視・差別視するようになります。ここが重要ですね♥イエスはユダヤ人であって、熱心なユダヤ教徒でした。そのユダヤを、目の敵にしていったんです♥
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史上最悪、キリスト教徒による「差別」♥
ヒトラーはたったの20年、クリスチャンは何と2000年♥
やがて、ローマ帝国を一人で支配する最後の皇帝、テオドシウス1世(在位 379年 - 395年)が、392年にキリスト教を国教として定めました。彼の死後ローマは、現イスタンブルを中心とする東ローマと、ミラノを中心とする西ローマに統治が分かれ、ゲルマン民族等の異民族の侵略により、476年に、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマは滅ぼされてしまいます。これ以降、現在のヨーロッパに繋がる国々が長い年月を経て形造られていきます。それは、ローマ・ギリシャ人ではなく、ゲルマンなど異民族の支配する国でした。

ローマの領域の変遷
つまり、西暦5世紀、私たちの日本では、仁徳天皇陵が造られた時代に、大陸の西側においても大陸の東側と同様に、異民族が侵略し、新しく支配する国々が出来ていたんです♥当然、文化や伝統などは、分断され、継続性がありません。
それまでの、ローマ・ギリシャの文化や伝統を受け継いだのは、イスタンブルを中心とする東ローマでした。また、この時、キリスト教も事実上分裂します。東ローマの東方正教会(ギリシャ正教)と、西ローマの西方教会(カトリック)です。

東ローマ帝国の版図の変遷
西ローマが滅んだあとに、急速に勢力を伸ばしてきたのが、ゲルマン系の王国「フランク王国」です。508年、首都がパリ(のちにアーヘン)に置かれます。このフランク王国は、キリスト教(カトリック、西方教会)を受容し、やがてローマ教皇に接近を強めていきます。800年、カール大帝は、ついにローマ教皇レオ3世より西ローマ帝国皇帝(フランク・ローマ皇帝)に戴冠されました。ここに、異民族による西ローマが成立したんです♥キリスト教(カトリック、西方教会)の教皇が、それを認めたんです。

フランク王国の時代別の領土
西方教会(カトリック)のローマ教皇は、フランク王国と繋がることで、東ローマ・東方正教会(ギリシャ正教)、そしてイスラム帝国と対抗する体制をつくりだしました。のちに、フランク王国が分裂。西フランク王国が、フランス王国(987年-1791年)などを経て現在のフランスにつながり、東フランク王国が、神聖ローマ帝国(962年-1806年)を経てドイツへとつながっていきます。
752年、当時のフランク王国から、イタリアの領土の寄進を受けたローマ教皇庁は、教皇国としての領土を獲得します。これより、ローマ教皇庁は自国領土の拡大に乗り出していきます。教皇領拡大政策で周辺国と争いが絶えなかったため、962年、オットー1世にローマ皇帝の帝冠を与え(これによって神聖ローマ帝国が成立)、その見返りとして教皇領を保障させました。

神聖ローマ帝国の領土の変遷
教皇権全盛期時代の教皇、その名はインノケンティウス3世です。西欧諸国の政治に介入したことでも有名です。そんな彼が呼びかけた第4回十字軍の遠征(1204年)、この遠征により、こともあろうにキリスト教国(東方正教会、ギリシャ正教)の東ローマ帝国が攻略され、現イスタンブルが陥落させられました。ついに、ローマ・ギリシャの文化・伝統の流れを受け継ぐ東ローマの滅亡へと繋がっていきます。
以上の様に、大陸の西と東では、異民族による侵略によって、一度、文化や伝統が断絶され、新しくリセットされていることが、お分かり頂けると思います。
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日本に「中世」は、ありません♥
そして、忘れてはならないのが、大陸の西と東にまたがる巨大な帝国を築いた1206年建国のモンゴル帝国です。建国後、瞬く間にその領土を広げていった強大な帝国です。ですが、私たち日本は、これを蹴散らしちゃいました♥

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『アリ』と『ゾウ』♥
他方、キリスト教(カトリック、西方教会)とイスラム教の争いも行われていました。「レコンキスタ」(718年-1492年)、いわゆるキリスト教による征服戦争です♥

大航海時代の主な航路を示した地図
イスラム勢力の駆逐に成功したポルトガルとスペイン両国は、航海技術の発展と共に、新たな交易ルートを求める海外侵略競争を始めました。これが、いわゆる大航海時代です。ローマ教皇(西方教会、カトリック)も海外侵略を強力に後援しました。なぜならば、16世紀初頭から宗教改革の嵐に晒されていたカトリック教会は相次いで成立したプロテスタント諸派に対抗する必要がありました。
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偉人? 宗教改革のルター♥
そのため、海外での新たな信者獲得を計画し、強固なカトリック教国であるポルトガル・スペイン両国の航海に使命感溢れる宣教師を連れ添わせ、両国が獲得した領土の住民への布教活動を開始したのです。
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日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約

カトリックのポルトガルとスペインだけではありません。ローマ・カトリック教会に抗議(ラテン語: prōtestārī, プローテスターリー)したことから「プロテスタント」と呼ばれるカトリック教会から分離した宗派の国々も同様に競うようにして侵略を始めました。カトリックの強要に対するプロテスタントの反乱(オランダ独立戦争(1568年から1648年))によって独立したオランダ。名誉革命(1688年)を経て、国内外のカトリック勢力を潜在敵と見なす「プロテスタントの帝国」イギリス(中心はイングランド国教会。イギリスの国王およびその伴侶がカトリック教徒であることは現在でも禁止されています)。イングランド国教会に反発するプロテスタント(ピューリタン、清教徒)が渡った(1620年、メイフラワー号)新大陸で、その後独立(1775年-1783年、アメリカ独立戦争)したアメリカ。東方正教会(ギリシャ正教)の一教会組織のロシア正教会を擁するロシア。
このように、西欧キリスト教諸国が、宗派間の信者拡大競争をし、王族は利益と領土を求め、広く世界中の国々を侵略し、植民地化していったんです♥

イギリスの領土と植民地

ロシアの領土と植民地
そして、イギリスとロシア、この2ヵ国が覇権争いを始めた結果、私たちの日本、そして支那・朝鮮が戦争に巻き込まれていったんです。
支那の場合は、巻き込まれたというよりも、明らかにイギリスに侵略されました。フランスにも侵略され、ロシアにも侵略されました。
列強と呼ばれる国々が、支那を食い潰して行ったんです^^
このような世界支配の形を完全に変えた戦い、西欧諸国を東洋から撤退させた戦い、これが大東亜戦争であって、世界大戦の時代を終結させることにつながったんです。アジアを解放したのは、私たちの日本です♥
私たちの日本は、望んでいないにもかかわらず、西欧キリスト教諸国、そしてキリスト教が延々と引き起こしてきた「戦争」に巻き込まれてしまったんです。誇り高き日本人の祖先は、やむなく戦って、戦争には負けたものの、アジア諸国を解放する勝利を得たんです♥凄いですね、日本人って^^
日本万歳♥
続きは次回に♥
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