2015-07-18 (Sat)

少年キム(ちくま文庫) 文庫 – 2010/3/12
時は19世紀後半、大英帝国は黄金時代を享受していた。ところが英領インドを目指すロシアの南下に伴って「グレート・ゲーム」(闇戦争)が勃発し、激しい謀報活動が展開される。冒険心に富んだインド生まれのイギリス少年キムは、そのための格好の人材だった。資源争奪をめぐるイギリスとロシアの角逐を背景として、インドの豊かな自然を舞台に展開される冒険小説の傑作。
グレート・ゲーム(英: The Great Game)とは、中央アジアの覇権を巡るイギリス帝国とロシア帝国の敵対関係・戦略的抗争を指す。中央アジアをめぐる情報戦をチェスになぞらえてつけられた名称。イギリス東インド会社の一員であったアーサー・コノリー(英語版)が1840年にヘンリー・ローリンソン少佐にあてた手紙の中ではじめて命名したといわれる。後に『ジャングル・ブック』で知られるイギリスの作家ラドヤード・キップリングの小説『少年キム』(1901年)により広く使われるようになり、なかば歴史用語として定着した。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 20世紀の前半は、日本にとって、世界の【戦乱に巻き込まれた】戦争の時代でした。日本の歴史上、日本が世界史の中心に登場するのは、元寇で勝利して以来初めてのことです。この時代に、いかに日本が対処していったかは、日本人の性格、日本の歴史を知る上で重要だと思われるので、少しくわしく語りましょう。

世界では、20世紀に戦争で死んだ人々の数が実に1億人を超え、19世紀までに戦争で死んだ人々の数を超えたといいます。技術がいちばん進歩したはずのこの「近代」に、もっとも野蛮な戦争が行われたということは、結局、近代の「進歩主義」精神が、何もその歯止めにならず、軍事技術の発展だけを助長してしまったことを示しています。よく「中世は暗黒時代」といわれましたが、逆であったといってよいでしょう。しかしそれは日本にとって試練の時代でした。【欧米列強の侵攻】の影で、日本は唯一アジアの「近代国家」として対抗し、強い大きな位置を占めたことは、歴史の記すところとなります。

この戦争の時代の発端は、【19世紀のイギリスとロシアの戦い】でした。

このことを述べなければならないのは、日本が大陸を侵略したという罪悪感を、【戦後の歴史がいつも植えつけようとして、それを日清戦争から語りはじめる】からです。これ以後の、日本の大陸での戦争を日本の責任のようにいう傾向を否定しておかなければなりません。

この時代は、戦争の時代だったのです。【イギリスが中国にアヘン戦争をしかけ、香港を植民地にしました】。それ以後、【イギリスは北へ向かってアジアでの侵攻を進めた】のです。

一方、【ロシアは南に不凍港を求めて侵略】しようとしていたのです。1891年、【シベリア鉄道建設に着手】したのも、その一環であったといえます。接している国は中国ばかりではなく、朝鮮や日本だったのです。それに【対抗するため】、明治二十七(1894)年、【日英通商条約を結んだ】といっていいでしょう。

イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍のジャンク船を描いた絵 (阿片戦争は、清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた戦争である。)
【中国の支配力が強かった朝鮮】は、しばしば日本と対立し、場合によっては日本が危うい立場にならないとも限りませんでした。朝鮮にも親中国と親日本の勢力があり、お互いに争っていました。それが1881年と84年に朝鮮で起きた事変で、【清が支配権を強め、日本を脅かす存在】となりました。朝鮮王国は1894年に南部で農民が戦争(甲午農民戦争、東学党の乱)を起こしたときに、その鎮圧のために清に出兵を求めました。日本はそれを危険と判断して、朝鮮に出兵し、日清戦争がはじまったのです。
こちらもご参照♥
↓
東学党の乱 今は●●●●●●と習っています♥
日、米、仏、清、露の大艦隊が朝鮮へやって来た♥
こちらもご参照♥
↓
ロシアとドイツとフランスが。。。♥
戦争は朝鮮だけではなく、満州まで広がり、日本は海戦でも陸戦でも清を圧倒しました。…アヘン戦争以後、軍隊をつくり、新兵器を装備していたからです。決定的であったのは、黄海海戦と呼ばれる明治二十七(1894)年の海軍の戦いです。日本の海軍装備は、清国より速力があり、単縦隊と呼ばれる縦の陣形を繰り出し、敵の艦隊の前面を斜めに横切り、その右翼をつくという戦法で勝利したのです。また速射砲という発射速度の早い巨砲を使い圧倒しました。

黄海海戦を描いた浮世絵(「於黄海我軍大捷 第一図」画:小林清親)

中国艦隊を攻撃する松島を描いた浮世絵(画:春斎年昌、出版:小森宗次郎)

黄海海戦を描いた浮世絵(画:尾形月耕)
フランスの新聞は、そのとき、【日本の清兵に対する人道的な行動を絶賛】しています。
『全世界に公表すべきことは、【清兵は日本兵に対して残酷】であったが、【日本兵はこれに報復せず、大いに寛大】で【優遇の処置をもって清軍の捕虜を待遇】し、【病人にも負傷者としみな治療】あたえた』
(「フィガロ」誌)
それまでの【列強は、国際法を無視し、捕虜を虐殺するのが常だった】からです。』

こちらもご参照♥
↓
「文明国を意識した日清戦争」 (かつて日本は美しかった)

いかがでしょうか?
イギリスとロシア、この2ヵ国が覇権争いを始めた結果、私たちの日本、そして支那・朝鮮が戦争に巻き込まれていったんです。
支那の場合は、巻き込まれたというよりも、明らかにイギリスに侵略されました。フランスにも侵略され、ロシアにも侵略されました。
列強と呼ばれる国々が、支那を食い潰して行ったんです^^ まず、このことが先に歴史の事実としてあったんです♥
ですが、歴史では、私たちの日本についてのみ言及していますね♥
他の列強がやったこととは、比較にもならないにもかかわらず。。。
だから、正しく見えてこないんです♥
この辺りのことは、別の書籍が参考になりますので、またの機会にご紹介させて頂きます。
ポイントは、「イギリス」と「ロシア(その後のソビエト)」です。この2ヵ国が、すべての元凶でした。
続きは次回に♥
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