2015-07-14 (Tue)
左:広重 右下:北斎 右上:モネの構図の類似例
ヒロシゲブルー : 歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」と呼ばれる。ヒロシゲブルーは、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつとされている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 江戸時代というと何を思い浮かべますか。封建社会。士農工商。そんなところではないでしょうか。
士農工商の身分、階級が定まっていて、大名、代官、大地主たちが町民や農民を苦しめ、それに耐えかねて人々はしばしば一揆を起こした――実際、こんなふうに述べている歴史書もたくさんあります。しかし、【最近は研究が進んで、人々は意外に自由で、身分に縛られて経済的に苦しめられるような立場ではなかったという江戸時代の姿が明らかになってきています】。
こちらもご参照♥
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江戸時代に「身分制度」は無かったんです
百姓が大名行列に土下座したという「大嘘」
実は、百姓は、武闘集団でした
「士農工商」っていう身分制度は大嘘でした
江戸時代は百姓の力が強く、武士よりも裕福でした
考えてみれば、もし人々が不自由で苦しい生活を強いられていたのならば、…豊かな庶民文化など花開くはずはないのです。
近代以前の封建的な暗黒の時代。そういう観念が江戸時代の暗いイメージをつくり上げているのでしょう。【歴史を観念で見てはなりません】。【イデオロギーで思い込んではなりません】。
こちらもご参照♥
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日本人が被った敗戦後の重大被害
将軍や大名は決して大土地所有者ではないのです。領内から徴税して、それでもって行政に当たる、そういう立場でした。【土地を所有していたのは町人や農民】でした。その土地を自由に売買することができました。土地を売ってその代金を資金にし、たとえば酒造や織物の仕事をすることもできました。人々は農奴のように身分を固定されていたわけではなく、資本家として活動することもできたのです。
少数ながら、土地をもたない小作人もいないわけではありませんでした。しかし、彼らは【収穫の二分の一を取得する権利】をもっていたのです。努力して収穫を上げれば、小作人をやめることができました。…
幕府の政治も【将軍の独裁などではなく、評定(会議)によって行われ】ました。【「百姓は大御宝(おおみたから)」という農民重視の思想が根底】にあって、さまざまな施策がとられました。…
農民は副業を営むことができ、それは【課税されません】でした。だから、幕末の寛永のころには、【農民が納める年貢率は全収入の一割、多くて三割】になっていました。
その年貢は主に、【人々の暮らしをよくするための公共施設の基盤整備に使われ】ました。大河川の氾濫に備えた堤防の構築や、物資輸送のための道路整備や港湾施設の拡充などです。…
百姓一揆が起こっても、それが一方的に抑えられ、処断されるようなことはありませんでした。事情やいきさつがくわしく調べられ、原因をつくった責任者は罷免や没収などの改易に処せられました。一揆を起こした側も、首謀者以外は無罪放免になるのがほとんどでした。
こちらもご参照♥
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「慶安の御触書」はでっちあげだった♥
士農工商は当初、社会安定のために設けられました。しかし、【実際は流動化していき】ました。人々はそれぞれにさまざまな生き方をしているのですから、そうなっていくのは当然です。…
【身分は絶対的なものではなかったのです】。
文化の面ではどうしても上方が中心でしたが、18世紀後半になると、上方にかわって江戸でその花が開くことになります。【特に美術においては、世界的な創造がなされた時代】といえると思います。
「中納言朝忠(文読み)」 鈴木晴信
浮世絵では「錦絵」という多色刷りの版画が生まれ、絵として人気を得るようになりました。
「濱屋 川岸の涼み」 鳥居清長
鈴木晴信は美人画に詩情を与え、鳥居清長は女性画の華麗なる世界をつくり上げたのです。喜多川歌麿は女性の何気ない仕種を表現し、絵画の自立性を高めました。東洲斎写楽は役者絵で人物の特徴の性格、表情をとらえました。
「江戸の花 娘浄瑠璃」 喜多川歌麿
「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」 東洲斎写楽
実は、この写楽は謎の人物でした。でも最近の研究によって、それまで役者絵を描いていた勝川春朗こと【葛飾北斎】が、10ヶ月だけ名を変えた画家であることが明らかになっています。
『二美人図』
北斎はこの時期以後風景画に転じ、【世界的な質の高い作品】をつくりました。名高い『富嶽三十六景』はじめ、『百人一首乳母が絵解き』『諸国滝廻り』など、奇抜な構図と色彩で人々を引きつけました。…
『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」
【歌川広重】は『東海道五十三次』で、北斎に学びながら情緒的な風景画を描きました。
京都名所之内 淀川
こちらもご参照♥
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荒川区にも、「鶴」が居たんです♥
これらの浮世絵が19世紀後半、万国博などの機会に西洋に渡り、【「ジャポニズム」として西洋絵画形成に大きな影響を与えた】ことは、いまや通説になっています。』
いかがでしょうか?
日本の美術って、凄いですね♥ あのゴッホも、浮世絵の大ファンとして有名です^^
詳しくはこちら♥ ⇒ 【名画鑑賞】 Cool Japan!! 世界が認めた浮世絵 - ゴッホと日本
タンギー爺さん、1887年
著者が言うように、人々は自由で、身分に縛られて経済的に苦しめられるような立場ではなかった。
これが江戸時代の本当の姿なんです。
華やかで、活気があったんです。豊かな庶民文化が花開いていたんです。
もっとイメージしやすいように、一例を挙げますと、1820年ごろの葛飾北斎の『蛸と海女』です。
『喜能會之故眞通 蛸と海女』 詳しくはこちらから♥ ⇒ 蛸と海女
こんなものまで、江戸時代の世の中に、たくさん出回っていたんですね♥ まさに「豊かな庶民文化」ですね!
1990年に製作されたアメリカの映画『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』(Henry & June)』。
無名だった頃のヘンリー・ミラーと、その妻ジューンとの関係を描いたこの映画の冒頭にも、北斎のこの版画が登場していますよ♥
続きは次回に♥
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