2015-07-13 (Mon)

トルデシリャス条約は、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。本条約において西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた。名称の由来は、条約が批准されたカスティージャのトルデシリャスの地名からとられている。条約調書の原本は2007年にスペインとポルトガルの共同申請で、ユネスコの記憶遺産に登録された。

アレクサンデル6世(Alexander VI, 1431年1月1日 - 1503年8月18日)は、15世紀のローマ教皇(キリスト教の高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す)(在位:1492年 - 1503年)。
ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやジロラモ・サヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄とローマ教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 天文十二(1543)年、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着しました。西洋人が日本にやってきたのです。
当時、西洋は大航海時代に入っていました。これは西洋人から見れば大航海でしょうが、【アジアから見れば西洋人による侵略の時代】です。

西洋ではイベリア半島からイスラム勢力を追い出し、スペインとポルトガルは競争して東洋に向かっていました。その目的は二つです。一つは【東洋にキリスト教を布教し、それを足がかりに植民地にすること】であり、もう一つは【東洋から香辛料などの産物をもってくること】です。

地中海はイスラム勢力に押さえられていたので、彼らはアフリカの西海岸に沿って南下し、インド洋を回る航路を発見しました。中にはスペインのコロンブスのように大西洋に乗り出し、アメリカにたどり着く者もいました。いずれも目指したのは東洋です。

胡椒
1494年、彼らは【勝手にトルデシリャス条約というものを結んで】いました。これはスペインとポルトガルが【世界を二分して支配】し、お互いの領土権を認めあうという、【東洋から見ればとんでもない条約】です。

この条約で【日本はポルトガルの側】にくり込まれていました。【だから最初に、ポルトガル人がやってきた】というわけです。



種子島に漂着したポルトガル人は日本に【鉄砲】をもたらしました。【日本人は彼らの脅威が、ここにあることをすぐに見抜き】ました。

日本人はたちまちこの技術をマスターし、鉄砲を生産します。

【当時、日本は世界最大の鉄砲生産国になった】ほどです。このことは、この時代を動かす大きな要因となりました。

天文十八(1549)年、イエズス会宣教師、【ザビエル】が日本にやってきました。このイエズス会というのは布教意欲旺盛なキリスト教の一派で、【祭壇には銃を置いているという布教軍団】です。ザビエルは、鉄砲をもたらしたポルトガル人のように【偶然漂着したのではなく、日本を目指してやってきた】のです。』

フランシスコ・ザビエル
※イエズス会は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。
『日本に上陸したザビエルは、これまで布教してきたところと違って、【日本にはすでに高い文化がある】のに驚きました。キリスト教で説得するのは容易ではないとも感じました。
こちらもご参照♥
↓
ポルトガル人を見下した日本人のおばあちゃん♥
キリスト教では絶対的な神がすべてをつくったとしています。…キリスト教は太陽さえ神がつくったと考えるのです。日本の神道の考え方は、『古事記』でもわかるように、神々は絶対的な創造者ではなく、宇宙はもともとあったとしています。自然がもともとあったのです。

日本人はキリストの磔刑(たっけい、はりつけの刑)像を見て驚きました。こうして無残に殺されるキリストの姿を理解できなかったのです。

こちらもご参照♥
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実はイエスは「革命家」だった。。。穏やかな羊飼いのイメージとは程遠いんです♥
人間の原罪ということも理解できませんでした。自然から生まれた人間はもともと罪の存在ではないはずで、神を裏切って原罪を感じるアダムとエヴァの行為が何かわかりませんでした。【キリストがその原罪を背負って磔(はりつけ)になること自体、西洋人の特異な考え方】で、日本人には相容れないものでした。実際、【日本には十字架像やキリスト、マリアの像は残っているものの、磔刑像そのものはみなヨーロッパ製】です。…

結局日本での布教は成功しませんでした。…決定的だったのは、根本にあった考え方の相違だったといえると思います。神仏習合の日本の宗教――やまとごころが根づいていたのです。
芥川龍之介の見た「日本の強さ」
日本に西洋が接触した影響で大きかったのは、むしろ物質的な面でした。
彼らは【南からやってきた】ので、日本人は【南蛮人】と呼び、【南蛮貿易】を行いました。火薬、時計、ガラス製品などを輸入し、日本からは銀を輸出しました。…当時の日本は銀がたくさん採れ、金と銀の資源大国だったのです。【世界遺産になっている石見銀山(いわみぎんざん)は、当時の世界地図にもその位置が記されている】ほどです。…

詳しくはこちらから♥ ⇒ 石見銀山資料館HP
豊臣秀吉は天正十五(1587)年にキリスト教を禁止…
秀吉が海外進出を試みたことを、無謀な侵略行為であったという説があります。しかしそれは、【この時代の日本を西洋からの侵略の危機から回避させるものであった】という見方も出来るのです。すでに【フィリピンは1521年のマゼラン来航以来、スペインの支配下に入り、フェリペ二世の名をとった植民地国として占領されているという情報】は、日本にも入っていました。秀吉はこのフィリピンや台湾に対して服属を求める手紙を出していたのです。【日本が立ち上がらなければ、東洋の隣国はすべて占領されてしまう】と考えたからです。』

マクタン島の戦い : ラプ=ラプ(Lapu-Lapu 1491年-1542年)は16世紀、フィリピンのマクタン島(セブ島の東沖合い)の領主であり、イスラム教徒の部族長。世界一周航海の途上でフィリピンへ来航し、キリスト教への改宗と服従を要求するフェルディナンド・マゼランに対して抵抗し、マクタン島の戦いでマゼラン軍を破った上、マゼランを討ち取った。フィリピンでは民族の誇りを守った国民的英雄とみなされている。
『明への出兵の企ては、【日本が東洋の盟主であるという認識】の上に立っていたものでした。なぜならスペインの進攻はさしせまったものでした。【明がまさにフィリピン化する】ことを防ぐ大きな計画だったのです。もし【日本がその圧倒的な鉄砲の技術を使って防御すれば、フィリピンのような植民地になることはないだろう】と考えたのです。』


いかがでしょうか?
日本にポルトガル人が最初にやってきた理由が、お分かり頂けましたでしょうか?
ここで重要なのは、キリスト教のトップに君臨する「ローマ教皇」さまが、スペインとポルトガルというたった2つの国に対して、私たち日本人も含むすべての人々の共有財産である、この地球を、勝手に、領有することを認めたっていうところです。植民地にしても良いと、キリスト教のトップの「ローマ教皇」さまが、決定し、お墨付きを与えたんです♥
キリスト教は、博愛を口にします。
「無条件で万人に平等な愛。神さまが人々に与える愛。神様があなたを愛してくれているのだから、あなたも隣の人を、そのように愛しなさい」
隣人とは、キリスト教徒だけではなくて、あなたの隣にいる人、電車の座席で、信号待ちで、立ち食いそばで、あなたの隣にいる人、それを愛しなさい。そう口々に言っています。
それでは、スペインやポルトガルの敬虔なキリスト教徒の方々は、世界中で、一体何をやってきたのでしょう?
隣人であるはずの、アフリカ大陸やアメリカ大陸やアジアの人々に対して、何をやってきたのでしょう?
こちらもご参照♥
↓
世界で南北方向の緯度20度を持つ国では、言語は分裂しています♥
もう、お分かりですね♥ キリスト教徒は、彼らが口にすることとは正反対で、残虐に、横暴に、非人道的に、隣人に接してきたんです♥
要するに、キリスト教徒は、残虐なんです♥
つい先日も、このような残虐な事件が、キリスト教徒によってなされました♥
↓
米黒人教会銃撃 ディラン・ルーフ容疑者を逮捕「ヘイトクライム」憎悪犯罪か
犯行を行ったのは、21歳の男の子です。

キリストの教えに従わず、隣人を無差別殺戮したんです。
彼の父親は、こういう感じです♥


画像はこちらからお借り致しました♥
元に戻りますと、キリスト教徒のやってきたことは、キリスト教の教えに反しているんです♥ 支離滅裂ですねw
教皇アレクサンデル6世は、有名ですから、こんなドラマにもなっています♥
↓
ボルジア家 愛と欲望の教皇一族
「中世ルネサンス期を通じて最も淫蕩で名高いローマ教皇は、アレクサンデル六世です。ボルジア家の出身で、彼ほど聖職者とはいえない人間はいなかったのですが、既に枢機卿時代に他の教会のお偉方と一緒になって高貴な婦人や貴族の令嬢を招いては、怪しげな舞踏会や夜会を開き、その際には夫や父親といった男性親族はすべてシャットアウトされました。この好色教皇にとって女性はつねに「女」であり、尽きない性欲のはけ口だったのです。例えば、情婦のヴァンノッツア・カタネイは事実上の妻の役割で4人の子供をもうけました。また、そのあとジュリア・ファルネーゼという16歳の少女を美的観賞用として愛人にし、その他にもたくさんの娼婦たちが競って彼の周りに群がっていました。バチカン宮殿のなかに梅毒が蔓延したのも何の不思議もないことでした。」
こちらもご参照♥
↓
性病の歴史
ご参考までに、私たちの日本の「隣人」のお国でのキリスト教は、こんな感じです♥
↓
韓国のキリスト教
そんなキリスト教のトップの「ローマ教皇」さまが植民地支配の許可した、その証であるトルデシリャス条約の条約調書の原本が、なんとユネスコの記憶遺産に登録されちゃっています♥

詳しくはこちらから♥
そこには、こんな風に記載されています。
「Modification of a demarcation line dividing the world between Spain and Portugal resulted in the birth of Brazil as its eastern end fell within the Portuguese zone. 」
「結果、ブラジルが生まれた」・・・こう書かれています。でも、違いますね♥ もともと、ブラジルには、キリスト教でもなく、ヨーロッパの白人でもない人々が住んでいたんです。原住民の子孫は、現在も保護区にお住まいです。
これが、ユネスコの記憶遺産に登録されているんですよw
可笑しいですね?
私たち日本に対して、世界遺産登録にイチャモンをつけてくる「どうしようもない隣人」がいます。

相変わらず、朝日系は、反日の手助けに勤しんでいるようですけどw
私たち日本の「軍艦島」。

やまさ海運株式会社HP
ここは、日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートが建設された所で、高層アパートの中には売店や保育園、警察派出所、郵便局、パチンコ屋などが地下や屋上に設けられ、各棟をつなぐ複雑な廊下は通路としても使われ「雨でも傘を差さずに島内を歩ける」ほどの恵まれた島でした。

もう、いい加減にして欲しいですね♥

続きは次回に♥
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