2015-07-08 (Wed)

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・221世)は、筒井寛昭。奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備された。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 神亀元(724)年から天平勝宝元(749)年にわたる【聖武天皇】の治世こそ、奈良が絶頂を極めた時代というべきでしょう。

聖武天皇
ところが、【戦後の歴史家たちはこの時代を評価していません】。

この時代にも政権争いはありました。疾病もあったし、天災も起こりました。これらは大なり小なり、いつの時代にもあるものです。そこばかりに目を注いで強調していたら、時代の本当の姿は見えてきません。しかし、【戦後の歴史家たちはそういうものがすべてであるかのように、この時代を述べてきました】。

挙げ句には、それをしずめるために大仏殿を建てたり、日本中に国分寺をつくったりして、【人々はその労役に駆り出され、ひどい目に遭って大変苦しんだなどと言い出す始末】です。

【思い込み】で歴史を語ってはいけません。【事実】を見ていかなければなりません。【彼らは進んで国家の仕事に協力した】のです。少数のをそれが多数であったかのように取り上げてはなりません。

朝廷は開墾を奨励し、それまで国家の統制が及ばなかった未墾地が開かれていきます。中でも大きかったのが、天平十五(743)年に出された【墾田永年私財法】です。これは新しく開墾した【土地の私有を認める】ものです。これによって、人々の開墾への意欲は大いにかき立てられ、水田が広がっていきました。有力な貴族や寺院、地方豪族も盛んに私有地を広げていきました。
歴史を語るなら、【こういう新しい動きに注目すべき】でしょう。

伊耶那岐神(右)と伊耶那美神(左)
国の起こりや歴史をまとめようという動きも出てきました。律令政治の仕組みが整って、【国家の自覚】が強くなった表れです。それが…『古事記』の成立です。稗田阿礼が以前からあった『帝紀』や『旧辞』を暗記し、天皇の由来を語る物語などを加えて口承し、それを太安万侶が書き取ったものです。和銅五(712)年に朝廷に献上されました。
こちらもご参照♥
↓
『古事記』のはじまり、はじまり~♥
『日本書紀』は朝廷の事業として編纂されました。天武天皇の皇子の舎人親王が中心になって編纂されたもので、記録性が強く意識された歴史書です。養老四(720)年に完成しました。
また、地方の伝説や地理、産物などを書いた『風土記』も出されました。これは和銅六(713)年のことです。これら数多くの文献の出現は、この時代の文化の成熟にほかなりません。…

東大寺
聖武天皇は鎮護国家のために平城京の中央に【東大寺】を建立し、16メートルの高さがあるブロンズ(青銅)の大仏をつくらせました。…

東大寺大仏(752年完成)
その制作を担ったのは国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)でした。この人の大変すぐれた手腕は、『続日本紀』という公式記録で絶賛されています。

楽山大仏(らくさんだいぶつ、803年完成) 支那・四川省楽山市
中国の大仏は岩場を掘ったものですが、東大寺の大仏は素材がブロンズです。【大変な技術を要する大事業】です。これを成し遂げた国中連公麻呂は大いに称賛されていい。ところがどういうわけか、この人の名は歴史の中であまり語られていません。おかしなことです。国中連公麻呂はもっとクローズアップされていい存在です。

大仏建立に要する費用を集めるために広く一般から寄付を募る勧進の役目は、民衆に人気のあった行基(ぎょうき)という僧侶に依頼されました。

聖武天皇
聖武天皇は次のような詔を出されています。
「朕(ちん)は徳の薄い身でありながら、かたじけなくも天皇の位を受け継いだ。
朕の志は【広く人民を救うこと】であり、【努めて人々を慈しんで】きた。国土の果てまで思いやりと情け深い恩恵を受けているはずであるが、天下のもの一切がすべて仏の恩恵に浴しているとはいえない。そこで三宝(仏・法・僧)の威光と霊力に頼って、天地とも安泰になり、よろずの代までの幸せを願う事業を行って、生きとし生けるものことごとく栄えることを望むものである。
そこで天平十五年、菩提の大願を発して、廬舎那仏(るしゃなぶつ)の金銅像一体をおつくりすることにした。国中の銅を尽くして像を鋳造し、大きな山を削って仏堂を構築し、広く仏法を全宇宙に広め、これを朕の智識(ほとけに協力する者)としよう。そして最後に【朕も衆生(しゅじょう)もみな同じように】仏の功徳を蒙(こうむ)り、ともに仏道の悟りを開く境地に至ろう。
天下の富を所有する者は朕である。天下の権勢を所持する者は朕である。この富と権勢をもってこの尊像をつくるのは、ことはなりやすいが、この願いを成就することは難しい。ただいたずらに人々を苦労させることがあっては、この仕事の神聖な意義を感じることができなくなり、あるいはそしり(悪くいうこと)を生じて、かえって罪におちいることを恐れる。…国・郡などの【役人はこの造仏のために、人民の暮らしを侵したり、乱したり、無理に物資を取り立てたりすることがあってはならぬ】。国内の遠近にかかわらず、あまねくこの詔を布告して、朕の意向を知らしめよ」
この聖武天皇のお言葉には、権勢を誇る気持ちと人民を思う心が同時にあり、それをもって大仏をつくろうと呼びかけています。大仏制作で天下のもの一切が仏恩に浴するようにと望んでおられることがよく伝わってきます。
こちらもご参照♥
↓
「かたじけなくも天皇の位を受け継ぎました」 聖武天皇の詔の言葉
聖武天皇はさらに国家の安定を祈って、全国に【国分寺と国分尼寺】を建てさせました。七重塔が各地に建てられました。この時代を【天平】と呼んだのは、天下が平らであることを願われたからですが、実際にそうだったといえるでしょう。』

いかがでしょうか?
日本の大仏は美しいですね♥神々しいですね♥
それに比べて・・・
コレって、何なんでしょうwww
↓

技術力の違い、美的センスの違いが、良く見てとれますね♥
ただ単に、岩をくり抜いただけ、大きいだけ、仏像に似せただけ、ですね^^
まったく感動を与えませんね♥
つまり、日本は、大陸よりも発達していたってことなんです。
それほど大陸の文化や技術は、程度が低かったんです♥
同じような事例は至る所にあります。
例えば、万里の長城です。
長城というか「万里の長壁」ですけど、この「壁」は紀元前3世紀から、なんと16世紀まで造り続けられていました。つまり、約1800年もかけて、長さが5000キロにもなる「壁」を、延々と造っていたんです♥

しかし、この「壁」(万里の長壁)は、無駄に長いだけで、少しも美しくも無く、人々を感動させることもありません。この「壁」がイメージさせるのは、「戦乱」ですね♥ 私たち日本人は、このような「壁」には、まったく魅力を感じません。それどころか、忌み嫌うべき対象ですね♥

現在のローマ
他方、同じ時代(紀元前3世紀)、ローマでは、「万里の長壁」とは比較にならない歴史的建造物が造られていました。
それが、人類最古の高速道路である「ローマ街道網」です。その建設は、紀元前3世紀から2世紀までの約500年間に渡りますが、幹線だけでも8万キロ(=万里の長壁の16倍)、支線まで加えれば15万キロ(=万里の長壁の30倍)にもなりました。まさに、圧巻ですね♥
詳しくは、こちらをご参照♥
↓
「壁」が良いのか、「道」が良いのか♥

アッピア街道
続きは次回に♥
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