2015-07-04 (Sat)

天智天皇(てんちてんのう / てんじてんのう、推古34年(626年)- 天智天皇10年12月3日(672年1月7日))は第38代天皇(在位:天智天皇7年1月3日(668年2月20日) - 10年12月3日(672年1月7日))。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)。百人一首でも平安王朝の太祖として敬意が払われ、冒頭に以下の歌が載せられている。
秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
(屋根を葺いている苫が粗いので、私の袖は夜露にしっとり濡れてしまった)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 中大兄皇子は都を近江の大津宮に移し、【天智天皇】になられ、全国の戸籍作成などの改革を行いました。天皇が崩御されると皇位継承をめぐり【壬申の乱】が起こり、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が即位され【天武天皇】となられました。この争いは決して皇室の権威を揺るがすものではなく、かえって強化することにつながりました。

天智天皇陵(京都市山科区)
天武天皇の時代は、その後の日本人の生活の指針となるものが定まったことでも忘れてはならない時代です。

天武天皇
日本人の食生活では、魚を中心にタンパク質を摂る習慣が長く続きますが、これはこの時代からはじまるのです。

『日本書紀』には
「牛、馬、犬、さる、鶏の肉を食べてはならない」
と書かれています。これが食生活についての国家の方針だったのです。

こちらもご参照♥
↓
ニューズウィーク日本版 : 中国犬肉祭りは文化どころか金儲け 2015年6月24日(水)

このことは牧畜や狩猟を積極的に行うヨーロッパなどの人々とは異なる生き方を日本人に選ばせました。日本人は森を切り開き、広大な牧場をつくる牧畜民の道をとらないで、農業をもっぱらにする民族になっていったのです。これにともなって、山から草や薪をむやみにとらないという道徳観念もつくられていきました。

こちらもご参照♥
↓
実は高度だった縄文文化

これは現在の日本の幸せにつながっています。牧畜が発達した中国やヨーロッパでは、たくさんの牛や羊を養っていくために山や森の木を切り倒し、牧草地を広げていきました。

その草が食べ尽くされ、思うように草が生えなくなると、さらに山や森の木を切り倒して牧草地を広げました。その結果は、いまはっきりと現れています。土地が裸になり、乾燥して荒れ、深刻な問題になってきているのです。

日本はどうでしょう。緑にあふれています。

この豊かな風土は、【天武天皇の時代に定められた方針のおかげ】なのです。祖先の知恵に感謝しなければなりません。』

いかがでしょうか?
緑豊かな、私たちの日本。その基礎は、天武天皇の時代にあったんですね♥
続きは次回に♥
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