戦車の神様

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画像はこちらからお借りいたしました♥⇒独立行政法人 北方領土問題対策協会

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北方領土面積

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

客観的に情勢を判断する必要があります。

戦前の日本人の祖先が、いかに自分たちを犠牲にしてまで、子孫である私たち現代人に、その希望を託していたのでしょう。

私たち日本人は、今の学校では決して教えない「本当の命の大切さ」を知らなければなりません。

それは、欧米や大陸流の「身勝手な個人主義ではなく、「和を尊ぶ」「共同体を大切にする」という私たち日本人の素晴らしき伝統を知るということです。

それでは、この書物を見ていきましょう!




『 竹田浜に上陸してくるソ連兵と対峙したのは、独立歩兵第282大隊(村上大隊)の約800名であった。実は、ソ連兵の先遣隊は、上陸用舟艇に重い大砲などを載せすぎて、沖合で座礁し、将兵は泳いで上陸してきた。そこに日本軍の野砲や速射砲が次々と打ち込まれたのだ。それでも、ソ連軍は上陸してきたため、最前線は【壮絶な白兵戦】となる

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 村上大隊第2中隊の重機関銃第2分隊は、突然現れたソ連兵と銃撃戦になった。ソ連軍はマンドリン銃を撃ちながら向かってきた。第2分隊も重機関銃で撃ち返すが、ソ連兵は銃手を狙撃してきた。上原卓著『北海道を守った占守島の戦い』によれば

『前方の壕から「ウラー、ウラー」(ソ連兵が突撃の際に発する言葉)という叫びと、「この野郎」「こん畜生」という日本兵たちの怒号が交じって聞こえた。殺るか殺られるかの白兵戦となっていた』

という。この竹田浜から四嶺山での戦いでは、多くの日本兵がソ連兵との白兵戦で命を落としている



 18日、午前2時30分ごろ、占守島の南西にあった戦車第11連隊に出撃命令が届いた。昭和15年に創設された戦車第11連隊は「十一」を「士」と読み“士魂(しこん)部隊”と呼ばれていたが、昭和19年2月に満州から占守島(しゅむしゅとう)に配備された戦車部隊の精鋭であった。

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池田末男大佐

 連隊長は“戦車の神様”と呼ばれた池田末男大佐である。日本の敗戦を知って落胆していた池田大佐だったが、命をかけるときはこのときとばかり奮い立ち、竹田浜付近に押し寄せるソ連兵と対峙していた友軍を援助するためにただちに出撃の準備を始めた



 だが【8月15日の終戦の知らせ】を聞いたあと戦車隊は全戦車を海に沈めるために、戦車砲や機銃、無線機などを車体から取り外していた。さらに砲弾も信管を抜いて車体から外に出してある状態となっていたため、大慌てで戦車を整備し始めた。暖機運転などを含めれば、どんなに急いでも2時間はかかる作業である。そこで、池田大佐は、準備ができた車両から島の西側にある基地を出発し、占守島のちょうど中央にある天神山で集合することにした。…

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 午前4時頃、集合地点の天神山には準備のできた戦車20輛ほどが集合していた。本来であれば四方を見渡せる歩兵と共に進撃したいところだったが、ぐずぐずしていると四嶺山はソ連軍の手に落ちてしまう。援軍を待つ時間はなかったすでに覚悟を決めていた池田大佐は将兵を前に以下のように訓示した

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 『 諸子はいま、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。赤穂浪士たらんとする者は一歩前に出よ。白虎隊とならんとするものは手を上げよ 』
(大野芳著『8月17日、ソ連軍上陸す』)



 これに対し全員が『おおっ!』と叫びながら手を上げ【命をかけてソ連軍と戦う心意気】を示した。これに対し池田大佐は目に涙を浮かべて「ありがとう」と答えたという。

 池田大佐は、上半身は白いシャツ姿で日の丸の鉢巻きを締めた。そして日章旗を手にして戦車の砲塔に跨がった状態で前進する。これは、戦車の中では周囲が確認できず全軍の指揮が執れないからであった

戦車

池田大佐は出撃に際して、堤師団長宛てに以下のように無線報告をした。

池田連隊は四嶺山の麓にあり、志気旺盛なり。〇六五〇、池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。祖国の弥栄(いやさか)を祈る
(大野芳著『8月17日、ソ連軍上陸す』)。』

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いかがでしょうか?

日本がポツダム宣言を受け入れた、「その後も」、ユダヤ共産党のソ連が日本の領土を侵略してきました。

彼らユダヤ共産党のソ連は、北海道の分割を目論んでいました。

北海道分断

ユダヤ共産党のソ連は、「武装解除をしていた」満州にも侵攻してきました。

武装解除をしていた日本軍は、一般市民を護ることができませんね♥

その結果、ユダヤ共産党ソ連の武装した兵士たちによって、略奪や強姦や虐殺が行われました。

アメリカ軍による民間人をターゲットとしたホロコーストの本土大空襲・原爆投下と同様に、満州においても民間人の犠牲者が多いのは、そのためなんです。

地域別戦没者数

軍人一般人比率

私たちの祖先が、日本の敗戦を受け入れた後、どのような辛苦を味わされたか。捕虜になった日本兵の取り扱われ方が、いかに不当であったのかが、この書籍には詳しく書かれていました♥

丸谷 元人 日本軍は本当に「残虐」だったのか―反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行



そして、そんな狂気な状況の中で、

『 民族の防波堤 』となって、『 後世の歴史に問わん 』として、

その尊い命を犠牲にして、 私たちの国を護ってくださったんです。

バトンを渡されたのは、今を生きている私たち日本人です。

英霊の犠牲に報いるためにも、今を生きている私たち日本人がやらなければないらないことはたくさんありますね♥

それが、子どもたちの未来にも繋がります。頑張りましょう♥

続きは次回に♥




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Category: 大東亜戦争
Published on: Thu,  04 2015 00:20
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