日本人にとっての富士山

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宮崎県 高千穂町 「雲海の名所」 国見ヶ丘
写真はこちらからお借りいたしました♥⇒一般社団法人 高千穂町観光協会


戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

客観的に情勢を判断する必要があります。

さて、日本の中心地は、昔から「関西」だったのでしょうか?

これを確かめるためには、「関東」の歴史を理解する必要があります。

それでは、この書物を見ていきましょう!


本当はすごい! 東京の歴史本当はすごい! 東京の歴史
(2014/05/23)
田中英道

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『 富士山を信仰の対象とする富士信仰の原形のようなものは、縄文時代にすでに見られます。富士山麓の富士宮市にある数千年前の集落千居(せんご)遺跡は、富士山のかたちを模して置かれたとされている配石遺構で知られています。高さ70センチメートルほどの富士山型の石の背後に富士山が望めるのです。

千居遺跡
静岡県富士宮市 千居遺跡

 平安時代になると、富士信仰がわかりやすく示された物語も書かれます。かぐや姫で知られる『竹取物語』です。9世紀成立とされるこの作品は、のちの『源氏物語』にも影響を与えた【日本最古の物語】と言われています。

竹取物語 1

 おおまかなストーリーは次の通りです。

 おじいさんが竹薮で見付けてきたかわいらしい姫がたちまち大きくなって美しい女性になったので、5人の貴公子から求婚されます。ところが姫はこれをことごとく断ります。最後には美貌の噂を聞きつけた帝が訪ねてきて宮廷に入るように望みますが、これも拒みます。しかし、帝とは文(ふみ)の遣り取りをするようになります。やがて月の世界に帰らなければならなくなったとき、姫は帝に文と不老不死の薬を残します。帝は文を読んでひどく哀しみ、「天に一番近い山はどこか」と周囲に尋ねると、駿河の国にある山だと教える人がいました。かぐや姫と会えなくなっては不死の薬もなんの意味もないと、日本で一番高いその山で文と薬を焼くように命じるのです。その煙はいまも雲の中に立ちのぼっていると伝えられています。このとき「大勢の士(つわもの)が不死の薬を焼きに登った」ことからその山を「富士の山(士に富む山)」と名付けたというのです。

竹取物語 2

 この物語からも、富士山が神に一番近い場所天に近い存在というのが当時の人々の共通の認識であったことがうかがえます。富士山に、ひとつの精神性を見ているのです。

富士山

 富士山の存在はその後も日本中に広がり全国各地にその名前が付けられた山が300から400あると言われています。富士山が見えないところでも身近な山に富士という名前を付けたがること自体が、富士信仰という山岳信仰、自然信仰の広がりの表れであることは疑いありません。

 富士が山の典型であって、日本の自然信仰の基本なのです。それが江戸時代に入って、富士山を見るための富士見台がたくさん設けられたり、富士山そのものをミニチュア化した富士塚がつくられたり、富士が見えなくても富士山を信仰する日本人独特の態度と結び付くわけです。

国際宇宙ステーションから見た富士山
国際宇宙ステーションから見た富士山

 そのかたちとしての美しさもさることながら、非常に精神的な存在であることが重要なのです。』

日ノ丸

いかがでしょうか?

私たち日本人が富士山を愛してやまないのは、ずっと古来から続いているんですね♥

続きは次回に♥


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Category: 国史
Published on: Mon,  20 2015 15:26
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