花鳥風月を学校で教育しない都道府県

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    センター通り
    復帰直後の那覇市内(まだ自動車は右側通行のまま)

    日ノ丸

    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    今から70年前、日本の国土を守るため、県民の4分の1が米軍によって殺戮された、

    それが沖縄県民です。

    純粋に、沖縄そして日本という国を護るために戦った数多くの英霊の方々がいました。

    それは、軍人だけではなく、誇り高き一般の沖縄県民の方々も含みます。

    ところが、この70年の間に、奇妙で深刻な状況に沖縄がなりつつあります。

    日本人として、沖縄を理解するために、こちらの本を見ていきましょう!


    報道されない沖縄  沈黙する「国防の島」報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」
    (2012/04/28)
    宮本 雅史

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    『 変わっていく復帰協のなかにあって教職員会は本土復帰前年の46年9月30日、後に日教組に加盟する沖縄県教職員組合(沖教組)へと姿を変えた教職員を権力に対する闘いに挑む組織形態にするのが狙いだった

     その沖教組は47年5月の沖縄の本土復帰を経て、49年米軍基地の撤去などを求める闘争を全国的に展開するため日教組に正式加盟し、組織的に反米軍基地闘争反日運動を開始した同時にこども達に反日教育を徹底して行うようになった

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     沖教組が影響力を強めるとともに沖縄での教育は「親日本」から加速をつけて変質していった

    本土復帰後、指導主事だった元県立高校校長は

    「こんなに驚いたことはなかった」

    と前置きすると、沖教組から授業で歌唱を禁止する楽曲を指導する指導要領が配布された時のことを語った。突然の指示驚きを隠せない教員達に沖教組はこう説明したという

    「生徒に『荒城の月』を歌わせてはいけない。なぜ、こんなものを教えるのか、なぜ花鳥風月を教えなければならないのか



    「シューベルトの『軍隊行進曲』は、軍隊を煽り、自衛隊を軍隊にする歌だから、生徒達に歌わせてはいけない



    「童謡の『海』の詩にある『行ってみたいなよその国』の部分は侵略を意味するから学ばせてはいけない



     筆者の手元に、「要求事項」と書かれた一枚の手書きの文書がある。右下の欄外に「那覇地区教職員会」と印刷されている。そこには、

    「総理府贈呈の復帰祝賀記念メダルは教育に対する政治的干渉を意味し、学校現場に著しい混乱を巻き起こすことが憂慮されるので、教育的配慮から絶対に学校機関を通じて配布しないこと。全県の各学校分会ではこの種の政治的贈呈物は一切拒否し、とりあつかわないことを確認しているので学校行政者として、不要な混乱を招くことは厳重につつしんでもらいたい。委員会の責任でメダルを贈呈者に返上せよ

    と書かれている。

    復帰記念メダル

     政府は沖縄の復帰を祝して記念メダルを作り県民に配布することにしていたが、元沖教組関係者によると、教職員会は20万個の記念メダルを処分し、こども達に配布しなかったという。

     こうした沖教組の教育方針はその後、沖縄のこども達の戦後教育に大きな影響を与えることになる。 』


    驚き顔

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    いかがでしょうか?

    米軍統治時代の沖縄県民には、日本人としての「誇り」がありました。

    特に、「祖国復帰」運動の先頭に立ったのは、誇り高き教職員達(教職員会)でした。

    その後、運動の中心が、沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)となり、

    次第に、この組織が大規模になるにつれて沖縄に奇妙な風潮が生じてきます

    「沖縄を階級闘争の拠点に」と訴える活動家達が、本土から沖縄へと続々と流れ込み、

    復帰優先の運動から「安保反対、基地反対」の革命闘争へと変質していったんです♥

    教職員会が沖教組へと変わり、日教組に加盟し、

    こども達に左翼思想教育を始めたのです。

    沖教組
    沖縄県教職員組合

    その沖教組のHPには、このように書かれています。

    『 沖教組は敗戦後の混乱の時代に、子どもたちの将来のために立ち上がった教師たちによって、結成された「沖縄教職員連合会」に始まります。その後、「沖縄教職員会」として焼け野原だった学校に「戦災校舎復興運動」をとおして教科書や教育備品の受け入れをしたり、戦後の教育に力を注いできました。また、アメリカ占領下で植民地教育を許さないために「教育基本法」をはじめとする「教育四法」を立法化させ、復帰のめどが立たない時代に「日本国民」としての教育の指針を確立しました。さらに、祖国復帰運動の中心的な役割を果たし、戦後初の主席公選では、当時の教職員会会長の屋良朝苗先生を当選させました。その後1971年に「沖縄県教職員組合」として労働組合に発展移行し、現在に至っています。

    その間も、私たちは、子どもたちの健やかな成長を願い、「学習権の保障」「わかる授業」「楽しい学校づくり」をめざして、平和と民主教育の確立のため、努力してきました。さらに日教組に加盟し、「教え子再び戦場へ送らない」を基本理念とし沖縄県の子どもたちの未来を創造するため活動をしています。 』


    教育を司る教師たちの組織が、「間違い」・「嘘」の含まれた文章で、沖教組を紹介していますね♥

    それでは、「正しく」訂正して差し上げましょう

    『 沖教組は敗戦後の混乱の時代に、子どもたちの将来のために立ち上がった教師たちによって、結成された「沖縄教職員連合会」に始まります。その後、「沖縄教職員会」として焼け野原だった学校に「戦災校舎復興運動」をとおして教科書や教育備品の受け入れをしたり、戦後の教育に力を注いできました教職員自らが資金を出し合って、本土の学校で使われている教科書を購入し、教職員全員が「日の丸」と「君が代」を尊重、祖国復帰を目指し、こども達に日本人としての気概を育てようとした。また、アメリカ占領下で植民地教育を許さないために「教育基本法」をはじめとする「教育四法」を立法化させ、復帰のめどが立たない時代に「日本国民」としての教育の指針を確立しました。さらに、祖国復帰運動の中心的な役割を果たし、戦後初の主席公選では、当時の教職員会会長の屋良朝苗先生を当選させました。その後1971年に「沖縄県教職員組合」として労働組合に発展移行日教組に正式加盟後、組織的に反米軍基地闘争や反日運動を開始、現在に至っています。

    その間も、私たちは、子どもたちの健やかな成長を願いこども達に花鳥風月など決して教えないかわりに「学習権の保障」「わかる授業」「楽しい学校づくり」をめざして、平和と民主教育の確立のため、努力してきました。さらに日教組に加盟し、「教え子再び戦場へ送らない」を基本理念とし沖縄県の子どもたちの未来を創造するため活動こども達に徹底した反日・左翼教育をしています。 』

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    現在、沖縄県民の中に、「日本が敵」であったと考える人が出てきています。

    沖縄の発展を阻害してきたのが「左翼・左翼メディア」なんです♥

    沖縄県内だけではなく、県外の左翼が結集したのが沖縄だったのです。

    左翼と左翼メディアが、本土と沖縄で、別々の形で活動している、

    日本全体の世論の分断を図っている。これが、真実です。

    沖縄では、本来はまともな考え方や意見を持った人々でさえも

    左翼活動家らによって「言論封殺」されているのが現状なのです。

    私たち日本人は良識ある沖縄県民を

    左翼・左翼メディアの抑圧から解放しなければなりません

    沖縄の反戦平和運動活動家ら左翼・左翼メディアこそ

    人々の自由を奪い抑圧しているのです

    この本を読み進めていくと、驚愕の事実が、次から次へと出てきます。

    続きは次回に♥


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    (2012/04/28)
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    Category: 沖縄
    Published on: Sun,  28 2014 13:09
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