大石格 編集委員 日本経済新聞 20141109朝刊 風見鶏 ②

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    大石格 編集委員 日本経済新聞 20141109朝刊 風見鶏

    日ノ丸

      普段何気なく生活をしていますと、うっかり見逃してしまいがちなことが、私たちの周りにはたくさんあります。取るに足りない事柄であれば何の問題もないのですが、世の中には注文記事(お金を貰って依頼主の要望に沿って書かれた記事)なるものが横行し、不愉快はなはだしいこともしばしばです。
      私たち日本人は、あくまでも親日的な立場に立って、そのような行為を見逃すわけにはいきません。

    それでは、日本経済新聞のとある記事の欺瞞を見ていきましょう♥


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    『 沖縄住民は先住民族であり、権利が保護されなければならない 』

      先住民族って、どの時期からのことを指しているのでしょう?確かに明の属国として「琉球王国」が存在していた時期はあります。

      それでは、↓の参考書を頼りに、中身を吟味していきましょう!


    いま沖縄で起きている大変なこといま沖縄で起きている大変なこと
    (2014/08/26)
    惠 隆之介

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      16世紀後半、豊臣秀吉は2度にわたって朝鮮に出兵しています(文禄・慶長の役)。この理由は、明国が日本に対して朝貢を要求(貢物をすることで明が保護する、つまり明の属国になれと言ってきたのです)、これに激怒した秀吉が、明国討伐のための足掛かりとして朝鮮へ出兵したのです(朝鮮は朝貢を行っており明の属国でした)。
      1591年に秀吉は薩摩を介して琉球に出兵を促しました。しかし薩摩藩は琉球兵の戦闘能力を疑問視し(つまり軍隊としてはあまりにも弱かったのです)、琉球王府に対し「7000人・10か月分の兵糧だけを送られたい」と伝えます。ところが、これに驚いた琉球王府は、この情報を明国へ密告したのです。明の皇帝はこの密告に対する褒美として、琉球王の序列を引き上げました(明属国の中での属国王としての序列・順位を引き上げたもらった)。このことに慢心した琉球王は、薩摩に侮辱を加えます。要求された7000人分の兵糧の半分しか納めず、残りは薩摩に負債したまま、なんと国交を断絶する愚挙を行いました。

      1602年、難破した琉球船が奥州(東北地方)に漂着し、徳川家が薩摩に命じて琉球に送還させます。以後、薩摩を介して家康への謝恩使の派遣が繰り返し要求されます(当然ですよね♥)が、王府は最後までこれに応じませんでした。1608年に改めて島津家久が使節を派遣し、家康に拝謁するように諭しますが、琉球王はこれを聞き入れず、逆に使節を罵倒し辱めました。これを受けて、琉球征伐の御朱印が、薩摩に下りました。1609年、薩摩は3000人の部隊をもって琉球に侵攻します。あっという間に首里城にまで到達した薩摩軍に対し、琉球王府は無抵抗で和睦を乞いました。以後、琉球は薩摩と中国への両属体制をとりました(首里城の北殿が中国使節への歓待用で、南殿が薩摩藩使節の歓待用にしようされます)。

      以上のように、16世紀において、琉球王国は明の属国として存在していました。 では、それより以前、つまり琉球王国の祖先は、一体誰なんでしょうか琉球王からの命令で、1650年に編纂された琉球王国の正史が存在しています

    琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』などでは、12世紀源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れその子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、1922年(大正11年)には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている沖縄学の研究者の伊波普猷は、琉球の古語や方言に、中国文化の影響が見られない7世紀以前の日本語の面影が残っているため、中国文化流入以前に移住したと見ている高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されており遺伝子研究では、沖縄県民は遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果も複数出ている1336年には、明から久米三十六姓が琉球に渡っている。』(以上はウィキペディアから)


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    以上のことから、先住民族である沖縄住民は、琉球王国の正史が認めているように、もともとは源為朝由来であり、遺伝子的にも本土日本と同様であり、つまりは、沖縄県民は日本人の子孫なのです


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    Category: 日本経済新聞
    Published on: Sun,  09 2014 18:36
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