2014-11-08 (Sat)
歴史は生きている
アジア・太平洋戦争と国共内戦
(省略)
■奇妙な戦争 石油禁輸が契機に
では、奇妙な戦争はなぜ起きたのか。その答えを探るにあたって、1937年7月の日中戦争勃発(ぼっぱつ)後の経過を「前号のあらすじ」風にざっとふりかえりたい。
日本は首都・南京を陥落させれば中国は降伏すると思っていたが、蒋介石(チアン・チエシー)(しょう・かいせき)率いる国民政府は奥地の重慶を臨時首都にして抗戦を続け、イギリス、アメリカも支援した▼日中戦争は泥沼状態となり、日本軍は対米英開戦までに実に18万8000人余の戦死者を出した。一方、ヒトラー率いるドイツが欧州で戦争を始め、フランスやオランダを降伏させた▼日本はドイツ、イタリアとの三国軍事同盟を結び、アメリカ、イギリスに圧力をかけようとした▼だがこれが裏目に出て、アメリカの強硬姿勢を招く。当時、日本が石油輸入の大方を頼っていたアメリカは、41年8月に全面的な輸出禁止を決定する――。
日本はアメリカの石油禁輸によって、それまでとは全く異なる局面に立たされ、重大な判断を迫られることになる。選択肢はざっくり言えば二つである。
石油などの重要物資を得るために、オランダ領だったインドネシアやイギリス領のマレーシアなどを武力制圧する。つまりは蒋介石政権を打倒するためにも、米英との全面戦争に踏み切る――。
あるいは、中国からの撤兵などアメリカの要求を受け入れる――。
(省略)
(佐藤和雄)
↑記事はこちらから♥
長野朗(ながのあきら)
…戦前を代表する秀れた【シナ通、中国通】で…
GHQに焚書された本は18冊もあり…
没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。
…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。
…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも
知的に冷徹に【この民族の本性を見抜いて】います。
しかも、扱う事象の幅が広い。
蒋介石
英米が其の最も良き走狗(手下)蒋介石を見出してから既に十五年である
(この本が出たのは昭和16年だから、走狗を見出したのは昭和初頭になる)。
今日ABCD線(ABCD包囲網、アメリカ、イギリス、支那、オランダ)等と言っているが、
それは既に二十幾年も前に出来ていたので、
日本国民が余りにぼんやりしていたのである。
日支の戦ひは其の時既に始まり、ABCの連合戦線は出来ていた。
最初に英米人は、排日と親英米の空気を造るのに全力を注いだ。
そのために宣教師と学校を配置した。
英米の宣教師は僅か数百の県を除き、支那数千の県にことごとく配置され、
その数は数千に達した。
大正八、九年には、一船毎に数十人の宣教師が送られ、
アメリカは年に二千万弗($)の金を費(つか)った。
これらの宣教師は教会に簡単な診療室を設け、支那人の歓心を得た。
又教会の手で各地に学校が設けられた。
大学、専門学校など外人設立のものが支那で設けたものより多く、
二十七を算した。
中等学校が数百、小学校、幼稚園は数千に達した。
準備は完了した。
これを基礎に排日の運動を起こしたから、
燎原(りょうげん)の火のやうに一挙に全国に拡がったのである。
此等の学校は排日の宣伝場となり、医科大学に於いてさへ
学校に日米比較の統計表がかけてあるが、
国の大きさ産物工業交通等を比較されたのでは、日本は米国の足許にも寄り付けないのだから、
事大思想(「事大」とは強いもの・大きいものに事(つか)えること)の支那人の頭には、
米国親しむべし、日本侮(あなど)るべしの感を抱かせる。
かうした細工は、アメリカ輸入の映画にもある。
支那の映画は当時殆ど外国物で、殊にアメリカ映画が主であったが、
映画の合間に、外国の風景を出す。
それは紐育(ニューヨーク)辺りの摩天楼を移した後、日本の北海道の田舎町の外れを子守が子供をおんぶして鼻を垂らして歩いているような所を出す。
するとアメリカは如何にも偉い所で、日本は見すぼらしいやうに見える。
かうして英米支親善と排日の感情は次第に昻(たか)まって行ったのである。
朝日新聞の佐藤和雄ってヒトは、間違った認識をしているのが良くわかりますね!特に、日本が三国同盟を結んで、「英米に圧力を」なんていうところに、無知な人物であるってことが露見していますね~
長野さんが、実際にその目で見てきたことは、英米が中心となって、中国の排日運動をあおり、それにまんまと乗っかって中国人が大騒ぎをして、最終的に日中の戦争へと繋がった、中心となって反日煽動をしたのは、キリスト教徒だったってことなんですよ♥ 朝日新聞って、ホントに能力あるんでしょうか?あるわけないかwww
↑記事はこちらから♥
(解説)
まず軍閥とは、軍事力を背景とした私兵集団のことで、簡潔に言うと武装した暴力団。清朝滅亡後(1912年)、中国では各地で武装暴力団である軍閥が割拠していた。その様な中、蒋介石の軍閥(国民党)が「北伐」(1926~28年)と称して、南から北へ侵軍する事になる。そのきっかけは、北方の軍閥における内争であって、内争により南北軍閥間のバランスが崩れたのが基本的な流れ。
1910年代末の軍閥勢力図/『中国革命とソ連 抗日戦までの舞台裏【1917-37年】』
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